第二章

目覚めたら、夢も過去もすべて吹っ飛びました

 ああ、そうだ。猫を飼っていたんだ。

 シャルロッテとしてではない。前世で白鳥沙織として生きていたときだ。


 アパートの近くでうろうろしていた闇夜に溶けそうな艶やかな毛並みをもつ黒猫。普段は動物に見向きもしないのに、あのときだけは目が合った瞬間、なにか運命のようなものを感じた。


 相手もそうだったのか、こちらに警戒心もなくすり寄ってきた。抱き上げても抵抗ひとつみせない。まるで、そうしてもらうのを望んでいたかのように。


『ま、魔女の使い魔が黒猫なのは定番だしね』


 子どもの頃の夢を持ち出し、これも縁だと納得する。一緒に暮らし始め、沙織が仕事で忙しいのもあったが猫が沙織に心開くことはあまりなかった。

 窓の外をよく眺め、餌のときだけ呼ぶとやってくる。これではどちらが主人だかわからない。


 けれど眠るときは、そっとベッドに入ってきてそばで体を丸めていた。その存在に癒されていたのも事実だ。


 名前はたしか――。



 シャルロッテの目がうっすらと開き、続いて漂う意識を集中させようと、すぐに目を閉じて深呼吸をする。懐かしい断片的な記憶。でもこれは自分のものじゃない。白鳥沙織の、前世のものだ。


 そこでシャルロッテは自分の置かれた状況に違和感を抱く。いつも使っているベッドと感触が違う。


 ……ん?


 先ほどよりも大きく目を見開きシャルロッテは硬直した。


「Uウルズ!」


 考えるよりも先に口が動き、すぐさま身を翻しベッドから飛びのく。すると上から矢のごとく鋭い光が降り注ぎ、真っ白なベッドにいくつもの穴が容赦なく開いた。

 あっという間に凄惨な事故現場さながらになったが、狙われた本人にはまったく当たらず、何事もなかったかのように身を起こす。


「目覚めて早々、うるさい女だな」

 不機嫌に人間の姿をしたヘレパンツァーが黒髪を掻き上げる。眉間の皺は起こされたからか、元々なのかは不明だ。


 悪魔は人々を騙し魅了するため、見た目を人間の都合のいいように変化させる。

 その幅は本人の力量が大きく影響しているが、ヘレパンツァーの外貌は誰もが息を呑むほどの魅惑的で、多くの者を虜にするものだった。


 艶のある黒い髪に、透き通りそうなほどの白い肌。ややつり上がった目から覗く眼差しは鋭く、全体的に整った顔立ちをしている。

 そんな彼が軽くシャツ一枚を羽織っただけで自分を抱きしめて眠っていたのだから、シャルロッテとしては動揺が隠せない。


「パンター、どういうつもり!?」


 攻撃をかわし、ベッドに座ったままのヘレパンツァーにシャルロッテが噛みつく。男は額に手を当て、大きく息を吐いた。


「それはこっちの台詞だ。普通、こんないい男が起きてすぐそばにいたら、なにも言わずにその身を委ねてくるものだろう。いきなりルーンをぶっ放してくるとは……」


 それでも女か、とでも言いたげな口ぶりだ。どうしてこちらが空気を読めていない雰囲気になるのか、シャルロッテとしては釈然としない。


「生娘で価値があるのは聖女くらいだぞ。魔女なら男や我々悪魔を誑らかすくらいの器量がなくてどうする」


「女を武器にせず、大魔女に……ラスボスに成り上がったら、それはそれで価値があるんじゃない?」


 減らず口を叩くシャルロッテにヘレパンツァーはじっと視線を送る。おかげで言葉を続けられず、逆にシャルロッテとしては居心地が悪くなった。


 そして彼の唇がゆっくりと動く。


「価値? まぁ、こんな凹凸もない貧相な体を抱いたところでな」


 あっけらかんとした感想に、無意識に次のルーンを唱えようとした。そこで部屋にノック音が響く。

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