第4話:見えないけれど(後編)
「お姉ちゃんって、「幽霊」見えるんでしょ?」
「……え?」
みなとの質問にあや子は絶句する。やはりこの前てまりに雷を落としている場面を見たのは忘れていなかったらしい。雪のように色の白い頬がみるみる紅潮していく。
しかしそれが何故、幽霊が見える故の行動だと勘づいたのだろうか。細く長い首を捻る。
ひょっとして彼も同じ「幽霊の見える」人種なのか――。一瞬そう考えるが、みなとのそばをうろちょろするてまりに気付いていないのを見て、即座に否定する。
「お姉ちゃん?」
考え事にふけって彼女の顔を、みなとは少し心配そうにのぞき込む。
「……なんでそんなこと訊くん?」
顔に張り付けたような笑みを浮かべて、平静を装ってあや子は質問を返す。しかしその言葉の端々はどこかとげとげしい。
「友達からそう聞いたんだ。それに、昨日も見えない何かと話してるみたいだったし」
なるほど、とあや子は頭の中で手を打った。その友達とやらが大方「妙な人間が駄菓子屋をやっている」と噂話をして、それを聞いたこの少年が冷やかしに来たのだろう。友達についてもある程度見当はついていた。おそらく先日鉛筆を買いに来た眼鏡の少年だろう。
てまりが商品のカルパスを盗んだとき、一旦無視したのは失敗だったか――。自分の行動を少し後悔する。
――実は俺も幽霊見えるんだぜ。
それと同時にみなとの真剣な顔を見て、かつて何度も言われた台詞を思い出す。
――見えるんでしょ、幽霊、祓って欲しいんだけど。
大抵はにやにやとあからさまに馬鹿にしたような笑みを浮かべていたが、たまに真剣な顔を作ってまでわざわざ揶揄いにくる同級生もいたことをあや子は思い出した。
「それで――」
「……ほんまクソガキは、今も昔もやること変わらんなぁ」
「え?」
「今日はもう店じまいや。はよ往んで」
戸惑うみなとに対し、あや子は遮るようにしっし、と手で払うしぐさをして彼を店から追い出そうとした。
「でも――、」
「ええからはよ往ねや、そうやって幽霊やなんや言うて、人をおちょくる、ような――」
感極まって座っていた椅子から立ち上がったそのとき、てまりがみなとの持ったレジ袋からうまい棒を三本全て抜き取り、それを片っ端から食べ始める。
(この期に及んでこの疫病神が……!)
あや子の怒りが頂点に達し、もともと赤くなっていた顔をさらに赤黒く染まる。てまりに一発拳骨を叩き込みたい衝動が湧き上がったが、これ以上偏見につながるような行動を晒したくはなかった。
「……あ、あれ? 中身がない?」
彼女の怒りに満ちた視線の先が自分の持っている袋にあることに気づき、みなとは袋を確認する。今までそこに入っていたはずのうまい棒がすべて無くなっていた。カウンターまわりや自分のいるあたりを軽く見てみるがどこにも転がっていない。落としたわけではなさそうだ。
ふと、裕太が話していたことを思い出す。彼の話の中の状況にとてもよく似ていた。
ここでみなとの中にあった疑問が確信に変わる。
「あの、僕、お姉さんのこと、おちょくったわけじゃないんです」
「……あ? ほいだらなんや、お前も幽霊みえるんかい」
みなとの発言にあや子は少し面喰らうが、彼を威圧するような態度は崩れない。
「見えないです。でも、いるって信じます。信じてます」
やや食い気味に空になった袋を彼女の方に掲げてみせる。ここまでくると揶揄い目的とは考えづらい。
「えらい必死やな」
「はい、えっと、それは……」
みなとは何かを隠すようにもごもごと口ごもる。
――それは幽霊の仕業なんかじゃない。
またそんなことを言われたらどうしよう。たとえあや子に幽霊が見えたとしても、そうやって否定しないという保証はどこにもないのだから。
「なんや、言いにくいんか」
「……言っても、信じてもらえないかも」
不安そうに頷くみなとを見て、あや子は心がずきりと痛んだ。
誰かに打ち明けても理解されないもどかしさと失望感。それを当たり前と受け入れて捻くれるのは自分の勝手だが、今目の前にいる幼気な少年まで同じ目に遭わせてしまっていいものなのか。ここ二日、子供の頃の記憶に悩まされてきたあや子の答えはただ一つ。
「……ええよ、中で話聞いちゃる」
あや子は段ボールで応急処置をした店と茶の間とを隔てるガラス戸を開け、みなとに中へ入るよう促した。
―――
数分後。みなとは店の奥とつながっている居間のちゃぶ台の前に座らされていた。そのすぐ傍ではあや子が電気ポットから急須に熱い湯を注いでいる。
「こんなんしかないけど、まあ食べてって」
あや子は漆塗りの菓子皿からキューブ型の寒天ゼリーを二、三個とると、お茶で満たされた信楽焼の湯飲みと一緒にみなとの前のちゃぶ台に置いた。
(おばあちゃんちで見たことあるやつだ……)
宝石を思わせる、少しもの珍しいお菓子をしばらく眺めていると、すっとてまりの小さな手が伸びて、ゼリーを目にもとまらぬ速さで掠めとった。
「要らなんだら貰うでー」
もちゃもちゃとゼリーを咀嚼しながら、てまりは不敵な笑みを浮かべる。もちろんみなとには見えも聞こえもしておらず、彼からはゼリーだけが突然虚空に消えたようにしか見えなかった。
その様子を見ていたあや子は一瞬彼の視線を気にするも、すぐに手元にあった新聞紙を丸めて、てまりの頭を頭を軽くはたいた。今ならてまりがどんな悪戯をしようと、遠慮なく𠮟ることができる
「ほんま、お前は……!」
「いった!」
「ご、ごめんやで。てまりはいっつもこんな調子で」
あや子は新しいお菓子を用意しながら苦笑いを浮かべる。
「てまり?」
幾度か聞いたその名前を改めて彼女に尋ねる。
「代々うちに住み着いとる座敷童みたいなもんや。まあどっちかっちゅうと疫病神に近いかもな」
「誰が疫病神や!」
仕返しといわんばかりにてまりもあや子の頭を軽くはたく。少し長めのおかっぱに切りそろえられた黒く艶やかな髪がふわりと揺れた。
「……て、てまり、さん。よろしく。景山みなとです」
そこにいるかどうかは分からなかったが、みなとは戸惑いつつも後ろの方に向かって会釈をした。
「おお、殊勝な心掛けやな。房子以来か、見えんのに挨拶してくるんは」
偶然にも彼の目の前にいたてまりが目を丸くする。
「ほんま何様やねんお前は……。あ、私は志村あや子な。まあこんな感じで毎日やってる訳ですけれども」
「は、はあ……」
「ほいで本題なんやけど。さっきの言いにくいこと、ってなによ?」
あや子はみなととちゃぶ台を挟んで向かい合わせに座り、菓子皿から寒天ゼリーを一つつまみながら、湯飲みの中を覗き込んでいる彼に改めて問いかける。
「えっと、実は。「お母さんの幽霊」に、いじめられてるんです」
覚悟が決まったのか、みなとはあや子のカラーレンズに守られた目を見て、自分が置かれている状況を淡々と話しはじめた。
「お母さんの霊?」
「はい。まだ僕が赤ちゃんの頃に死んでしまったんですけど……。いっつも声だけ聞こえてきて、無茶なこと言ったり、怒ったり、もの、壊したり」
みなとはわなわなと震える手で背負ってきたリュックを漁り、白と黒のボーダー柄が入った小さな布切れを取り出した。
「それは?」
「この前の誕生日、おばあちゃんに買ってもらった服、だったものです」
そう語る声は怒りか、あるいは悲しみでか細く震えていた。
「ほおん……。ちょっとアレなこと言うけど、私には今、何か憑いてるようには見えへんな」
みなとの話を聞きながら、あや子は彼の背後にじっと目を凝らす。幽霊が人間にとり憑くときは、よく知られているように背中におぶさるようにして憑いていることが多い。しかしみなとの背後に何かがあるようには見えなかった。
「はい、家でしか話しかけたりしないので……」
「あ、いや、疑っとるわけやないんやけど……。実物がどんなんか分からんと何も始まらんしな」
疑われていると思ったのか、少ししゅんとしてしまったみなとに彼女は慌ててそう釈明する。
「もしいるなら、お祓いとかしてくれるんですか?」
相当困っているのだろう、すがるような目つきであや子に視線を合わせた。
「私も拝み屋やないからなぁ。そんなん出来へんよ」
「そんなぁ」
「しゃあないやん、ほんまに見えるだけやもん」
がっくりと肩を落とすみなとに、あや子はお茶を飲みながらそう返す。実際彼女は幽霊こそ見えるものの、長らくそういったものに無視を決め込んでいたからか、そういった類のものに関する対処法についてはとんと疎いのだ。
「でも、何もせんっちゅうのはちょっと気持ち悪いな」
うなだれるみなとの前に、あや子はもう一つ寒天ゼリーを差し出しながらそう呟いた。
「……え?」
「そやから、どうにかしちゃる言うとんの」
「ほんとに? どうやって?」
みなとの首がすっと前を向く。そのきらきらとした視線にあや子はどことなくむずかゆさを覚え、思わず視線を柱時計のある右上の方にそらす。
「そら、これから考えんと。お客さん困らすような奴にセッカンするんも仕事のうちやからな!」
あや子は藤色の小紋の袖をまくり、二の腕をポンと叩いてにこっと笑った。
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