S.S.No.2「音無しの足音」
カランコロン 下駄の音が響く
コロンカラン 君に会うために
カラコロコロカラ 僕の居場所を伝えるために
まだ携帯電話や車が存在しない時代。周りを南方がひらけた『コ』の字状の険しい山に囲まれ、広大な土地を持つこの町では人々が平和に暮らしている。夏の空が橙に染まっていこうとしている頃、この町の一つの通りでは、一人の男性が履く下駄の小気味いい音が響いていた。
この町では商業が発達し、忙しなく動く人たちの履物は下駄よりも動きやすいわらじが一般的であった。しかし、私はある理由から下駄を好んで履いている。その一番大きな理由は私が生まれつき声を出せないということだ。産声すら上げず、黙ったままの赤ん坊を産婆や身内の者たちは気味悪がったらしいが、母と父が私を受け入れてくれたお陰で、私は今生きている。
声が出せないため、まだ小さかった私が迷子になったときは本当に困った。当時は下駄を履いておらず、話すことも出来ないので道も聞くことも親を呼ぶことも出来なかったのだ。親を見つけるまでかなりの時間がかかった。もっともそのとき私は町中で一人の少女と出会い、親のことなどすっかり忘れていたのだが。
その少女が私に最初に言った台詞は、私が迷子なのかどうか問う台詞だったのを覚えている。その当時の私は、幼いながらも自尊心が強く、たとえ迷子でも迷子と言わないような天邪鬼な性格だった。しかしその時は何故か、自尊心から来る初対面の人に失礼な人という怒りより、なぜ私に話しかけてきたのかという好奇心のほうが勝っていた。
私は乾いた固い地面に指で喋れないということを文字で伝えたのち、頷いたり、首を横に振るといった動作で彼女と交流を深めていった。そして、いろいろと話しているうちに、私の名を呼びながら近くまで探しに来た親を見つけ、少女と別れた。
そのとき少女は「またね」と確かに言った。私は親に手を引かれながら、どうやってまた会おうかと幼いながらも思考をめぐらせていたのだが、私達は後に思いもよらない方法で出会うことになる。
その事件は翌日の昼に起こった。
そのとき私は、父の部屋にある書物を数冊勝手に拝借して縁側で読んでいた。文字の読み方は作家である父に習い、周りの同年代の人たちに比べればずっと難解な文字を読むことが出来た。近所の人々は私のことを気味悪がっていたため、同年代の子どもたちと遊ぶことも出来なかったのである。だから私は一人で遊ぶことを覚えた、それが読書だった。
私が本を読んでいると我が家の戸をたたく音がした。しかし、私は玄関のほうを全く見向きもせず、食い入るように本を読んだ。本を夢中になり読んでいると不意に私は肩を軽く叩かれた。完全に不意打ちだったため、私は思わず素っ頓狂な声が出るのではないかと思った。勿論その様なことは無いのだが本当に思ったのだ。
私が振り返るとそこには昨日の少女がいた。なんでここにいるのかという驚きと、夢ではないかという疑問が私の中を駆け巡り、暫し硬直してしまった。私が我に返ったのは、何の本を読んでいるのかという少女の問いに私が反応しなかったため、その少女が少し不機嫌な顔になったときだ。
少し混乱したものの、私は本を開いたまま表紙を見せた。すると、満足したのか、少女は私の隣に座り、何故ここにいるのかと私が尋ねる前に話し始めた。
その内容は、先日隣に越してきて周りの家には挨拶をしたが、私の家には誰もいなかったため、改めて挨拶にきたということだった。先日新たな街中を散策していた彼女が、親とはぐれていた私を見つけた。彼女はそのときに湧いた好奇心と親切心から、土地勘が無いにも関わらず私に話しかけたところ、私が話せない事を知った。それで挨拶しているときに聞いた隣の家の子と分かったようだ。
だから「またね」と言ったらしい。
その話を聞き終わると同時に、親の方の挨拶も終わったようで、少女は母親に連れられ家に帰って行った。少女を玄関先まで見送り、家に入ったところで、玄関先に下駄が一組並んでいるのに気づいた。
私は母を見上げ首を傾げると母は、これはあの少女が私に贈ってくれたものだと説明してくれた。この下駄は大人のものだったため今の私には大きすぎた。大きいと分かっていてもせっかく貰ったので履いてみたが、やはり足の大きさが下駄とだいぶ合っていない。
