第5話
「野球を辞めるだと!俺は絶対に許さんぞ!」
「考え直してよ、〇〇。私達の夢はどうするの?」
ごちゃごちゃと下らない事を抜かす両親は、家の中にある野球関連の物を悉くバットで粉砕すると、何も言わなくなった。
……私は人生の大半を野球に捧げている。
けれども、野球を続けることに価値を見出せなくなってしまった。
プロにもなれず、甲子園にも行けない。
そんな状態で、全てを忘れて楽しく野球をプレーすることなんて、絶対にできない。
そのため、野球を続ける意味は皆無で。
野球で埋め尽くされていた心にぽっかりと穴が空き、何をするにも気力が湧かない。
学校に行ってもまともに人と会話せずに、休日は外に出ない。
そのような生活を続けているいると、いつの間にか私は家に引き篭もるようになった。
ひたすらに惰眠を貪って、起きている時間は掲示板を閲覧して暇を潰す。
正に、自堕落な生活を続けて丁度一年。
私はとあるスレッドに出会う。
「魔球蔓延る野球が大人気な世界に生まれたワイ、魔球が打てない?…‥何なんだろう、この変なスレタイ……」
面白そうなスレを発掘するのにハマってからずっと、私は野球に関するスレッドを避けていた。
だが、どうにも興味を惹かれる。
このスレを立てた人間は私と同様に野球で挫折した人間だ……と、本能的に感じたのかもしれない。
自然とマウスに手が伸びた私は、気分の赴くままに閲覧を開始した。
そうして、すぐに気がつく。
このスレッドを立てた人物は間違いなく、私が対戦した光ヶ丘ガンバーズのキャッチャーであると。
勘違いでなければ
夢でも見ているのだろうか……なんて思いつつも、私はモニターに齧り付く。
進むにつれて、スレ主が行く高校を安価で決める展開になった。
自分でも何を言っているかよく分からないが、とにかくそのような流れになったのだ。
そして、選ばれたのは全国的に悪い意味で有名なヤンキー校、
あのガンバーズ出身の選手が、野球部すらない高校に通う筈がない……どうせ、悪ふざけで立てたスレッドだろう。
そう、断じることも出来た。
「入っちゃった。あの塵芥高校に……」
真新しい制服に袖を通している私の目の前にあるのは、修繕の跡すら見られないボロボロの校舎。
私は塵芥高校に入学した。
普通の親ならば、自分の娘が低偏差値のヤンキー校に入学する事を許さないと思うのだが、彼らは新しく拵えた妹に夢中。
野球を捨てた私なんて眼中に無かった。
厄介払いがてらに一人暮らしを許された私は、わざわざ引っ越してこの高校にやってきたのだ。
仮にあのスレッドで書かれた内容が本当であるのならば、光ヶ丘のキャッチャーがこの高校で甲子園を目指す姿を直で見れる。
そんな下らない理由で。
指定された制服をきちっと着ている真面目な新入生は私だけ。
他の人達は制服を着崩していたり、校則を無視して私服で登校している人が大半だった。
ジロジロと見られているのを肌で感じる。
早速、この学校に入学した事を後悔し始めた時だった。
「あの〜、人違いだったら申し訳ないんだけど、もしかして、◯◯◯ボーイズの◯◯さんですか?」
この学校に入学した理由である光ヶ丘ガンバーズのキャッチャー、大川アキラが私に声をかけてきたのは。
◇
入学式の会場である体育館までの道のり。
野球という共通の話題があった私とアキラくんは割とすぐに打ち解けて、他愛のない会話に興じながら歩みを進めていた。
本来であればクラス単位で移動するのだろうが、新入生であっても教員の言う事に誰一人として従わないのが塵芥高校の生徒という存在。
少し先を歩く担任の後についていくのは、私とアキラくんの二人だけだった。
「……へぇー。それじゃ、〇〇ちゃんは両親の都合でこっちに引っ越してきたんだ」
「そうなるっすね。アキラくんは何でこの学校を選んだんすか?」
「えーと、この学校を甲子園優勝に導くため……かな?我ながら意味分かんないと思うけどさ……」
「……ふふっ」
アキラくんは照れ臭そうにはにかむ。
スレッドだと奇天烈な発言が目立つが、現実の彼は至って普通の高校生だ。
そのギャップが面白くて、つい吹き出してしまう。
