第22話


 私は人の心が読める。

 今よりずっと幼い頃から。

 どんな思考なのか、どんな感情を抱いているのか、それら全てを見通す事が出来るのだ。

 もちろん、一眼見ただけでは分からない。

 対象にした人間の生い立ちを知り、人格をある程度把握した上で所作や表情などを丹念に観察する。

 そうすれば、自ずと浮き出てくる。

 思考や感情、人の心全てが。

 その方法を用いて、私はありとあらゆる人間の心を垣間見てきた。

 その技能を活用して、我ながら胡散臭いと思う教団のトップに近しい地位まで成り上がった。

 懺悔する人の心を読んで、相手が求める返答をするだけで「聖女」なんて呼ばれるまでに至った。

 しかし、そんな私でも心を読み取れない人間が、この世界に一人だけ存在する。


 ……その男の名は大川アキラ。

 彼は私のことなんて知らないだろう。

 でも、私は一方的に知っている。

 きっかけは些細なもの。

 高校に入る数ヶ月前に興味本位で始めた野球。

 「聖女」の活動の合間を縫って練習に励んだ事で、投手として最低限の技能は身につけたが、戦術などはいまいち分からない。

 そこで、ほんの少しでも野球に対する理解を深めるために、高校生離れした戦術を用いる高校の試合の映像を見ることにした。

 高校の名前は塵芥高校。

 知る人ぞ知るヤンキー高校。

 ろくでなしの人間が集まるどうしようもない学校であるが、今年の春季大会ではあの神皇帝学園を打ち破る快挙を成し遂げたらしい。

 それも、一番手の投手を完全に無視して、二番手の投手を集中して狙う……なんて残酷でありながら巧妙な手段を用いて。

 その話を耳にしただけでも期待で胸が膨らむ。

 どんな人間が指揮しているのだろうか、という興味が湧いて出てきて止まらない。


 塵芥高校野球部のメンバーの情報を頭に叩き込んだ上で試合の映像を視聴する。

 そうすると、すぐに気がついた。

 塵芥高校を指揮しているのは監督ではなく、正捕手である大川アキラであると。

 他の選手の心は容易く読む事が出来る。

 けれど、彼の心はどんなに見返してもさっぱりわからない。

 試合外は常に朗らかで人当たりが良いが、試合中は真剣な表情を崩さない。

 でも、その表情の裏で何を考えているのか、読み取る事が出来ない。

 何処となく底知れなさを感じる。

 全国大会三連覇を成し遂げた光ヶ丘ガンバーズの正捕手を務めていた過去を鑑みて、作戦を考えているのはこの人であると、即座に解した。

 生まれて初めて他人に興味が湧いた。

 大川アキラの事をもっと知りたいと思った。

 だから、ガンバーズ時代の試合の映像は全部見て、調べられる事は全て調べ尽くした。

 そうする事で、彼の心を垣間見たいと思った。


 ……けど、何も分からない。

 光ヶ丘ガンバーズ時代の彼は一選手として優秀であるものの、今のように相手の心を積極的に折るような事をしなかった。

 それは、ガンバーズが圧倒的な力を有しており、意図的に心を折らずとも勝手に折れていくから。

 これは分かる。

 全国大会三連覇を成し遂げた後に崩落事故に巻き込まれて、魔力を司る器官の機能が停止した事でしばらくの間、家に引き篭もる。

 これは、魔球が見えなくなり、輝かしい野球人生が失われた事に絶望したから。

 これも、分かる。

 そして、彼は塵芥高校に入学した。

 スレッドを立てて、スレ民に選択肢を提示して、安価で入学する高校を決めたように見せかけて。

 ……これは、分からない。

 偶然では無いとは断言できる。

 大川アキラは塵芥高校に元プロ野球選手が教師として勤務している事も、強力なナックルを投げられる投手が在籍している事も知っていた筈だ。

 けれども、どんな動機でどんな感情でそのような選択をしたのか、さっぱり分からないのだ。


 知りたい。

 どのような葛藤を経て、野球を続ける事を選択したのか。

 何故、塵芥高校を選んだのか。

 どんな思考回路を有しているのか、どんな感情で人当たり良い人格を演じているのか。

 知りたくて知りたくて堪らない。

 その情動の根底にあるのは、大川アキラが私と似ていると感じた故の果てしない興味。

