第21話


 待ち合わせ場所である駅前で立ち尽くす。

 集合時間の30分前に到着した私は、お気に入りの鞄から手鏡を取り出して前髪を弄ったり、チラチラと自分の服装を確認してしまう。

 今日は私のたった一人の友人と一緒に塵芥じんかい高校の練習試合を観戦する特別な日。

 彼女に醜態を晒す訳には……。


「お待たせ」


 いきなり声をかけられたことに驚いた私は、びくっと肩を振るわせる。

 ゆっくりと振り返ると、そこにはカジュアルな服を身に纏う少女、紫藤しどう静香しずかがいた。

 この子が私のたった一人の友達。

 全国大会三連覇を成し遂げた光ヶ丘ひかりがおかガンバーズの正捕手を務める凄い人なのだ。


「少し早いけど、行っちゃおう。先輩の勇姿をこの目に焼き付けるために」


「う、うん」


 大川さんへの愛が重いな……なんて思いながら、歩き始めた静香ちゃんについていく。

 

「昨日の天童坂てんどうざかとの試合、どうだった?」


「凄い試合だったよ。大川さんは相変わらずな戦法を用いてたし、何よりも世良さんのピッチングは圧巻だった」


「そうなんだ。私はシニアの練習で見れなかったから少し……いや、かなり羨ましい」


「あ、試合の映像撮っといたよ。後でデータ送るね」


「ありがとう。とても有能」


 我ながら、自然に会話ができていると思う。

 吃ってもないし、言葉が途切れたりもしない。

 これ以上ないほどに幸せな時間。

 静香ちゃんとは性格的に相性が良く、野球という共通の話題があるため、気後れすることがない。

 お互いに沈黙する時間も気まずいと思わないので、一緒にいると安心するのだ。


「光莉さんは良い投手。プレーを見るだけでも色々と参考になる。妹とは大違い」


「世良さんの妹って……確か、今の光ヶ丘ガンバーズのエースだよね」


「うん、そう。あいつはクソでボケでカス。去年のガンバーズが得点力ありすぎた故に2番手で使われて調子に乗ったアホ。わがままでプライドが高くて、自分には甘い癖に味方に厳しい。球が速いだけのノーコンピッチャー。それが、世良せら千景ちかげ


「め、めちゃくちゃ悪口だ……」


 普段は感情を表に出さない静香ちゃん。

 だがしかし、世良さんの妹さんについて語る時は明らかに不機嫌になっている。

 世良千景とやらは一体どんな人なんだろう。

 非常に気になるが、静香ちゃんに詳細を尋ねるほどの勇気は出ない。

 ガンバーズの練習風景を見に行って、自分の目で確かめようかな……と考えていると。


「やはり、少し早かったみたい」


 目的地に到着した。

 グラウンドには人気がなく、観客もまばら。

 どうやら、塵芥高校も聖アリーヴェルデナ学園もまだ到着していないようだ。

 これ幸いと、私と静香ちゃんは試合が良く見える上に日が当たらない席に陣取る。


「それにしても、良い場所だね。練習試合ってどちらかの学校のグラウンドで行うイメージが私的にはあったんだけど……」


「普通はそうだよ。こんなに立派な場所では行わない。塵芥のエースの父親が社会人野球チームを運営してるからそのツテだって、先輩が言ってた」


「先輩って……大川さんだよね。連絡先持ってるの?」


「うん、持ってる。3年間も同じチームでプレーしたのだから、このくらいは当然。6年もバッテリーを組み続けて、連絡先の交換すら申し出ることができなかった誰かさんとは違う」


