ラスボス伝説発祥の地にしてやりましょう
とりあえず日も落ちつつあり、すぐに移動しなくてはならないわけでもない。シャルロッテとヘレパンツァーはしばし画廊で滞在することになった。ふたりには商談に使用する部屋が宛がわれる。
「あら?」
中に入ると、意外なものがシャルロッテの目に飛び込んできた。
「あ、これはすぐ片付ける」
気まずそうにヨハンが駆け寄り、イーゼルにセッティングされたキャンバスを仕舞おうとする。
「あなた、絵を描くの?」
「趣味で、だよ。ここでじいちゃんの手伝いとして傷いたんだ絵画の修復作業の手伝いもしているんだ。その影響で……」
照れくささからぶっきらぼうにヨハンは答えた。するとシャルロッテが明るく続ける。
「へー。私もちょっと描いてみていい?」
「お前、絵なんて描けるのか?」
軽いノリに間髪を入れずに返したのはヨハンではなくヘレパンツァーだった。ヨハンも同じ気持ちだ。ふたりの男に疑いの眼差しを向けられた魔女は、得意げに胸を張る。
「描けないわけないじゃない。正確無比に魔法陣を描けるのよ? そこそこ腕に自信はあるわ」
それはまったく別物のような気もするが、こうも自信満々だと逆に見てみたい気もしてくる。
ヨハンからの許可を得て、シャルロッテは意気揚々とキャンバスの前に座った。キャンバスは地塗りされ、これから彩られるのを待っている。
「まぁ、見てなさいって」
ヨハンに好きにしてもいいと言われたシャルロッテは遠慮なくキャンバスに筆を滑らせた。鼻歌混じりに絵に向かう姿はなかなか様になっている。
ヨハンは夕飯の準備をしてくると一度席をはずし、ヘレパンツァーはやれやれと肩をすくめソファに腰を下ろした。人間の姿で、行儀悪く肘掛け部分に足を乗せ姿勢を崩す。
外の暗さが濃さを増した頃、部屋にノック音が響きヘレパンツァーは身を起こした。シャルロッテは相変わらずキャンバスに向きあっている。
顔を出したのはヨハンで、ふたりに差し入れをとパンと温かいミルクをトレーに乗せてやってきた。ところが、すぐさま彼は目を剥き、顔をひきつらせる。
「な、なんだよ、それ。お前、呪いの絵でも描いたのか?」
「え?」
ヨハンの指摘にシャルロッテは意外そうな面持ちだ。ヘレパンツァーが確認すると、キャンバスは全体的に黒で塗られ、なにやら奇妙な生き物が描かれている。
かろうじて四足歩行をしている獣だと認識できるが、恐怖よりも不気味さが勝る。デッサンはめちゃくちゃで色使いも最悪だ。
深緑に土留色が合わさった混沌さは見る者を不安に陥れそうになる。
「お前があの絵を見て疑った気持ちが少しわかった。呪いの絵って、本物はやっぱり恐ろしいんだな」
畏怖の眼差しを向け、ヨハンはトレーを机の上におくとさっさと部屋を後にする。呆気にとられていたシャルロッテは宙にぽつりと呟く。
「……真面目に描いてたんだけど」
「なら、たいした才能だな」
すかさず小馬鹿にした悪魔に対し、魔女は恨めしげな視線を送った。
「ありがとう。これ、昔飼っていた猫なの」
まったく予想していなかった答えにヘレパンツァーは赤い目を大きく見張る。改めて絵をまじまじと眺めるが、どう見ても猫には見えない。
召喚したい悪魔を描いたと言われる方がよっぽど信じられる。これはもしかすると疑うのはシャルロッテの腕ではなく、自身の目の方なのだろうか。それほどにシャルロッテは自信満々だった。
昔といっても猫を飼っていたのは白鳥沙織のときだ。相変わらず名前は思い出せないが、常にそばにいた存在を懐かしく感じる。
シャルロッテは立ち上がって移動しソファに座ると、ヨハンが持ってきたパンに手を伸ばす。その後を追うようにヘレパンツァーはシャルロッテの前に腰を落とし、わざとらしく話を振った。
「で、どうするつもりだ? 意図があるのかないのかは知らんが、男が適当なことを言っているだけかもしれないぞ?」
「ま、その可能性は大いにあるわね」
シャルロッテはパンを置き、暗くなって洋燈に照らされた室内のあちこちに視線を巡らせる。
ソファをはじめとする机などの調度品はどれも国外から取り揃えたものらしく異国情緒が漂う。
机の脚は仰々しく動物を象り、敷かれている毛皮は獣の形がありありとわかる。
どれも年代物でそれ相応の品だ。さすがは美術商というべきか。ヨーゼフの腕は確からしい。
「まずは呪いだって大騒ぎしている彼に会いに行きましょうか。結果的に絵は関係なくても面白い話が聞けるかもしれないわ」
そこでようやくシャルロッテがヘレパンツァーに顔を向ける。
「呪いと思い込んでいるなら私のせいだってことにしようかしら? あの男の言い分に、この辺りの住民たちの考えは左右されるみたいだし。あの男が私を糾弾すれば、それは大きな連鎖になっていく……。いいわねー。ここ、ラスボス伝説発祥の地にしましょう!」
ウキウキと心を弾ませるシャルロッテと対照的に、ヘレパンツァーは苦い顔で今後の展開に思いを馳せた。そこで、ふと気になった点を口にする。
「どうしてあの男がろくに寝ていないとわかったんだ?」
ライマーの去り際、シャルロッテはやけにはっきりと彼の睡眠不足を指摘していた。
「ああ、簡単よ。目は充血していて足元はふらふら。時折あくびを噛みしめている様子を見てね。あの短気さは睡眠不足なのか元々の性格なのかは知らないけれど」
こういった彼女の観察眼については純粋に感心する。魔女の資質のひとつだ。それをけっして口にはしないが。
それに……とシャルロッテは神妙な声色で続けた。
「なにも感じないって言ったけれど、あの絵……なにかが引っかかるのよね」
とくに感動も心動かされることもなかった。邪悪な気配さえも。それは事実だ。
しかし、既視感にも似たぼんやりとした靄が残った。この正体がなんなのかシャルロッテもはっきりさせられない。
ヘレパンツァーとしては悪魔も憑いていない以上、呪いなどおそらく存在しないと結論づける。ただの言いがかりだ。
一方でシャルロッテは、それだけでは終わらない気がした。最初はただの偶然だと片付けていたが、今はそうは思わない。
魔女の直感とでもいうのか、この部屋に入ってその思いがさらに強くなっていた。
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