面倒なだけではなく正攻法でいくのは理由があります
翌日、朝から血相を変えたヨハンがライマーとヴァネッサの婚約破棄をシャルロッテとヘレパンツァーに告げてきた。町はこの話題で持ち切りらしくどうやら事実らしい。
さすがにその事態は予想していなかったシャルロッテとヘレパンツァーだが、それよりも目の前の少年の動揺が火を見るよりも明らかだった。
「なんであなたが婚約破棄されたような顔をしているのよ」
ライマーとヴァネッサの婚約破棄を報告したヨハンは今にも泣き出しそうな表情だ。
「だって、昨日の今日でなにがあったんだよ。こうなったら本当にあの絵の呪いのような気がして……」
「男女の仲なんていつどうなるかわからないものさ」
ヘレパンツァーの言葉にヨハンは肩を落とした。どっちみち今の状況はさらに絵の呪いの信憑性を高めてしまう。
そんなヨハンを見て、シャルロッテは行動を起こすことにする。ここまでくると乗りかかった船だ。
領主を務めるレーンスヘル家の館は、その地位を象徴するかのように立派なものだった。門の右上には釣り鐘が用意され、紐が垂れている。これで来訪を知らせるらしい。
シャルロッテは臆すことなく派手に鐘を鳴らした。まずは正攻法でいく。ヘレパンツァーは声をかけたが同行を拒否したので置いてきた。
ヘレパンツァーがいたところで、胡散臭さが増すだけなのだが、紫の瞳に黒衣の女性ひとりというのもなかなか怪しい。
その証拠にドアを開けてシャルロッテを見たメイドは顔いっぱいに不信感を溢れさせる。
「どちらさまでしょうか?」
「ライマー・レーンスヘルに用があるの。会えるかしら?」
相手の質問には答えず、シャルロッテは用件のみを伝える。若いメイドはわずかにたじろいだ。
「申し訳ありません。ライマーさまは体調を崩されておりまして……」
「なに? 例の彼女と別れて寝込んでいるの?」
すかさず切り込むと、メイドの顔が真っ青になった。触れてほしくない話題なのは明らかで、彼女は目線を落とす。
「な、なにも申し上げられません。旦那さまに口をつぐむよう言われておりますので、どうかお引き取りください」
シャルロッテの追及を拒否するかのようにドアが一方的に閉められた。近しい者には箝口令を敷いているのだろう。しかし婚約を解消した件については否定しなかった。
ふと視線を上に向けると、どこまでも青い空が広がっている。鳥のさえずりが聞こえ長閑そのものだ。反して、この屋敷の中はどんよりとした暗く重い空気が漂っている。
ここは一度おとなしく引くべきだと判断し、シャルロッテは踵を返した。その際、ちらりと屋敷の二階を見る。
窓が大きい一番端の部屋だけカーテンが閉められており、よく目立つ。そこへ向け彼女は人差し指を緩やかに動かし宙でなにかを描いた。
「ただいまー」
画廊に戻ってきたシャルロッテは、誰に告げるわけでもなく癖になっている口調で戻りを告げた。ヘレパンツァーは悠々とソファに身を預けくつろいでいる。
鮮血を彷彿とさせる真っ赤な瞳は帰還者をまっすぐに捉えた。
「傷心中の次期領主はどうだったんだ?」
「傷心過ぎて話すどころか会うことさえ叶わなかったわ」
シャルロッテは軽くまとめていた髪をほどき、ヘレパンツァーの横に腰を落とす。黒衣の裾がひらりと翻り、伸びる足を無造作に組んで背もたれに体を預けた。
「振られたくらいで、そこまで腑抜けになるものなのね。次期領主が情けない」
「相手の沈みようも相当なものだったがな」
なにげないヘレパンツァーの言葉にシャルロッテは勢いよく身を起こす。
「パンター、彼女に会いに行ったの?」
シャルロッテの問いかけにヘレパンツァーは妖しく笑った。赤い目が細められ機嫌よく答える。
「美人だと評判らしいからな。会って損はない」
「まー、現金」
言葉とは裏腹にシャルロッテも笑顔になる。自分が指示せずとも、なんだかんだ言って意に添う行動をとるのだから憎めない。
明確な名前を出さずともふたりが指している女性は同じ、ライマーの婚約者だったヴァネッサだ。
「で、どうだったの?」
期待に満ちた目でヘレパンツァーの回答を待つ。しかし本人は至極つまらなさそうな面持ちだ。
「言った通りだ。彼女も落ち込んで部屋に引きこもっていた」
ヘレパンツァー自身が見せようとしない限り、普通の人間には悪魔が見えない。
ヘレパンツァーによると、屋敷の中で見かけたヴァネッサは物悲しそうな表情で自室の椅子に腰掛け、祈るように体を丸めていたらしい。
ヘーゼルブラウンの長い髪に翡翠色の瞳は美しく、より一層の切迫さがひしひしと伝わる。
話を黙って聞いていたシャルロッテだが、思わず眉をひそめた。
「振ったのは彼女の方じゃないの?」
「そこまで知らん。しかし彼女の父親はなにやらご立腹の様子だったぞ」
シャルロッテは腕を組み、考えを巡らせる。昨日のライマーの態度からして、あの後に彼から婚約破棄を申し出たとは考えにくい。
ライマーが振られたと思い込んでいたがヘレパンツァーの話を聞く限りそう単純ではないのかもしれない。
どちらかの親の意向かしら?
身分が高ければ高いほど本人の意思そのものより親の意見が尊重されるのは、公爵令嬢だったシャルロッテにも理解できる。
そのとき無遠慮にドアが開いた。
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