第5話:悪霊退散!
「邪魔すんでー」
「……邪魔すんなら帰ってー」
「はいよー」
「いやいや帰んないでください!」
そのまま玄関を出ようとしたあや子を、みなとは袖をつかんで引き留める。
みなとから相談を受けた日からしばらくたったある日の放課後。二人はいつも声が聞こえたりするというみなとが住むマンションに来ていた。
それまで魔除けを作ったり、みなと本人にお祓いをしてみたりと色々な方法を試してみたのだがどれも効果は薄く、いよいよ本格的に母親の幽霊そのものと対決する運びとなった。
「ま、冗談はさておき。いっちょ
「……あの、ちなみにどうやって祓うんですか?」
意気揚々と着物の袖をまくるあや子に対して、みなとは恐る恐る彼女にそう尋ねる。その様子はどこか気乗りしていないようでもあった。
「この大幣でどつき回したんねん。流石に堪えるやろ……ん?」
持ってきたトートバッグの中から家から持ってきた大幣を取り出していると、廊下の奥の方に何かキラキラと光る粉のようなものがあや子の目に留まった。
「どうかしたんですか?」
廊下の奥を観察するようにじっと目を凝らし棒立ちになったあや子の顔を、みなとが不思議そうな顔をして覗き込む。
「いや、なんか違和感が。みなと、ホンマにオカンおるんよな?」
「はい、いっつも家で話しかけてくるから……」
まだ自分のことを疑っているのだろうかと、みなとはやや不安そうに頷いた。
「ごめん、ちょっといろんなとこ見せてもらうで。ええな?」
「え、あ、うん」
あや子は有無を言わさぬ態度でみなとにそう許可を求めると、仏壇のある居間や先日カットソーを破かれた現場であるみなとの部屋を手早に見て回っていった。どこを探してもそれらしき幽霊は見当たらないが、廊下の奥に見えたものと同じ粉のようなものだけがかろうじて光っていた。
やがて目当ての場所を全て見終わったのか、どこか失望をにじませた足取りであや子はみなとの元に戻ってきた。
「……あかん、逃げられた」
してやられた、と言わんばかりに額に手を当てて彼女は吐き出すようにそう言う。
「え、どういうことですか?」
「どうもこうも、逃げよったんや。そこらへん足跡だらけやのに気配せんからおかしいと思ったんや」
「ええ、そんなことあるんですか?」
想定していなかった返答にみなとは驚く。
「私もびっくりよ。てっきり地縛霊やと思とったんやけど、まさかまさか」
ふぅー、と大きくため息をつくと、知らない間に力んでいた脚の筋肉が緩んで、あや子はその場にがっくりと膝から崩れ落ちた。
―――
「しっかし逃げられるとはなぁ……」
あや子はみなとの家のリビングで彼に用意してもらったカモミールティーを飲みながら、ため息交じりにそう呟いた。祓うべき幽霊に逃げられ、することもなくなってしまったため一度帰ろうとしたのだが、みなとに引き止められて現在こうしている。
「僕もびっくりしました、まさかお母さんが逃げたりするなんて」
「やっぱりアレが効いたんかなぁ。ほら、この前渡したお守り」
「そうなんでしょうか、ビリビリに破られちゃいましたけど……」
みなとはそういってポケットをまさぐると、粉々に破けた紫色の布切れを取り出した。元はあや子が用意したお守りだったのだが、渡したその日に母親の幽霊に破壊されてしまったのだ。
「まあ効果は薄ても、向こうにとったら殺害予告みたいなもんやさかいな。逃げ回るんもしゃあないで」
「さ、殺害予告……」
上品にお茶を口に含む彼女から飛び出た物騒な言葉に少し驚きながら、みなとはふと、ここ数日の母親の振る舞いを思い出す。
小言や嫌味を言われることは相変わらずあったが、以前のようにヒステリーを起こして物を破壊したりすることはお守りを壊された以外はほとんどなかった。
「みなと君のその恰好も魔除けなんかな?」
「そうなん、ですか?」
あや子はみなとの服装と髪型を見ながらそう尋ねると、みなとは小さく首を傾げた。
白地に青色が映えるややガーリィなセーラー服、トップ部分を可愛らしく編み込んだハーフアップに仕上げたセミロングの髪。子供らしく丸みを帯びつつもどこか大人びた顔立ちであるから、一見すると女の子のように見える。
「うん、
丑潟町は海坂市から北に数キロほど行ったところにある隣町である。
「そういえば、お母さんの方のおばあちゃんがそんなこと言ってたかも。病気がよくなりますように、っていうおまじないなんだって」
ふと思い出したようにみなとはつぶやく。
「へえ、まだやっとるとこあったんや」
しみじみと噛みしめるようにあや子はそう頷いた。彼女も丑潟に親類がいるため、そのあたりの風習が存在したということは聞いたことがあるものの、実際に目にするのは初めてだった。