 人心掌握術に長ける者として、シンパシーのようなものを感じたのだ。

 だから、私は塵芥高校に練習試合を申し込む。

 大川アキラに少しでも近づくために。



 8回の裏、塵芥高校の攻撃。

 2-0でこちらが優勢。

 私はノーヒットノーラン継続中。

 打たれる気配は全く無い。

 相手の心を読む能力はピッチャーというポジションとの相性が抜群。

 試合前に敵チームの選手の情報を洗い出し、彼らの表情や所作を観察すれば狙っている球やコースが手に取るように分かった。

 その思考の逆を突けば簡単に抑えられる。

 鈍のような変化球を投げたり、平凡なストレートを投げてストライクを稼げば、相手のバッターはわかりやすく動揺して、より与しやすくなる。

 普段であれば振らないようなボールも振ってくれて、手を出さないボールにも手を出してくれる。

 一度ドツボにハマったら抜け出す事は出来ない。

 要するに、普段の「聖女」としての活動とやる事は何も変わらないのだ。

 心を読む能力とのシナジーがある魔球という切り札がある分、野球の方が簡単だと思えるくらい。


「フォアボール」


 なんて考えていたら、相手の1番バッターの百地さんを塁に出してしまった。

 スタミナが切れかけており、コントロールが乱れ始めている。

 ……この回まで、かな。

 野球歴が浅い事による練習不足が祟っている。

 本当は今すぐにでも降板したいくらいだけど。


「よし、来い!」


 大川アキラと対戦したい気持ちの方が勝る。

 ここまで、私が完璧に抑えているけども、このまま終わるとは思えない。

 何故なら、私が魔球を投げている事に気がついている筈だから。

 普通の人には普通のストレートにしか見えない球だけれど、魔球が視認できない体質の彼には透明に見えているので気づかない訳がない。

 その前提を立てた上で、最も重要なのは魔球の性質に気がついているか否か。

 私の魔球は並大抵の魔球とは一線を画している。

 視覚的に豪華なエフェクトも物理法則を無視した変化もないが、唯一無二の性質を有しているのだ。

 大川アキラは魔球が見えないので、魔球の性質を看破しても自分で打つ事は出来ない。

 そのため、魔球の性質を看破した時点で、味方に魔球の情報を共有する筈だ。

 けれども、塵芥高校の選手は誰一人として私の魔球の性質を解していなかった。

 この事を鑑みると、大川アキラは私の魔球の性質を見抜いていないと考えるのが普通であるが、私はそうは思わない。


「ストライク!」


 ……だから、油断はしない。

 私が投げたのは魔球。

 そして、これから投げるのも全て魔球。

 適当にど真ん中に投げたりせずに、綿密に投げるコースも決める。

 疲弊している体に鞭を打って、指定したコースに寸分たがわず投じる。

 そうしなければ、彼は抑えられない。


「ストライク!」


 大川アキラは人心掌握術に長けている。

 無能を演じたり、打つ手がないように見せる事で相手の心に隙を作り出し、それにつけ込む。

 気がついた時には既に遅い……ので、絶対に慢心はしない。

 結局、彼の心を読む事は出来なかったが、勝負には勝ちたい……。


「えっ」


 という思いで投じた魔球は綺麗に弾き返される。

 思わず、口から声が漏れてしまう。

 力のない腑抜けたスイングで捉えられたのだ。

 美しい放物線を描く打球はぐんぐんと伸びて、遥か彼方でポトリと落ちる。

 誰が見ても明らかなホームランである。

 ……やはり、大川アキラは私の魔球の性質を看破していた。

 今この瞬間まで、それを隠していたのだ。

 味方に魔球の情報を共有しなかったのも、全ては私に悟られないようにするため。

 だけど……何故、どうして。

 私の魔球の性質を看破していても、肝心のボールが目で捉えられなければ打つ事は不可能なのに。

 大川アキラは魔球が見えないのでは無かったのか……なんて疑問を噛み殺して、悠々とベースを踏んでいく彼の姿を視界に収める。

 屈託のない笑顔を浮かべる彼の心は最後の最後まで読めなかった。



 試合は2-2の同点で幕を閉じたけれど、負けとほぼ同じだ。

