第9話


「リーリーリーリー!」


 うざってぇ。

 クソデカい声で喚く大川は大きめのリードを取り、マウンド上の御影に圧をかけている。

 リーリーリーリーうっさいのも、ただの牽制や脅しではない。

 高校生離れした筋肉を有している大川はパワーのみならず、足もそこそこ速い。

 中学時代にも積極的に盗塁を試みる事で、こちらをかき乱していた。

 ちなみに成功率も非常に高い。

 捕手の思考と配球を読み、適切なタイミングで仕掛けてくるので、厄介極まりないのだ。

 実際、御影も大川の様子をしきりに確認し、何度か牽制球を投げている。


「ッ……!」


 ランナーがいる状態で魔球を投げる際に技名を叫ぶのは、盗塁して下さいと言っているようなもの。

 だからこそ、御影は魔球の技名を言わずに黙って投げた。

 それなのに、完璧なタイミングで大川は盗塁を試みる。

 ただでさえ、捕るのに負担がかかる魔球。

 二塁に投げることすら叶わない。

 悠々自適に大川は二塁ベースを踏んだ。


「ヘイ!リーリーリーリー!」


 得意気な顔で奴は微笑み、またもや大きなリードを取る。

 ……そこから、御影の様子はおかしくなった。

 魔球やフォークのサインに首を振り、ストレートとカーブを投げる事が増えて、牽制球も目に見えて多くなる。

 そして、何よりバッター相手に集中していない。

 案の定、着物が似合いそうな面の5番打者に甘く入ったストレートを痛打されて、大川はホームに帰還した。

 それで終わらず、如何にもモブっぽい6番打者にはフォアボール、なのですなのです五月蝿い7番打者にはカーブを外野に運ばれ、5番打者がホームベースを踏んで、更に追加点。

 異変に気がついたキャッチャーがタイムを要求し、持ち直した事で後続は打ち取れたが、どうにも嫌な雰囲気は払拭できない。

 現在のスコアは0-3。

 ゴミ箱がコンスタントに得点を積み重ねているのに対し、こちらは俺が打ったヒット一本のみ。

 相手ピッチャーが投じるナックルに翻弄されているため、反撃の糸口すら掴めないでいた。


「次は……次こそは完璧に抑えてみせる」


 そう呟く御影の顔は鬼気迫っており、大川の事で頭が一杯になっているように見えた。

 あれ?これ、ヤバくね?

 本能的にそう感じた、その時……。


「晴寺、御影。こっちに来てくれ」


 コーチが俺たち2人を呼び寄せた。

 そして、御影の目を見据える。

 

「御影。魔球無しで大川と戦うことに拘るのはもうやめなさい」


「なんでですか!あたし、魔球無しでも打たれてないんですよ!」


「違う、打たれていないんじゃない。大川は打たない事を選択したんだ」


 その言葉を耳にした俺の脳内に疑問符が浮かぶ。

 コーチの発言の内容が理解できない。

 打たないことを選択したとは、どういうことだろうか。

 そんな事をしたって何の利益にもならないのに。


「あの場面、大川は他の球種と比べれば与し易いカーブを打ったりすることも出来た。だが、それでもフォアボールになるギリギリの所まで粘り、ウチのキャッチャーにフォークボールを後逸させて、出塁する事を選んだんだ」


「……何故、大川はそんな事をしたんです?リスクとリターンが見合っていないですよ!ヒットは確実に出塁できる。だけど、捕手が後逸するかどうかは分からないじゃないですか。キャッチャーが取り零すのを待っている間に凡退してしまう可能性の方が絶対に高いのに!」