母はそんな私の様子を見て、それくらい大きいほうが動き回って迷子にならないし、見つけやすくていいわとくすくす笑いながら言った。私は複雑な気持ちになったが、今回の事で迷子には懲りたため、大きいと分かっていながらも下駄を履くことにした。父にそのことを伝えると父は苦笑するだけで反対しなかったので、私はこれから外出する際は下駄を履くように決めた。
この下駄がきっかけで、私は以後ずっと下駄を履くようになったのだ。
それから私達の交流は十年ほど続いた。
下駄が私の足の大きさにちょうど良くなっていくにつれて、私達は互いのことを意識するようになっていった。時には喧嘩もしたが、そのことがきっかけで私たちの仲はより親密なものになっていった。私が彼女に想いを伝えたのは、例年より暑い夏の日のことである。
私が十六歳になった夏、私の彼女に対する想いが大きくなり私の心の容量を超え始めた。初め、私はどうしたらよいか悩んだ。なにせこれが恋だということにも、最初は気づかなかったくらいだったのだから。
本には恋というものが溢れているが、口がきけない者の恋とは聞いたことが無い。どのようにして想いを伝えるか悩んだ末に至った結論は、彼女に手紙を書くことだった。
私は文字通り三日三晩かけ、彼女の為に手紙を書いた。幾多の本を読んできたものの、いざ書こうとなると遅々として進まないのを実感した。どうにか書き上げたが、上手く書けたかどうかは分からない。書いている途中、もし想いが伝わらなかったら二度と同じ関係には戻れないのではないか、という不安に幾度も押しつぶされそうになった。
しかし私は書き上げた。
人生初めてであり、おそらく最後であろう、恋文というものを。
書いているうちに、恋文というものは自分では読み返してはいけない代物だと気づいた。一度、書き上げたものを読んでみたのだが、私の人生で最大の汚点になるのではないかと思うほど酷いものだった。
その失敗した恋文は、彼女に渡す前にこっそり炊事場の竈の中にくべてしまった。
無論後悔はしていない。そのような発見をしつつ、私は恋文を幾度も加筆、修正を繰り返して、ようやく完成したのである。
その恋文を何時渡すかという問題が残ったが、私の頭の中には一つの案が浮かんでいた。
もうじきこの町で大きな祭りがある。この祭りは、忙しい日々を送る人々の数少ない娯楽の一つであった。私はそのときに彼女にこの手紙を渡す計画を立てた。私はこの計画を立てる前に、既に彼女とこの夏祭りに行く約束をしていたので、後は私の勇気にかかっていた。
その祭りの事は余り覚えていない。その日は終始緊張していて、私がもし話せたなら声が震えていたと思う。
祭りが終わりに近づいた頃、最後の花火が散り、辺り一帯が花火の余韻に浸っているとき、私は彼女に手紙を渡した。手紙を読んだ彼女は「ありがとう」と言い、その後からは私をからかうという行動にでた。どうやら私が緊張していたことに気づいていたらしい。
そうしていると、彼女がおもむろに私の手を握ってきた。私は驚き、握られた手を振りほどきそうになったが、彼女がしっかりと握っていてくれたおかげでその手はほどけることがなかった。私は深呼吸をすると、優しく彼女の手を握り返した。その後、家へ向かう私の下駄は普段と違いゆっくりと、そして優しい音色を奏でていた。
家の前に着いたとき、私たちはそれぞれの家に戻るため手を離した。
私が家に帰ろうと彼女に背を向けたとき、彼女は、実は私も同じ気持ちだったと言った。そして思わず振り返った私の視界には薄化粧した彼女の顔しか映っておらず、唇には柔らかいものを感じていた。
その瞬間私の頭の中は真っ白になった。
この晩、私は何をしたのだろう。夕飯を食べた記憶も無い。
気がつけば朝、いつもと変わらぬ寝床から天井を見上げていた。
その接吻の後、私達は本当に恋仲になった。
しかし、その後私達の恋は、大きな局面を迎えることになったのである。
それは私が十八になった秋のことだった。
私は昨年から父の勧めから父と同じ物書きの道を歩み始めた。
新聞というものが発行されるようになり、少しずつではあるが仕事が増え始めた私の懐に、少し余裕が出来てきた頃。いつもと変わらず家族で夕食をとっていると、母が唐突に家族で旅行に行こうと言い出した。
私と父は互いに目配せし首を傾げた後、何も聞かなかったかのように食事を再開した。