「ちょっ、冗談だと思ってるでしょ?言っとくけど、俺結構真剣だからね?」
「いや、ごめんなさいっす。それは分かっているつもりなんすけど……あははっ」
「絶対に嘘じゃん、その反応は。間違いなく冗談だと思ってる反応だ。それにしたって吹き出すのは酷くない?」
普通。
本当に凄く普通だ。
私は光ヶ丘ガンバーズでレギュラーに選ばれた人間は凡才とは一線を画す存在だと思っている。
けれど、前述した通り、私と話す彼の様子は至極一般的な高校生そのもの。
失礼ながら、私と同じ凡才側の人間なのかもしれないと思った。
過去に私と試合をした際にもアキラくんは目立った活躍をしていなかったし、スレ内での発言を信じるなら、彼は魔球を視認することができない。
そう考えると、親近感が湧いた。
お互いの傷を舐め合える。
凡才ならではの苦悩を分かち合える友人になれるかもしれないと、この時の私は思っていた。
「貴方が……アキラくんこそが私の運命の人なんですねっ!」
静寂に包まれていた体育館に、一際大きな声が響き渡る。
アキラくんは衆人環視の中、他の不良に恐れられている先輩に勝負を仕掛けられた。
その内容は彼女が投じる球を、どの球種か知らない状態で捕球するという無理難題。
下手をしたら怪我を負う可能性のある、この不条理な勝負を彼は口を開かずにキャッチャーミットを構えることで承諾した。
そして、先輩が投じた高速ナックルボールをアキラくんは軽々と捕球してみせたのだ。
正に、神業。
凡百の捕手には成し得ない偉業。
私は勘違いしていた。
あの
アキラくんは魔球を視認できないし、バッティング面の才能もないのかもしれない。
しかし、キャッチングにおいてはプロ顔負けの技量を有する天才側の人間だったのだ。
◇
アキラくんは私とは違う。
その事実を知った私は彼と関わりを持った事を後悔し始めていた。
仮にアキラくんが凡才だった場合、一緒に野球をやるのも悪くないかなと思っていた。
口では甲子園を目指すと宣いつつも、純粋に野球を楽しむのも悪くないと思っていたのだ。
そして、アキラくんが天才だった場合、野球部に入らずに蚊帳の外で彼の活躍を見るつもりだった。
やっぱり、天才には敵わない。
自分の身の程を知った時に野球をやめてよかった、と自分に言い聞かせるために。
だがしかし、アキラくんは天才であり、私は彼と親しくなってしまった。
「ねぇ、〇〇ちゃん。野球部に入らない?」
だから、当然こうなってしまう。
入学式とホームルームが終わり、教室には私とアキラくんしかいない状態。
クラスメイトである彼に話しかけられる前に、姿を消す事は出来なかった。
「いやー。申し訳ないんすけど……高校で野球をやるつもりはないんすよね、私」
「ええ!なんで!?あんなに上手いのに!?」
アキラくんの発言で胸が抉られる。
…‥どの口が言うんだ。
私のプライドをズタズタに引き裂いておいて。
思わず、そんな言葉が口から出そうになるが、既の所で堰き止めた。
ここはどうするべきか。
それっぽい理由をでっち上げて、勧誘を断るのは簡単だ。
……でも、それじゃ面白くない。
私の心の奥底に眠る悪意がそう呟いた。
「意味がないと思ったからっす。私とアキラくん、練習試合で戦ったことがあるでしょ?その時にボコボコにされて、自分には才能がないって分かったからスッパリと辞めちゃったんす」
少しでも、心に傷を負えばいい。
私の苦しみを味合わせてやりたい。
これらの願望の根幹にあるのは才気溢れる彼に対する嫉妬心。
さて、アキラくんはどんな反応を見せるだろうか。
それを楽しみにしている私。
…‥本当に最低最悪だ。
才能もなくて、性格も悪くて……自分という存在がもっと嫌いになる。
でも、それでいいと思った。
今日という日を最後に、私は彼の前から姿を消すのだから。
「才能ないって、絶対にそんな事ないでしょ。〇〇ちゃんは上手いよ、野球」
「は?」
「俺たちがあの時の試合で〇〇ちゃんを打ち崩せたのは、君という選手を研究したから。そして、光莉が君を抑えられたのも全く同じ理由だよ。初見だったら、あんなに上手くいってなかった」
「……煽てれば、気分良くして野球部に入ってくれるとでも思ってるの?」
