騎士様、相手を間違っていますよ(たぶん)

 あなた個人に恨むのはお門違いってわかっているけれど、この先に待つ未来のためここははっきりと力の差を見せつけてやるわ!


 ルーンはお手の物だ。とっくにすべての文字を記憶している。この数が月で術式も高度なものをマスターした。


――Hハガラズ、――Iイサ


 一文字ずつ、心の中で唱えると、そのたびに目に見えないなにかが熱を帯びて空気の流れを変える。しかし、妙だ。


……まだ、剣に手をかけない?


 十分な間合いまで入って来たのにフィオンは腰に掲げる剣を取ろうとはしない。予想もしない彼の行動に、シャルロッテは思わず一歩下がった。

 この男、なにを考えているの? どういう戦略で……。

 フィオンの表情から彼の考えも感情も読み解けない。そして不意に彼が剣ではなく、その腕をこちらに伸ばしてきた。


「ᚦスリサズ!」

 反射的に叫び、近くで爆音が響いた。太い氷の支柱が何本か床から出現し、冷たい破片が鋭く舞って辺りは冷気に包まれる。


 続いてのルーンを唱えようとしたが、実際にシャルロッテが声に出せたのは間抜けなものだった。


「な、な、なぁぁああ!?」

 どういうわけか、フィオンが真正面から力強くシャルロッテを抱きしめたのだ。気づけば彼の腕の中に自分はいて、あまりにも想像していなかった事態にシャルロッテは泡を食う。


 素早く間合いを取って離れたものの動揺は隠しきれない。


「な、なにこの作戦。まさかイケメンを使ったハニートラップって……。そんなのありなの? 卑怯でしょ! やるなら正々堂々と戦いなさい」

「すごいな、どの口が言ってるんだか」

 傍観していた悪魔がすかさず口を挟む。シャルロッテはすぐさま反論した。


「人質を取ったとはいえ、勝負はそれなりに本気でやるつもりだったわ!」

 こそこそとフィオンから視線をはずしてヘレパンツァーとやりとりしていると、フィオンは再びシャルロッテとの距離を縮めてきた。


「怪我は? なにもされていないかい?」


「ちょっと、聞く相手を間違えているってば!」


 その相手はどう考えても人質になっているクローディアに対してだ。どうして彼女を捕えている自分に聞くのか。


 この男、頭がおかしくなったのでは、とシャルロッテが疑惑の目を向けると、フィオンはにこりと微笑む。


「間違っていないさ。シャルロッテ……君に会いたかった」

 間違っている。どう考えても間違っている! フィオンのその言葉は、異世界から召喚されたヒロインに対して向けられるものだ。


「あなたがそう告げる相手は別にいるでしょ! そもそも私たち、初対面よね?」

 再会を喜ぶかのようなフィオンにシャルロッテはつい全力で否定する。そのとき牢の方で妙な気配を感じた。


 クローディアは括目し、ものすごい形相でシャルロッテたちを睨んでいる。その表情は先ほどまで怯えていた可憐さなど微塵もない。


 本性を現したのかと思ったが、母のペネロペでさえ恐ろしさで顔を引きつらせるほどクローディアの顔は邪悪さに満ちている。

 むしろ、まったくの別人でなにかにとり憑かれでもしたのかと疑いたくなるほどに……。


 瞬きひとつせず、クローディアの口角がこれでもかというほど上がる。そこでシャルロッテは事情を悟った。


「まさかクローディア。あなた……」

「なにをしているの、フィオン。さっさとその魔女を倒して、私を城へ……ラルフ王子の元へ連れていって。私は国を救う聖女なのよ」

 甘える声でフィオンに縋るも、彼は冷厳な声で言い放つ。


「あなたは聖女候補から外れたとお伝えしませんでした?」

「そんなはずないわ。私は聖女なのよ? 国が、王子が必要としている聖女なの。そしてゆくゆくは私は彼と結婚するんだから。ね、その魔女からいい加減、離れて。あなたも私に会いに来たのでしょう?」

 か弱い声とは裏腹に、檻にかかった白い手は、血管が浮き出るほどに力強い。フィオンはため息をつくとクローディアからシャルロッテに視線を移す。


「聖女としての資質を見るため、彼女の動向を密かに探っていたんだ。すると怪しげな術に手を出している情報を掴んでね。あなたもご存知だったんでしょう?」

 最後はペネロペに確認を込めて冷ややかな声で問うた。娘の異常な姿に怯えていたペネロペはフィオンの問いかけにひぃっと短い悲鳴をあげる。


「わ、私はただ、母親として娘の望みを叶えるためにアドバイスしただけで……」

 たどたどしく言い訳するペネロペの姿は先ほどまでの威厳をすっかりなくしていた。彼女が権力者に弱いのは昔からだ。

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