第2話:噂の駄菓子屋さん

 てまりがガラスを割る数時間前のこと。


「ほんで、その駄菓子屋っちゅーんか、文具屋っちゅーんか、まあとにかく見つけたわけよ」


 朝のホームルームが始まる前のにぎやかさと慌ただしさの中、海坂市立第三小学校五年A組の教室では、赤松裕太がクラスメイトを相手に先日駄菓子屋に行ったことを自慢していた。


「へー、そんなとこにあったんや」


「それでそれで?」


 机を囲んでいるクラスメイトも男子、女子問わず、その話の内容に思わず身を乗り出して聞き入っている。裕太のほうはというと普段注目される機会が少ないのか、語る姿はどこか自慢げだ。


 五年A組のクラスでは、この頃動画配信サイトで公開されている駄菓子屋を題材にしたアニメが流行っていた。それに影響されて子供たちも近場でそう言った店を探しはじめたのだが如何せん時代は令和。いくら海坂市が地方とはいえ、駄菓子屋もかなり珍しい存在になりつつあった。


「それで店ん中におばちゃんがおってんけど――、」


 裕太が話の続きをしはじめたその時、教室の後ろのドアががらりと開いた。

 誰が入ってきたのだろう、とみんなが一斉に振り向く。入ってきたのは黒く艶やかな髪をセミロングに切りそろえた中性的な男の子――、景山みなとだった。


 彼の姿を見るなり、話を聞き入っていたすこしやんちゃそうな男子たちはちょっと気まずそうな顔をして、裕太の机から散り散りに離れていった。


「あれ、何の話?」


 その様子をみてみなとは少し残念そうな表情を浮かべるが、すぐに何事もなかったかのように裕太の机にできた人だかりに混ざろうとそちらに歩み寄る。


「……えっと、このまえ塾に行く途中で駄菓子屋見つけたんやけど」


 裕太も離れていった男子たちを少し名残惜しそうに目で追ったものの、すぐに眼鏡を直して話の内容を簡単に説明した。


「へえ、近くにあるんだ?」


 それを聞くとみなとは他のクラスメイトと同じように、黒く大きな瞳を湛えた二重の目を丸くしてその内容に食いついた。


「うん、校区外やけどね。それでそこのおばちゃんが、なんか、その……」


 先ほどの調子で裕太はそこまで言いかけるが、急に困ったように眉を寄せてもごもごと口ごもってしまった。どうやら勿体をつけているわけではないらしい。


「おばちゃんがどうかしたの?」


「いや、自分の思い違いやったらアレやし、なんかありえへん話やし……」


「ありえへんって、どんな?」


 渋る彼にギャラリーたちは食い下がる。


「……言うても笑わん?」


「笑わないよ。みんなそういう話を期待してるんだと思うよ」


 やや不安そうな表情を浮かべる裕太にそう微笑みかけたのはみなとだ。無自覚なのか、それとも自分の性質を分かってしているのか。彼のえくぼに裕太は少し前まで彼がクラスの中心にいたことを思い出した。


「……ほんなら言うけど。そこのおばちゃん、幽霊が見えるっぽいんや」


「幽霊!?」


 その単語に真っ先に喰いついたのもみなとだった。そのコケティッシュな笑みを崩して、隣にいる子のことも気にせずにがたりと机の上に手をついて身を乗り出す。


「えらい食いつくな」


 裕太も驚いているのを確認すると、みなとはさっと身を引いて机についていた手を恥ずかしそうに後ろに回した。その顔にはどこか思いつめたような雰囲気も漂っている。


「え、あ。うん……。なんで見えるって思ったの?」


「それがな、会計してるときにカウンターに置いてたカルパスが目の前で消えてん。嘘やと思うかもやけど、こう、ふっと」


 裕太はやや興奮気味にゆるく握っていた手をぱっと開き、消えた時の様子を再現する。


「うん」


 否定も肯定もせず、みなとはそう一言だけ発して続きを促す。


「その瞬間はおばちゃんも見てたみたいなんやけど、何もなかったみたいに俺におつりくれて。見てへんふりなんかな。俺が盗んだとも疑えへんかったし」


「……それで、それで?」


 みなとを含め、裕太の話を聞いていたクラスメイト達には、彼が嘘をついているようには見えなかった。


「まあそのあと店出たんやけど、ちょっと気になったから振り返ったんよ。そしたらおばちゃん、「てまりー!」って叫びながらなんか追いかけてて」


「猫でもおいかけとったんちゃうん?」


少し意地悪そうにみなとの隣にいた女子が訊く。


「いや、猫とかそんなんやなかった。足音もおばちゃんのしかせんかったし。それで――」


「おーい、朝の会始めるぞー!」


 裕太の話し声をかき消すように、いつの間にか教室に入ってきていた担任の土井のガラガラとした大きな声が教室中に響き渡った。


「えー、赤松くんの話今ええとこやったのにー!」


「あとで続きやったらええがな」


 土井が隣で同じく話を聞いていた別の女子を諫める声を聴きながら、みなとは話の中に登場した「おばちゃん」の存在が強く頭に残っていた。


――


 その日の放課後、みなとは学校を出た足で裕太が先日行ったという駄菓子屋を目指して、家とは逆方向にあるひなびた商店街を歩いていた。


 ――俺もふらっと立ち寄っただけやから、場所あんまり詳しく覚えてへんけど……


 学校を出る前、そんな台詞とともにノートの切れ端に書いてもらった大雑把な地図を頼りに、店があるというあたりをうろうろする。しかしみなとが方向音痴なのか、裕太が書いた地図が分かりにくいのか、なかなか目的地にたどり着かない。


 一応高学年になって校区外への外出はできるようになったものの、さすがにランドセルを背負いっぱなしでうろつくのは少しまずい。あと荷物を持ったまま歩きどおしだったから、いい加減に足が疲れてきた。


 一度荷物を置きに家に帰ろうと踵を返したその時。


「ああー! てまり!」


 かつての賑わいをなくしたシャッター街に、若い女性の素っ頓狂な声が空を震わすように響く。「てまり」という名前には聞き覚えがあった。


 ひょっとして、とみなとは声の聞こえた路地のほうに向かう。しばらく進むとその奥に「やまぐれ商店」と書かれた古ぼけた看板を掲げた、アニメで見た駄菓子屋にそっくりの店を見つけた。


「今日という今日は許さんからな!」


 先ほどと同じ女性の声が店の中から響く。


 意を決して店の中に入ると、和服姿で色の薄いサングラスをかけた若い女性が、何かを両手の拳骨で挟み込む素振りをしながら何か怒鳴っていた。


 ずいぶん若い気もするが裕太の言っていた「おばちゃん」とは彼女のことなのだろうか。みなとは首をかしげる。


 店の奥には割れたガラスが縁側に散乱していて、その上には和柄の少し小さめのボールが転がっていた。


 そんな様相だったためしばらく店の中に入れずにいると、女性は店の入り口に立っているみなとに気がついたらしい。見られてはいけないものが見つかった、というような顔をして、そのまま固まってしまった。握っていた拳骨も思わずふにゃりと緩む。


「あ……」


 女性が放ったその一言を最後に、二人ともどちらからともなく息を止めていた。ほどなくして電気のついていないやや薄暗い店の中を静寂が包み込む。遠くを走る原付のエンジン音や鶯の囀りだけが、静まり返った店内に気まずい空気とともに流れる。


「あ、ま、また来ます……!」


 悠久にも思えた沈黙を破ったのは、いよいよ居心地の悪くなったみなとだった。みなとはくるりと踵を返して、自分でも信じられないくらいの速さでやまぐれ商店を後にした。

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