第8話

塵芥じんかい高校と一週間後に練習試合を行うことになった。スターティングメンバーは後日発表するが……晴寺はるでら御影みかげには出場してもらう」


「え?」


 今年から双子山野球部のコーチを務める指導者。

 経歴も何も無いが、野球への造詣は人一倍深い信頼できる人だと思っていた。

 そんな彼女が淡々と告げた言葉を耳にした俺は声にならない声を漏らす。

 双子山高校に入ったばかりの俺と御影がレギュラーってことだけでも驚きだが……。

 練習試合……あの、ゴミ箱と……?

 塵芥じんかい高校。

 偏差値は35で立地も悪い。

 私立高校なのにも関わらず学費は安いが、設備はボロッボロで教員の質も低い。

 そして、何より……この高校は超が100個並ぶほどのヤンキー校。

 生徒はもれなく奇抜な格好をしており、性格も飢えた野良犬のように凶暴。

 近づく者には鉄拳を食らわし、遠くから見る者には蹴りを放つ。

 こんなどうしようもないゴミが集まってるゴミ箱の野球部と練習試合……?

 普通に嫌だ。

 腹が痛いとか言って、サボろうと決意した。

 俺の隣で話を聞いている御影も表情こそクールだが、手足は小鹿のようにプルプルと震えている。

 恐らく、彼女も嫌だと思っているのだろう。


「大方サボろうと思っているんだろうが……本当に良いのか?塵芥じんかい野球部には光ヶ丘ひかりがおかガンバーズの黄金期を築き上げたナインの内の1人、大川アキラが在籍しているのに」


「「出場します」」


 御影と俺の声が重なる。

 俺と全く同じ言葉を発した彼女の瞳には、怨嗟の炎が燃えたぎっていた。

 もちろん、それは俺も同じ。

 光ヶ丘ひかりがおかガンバーズ。

 全国大会三連覇、前人未踏の大記録を成し遂げた伝説のチーム。

 その栄光の裏には数え切れないほどの才能ある球児の死体が転がっていた。

 奴らの持つ圧倒的な才能。

 それを目の当たりにした人間のその後は三つに分かれる。

 一つ目は、あいつらは自分と住む世界が違う別次元の存在……そう自らに言い聞かせて現実から目を背ける奴。

 二つ目は、自身の野球の上手さに誇りを持っているが故に、バキバキにプライドを折られて再起不能になる奴。

 そして、三つ目は打倒ガンバーズを掲げて、病的なまでに野球の練習に励む奴……俺と御影の事だ。

 しかし、どんなに鍛錬を積み重ねても、勝つ事はできなかった。

 練習試合や公式戦でも幾度となく戦ったが、結局は背中にすら手が届かない。

 それでも俺達は諦める事なく、中学で勝てなければ高校で、高校で勝てなければプロの世界で……光ヶ丘ひかりがおかガンバーズの連中に挫折の苦しみを味わわせてやると決意したのだ。

 その機会がこんなにも早く訪れた。


「潰してやるよ……大川アキラ」


 心が躍る。

 早く、奴に逢いたいと心の底から思った。



「大川アキラ相手には魔球を投げなさい」


「どうしたの、我が奏者。私は元からそうするつもりよ?」


「……すまない、言葉が足りなかったね。大川相手には全球魔球を投げろ、と言いたかったんだ」


「え?」


 またもや耳を疑う。

 練習試合当日、一回裏の守備が始まる時に御影はコーチに呼び止められた。

 そして、コーチの口から出たのはまたもや無茶苦茶な台詞。

 ピッチャーではない俺でも驚いているのだ。

 御影はその何倍も驚いている事だろう。

 大川アキラは名キャッチャーであるが、強打者では断じてない。

 光ヶ丘ガンバーズ時代の打順は常に2番で、通算打率も2割8分。

 大川を除いた殆どのバッターの打率が5割越えであるのに比べたら、明らかに見劣りしていた。

 ガンバーズのバッターは打席に立った際に形容し難い威圧感のようなものを発する。

 けれども、大川アキラにはそれがない。

 取るに足らない雑魚ではないが、強打者特有の「怖さ」は感じない。

 これが、大川アキラの印象だった。


「大川は魔球が見えないそうだ。魔球さえ投げていれば簡単に抑えられる」


「いや……しかし……」


「君達は大川に勝ちたいんだろう?でも、彼を塁に出したら、確実に負ける……だから、全球魔球を投げるんだ。そうすれば絶対に勝てる」


 コーチは有無を言わせない。

 大川アキラを塁に出したら負けるとはどういう意味だろうか。

 尋ねてみたいが、尋ねる勇気も時間もない。

 ただでさえ、12回しか投げれない魔球。

 大川なんかに使うよりも、塵芥打線の中で唯一の要注意人物である脇谷わきや久菜ひさなに使った方が有効的だと思うのだが……。

 つーか、なんで脇谷がゴミ箱に居るんだ?