私と父はその後、数日おかずを減らされてしまい、それに耐えられなくなったのか、父が初めての家族旅行に行くことを承諾した。父が言うには、承諾しないとおかず抜きがずっと続くそうだ。
あの言い方では以前にも同じようなことがあったに違いない。
旅行といっても費用の関係上、あまり遠くに行くわけにはいかないので、家から車(ここでは馬車をさす)で六時間ほどの場所にある温泉地帯に向かうことになった。
出発の日の朝、三日ほど家を空けることになるので、私は衣服や昔から使っている筆、墨壷などをまとめた一つの風呂敷を玄関近くに置き、父と戸締りの確認をしていた。その間母は、隣近所の方々に、しばらく留守にするということを伝えに行っていたようだ。
そして世間話に夢中になっていたのか、予定していた出発時刻の寸前になって戻ってきた。父と私は母の帰りを確認すると、呆れた表情を浮かべて、温泉地帯に向けあらかじめ手配していた車に乗りこんだ。
途中茶屋に寄って休憩を挟みつつ、私達は無事に目的地に着いた。着いたとき日は高く昇っており、体は長旅で硬くなってしまっていた。
荷物を旅館に置くと両親は早々と温泉に向かい、私は筆と墨壷、紐で本のようにまとめた紙の束を持ち町の散策に向かった。
この町は私達の町とは違い忙しさがほとんど感じられない。忙しそうといえば、それは温泉饅頭等を作っている人か、あるいは旅館や宿といった宿泊関係の人達くらいであろう。あたりは硫黄の独特な臭いに包まれていて、私はここが普段の時間の流れから切り離された場所であるかのように感じた。
散策の途中で、温泉饅頭を身振り手振りで買い、それを頬張りながら町中を彷徨っていると、店先にある一つの綺麗な赤いかんざしが私の目に留まった。
そのかんざしを購入し、腰に提げた巾着に入れると、私はかんざしを挿した彼女の姿を考え、今の時間の流れと違う、普段の時間の流れを恋しく感じていた。
そして旅行の最終日、私達は来た時と同じ道を、同じように休憩を挟みつつ車で進んでいった。
私達が帰宅すると、一通の手紙が戸の間に挟まっていた。
手紙は彼女から私に宛てられたものだった。
家に入り、荷を降ろし自室に入った後、彼女の手紙を読んだ私は、震える手で手紙を机上に投げた。そして、自室を飛び出し、廊下を走ると急いで下駄を履いて、先ほど入ってきた戸を開けると、躓きながらも隣の家まで走っていった。
帰ってくる時は垣根によって分からなかったが家の正面からみると、その家からは人の気配がしなかった。
あの手紙には、私達の留守の間にやむなく引っ越すことになったという旨が記されていた。
そして、もう会えないとも。
それが本当のことであることを理解するのに数日かかった。
それを理解した夜、私はかんざしを燃やした。かんざしは竈の中でパチパチと音をたてながらも、変わらず赤い光を放っていた。
私はかんざしが赤い光を放たなくなるまで、ずっと竈の前で泣いていた。しかし、彼女との思い出は光の様には消えてくれなかった。
それから半月ほどたった昼下がり、私の家に一通の手紙が届いた。その手紙は山を迂回して来た為、届くのに一ヶ月かかったらしい。
差出人には彼女の名前が記されていた。
その手紙には今、山の北側にある町に住んでいるということ、彼女の父が実は、私達の付き合いを快く思っていなかったということ等が、用紙三枚にわたって綴られていた。そして、その文の中に昔の手紙は、彼女の父親に強引に書かされていたという記述も見られた。
私の中で、彼女に会いたいという想いの灯火が、今までより強く燃え盛るのを感じた。
私は衝動に身を任せ、外出中の親宛に置手紙を書き、彼女の手紙と共に置くと、最小限の荷物を持ち玄関の戸を開けたと同時にふと足を止めた。
思い出したのだが、私には旅費の持ち合わせがなかったのだ。
手紙を出したのが一ヶ月前なら、彼女の町に行くのに最低でも一ヶ月かかるはずであり、それには半年前の旅行よりも莫大な費用と準備が必要になる。
私の蓄えは旅行の際にほとんど使ってしまっていた。
玄関でずっと立っている訳にもいかず、とはいえこの高揚した気持ちのまま家の中でじっと待っている気になれなかった。
私は荷物を持つと、あてもなく町をぶらつくことにした。
彼女に会う為にはどうしたらよいか歩きながら考えていた私は、ある場所でふと足を止めた。