 俺はその理由が分かった。

 大川がヒットを打ったり、フォアボールで出塁したとしても、後続が続かなければ得点には繋がらない。

 そして、御影のフォークと魔球は完成度が高く、塵芥打線の力量では打つのは難しい。

 そこで、塵芥側は策を講じて、この二つの球を封じる必要がある。

 だから、大川はこちらのバッテリーにフォークや魔球に対する不信感を植え付ける事で、それらを封じた。

 キャッチャーにフォークボールを後逸させて出塁したり、魔球を投げるタイミングで盗塁を試みたりする事で、心理的に圧をかけたのだ。

 その策の効果はてきめん。

 実際に、御影は大川が塁上にいる状態で、フォークボールや魔球を投じる事を嫌がっていた。

 落ちる球は捕球するのが難しいため、走られた場合に送球がもたつく。

 そのため、大川に配球を読まれて走られた時に、ほぼフリーで盗塁を許してしまうのだ。

 塁上にいるのが他の選手であるのならこうはならなかったと思う。

 俺や御影が露骨に意識している大川だからこそ、奴の揺さぶりが効力を発揮したのだ。

 恐らく、御影も頭に血が昇ってなければコーチの言葉の意味を理解していただろう。

 それを察したコーチは落ち着いた声色で語りかける。


「塵芥と練習試合を組んだ理由は二つある。一つは大川アキラという選手の本質を見定めるため。そして、もう一つは君達の勘違いを正すためだ」


 俺も御影も押し黙る。

 コーチが言葉を紡げる時間はうちの攻撃が終わるまで。

 決して長い時間ではないため、時間は1秒たりとも無駄には出来ない。

 口論をしている余裕はないのだ。


「私が思うに、大川アキラが持つ才能はキャッチングでも優れた選球眼でもない……他人の心を読み取り、自分の意のままに動かす、謂わば人心掌握術だ。私がこの試合を通して見定めたかったのは、それがどの程度のレベルであるのか」


「…………」


「時にはその人が望んでいる行動や言葉を投げかけて、時にはその人が望まない行動や言葉を投げかける。そうする事で、その人が自分の利益になる行動をするように仕向けているんだ」


 正直に言う。

 何言ってんだこの人、と思った。

 さっきの大川のプレーは確かに巧妙だった。

 奴の行動によって、御影の思考を誘導していたと言っていいとも思う。

 だがしかし、それを人心掌握術と呼称するのは違うのではないかと感じたのだ。

 

「気づいていないだろうが、今の君達は大川に踊らされているんだよ。思考や感情を読まれて、彼にとって都合が良いように動かされているんだ」


「……それは私が大川に盗塁されてから失点を重ねた、さっきの回の話ですか?」


「違う。もっと大局的な話。単刀直入に言うと、大川は1番最初の打席の時にあえて大袈裟に空振ることで、御影が自身を侮るように仕向けたんだよ。そうする事で、魔球を投げたがらない思考になるように誘導したんだ……まぁ、とは言っても分の悪い賭けである事は彼自身自覚していると思うけどね」


 ここまで聞いて、ハッとする。

 確かに、そうかもしれないと思えた。

 大川の最初の打席、あいつは大袈裟すぎるほどに空振った。

 それが、俺達に「哀れ」だとか「中学の時のあいつはいない」だとか、そういう印象付けをするためにした行動であるのなら、納得がいく。

 仮に大川が魔球に対して何らかの策を講じていたら、俺達が奴を侮ることは無かっただろう。

 少なくとも、魔球を封じる事は無かった筈。

 ……まんまとしてやられたのだ、俺達は。

 

「少し、厳しい事を言ってもいいかな?」


「「……はい」」


「さっき、君達は言っていたよね。呪縛を解きたい。正々堂々と勝負したいって……笑わせるな。結局のところ、君達は心の奥底で大川アキラという人間を舐め腐っているんだよ。あいつは魔球を視認できない、終わった選手……だとね。だから、魔球を投げずに勝負する、なんてふざけた選択ができる」


 ……図星だった。

 コーチの言葉、一つ一つが心に刺さる。

 俺は試合前に「潰してやる……」と宣った。

 試合中、大川に対して「落ちぶれたな、お前は」と告げた。

 自分の方が格上であると断じて、奴の存在を軽んじ、舐めていたのだ。

 これは反論のしようがない事実。


「甘えた思考を捨てろ。自分の物語に酔いしれるな。私達は大川の格上でも同格の存在でもない。格下の存在なんだよ……まずはそれを自覚しなさい。大川アキラと塵芥高校野球部は私達が甲子園に行くために打ち破らなければならない最大の障害になりうる存在だ」


 自身の醜悪さと傲慢さ……憎しみを言い訳に目を背け続けてきたものを嫌でも自覚させられる。

 圧倒的な力を前にしても、挫けずに立ち向かう勇敢な自分。

 そんな理想を俺は抱いていた。

 だが、実際はどうだ?

 俺達は大差で試合に負けただけ。

 ガンバーズの連中に直接的な何かをされた訳ではない。

 俺の感情の本質はただの逆恨み。

 大好きだった野球を捨てないために、存在しない悪を作りあげて、自分を棚に上げた。

 それで、俺なんかよりも何倍も苦しい思いを経験した大川に対して、毒を吐き、軽んじた。

 ……クズだ、俺は。


「正直に言うと、今日の試合で1番やりたかったのは今の流れなんだよね。思い違いしてる君達の鼻っ柱をへし折りたかった。言っちゃ悪いけど、試合の結果がどうなろうとどうでも良いんだ。だから、ここでやめてもいいよ。お相手さんには悪いけどね」


「「やります」」


 俺と御影は口を揃えて言う。

 もう憎んだりしない。

 軽んじたりもしない。

 本当の意味で正々堂々と試合がしたい。

 そして、試合後に俺は大川に謝罪する。

 土下座でも何でもする。

 ぶん殴られたって、何されたって構わない。

 挫折の苦しみを分かっていながら、俺は奴に言ってはいけない言葉を飛ばした。

 人として踏み越えてはいけない領分を憎しみを言い訳にして踏み越えたのだ。


「……そっか。それなら、私も勝つために全力を尽くすよ。今から具体的な作戦を説明するね……」



 あの後、御影は魔球を封じるのを止めた。

 大川に対しては普通の変化球でカウントを稼ぎつつ、追い込んだら魔球を投じる。

 他の打者に対してはフォークボールを多く投げ、キャッチャーがそれを捕球しきれずにピンチに陥った際には魔球を投じる。

 結果的に0点で抑え、魔球の残り回数は3。

 理想的な状況であると言える。

 攻撃面では、コーチの作戦がぶっ刺さった。

 塵芥の守備陣は試合経験がないため、実戦的な守備が覚束ない。

 ヒットエンドランやバスター打法など、一風変わった戦法を用いて、その弱点を突くというのが監督の作戦だった。

 そして、敵のエースピッチャーであるナックルボーラーに対しては、待球作戦でスタミナを削る。

 コーチは相手のピッチャーの心理を把握しており、塵芥の控え投手である脇谷に交代される事のないタイミングで待球の指示を出す。

 それら全てが噛み合ったこともあり、7回表の攻撃で俺達は4点をもぎ取った。


 そして、9回の裏、現時点でのスコアは4-3。

 俺たちが1点リードしていた。 

 ……もっと点が取れる筈だった。

 7回の途中、リリーフで脇谷が出てこなければ。

 奴のフォームはサブマリン。

 地面スレスレから投げられる球は下から上へ浮き上がってくるように見えるため、打ちにくい。

 キレのあるカーブとシンカーのコンビネーションに翻弄された俺達は完璧に抑えられる。

 ヒット性の当たりを飛ばすことすら出来ないため、守備への揺さぶりも何も関係ない。

 やはり、うちのチームがリードしている今の状況を作り出せたのは、全てコーチのおかげだと強く実感する。

 こちらのチームにコーチが居なかったら、俺達は最後まで大川の掌の上で踊らされて完膚なきまでにボコボコにされていただろう。

 

「これで最後。油断せずに気を引き締めて頑張ろう」


「「はい!!」」


 コーチの言葉を背にグラウンドへ飛び出す。

 俺の心にはコーチに対する信頼が芽生えていた。

 野球の面でも人間的な面でも、この人についていけば間違いないと感じたのだ。

 自分の醜さと向き合うのは苦しいが、今の段階で自分を客観視できたのは心の底から幸運だと思う。

 双子山高校以外に進学して、コーチに出会っていなかったらと考えると、背筋が震える。

 きっと、俺は自分の中で有りもしない妄想を膨らませて、気に入らないと感じるモノ全てを否定する本当の化け物になっていただろうから。

 ……コーチは俺にとっての神様だ。

 自分の感情に身を任せて、罪のない人を憎むゴミクズになっていた俺を救い出してくれた神様。

 俺は何が何でもあの人を甲子園に連れていく。

 そうする事で、恩に報いてみせるのだ。

 

「ストライク!バッターアウト!」


 6番打者はキャッチャーフライで、なのですが口癖の7番打者が出塁するも、続く8番打者は三球三振。

 9番打者が打席に立つが、表情には覇気がない。

 この試合は俺達の勝ち……そう思った時だった。


「アキラ!久菜!諦めんな!まだ……まだ俺がいる!」


 グラウンドに青いパーカーを着た快活そうな少年が入ってくる。

 彼は大川と脇谷の名前を呼んだ。

 2人の友人なのだろうか。


「そのバットちょっと貸してくれ!」


「あ、ああ」


「ありがと!」


 バッターボックスにいる塵芥の9番打者から、金属バットを借り受けた少年はその場に立ち尽くす。

 グラウンドにいる全ての人間が、唖然とした様子で彼の姿を見ていた。

 ……ぞくりと背筋が凍る。

 何となく、嫌な予感がした。


「おいおい、あんた誰だよ。部外者は外に」


「いいえ、構わないわ。審判、選手交代を認めて……これもまた星の導きなのよ」


 少年をこのまま打席に立たせたらマズい。

 そう考えた俺がやんわりと追い出そうとすると、御影に止められる。

 御影自身がこのような事態に寛容な性格をしているというのもあるし、逆恨みしていた大川に対する負い目もあるだろう。

 だが、それ以上に魔球……亡霊の踊りファントムダンスの使用回数が3回残っていた。

 だから、御影は異例の選手交代を許したのだ。

 この状況から負ける道理がないと確信して。


「踊り狂え……亡霊の踊りファントムダンス!」


 御影が魔球を投じていく。

 だが、少年はそれを見逃すだけ。

 ……違和感。

 いや、大丈夫だ。

 負けはしない。

 彼の立ち振る舞いは初心者のそれ。

 野球経験者では断じてない。

 俺は何をビビっているんだ。

 こちらのベンチを見る。

 コーチは難しい顔をしていた。

 塵芥側のベンチを見る。

 大川アキラは……笑っていた。


「これで終わりよ…… 踊り狂え、亡霊の踊りファントムダンス!」


 カキーン、と聞き馴染みのある音が耳に届いた。

 無意識に振り返って、空を見る。

 白い硬球が綺麗な放物線を描いて、遥か彼方まで飛んでいく。


「でも、俺が野球をやる理由は変わらないよ……ただ勝ちたい、それだけさ。夢を叶えるために必要だからね。もちろん、今日の試合も俺が勝つ。使、ね」


 大川のセリフが脳裏をよぎる。

 こんなのはありえない。

 まぐれに決まっている。

 だが、それでも僅かに存在する可能性を否定出来ない。

 もしかして、大川アキラはこの状況を想定していたのか……?

 いや、ありえないありえないありえないありえない……けど、ありえるかもしれない。

 一度そう考えてしまうと、大川アキラの存在が自分の中で際限なく肥大していく。

 心の奥底に、恐怖の感情を植え付けられる。

 俺の憎しみと信仰の先で待っていたのは……。


「……悪魔」


 再三申し上げるが、俺は大川アキラの事が怖い。

 怖くて怖くて仕方がなかった。

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