 ボーイズであんなに活躍してたら、高校なんて選び放題だっただろうに。

 不良に憧れでも抱いているのだろうか。


「……承知したわ」


 普段はよく分からない厨二病キャラを演じている御影だが、その心根は大人しい。

 納得いかない雰囲気を醸し出しつつも、彼女はマウンドへ向かった。

 結局、御影は大川アキラ相手に魔球を三球投げて、三球三振に打ち取った。

 奴の姿は惨めだった。

 魔球に手も足も出ず、三球目に至ってはフルスイングし過ぎてバランスを崩し、尻餅をつく。

 中学時代の輝かしい姿はもう消え失せている。

 俺は心の底から哀れだと思った。

 続くバッターにはツーベースヒットを打たれて、先制点を許すも大崩れする事はなく、試合は進む。


「次も……三球全て魔球を投げればいいの?」


「ああ、そうしてくれ。そうすれば勝てるからね」


「……断る」


 耳を疑った。

 二度目の大川アキラとの対戦を前に、御影がコーチに反発したのだ。

 カッコつけた言い回しで孤高を気取りつつも、周りの意見に流されてばかりの彼女が。

 

「私は……あたしはっ、こんな勝負をするために練習したんじゃない!魔球が見えない相手に魔球を投げて抑えても全然嬉しくないっ!」


「…………」


「奏者には、コーチには悪いけれど、あたしは大川と正々堂々勝負がしたい!そうじゃないと、納得する事が……呪縛を解く事が出来ないからっ!」


 呪縛……か。

 言い得て妙だな、と思う。

 最初は野球を楽しむだけで良かった。

 プロ野球選手が投げる魔球に憧れて、フォームだけ真似して投げてみたり。

 試合でホームランを打ったらみんなで馬鹿騒ぎしたり。

 そんな些細な幸せで十分に満たされていた。

 だがしかし、俺達はガンバーズに出会ってしまって人生を狂わされた。

 中学2年の時に初めて奴らと戦い、30-0で負けた試合の光景は今でも夢に見る。

 磨いてきた技術が何一つ通じなくて、抵抗すら出来ずに潰された。

 チームメイトは次々とチームを辞めて、俺と御影を含めた五人しか残らなかった。


「野球なんか続けても意味ねーよ。どんなに努力したってアイツらには勝てないんだから」


 仲の良かったチームメイトが去り際に発したこの言葉に、何も言い返せなかった事が悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて。

 奴らを潰す、それだけを目標に野球の練習をするマシーンに成り下がってしまったのだ。

 当然、野球が楽しいとは微塵も思えない。

 健全な学生だった俺たちの感情を殺したモノを言葉に表すなら「呪縛」が最も相応しいだろう。


「コーチ、御影の思う通りに投げさせてやって下さい。お願いします」


 俺も頭を下げる。

 御影の気持ちは痛いほど理解できたから。

 中学時代には無かった魔球チートを用いて勝っても、何も意味がないと俺も思ったのだ。


「あくまでこれは練習試合だからね……分かった。いいよ、好きにしなさい」


「「……ありがとうございます!」」


 コーチに2人揃って礼を言う。

 大川相手に投げるのは御影。

 俺ではない。

 それでも、自分の事のように嬉しかった。

 俺達は意気揚々とグラウンドへ走り出す。

 夢と希望を抱いて。

 御影が大川に勝つと信じて……。


「ファール!」


 ……これで、何球目だ?

 大川と2回目の対決。

 魔球を封じて臨んだ勝負は長時間続いていた。

 際どいコースのボールは見逃され、明らかな釣り球には手を出さない。

 大川の選球眼は並外れており、今日の審判のストライクゾーンを完璧に把握していた。

 そのため、甘いコースには投げられず、厳しいコースは見極められる、御影にとっては苦しい状況。

 

「ボール!」


 御影が投じたフォークボールはストライクゾーンに収まらず、これでスリーボールツーストライク、要するにフルカウント。

 制球に難があるため、中々枠内に収まらないフォークボールはもう投げられない。

 振り逃げとフォアボールで出塁されるリスクがあるから。

 決め球であるフォークと比べると、見劣りするストレートやカーブで勝負するしかないのだ。

 もしかして、大川はこの状況を作ることを狙っていたのか……?

