第9話:幽霊の死
それはあや子がまだ小学生だった頃、墓参りをするために祖母と二人、山昏家の菩提寺である陽限寺を訪れた春の彼岸の日のことだった。
「おばあ、あの人お墓の上に座っちゃあ」
あや子は彼女の袖を引いて、墓場の隅で苔むして風化して小さくなった墓石の上の方を指さす。
彼女の視線の先には墓石に腰かけ、薄くなった白髪を撫でつけながら誰かを待つように墓場の入り口をじっと見つめるやせぎすの老人の姿があった。
「あそこのお墓に住んどる人ちゃうかなぁ。折角のお彼岸やのに誰も来んさかい、暇しとるんやろ」
祖母の老眼にはあや子の見ているものは映らない。しかし代々巫女として神社の管理をし、店の守り神であるてまりの世話もしている彼女にも、なんとなくではあるがその存在を感じ取ることができた。
「なんで誰も来んの?」
「えらい古い墓やからなぁ。誰も参る人がおらんのやろな」
古びた墓と幽霊の組み合わせ。普通の人間が見れば恐ろしさを感じずにはいられない光景だが、その体質のせいで周りから仲間外れにされることが多かったあや子にとっては同情を覚えてしまう光景だった。
「ふぅん――、」
――ほいだらお線香、あげてきてええ?
あや子は口まで出かかったその言葉を飲み込んだ。墓場には祖母と彼女の他に、同じく墓参りに来たらしい人影がちらほら。少し遠くの方には柄杓を持ってふざけているクラスメイトの姿まであった。
――実は俺も幽霊見えるんだぜ。
海坂市に来る前に東京の学校で受けた仕打ちがフラッシュバックする。誰もいない寂れた墓前に線香なんか供えに行けば、自分の秘密が白日の下にさらされて、またここでもいじめられてしまうだろう。
「あとで線香あげに行こか」
周りの様子を窺いながらも墓の方を気にかけるあや子の心中を察したのか、祖母はすかさず彼女の顔を見てそう言った。
「……え、いいの?」
その言葉を聞いてなお、あや子は周囲の視線を気にするようにあたりをきょろきょろと見まわしている。よほど東京での生活が堪えたのだろう。
「せっかくのお彼岸や。一人ぐらい余計に参っても気にせんて」
祖母が独り言のようにそう呟くと、あや子はようやく黙ってこくりと頷いた。
自分の墓の掃除やら仏花の取り換えやらがひとしきり済んだあと、二人は幽霊のいる墓を簡単に掃除して線香を供えた。
墓に手を合わせている間、あや子はちらりと上に座っている幽霊の方を見る。相変わらず石像のように入り口の方を見つめているが、その表情は心なしか先ほどよりか穏やかなように彼女の目には映った。
―――
それから一週間ほどたったある日。学校帰りに陽限寺の近くを通りがったあや子は、ふとこの前の幽霊のことが気がかりになった。
(まだおるかな……)
通学路を少し外れて墓場の裏手から入ると予想通り、幽霊はやや傾きかけた日が差し込む墓地の中、来るはずのない客を今か今かと待っていた。心なしかこの前よりも寂しそう、というかすでに死んでいるはずなのに今にも死んでしまいそうな印象を受けた。
彼岸も終わったはずなのに、なぜまだあそこで人を待っているのだろうか。もし話が出来るのなら話してみたい。
あや子あたりをきょろきょろと見渡して誰もいないことを確認すると、少し速足で墓の方へと駆け寄ってゆく。
その幽霊まであと数メートルほどまで近づいた瞬間、風に吹かれた霧か雲のようにその幽霊が彼女の目の前から消えてしまった。近寄ってみてもやはり誰もいない。先日くべた線香の燃えカスだけが、錆びた線香立てに溜まった水に空しく浮かんでいた。
それがあや子が初めて目撃した「幽霊の死」だった。
―――
場面は変わって現在。その日もみなとは母親の幽霊から避難するべく、学校から出てマンションのある方向とは逆に歩いていた。向かう先はもちろんあや子のいる駄菓子屋である。
彼女と知り合う前も、母親から逃れるために友達の家に上げてもらったりはしていたのだが、その友達たちが立て続けに襲われてからはそれも叶わなくなってしまった。今となってはあや子だけが彼の頼りとなっていた。
しかし友達の家に上げてもらっていたときとは異なり、向かう足取りはどこか軽やかだ。
あや子が自分の事情を知ってくれている、というのもあるだろうが、それだけでは一刻も早く駄菓子屋に行きたいと前に繰り出される脚に説明がつかない。
そんなことを考えているうちに、みなとはいつの間にかやまぐれ商店のすぐ手前まで来ていた。
いつものように引き戸に手をかけるが、どうしてか心臓がどきどきして中々力が入らない。脳裏にはあや子の顔がちらつく。
「おじゃましまーす……。って、あれ?」
無理矢理手に力を込めて扉を開けるなり、みなとは間の抜けた声を出した。
「お、みなと。今日は早いな」
みなとの視線の先で商品を陳列していた彼女は珍しく洋装だった。上はライトブルーの七分丈シャツに、下はややタイトなジーンズ。いつもの長手袋はしておらず、その素肌は雪のように白い。
細いメタルフレームの眼鏡と相まって、駄菓子屋の店主というよりは都会のオフィスワーカーのような印象を受ける。
「今日は洋服なんですね」
「どう? 似合う?」
あや子は彼の方に向き直ってポーズをとる。
「……えっと、すごく素敵だと思います。モデルさんみたい」
洋装になったことで浮かび上がった彼女のファッションモデルのようなプロポーションに、みなとの頬がほんのり赤く染まる。
「えらい嬉しいこと言うてくれるやんけ。まあ上がりなよ」
その言葉を聞くなり、あや子は照れくさそうに笑ってすらっと細く白い手で背中を力強くバシバシと叩いた。
「え、あ。はい……」
手袋越しに触れられたときよりもほんの少し高く感じる体温に少し戸惑いながらも、みなとは彼女に促されるまま奥へと上がる。
「それで、あや子さん。今日は何かするんですか?」
前回ここを訪れたとき、あや子が何か解決策をひらめいたように立ち上がったことをみなとは思い出し、彼女にそう尋ねる。
「んー、別に何もせんよ。一緒にゲームでもしよや」
あや子はテレビのそばに置いてあったニンテンドースイッチの電源を入れながら、のんびりとそう答える。半年ほど前てまりにねだられて買ったものだが、ここふた月ほどは全く手を付けていなかった。
「ええ、何かしなくていいんですか?」
何かすごい秘策を期待していたみなとは肩透かしを食らったような気分になる。
「せやから楽しいことすんねん。こわーい幽霊にはこれが一番効くんやでー」
あや子は切れ長の細い目をさらに細めると、みなとの細い手を包み込んでコントローラーを握らせた。
山昏神社にて。 飛梅ヒロ @TBUM_hiro
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