「僕、赤ちゃんの頃病気がちだったんです。お母さんもそうだったから、丑潟のおじいちゃん達、すごく心配して。三歳くらいまでは女の子の服ばっかり着せられてたんです。今も着てるのはそのときの名残なんです」
「ふうん」
「……変、ですか? あんまり指摘されたことないんですけど」
くるくると艶やかな黒髪をいじりながら、少し恥ずかしそうにみなとはそう尋ねる。しぐさと言い態度といい、同年代の女の子よりたおやかで可愛らしい印象をあや子は受けた。
「……いや、似合うとるよ。大事にされとってええな」
そんなみなとの様子を見て彼女は目を細める。そもそも子供に女装をさせるタイプの魔除けは「変装」という意味合いが強く、厄や悪霊そのものへの大した効果はない。それでも見えないはずのものにすがってまで孫の健康を願ってくれた彼の祖父母に、あや子は羨ましさを覚えた。
「でも、一番効果があったのはお母さんがお祈りしてくれた神社だったんですって」
「神社?」
みなとの発言に、彼女はオウム返しにそう聞いた。
「うん、たしかヤマグレ? 神社って言ってたっけ。僕がひどい熱出して全然下がらなかった時に、お母さんがそこにお参りしてくれたって、この前パパが言ってたんです」
「
山昏神社の名前を聞くと、あや子は意外そうにカラーレンズの奥の目を丸くした。
「え、そうなんですか?」
みなとも驚いたらしく、思わず大きな声を出す。
「
「うん、多分そこだと思います。僕も行ったことあるから」
「ほな、うちの神社やな」
「あや子さんは巫女さんなの? お祓いの棒とか持ってるし」
みなとは大幣の入っているトートバッグに視線を向けながらそう尋ねる。和服にやや濃い色のカレーレンズの眼鏡、肘まで覆い隠す薄手の黒いグローブと、どこかアニメの悪役を思わせる彼女が緋袴で仕事をしている姿は想像しにくかった。
「いや、たまに賽銭回収したり、掃除したりしとるだけよ」
みなとの質問にあや子は笑ってかぶりを振った。
―――
「ほな、またなんか困ったら言うて来て、今度こそしばき回したるさかい」
「……うん、また」
夕方、帰ろうとするあや子を見送りながら、みなとはどこか煮え切らないような表情でそう頷いていた。
確かに母親の幽霊はみなとに害をなす存在である。しかし生まれてから母親の顔を知らない、母親というものがどういうものなのか分からない彼にとっては、どこか消えてほしくない存在でもあった。その重いは幽霊の態度がやや軟化したことで一層強くなっていた。
「……また遊ぼな」
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、あや子はドアの隙間から優しい笑みを見せ、そのままドアを閉じた。
―――
――あら、頑張ってるわね。
それからしばらく経った夕暮れ時。みなとが部屋で宿題をしていると、いつものように母親の幽霊が話しかけてきた。しかしいつもと違って、気味が悪いほどに機嫌がいい。
こういう時は決まって何か悪いことが起こる。
「……お母さん。どうしたの?」
不安な気持ちを押し殺して、みなとは母親の声に返事をする。
――ううん、何でもない。頑張ってるなーって思って。どうして?
「いや、なんとなく……」
四年生の終わりごろ、つまり母親の声がきこえるようになるまでよく遊んでいた、少しやんちゃな友達のことを思いだす。一緒に遊んでいる最中に大怪我をしてしまって以来疎遠になってしまったのだが、その時も母親はこんなふうに上機嫌だった。
それを皮切りに似たような友達とつるむと必ず彼らが事故に遭うようになり、程度の差はあれど、そんな時に限って母親を名乗る声はみなとに優しかった。
最初は単なる偶然だと思っていたみなとや残りの友達も、だんだん薄気味悪さを感じるようになり、どんどん彼の周りから人が離れていった。
――頑張ってる子には、ご褒美あげないとね。
嫌な記憶を思い返していると、そんな声とともに勉強机の上に見覚えのあるキューブ型のフルーツゼリーが二つ置かれていた。あや子の家で食べたものと同じものだ。
(まさか)
上機嫌な母親と、あや子の持っていたゼリー。みなとが最悪の事態を悟るのにそう時間はかからなかった。
いてもたってもいられなくなり、解きかけの漢字ドリルを文字通り放り投げて、お気に入りの赤いスニーカーのかかとを踏んだまま、みなとは大急ぎであや子の無事を確かめるために家を出た。
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