 そうなると、御影は奴の掌の上でまんまと踊らされていることになる。


「頑張れ……!」


 思わずそんな声が漏れた……その時だった。

 御影が球を投じる。

 その球種はストレートでもカーブでもなく……ウイニングショットであるフォーク。

 だが、それでも大川は振らない。

 ボールかストライクか分からない際どいコース、と思ったのも束の間。


「……あっ」


 ウチのキャッチャーが後逸する。

 それを見逃さない大川はここぞとばかりに快足を飛ばし、出塁した。

 キャッチャーを責める事は出来ない。

 中学の時から御影と組んでいるとは言えど、高校一年とは到底思えないキレのフォークを完璧に取れる方がどうかしている。

 だが、どうにもタイミングが悪い。

 …‥運に恵まれないな。


「運に恵まれないな……とかって考えてる?」


 ニコニコと笑う大川がファーストの守備についている俺に話しかけてくる。

 本来、俺のポジションはショート。

 だがしかし、今日はバッティングに専念するためにファーストを守っていた。

 

「久しぶりだね、晴寺くん。一年ぶりくらい?」


「俺に、話しかけるな」


「つれないこと言わないでくれよ。ちょっとくらいならいいだろ?君だって俺に聞きたい事があったりするんじゃない?」


「……何もねぇよ」


「またまた〜。なんで俺が塵芥にいるのか……とか、打力はショボいのになんで4番を務めているのか……とかさ」


 大川アキラは人の良い男だ。

 筋肉質で大柄な見た目と厳つい顔に反して、人柄は穏やかでコミュニケーション能力も高い。

 エースである世良せら光莉ひかりを筆頭に全てを野球に捧げており、色んな意味で頭がおかしい他のガンバーズのメンバーと比べると、極めて常識人であったため、良い意味で浮いていた。

 だけど……。


「落ちぶれたな、お前は」


「え?」


「中学時代にどんなに活躍しても魔球が見えなきゃお終いだなんて、可哀想だって言ってんだよ」


「あはは……随分と手厳しいね」


 俺は毒を吐く。

 これ以上、こっちに踏み込んでくるなと言わんばかりに。

 それでも、奴が笑みを崩すことは無かった。

 ……俺は大川アキラが怖い。


「落ちぶれたのは……その通りかな。立場も周囲の評価も、何もかも中学とは変わってしまった」


 ちょっと前に俺はこいつの過去を探った。

 だからこそ、分かった事がある。

 俺とこいつは同類だ。

 とある致命的な要因で挫折し、正当な理由ではなく、歪んだ理由で再起した人間。


「でも、俺が野球をやる理由は変わらないよ……ただ勝ちたい、それだけさ。夢を叶えるために必要だからね。もちろん、今日の試合も俺が勝つ。どんな手段を使っても、ね」


 人は何のために野球をするのか。

 俺や御影は復讐のため。

 光ヶ丘ガンバーズの選手は、栄光を掴むため。

 それならば、大川アキラは……?

 ……全く分からない。

 こいつは全国大会三連覇を成し遂げた数日後にとある崩落事故に巻き込まれて、全身がズタズタになり、瀕死の状態に陥った。

 そして、魔法を用いた医療によって身体の機能は全回復したものの、魔力を司る器官の機能は停止してしまった。

 要するに、魔力が無くなってしまった上に、魔力を視認するが出来なくなったのだ。

 馬鹿でも分かる。

 全ての魔球が透明に見える状態で野球を続けても希望なんてないと。

 絶対にプロにはなれないし、高校野球でさえもお荷物扱い。

 光ヶ丘ガンバーズで正捕手を務めるような奴が「楽しい」なんて理由で野球をやっているとは思えないし、輝かしい未来が呆気なく閉ざされて、誰よりも苦しんでいた筈だ。

 正に、天国から地獄。

 俺や御影の比にならない挫折。

 自ら命を絶ってもおかしくない程の絶望。

 それを味わった筈なのに……なんでこいつは今も野球を続けているんだ?

 もう一度言うが、俺は大川アキラが怖い。

 人好きのする笑顔の裏に隠されている歪んだ望みが何なのか、全く分からない事が俺にとってはどんな事よりも恐ろしいのだ。

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