 絶妙にトゲがある言い方だ。

 誰かさんとは、世良光莉さんの事だろう。

 静香ちゃんは間違いなく大川さんの事が好きで、世良さんもスレの様子を見る限りだと好意を寄せているように見える。

 ……もしかして、彼女は対抗心のような感情を胸に秘めているのだろうか。 

 そう考えると、私のすぐ隣でちょこんと座っている静香ちゃんが尚更可愛く見える。

 鉄仮面の裏に隠された感情をもっと知りたいと思った私が、大川さんとの関係について深掘りしていると、時間はあっという間に経過した。

 閑散としていたグラウンドに両校の野球部が集まり、観客も増えてくる。

 大勢のギャラリーの中には、塵芥高校と聖アリーヴェルデナ学園の情報を集めるためにやって来た他校の偵察班らしき人物もいた。


「聖女様。我々が死んでも打球を通さないので、気を楽に投げてください」


「ありがとうございます、皆さん。でも、あまり気負わずに。野球は笑顔で楽しく、何者にも縛られずにプレーするものですからね」


「「「「「「「「「はい!」」」」」」」」


「どんな時も笑顔、笑顔です。笑う門には福が来て、きっと勝利も呼び込んでくれますから」


「「「「「「「「はァい!」」」」」」」」


 怖すぎる。

 聖女様と呼ばれる少女の言葉に返答する聖アリーヴェルデナ学園野球部の目はガン決まっている。

 返事も一糸乱れていないし、どうなっているのだろうか。

 そして、肝心の聖女さんはそんな彼らを見て、目を細めてニコニコと笑っている。

 金髪の髪にぱっちりとした碧眼。

 綺麗な顔立ちに均整の取れた身体。

 その容姿は神話に出てくる女神様のようで、思わず見惚れてしまいそうになるが、それでも形容し難い不気味さが勝った。

 どんなに見た目が美しくても、その様は怪しげな宗教の教祖にしか見えない。


「何考えてるか分からなくて、不気味」


 どうやら、同じような感情を静香ちゃんも抱いているようで、その表情は僅かに強張っている。

 塵芥側のベンチに目を向けると、大川さんも怪訝そうな視線を聖女さんに向けていた。

 嫌な雰囲気がグラウンドを包み込む。

 恐らく、観客の人達も聖アリーヴェルデナ学園の異質さを感じているのだろう。

 だけど、密かに私は期待で胸を膨らませていた。

 今日も面白い試合が見れる……と、本能的に感じ取ったから。



 なんだかんだで望月さんが抑える。

 そう私は考えていたが、その予想は呆気なく外れてしまう。


「聖女様、見ていてくれましたか!貴女様の従順なしもべたる私の活躍を!」


 ツーベースヒットを打った聖アリーヴェルデナ学園の3番打者、犬塚さんがぶんぶんと手を振る。

 聖女さんは依然としてニコニコしていた。

 初回、制球が定まらない所を聖アリーヴェルデナ打線につけ込まれた塵芥は2点を失ってしまった。

 その後は何とか抑える事が出来たものの、望月さんの調子は見るからに良くない。

 2回、3回、4回も連打を浴びて、ピンチをギリギリで凌ぐ苦しい展開が続く。

 見てるだけの私達ですらヒヤヒヤするのだから、塵芥の選手達の精神的な疲労は相当なものだろう。

 塵芥の基本的な戦略は継投。

 望月さんが試合を作って、脇谷さんが締める。

 だがしかし、その戦略は先発投手が崩れない事を前提としている。

 そのため、二人しか投手がいない懐事情も相まって、望月さんの調子が良くない時にはどうしても苦しくなってしまう。

 脇谷さんはスタミナが不足しているので、たとえ不調であっても望月さんに頼らざるを得ないのだ。


 そんな塵芥に対して、聖アリーヴェルデナ学園は余裕綽々。

 0点で抑えているどころか、未だにノーヒット。

 先発投手の聖女さんは大した球を投げていない。

 球威で押している訳でもなければ、コントロールに優れている訳でもない。

 彼女が持つ球種はストレートとカットボールとサークルチェンジ。

 どの球も質は平凡で、特別な何かが隠されているようには見えない。

 その上、魔球を一球も投げていないのに全くヒットが出ないのだ。

 実際、塵芥のクリーンナップのみならず下位打線ですら良い当たりを出しているのに、何故か外野のグラブの中にボールが収まってしまう。

 運が良い……ように見えるが、その一言で片付けられない何かがあると、私は確信していた。

 その「何か」の正体はさっぱり分からないが。


「ストライク!バッターアウト!」


 なまじ良い当たりが出るが故に、塵芥のバッターはぶんぶんとバットを振ってしまう。

 一点を何としても取りたいという気持ちと、この程度の球ならコツコツとヒットを重ねるよりも、長打を狙った方が早いという楽観的な思考。

 それを逆手に取られて三振する悪循環。

 こうなれば、上位打線も下位打線も関係ない。

 快音は響かなくなり、クリーンナップですら平凡な内野ゴロを連発してしまう。


「勝利は目前です。ですが、最初と変わらず、にこやかに。最後まで試合を楽しみましょうね」


「「「「「「聖女様の御心のままに!」」」」」」


 盛り上がる聖アリーヴェルデナナイン。

 聖女さんはずっとニコニコしている。


「………………」


 意気消沈する塵芥ナイン。

 大川さんですら険しい表情を隠せていない。


 両者の様子は正に真逆。

 片や天国で、片や地獄。

 ……これで、終わりなのだろうか。

 万事休すって奴なのだろうか。

 あの大川さんですら勝てない相手はいて、それが聖女さんだったのだろうか。


「先輩はあんなエセ聖女に負けないよ」


 静香ちゃんが微笑んでいる。

 不安なんて無いとでも言いたげに。

 

「エセ聖女の投球のカラクリは私でも分かった。そして、彼女が投げていた魔球に見えない魔球の正体も……絶対に先輩も気づいている筈」


 魔球に見えない魔球を聖女さんは投げていた、と静香ちゃんは言う。

 ここでいう魔球に見える魔球とは、普通の変化球ではあり得ない変化をしたり、炎や氷のエフェクトを纏った球の事だろう。

 仮に私が例に挙げた魔球を一般的な魔球と定義するのなら、「魔球に見えない魔球」とは、一見すると普通の球に見えるが、普通の球には決して無い特別な性質を有している球……ということになる。

 そうなると、聖女さんが投げていた魔球の正体は「信じられないくらい球質が重いため、打っても凡打にしかならない魔球」とか?

 でも、そんな魔球が高野連に認可されるとは思えない。

 何故なら、絶対にヒットが打てない魔球は認可されないという決まりがあるから。

 ……ダメだ、さっぱり分からない。


「魔球に見えない魔球の正体って何かな?」


「ダメ、今はまだ教えない。したり顔で聖女の魔球について話して、正体が間違っていたら……」


「恥ずかしくて、死んじゃうから?」


「そういうこと」


 二人で顔を合わせて、ふふふと笑う。

 そういう事なら、楽しみは後で取っておこう。

 今はただ、試合を見るのに集中して、自分の心の赴くままに一喜一憂する事にした。

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