そこはこの町を『コ』の字状に囲む山の中央の麓であった。
このとき私の頭の中には、一つのひらめきと無謀だという思いがひしめいていた。しばらく悩んだ末に私はこの山を越える決心をした。
彼女に会いたいという想いに身を任せて。
私は山に足を踏み入れた。
そしていつもの習慣で下駄を履いていることに気づき、少し自分の習慣を恨めしく思ったものの、そのまま行くことにした。
山の麓付近は深く草が生い茂り、私は足元に転がっていた木の枝で草を払いつつ歩き始めた。
山の中腹辺りに来ると、辺りは木々が生い茂っている為に薄暗く、足下の草木はほとんど成長できていなかった。
その分無駄な体力を消費せずに済んだのは幸運だったのだろうか。
山頂付近になると、足場が悪い岩場になっていた。
そう易々とこの山を登りきることは出来ないと分かっていたが、これほど苦しいとは思わなかった。
足場は悪く、下駄の鼻緒により足の皮はすりむけ、少し動くだけで激しい痛みがはしった。それでも私は諦めるつもりなど微塵もなかった。
今諦めたら彼女と二度と会えない気がしたのが要因の一つである。
私はこの山を越えるのに二日かかった。
その間は凍えるような冷たさの水で身を清め、食事は持ってきていた簡単なもので済ませた。
山を歩き通した私は、夕暮れ時に彼女の町に着くと、まず宿を探した。
私は、町に着いたその日は足の治療と休養にあて、次の日に彼女を探すことにした。
彼女に会いたいという気持ちは変わらず大きい。しかし、いかんせん無茶をしすぎてしまい体力、精神力共に限界が近づいていたのを感じ取ったためだ。
次の日の朝、私は身支度などを整えるとすぐに彼女を探しに町に出かけた。
この町は私が住んでいた町よりかなり小さいため彼女の家は比較的早く見つかった。正確に言えば、彼女の母親が買い物に出かけていた所を偶然に見つけ、後をつけてきたのだった。
彼女の家の近くでしばらく心を落ち着かせると、私は意を決して彼女の家の戸を叩いた。
彼女の家から出てきた人は彼女ではなく、それは私達が離れ離れになる原因を作った彼女の父親、張本人だった。
彼女の父親は私の顔を見た瞬間、驚きと、何故ここに居るのかという疑念が混じったような複雑な表情を浮かべた。そして、ここにいる理由を問われた私は、筆談によって彼女の手紙のこと、ここに来るまでの道のりなどをありのままに答えた。
すると彼女の父親が家の中に入るように促してきた。
私は予想外の反応に何が起こるのかと緊張しながら家の中に入り、通された客間でただその何かが起こるまで座って待っていた。
どれくらい待っただろうか、突然通された客間の戸が開くとそこには彼女と彼女の父親が立っていた。
私は思わず立ち上がり彼女の顔を見た。
彼女は昔に比べ少し痩せたような印象を受けた。
彼女と彼女の父親が私の前に座り私も再度座ると彼女の父が話し始めた。
話の主な内容は、彼女がこちらに越してきてから食事を殆ど取らなくなったと言うことや、彼女の父親が引っ越すという行動をとったことに対する謝罪であった。
私は彼女の父親が話し終わるまで、身じろぎ一つせず話を聞いていた。
そして彼女の父親が話し終わった後、私は彼女の父親を許し、次に彼女に改めてこのように伝えた。
『好きです』と、ただそれだけの言葉で。
それからの私達は彼女の父親の了承を得て、再度付き合うようになった。
私は今日で二十代最後の日を迎える。私達は、彼女の気質を受け継いだのか好奇心の塊のような息子を授かった。
彼は昔の私同様に本を読むのが好きなようだ。そして、将来は私と同じ物書きの道に進みたいらしい。
私が日課としている夕方の散歩から帰ってくると、我が家の台所では妻と息子が楽しそうに話していた。
私が居間で新聞を広げ読み始めると「お母さんはどうしてお父さんと結婚したの」という声が聞こえた。
私は新聞から顔を上げると台所の方向を見て微笑み、また新聞に視線を落とした。
カランコロンと下駄の音は響く。
あなたが道に迷わぬように。
カランコロンと下駄の音は響く。
あなたと共に歩くために。
声無き者にも音はある。
下駄が鳴るよ音無し者の。
音無し者の足音が。
音無しの足音……終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます