霧の魔法使い
統一歴845年、大陸の極北に位置する国「ノルスフェイア」、永久凍土に覆われた「北の山」が背後にそびえるその国では、常に寒さが生物に牙を向いていた。
凍死に怯える人々。それは時に薪一束を巡って争いが起きるほどで、この国にとって薪は「尽きたら死ぬ」という意味で、生命の灯そのものであった。
そんな国では王命により二十年近く続く、ある風習があった。
それは毎晩、指定された壺に水を一杯入れ、戸口へ出しておくこと。
当時、王がどうしてそのようなことを言い出したのか知る者は少なく、訝しげに感じる者も多かったようだが、翌朝から人々は奇妙な光景を目にすることになった。
霧。それも深い霧。
それがほぼ毎朝、国中に立ち込める。
人々は始めこそ恐怖したが、「霧は我らを守るものである」という王の言葉により、人々は安堵し、そして感じることになった。
霧の温かみを。
統一歴867年の晩秋、王城では国王「アウケレスト・デグリーチメント」の葬儀が行われていた。
シルヴェニア教の大司教による死者への弔いの言葉が朗々と玉座の間に響き、新たな王となった王女「ダウラ・デグリーチメント」のすすり泣く声が時折聞こえてくる。
葬儀は粛々と進み、参列した各々が最後の別れの言葉を告げると、この時期には少なくなった花々と共に、造詣の深い細工が施された木製の棺の蓋が閉められる。
棺は神官たちによって玉座の間から運ばれて行き、王女はその後に続いて扉を出た。
その扉を出た所では、左腕のない一人の隻腕の魔法使いが棺に向けて深々と臣下の礼をしていた。
「キリー、あなたも中に入って良かったのよ」
キリーと呼ばれた中年の魔法使いは、こちらに目を向けると「いえ」と首を横に振り、背筋を伸ばして私に向き合う。
「いえ、私は貴族ではありませんので」
「それでも、家族みたいなものじゃないの」
元冒険者のキリーがこの国の賓客として城で暮らし始めてから20年以上になるらしい。
それこそ、私が生まれる前からこの国で生活している。
彼がこの国にいるのは、冒険の最中に左腕を無くしたことが始まりだったらしい。
彼は敵の認識阻害や妨害の魔法を得意としており、それ以外の魔法は平凡そのもの。
彼は人柄が良く、幼い頃からよく私と遊んでくれ、必要なときには相談にも乗ってくれた。王である父には内緒でこっそり街に連れて行ってくれたこともあった。
そんな、私の二人目の父親のような存在。
そんな彼との別れのときが近づいていた。
別れが決まったのは、私が王として即位してすぐのこと。
「何も仕事をしていない者を城で養い続ける必要があるのか」という意見が貴族たちから出されてからだった。
幼い頃から交流のあった貴族たちの意見を頭ごなしに否定することなどできず。
そうしている間に、貴族たちの間で追放という意見で固まってしまった。
それに反対する貴族もいたが、誰もが高齢で口うるさいと思われていた貴族たち。
「時代は変わったのだ。これからは新たな時代を生きる者たちで決めていく」という意見が通ってしまうこととなった。
姫、いや女王に呼ばれて、玉座の間へ通じる扉を開ける。
そこから伝わる熱。
玉座の間が暖かい。
この暖かさを保つために、部屋に熱を送る「ペチカルーム」では、一体どれだけの薪を燃やしているのだろう。
大量の薪を消費してしまうため、先代の王アウケレストは重要な来客があるときにしか使わなかった。
その意味を、玉座に座るダウラ王女、そして横に侍る臣下たちは分かっていないのだろうか。
もしかすると、分かっていないのかもしれない。
ダウラ王女は若い。そして、王女の横に並ぶ臣下達も代替わりして若い者が多い。
代々の家臣であり、老齢のベルモンド家やハリーク家もいるが、現在は末席へと追いやられてしまっているようで、発言を受け入れられなかったのだろう。
どうしてこうなったのか、臣下達への不満を顔に出さないように下を向くので必死だった。
「キリー、貴方をここに呼んだ理由は分かるわね」
頭の上からダウラ王女の声がする。
その言葉には少しだけ寂しさがにじみ出ていた。
追放通知、そのことを言っているのだろう。
「はい」
私のその言葉に王女は息を深く吸い、今度は力を込めてハッキリと言葉を告げた。
「では、三日後までに荷物をまとめるように。それ以降、王城へ足を踏み入れることは許しません」
即座に追い出されると思っていた私にとっては、猶予があることが少し意外であった。
もしかしたら、これはダウラの最後の優しさだろうか。
「分かりました。最後に一言だけよろしいでしょうか」
少しだけ間が空く。
臣下の者が何かを言おうとしたが、それよりも先にダウラの「構わないわ」という声が響く。
「薪を大切にされてください。そして、お元気で」
私の言葉を聞いて王女は「ええ」と返事をし、私に退出を命じた。
翌日、私は二十年を過ごした王城を出た。
出ていくときは寂しく感じたけれども、老齢の家臣の方々に見送られ、話をする内に少しだけ気分が晴れた気がした。
今朝もこの国の霧は深い。
翌日、国中では珍しいことに戸外の壺の水が凍っていた。
部屋の暖炉では、普段より多くの薪が燃やされ、人々は「今日は精霊様の休みの日かね」と口々に噂するのであったが、それが、三日、四日、そして十日と続くうちに人々は不安になっていった。
三十代半ばの働き盛りの人々は仕事を放棄して「薪を集めろ」と徒党を組んで森に向かい、老齢の人々は王城や神殿につめかけた。
その声はダリアの耳にも届くことになる。
「精霊様はどうしたのか、居なくなってしまったのか」という言葉が聞こえてくるが、ダリアには何の事だか全く分からなかった。
市民の問いかけに対して、声を上げたのが神殿であった。
「神殿が精霊を保護している。精霊は疲れ果て、この冬は皆を守ることができない」と発表し、それに伴い備蓄していた薪の供給を行うことなどを告知した。
統一歴901年の冬、大陸の極北に位置する国「ノルスフェイア」、永久凍土に覆われた「北の山」が背後にそびえるその国では、常に寒さが生物に牙を向いていた。
凍死に怯える人々。それは時に薪一束を巡って争いが起きるほどで、この国にとって薪は「尽きたら死ぬ」という意味で、生命の灯そのものであった。
この年、精霊の不在により自らの運命を、境遇を深く知った人々は薪の大切さ、そして霧の精霊の大切さに気づき感謝したとのことだった。
そんな国では五十年近く続く、ある風習があった。
毎晩、指定された壺に水を一杯入れ、戸口へ出しておくこと。
神官達は夜中に街に繰り出し、奇跡を願う。
空へと立ち上る霧は国中を包み込み、朝の強烈な寒さから国を守り続けていた。
神殿には一柱の像がある。そこには、霧の精霊「キリーム」という名前が刻まれていた。
キリームには左腕がない。
どうしてかと問うた神官にその精霊は言ったそうだ「友を守るために差し出したのだ」と。
優しき精霊キリームに奇跡の力を授かった神官達は毎日霧で国を包む。
国を凶悪な寒さから守るために。
そう話し聞かせる老齢の神官にはキリームと同じく、左腕がなかった。
事前設定内容
・大陸の極北に位置する国「○○」
・主人公、男性40代
・死霊の国
・霧の魔法使い キリー
・宗教
・追放
・姫と貴族
Youtubeでの生配信で執筆
より詳細な設定は配信内にて解説
https://youtube.com/live/fy2nsM4xtsk
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