 私はアキラさんにホームランを打たれた上、初回に望月さんが崩れていなければ負けていたのは私達の方なのだから。


「お疲れ、とてもいい試合だったよ」


「ええ、とても有意義な試合でした」


 アキラさんに気さくに話しかけられる。

 元々、私から話しかける予定であったものの、願ってもない機会が訪れた。

 脳みその中にある疑問を口にする前にワンクッション挟むべきだと思うが、我慢できない。


「いつ、私の魔球の正体を見破ったのですか?何故、私の魔球を打てたのですか?」


「ふふふ、聞かれると思ってたよ。まずは最初の質問から。君の魔球の正体はホームラン性の当たりがボテボテの当たりになって、ボテボテの当たりがホームラン性の当たりになる……言うなれば、打球の性質を反転させる魔球で、いいよね」


「はい」


「気がついたのは、二巡目の時。久菜ちゃんや佐々海は君の球を芯で捉えている筈なのに平凡なゴロになっていたからね。その球が俺には透明に見えるんだから、これは魔球によってもたらされたんだなって一目でわかったよ。肝心の性質については魔球に対する規定、絶対に打てない球は魔球として認められないってルールが存在する事と、君が投げる魔球のコースが決まって打者にとって打ちやすいコースだった事を鑑みると、ある程度は見当がついた」


 驚きはしない。

 魔球の性質が看破されている事は想定していた。

 私にとって大事なのは、一番目の質問ではなく、二番目の質問。

 何故、魔球が視認できないアキラくんは私の魔球を打つ事が出来たのか。


「次に二番目の質問について。これは至極簡単だよ。俺は君がキャッチャーに向かって出しているサインからコースを予測して、バットを振ったんだ。ボテボテの当たりになるように軽く、ね。とは言っても、普通の投手ならそんなやり方で打てたりしない。指定したコースに的確に投じる事が出来るコントロールを持つ君が相手だから成功したんだ。でも、ホームランになるとは思わなかった。これについてはまぐれのような物だね」


 これには驚きを隠せない。

 確かに私はサインを出していた。

 キャッチャーのリードに従って投げていた訳ではなく、私が投げる球を決めて投げていたのだ。

 私が打者の心を読み、キャッチャーに投げたい球種とコースをサインで伝える。

 それを私は徹底していた。

 ……だが、私のサインは露骨なものではない。

 さりげない所作に交えて出しており、球種やコースを細かく指定する都合上、サインの種類も豊富。

 たった一試合注視しただけで、全てのパターンを見破れるようなシロモノではないと断言できる。

 それでも、アキラくんは見破って見せた。


 それに、ホームランをまぐれと言っているが、絶対にまぐれではないだろう。

 彼ほどの観察眼があるのならば、ホームランになるようにスイングを調節するのも容易な筈。


 ……完敗だ。

 心理的な駆け引きは誰にも負けないと自負していたが、私は何一つとして勝てなかった。 

 恐らく、私がアキラくんを侮らずに全球魔球を投げる心理も彼に読まれていたのだろう。

 思考、感情……心を読まれたのだ。

 心の底から悔しいが、清々しさすら感じる。

 それと同時に以前にも増して興味が湧いてきた。

 やはり、彼は私と似ていると感じたから。


「連絡先、交換しませんか?」


「えっ。ず、随分と突然ですね……」


「ダメ、でしょうか?」


「しまぁす!」


 アキラくんは大袈裟な反応を見せる。

 けれども、心は相変わらず読めない。

 私と連絡先を交換して嬉しそうにするのも、全て演技かも知れない。

 それを看破する事は今の私には出来ない。

 ……でも、それでいい。

 心が読めないのならば、読めるようになるまで、アキラくんという人間を知れば良い。

 塵芥高校は同じ地区のライバルであるとか、そんな瑣末な事情は考えない。

 「聖女」の立場も全部忘れて、一人の人間としてアキラくんと仲良くなりたいと。

 ……同類である彼ならば普通の人とは違う私に寄り添ってくれるかもしれないと、そう思った。

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