第8話:電流走る
先日の神社での一件で事件解決までの道のりはふり出しに戻ってしまった。ただ一つだけ分かったことは、魔除けや結界、そして清めといった類のものがみなとの母親には(嫌がりはするものの)通用しないということだった。
あや子が階段から突き落とされてから二日たったある日のこと。
「みなと君、どうしたん、その……」
店を訪れたみなとを一目見るなり、あや子は言葉を失った。
つい一昨日まで肩につくほどの長さだった滑らかなみなとの黒髪は、ばっさりとボブ程度にまで切りそろえられていた。眉までかかっていたはずの前髪も眉上まで切り詰められている。
「……そろそろ暑くなりそうだったので、切ってもらいました」
まだ桜色がちらほらと残る葉桜を背にみなとはぎこちない笑みを浮かべながら、心配そうな顔をするあや子にそう答えた。
一見きれいに切りそろえられているように見えるが、その滑らかな毛束の中に不自然なまでに短い髪がちらほらと目につく。おそらく一度ぐちゃぐちゃに切り散らかされたあと、無理矢理整えたものなのだろう。あや子は直感的にそう推察した。
そして首筋に走った小さなひっかき傷と、みなとの細めた目じりに浮かぶ大粒の涙。誰に何をされたのかは想像に難くない。
それに気がついたとき、あや子は自分の手がわなわなと手が震えていることに気がついた。
「とりあえず、中入りよ。そこのおばあちゃんにええお菓子もろたんよ」
自分の中の怒りを押し殺し、みなとの不安を少しでも和らげようとあや子がそっと手を握る。するとみなとの顔からそのぎこちない笑みが消えて、今にも泣きだしそうに口をぎゅっと結んでうつむいた。
―――
「――それで、切られたんです……」
みなとは首のひっかき傷が残るあたりをさすりながら、きのうおとといで自分の身に起こったことについてひと通り語り終えた。
「……そうか、怖かったな」
あや子は彼の髪をくしでとかしながら、つとめて落ち着いた声でそう慰めたものの、その内心はみなとの母親が彼に危害を加えたことに対する焦りと怒りに満ちていた。
母親の幽霊はものこそ壊せど彼本人には手を上げるようなマネはしないということは、これまでみなとから聞いてきた通りである。しかし今回、どういうわけかその一線が超えられてしまった。
おそらく彼女が嫌うまじないの類である女装を辞めさせようとした結果なのだろう、とあや子は推察したが、いくつか不可解な点がまだ残っていた。
(来るとこまで来たか……?)
先日の神社での一件を思い出す。外観こそ典型的な幽霊ではあったものの、当人(当幽霊?)から醸し出されていたあの雰囲気は、幼少期に何度か目撃した「幽霊でも人間でもない超常の存在」にそっくりだった。
それにしても何が彼女をそこまで駆り立てるのだろうか。現世に残した一人息子であるみなとに執着することは理解できるものの、あそこまで強力な悪霊に成長した理由はあや子には思いつかなかった。
「あの、あや子さん?」
そんな風に物思いにふけっていると、みなとが彼女の顔を覗き込むようにして見ていた。
「ん、ああ。ごめんな。どうにか出来んもんかな思て」
幽霊の行動原理も考えなくてはいけないが、まずはみなとの身の安全をどう確保するかが先決である。みなとの母親が魔除けの効かない、どこにでも現れる念縛霊の一種である以上逃げも隠れもできないため、必然的に除霊以外の解決策はなくなってしまったわけだが。
「どうにか言うてもあや子、中々厳しいんちゃうか」
すっかり冷めてしまったちゃぶ台の上の回転焼きに手も付けず、昼寝中の猫のように大人しくしていたてまりが突然口を開く。
「あんた、みなと君の前やぞ!」
今の言葉を聞かれていないか、いったんちらりとみなとの方に視線をやったあと、あや子はてまりの肩をつかんでそう注意した。
「お守りもまじないも効かへん奴をどないして倒すんや」
怒りと焦りで冷静さを失っている彼女とは対照的に、てまりの声はいつになく冷静だった。
「それでもなんとかせなアカンやろ! まじないが効かなんだらしばき回してでも……」
「物理攻撃ら余計効くかい!」
「私がどつかれたんやからそれぐらい効くやろ!」
「躱されてしまいや! いったん落ち着け!」
「……あの」
ヒートアップする二人のやり取りの間に、みなとの今にも泣きだしてしまいそうな声が割って入る。てまりの声は聞こえてないものの、あや子のセリフから状況が絶望的であるということを察したのだろう。
「お母さんはあのままなんですか? なにも効かないんですか?」
「……あっ、い、今のは忘れて……!」
みなとの縋りつくようなまなざしに、血が昇りきっていた頭がさっと冷たくなる。母親の幽霊に髪を切られ、ただでさえ精神的に参っている彼をさらに追い込むわけにはいかない。
なによりここでみなとの期待に応えられず失望させてしまえば、もう二度と自分を頼ってくれなくなるかもしれない。
あや子はそうなってしまうことを一番恐れていた。歳は離れているものの幽霊が見えるという特異体質を受け入れてくれる存在は、祖母亡き今は彼だけとなってしまったのだから。
「あや子、己に出来んことは言わんほうがええ。みなと君のためにもならんで」
みなとをどこか怯えたような目で見つめるあや子に、てまりが諭すように語りかける。
「……それぐらい分かっとるよ。でも……」
でも、どうすればいいか分からない。母親の幽霊を祓うことも叶わない今、みなとを見捨てろということなのか。みなとのことなどすべて忘れて、いままで通り幽霊なんて見えないふりをして生活しろということなのか。
そんなことできっこない。
(忘れる……?)
ふとあや子の脳裏に、幼い頃近所の墓場で見た光景がよみがえる。夕暮れの墓地で苔むした墓石に腰を掛け、誰かが来ることを待ち望むかのように墓の入り口の方を眺めていた幽霊。
「なるほど、忘れるか!」
ひらめいた瞬間、落雷のような衝撃が脳天から脊椎を伝って全身を駆け巡り、あや子は思わず膝を打って立ち上がった。
「えっ? えっ? 何のことですか?」
今まで難しい顔をして考え込んでいたあや子がぱっと明るい顔をしていきなり立ち上がったことに、みなとは驚いた。
「ええアイデア思いついたんよ、みなと君を助ける方法!」
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