「違う。そんな事は微塵も思ってないよ」
アキラくんの表情は真剣そのもの。
嘘をついているようには見えない。
それでも、私は言葉のナイフを飛ばす。
精神が掻き乱される。
悪意と期待と猜疑心と充足感。
それらの感情がごちゃ混ぜになって、私の情緒をぐちゃぐちゃにする。
外聞を取り繕う余裕はもう無かった。
「嘘、絶対に嘘だよっ。あの試合の時、私のような凡人のことなんか眼中に無かった癖に耳障りの良い言葉を……」
「〇〇ちゃんはコントロールが持ち味のサブマリンで持ち球は三球種。ストレートとカーブとシンカー。特にウイニングショットであるシンカーには自信を持っていて、ここぞと言う時に投げる傾向があるよね」
「……へ?」
「打者としてはシャープな振りが持ち味のクラッチヒッターで、どんな時もチームのアドバンテージになるバッティングを心掛けていたよね。インハイが得意でアウトローが苦手。変化球打ちも上手いけど、ストレートには滅法強い。スイングスピードが並の打者よりも速いからストレートを狙っていても、甘いコースの変化球に対応できるんだ」
「ちょ、ちょっと、まっ」
「〇〇〇ボーイズは〇〇ちゃんのワンマンチームだった。つまり、勝つ為には君を封殺する必要がある。試合が始まる直前まで、光莉と一緒に〇〇ちゃんが出場している試合の映像を見返してたよ。それで、どうすれば抑えられるのか二人で話し合っていたんだ。配球はどうするか、配球が読まれた時はどうやって対処するか、とかね。あまり人を褒めない光莉が珍しく〇〇ちゃんの事を褒めてたよ。ここまでチームバッティングに徹することが出来る好打者はシニアには居ない……ってね」
私は口を噤む。
試合に負けた時、世良光莉に冷たい目で見られた時には流れなかった涙が、ポロポロと溢れ出す。
自分の才能に見切りをつけた筈だった。
野球は二度とやらないと心に決めた筈だった。
それなのに、アキラくんの言葉を耳にしただけで、どこか救われたような気持ちになってしまう。
天才である二人に褒められただけで、今までの全てが報われたような気持ちになってしまうのだ。
私はなんて軽薄な人間なのだろう。
「ごめん、ごめんなさい。アキラくんは何も悪くないのに、酷いこと言って……本当にごめんなさいっ!」
「全然気にしてないよ。だから、気に病まなくて大丈夫」
「アキラくん、私ね……やっぱり野球がやりたい。自分でも醜いと思うし、情けないと思うけど……それでも諦め切れない」
「……そっか」
始めた理由は歪だったかもしれない。
だけど、私は野球が好きだ。
心の底から愛しているのだ。
才能がないから、甲子園に出れないから、なんて理由で切り捨てられるものではない。
将来、野球で食べていくのは不可能に近いけれども、私の人生に野球は必要不可欠なものであると、今この瞬間に実感した。
「私を、野球部の仲間にしてくれないかな?」
「勿論OKだよ。これから宜しくね……
アキラくんは屈託のない笑みを浮かべて、私に手を差し伸べる。
その救いの手を握った私は心に誓う。
心根が醜くて才能のない私を、そこら辺を闊歩している名前のないモブを見てくれていたアキラくんに私の野球人生の全てを捧げる、と。
私は野球選手として終わっていた。
たった一回の挫折で塞ぎ込み、自分の殻に篭って傷つく事を恐れていた。
他人と距離をとって近づくものには噛み付く。
そんな最低最悪な人間だった私をアキラくんは見捨てずに救い出してくれた。
何が何でも彼を甲子園に連れて行く。
これは、誰かに背負わされた夢ではなく、生まれて初めて私が叶えたいと思った夢。
どんな障害もどんな困難も、アキラくんの歩む道を阻む存在は全て私が排除する。
それこそが私が野球を続けてきた意義であると、理解した。
この世界には二種類の人間がいる。
それは、天才と凡才。
そして、私は天才であると、ずっと思っていた。
でも、それは大きな間違いだった。
私は
そこら辺を闊歩している名前のないモブの一人に過ぎなかったのだ。
……けれども、それで構わない。
私を見つけてくれた
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