山昏神社にて。
飛梅ヒロ
第一章:姑獲鳥
第1話:バレた!
「わたしのとくぎは、ゆうれいが見えることです」
まだ校庭の桜が散りきらないよく晴れた4月の授業参観日。うららかな日差しの差し込む教室の中、おかっぱの女の子は高らかに自分の書いた作文を読み上げた。
得意げな彼女とは裏腹に周りの目――、特に保護者の目は冷たげだった。朗読中にも拘わらずひそひそと交わされる話し声。動揺した視線が飛び交う中、ベージュのジャケットを着た女性は恥ずかしそうに俯いていた。女の子の母親である。
その当時、当の本人に周囲の反応の意味は分からなかった。しかし彼女はすぐに身をもってその意味を知ることとなるのだった――。
――がくん。
頬杖をついた手から頭が落ちる衝撃でやまぐれ商店のうら若き店主、志村あや子は目を覚ました。
そろそろ流暢になってきた鶯の囀りだけが静かに響く表通りに、自分以外誰もいない店内、そして少しだけ傾いて柔らかくなった日差し。どうやら暇すぎるが故に転寝をしてしまっていたようだ。
口の中に若干リンスの味が残って顔の横がベタベタする。鼻先にはメタルフレームのパッドが触れていた。
だいぶ間抜けな格好で寝ていたらしいと少し恥ずかしく思いつつ、よだれのついた髪の毛を縹色のポリエステル生地の袖で拭って、ずり落ちたカラーレンズの眼鏡を直す。
一応何も盗られていないか確認するため、レジ周りとタバコが置いてあるカウンターの裏、ついでに駄菓子や雑貨の置かれたの陳列棚を軽く見てみるたものの、眠りに落ちる前と変わったところはない。
流石みかんの無人販売所がそこかしこにある田舎町といったところか。
それにしても嫌な夢だった。素面の状態ではまず思い出さないであろう記憶。思い返すだけで奥歯がむずかゆくなる。
そんな気分を紛らわそうとして売り物のピースをとろうとカウンターに手を伸ばした瞬間、ガラスの割れる鋭い音が耳をつんざいた。
音のした方に目をやると、店舗スペースと茶の間を隔てる引き戸の昭和型板ガラスが見るも無残に砕け散っていた。傍らには割れて散乱したガラスとともに手鞠が転がっている。その隣では紅色の着物を着た、五、六歳くらいの女の子が青ざめた表情のまま固まってあや子のほうを見ていた。
「ああー! てまり!」
「ち、違うんやあや子、これはちょっと手が滑って……」
あや子の素っ頓狂な叫び声にてまりと呼ばれた女の子は赤いビー玉のような瞳をきょろきょろと泳がせ、おどおどと言い訳をする。
「だから部屋ん中で鞠あそびはやめて言うたのに! どうすんのこれ……」
あや子は頭を抱える。子供の頃からお気に入りだった椿の花が描かれた昭和型板ガラスは今では製造する技術が失われてしまっていて、直そうにも直しようがない。
「……なんや、これくらいおばあの伊万里焼の皿に比べたらこれくらい…… あん時はエラかったなぁあははは」
「私のお気に入りのガラス割っといてそんなんあるか! あと昔皿割ったんお前かい!」
堪忍袋の緒が切れたあや子はてまりのおかっぱ頭をむんずと掴み、両のこめかみに拳を当ててぐりぐりと力を込めた。祖母に伊万里焼を割った犯人と疑われたときの記憶がよみがえり、いつもより力が籠る。
「いたたたたたた! ちょっとは加減せえや、仮にもこの店の守り神やぞ!」
「んな有難いもんちゃうやろ、ええ加減にせえ!」
「ほんま、祟るぞ、このっ! 離せ!」
てまりはぐりぐりと頭に食い込む手を払いのけようとするが、いくらあや子の腕が細いとはいえ、子供程度の膂力では大した抵抗はできなかった。
「もう充分祟られとるわ!」
「……あのー」
守り神を称する割にはただ小憎たらしいだけの少女とそんなやり取りを繰り広げていると、店の入り口にランドセルを背負った人影が立っているのが見えた。どうやら近くの小学校に通う子供らしい。
「あ……」
その人影と目が合い、あや子は思わず手を緩める。その隙にてまりは脱出してしまったが、彼女を追うことすらも忘れていた。
(見られた……!)
すうっと顔から血の気が引いていくのと同時に、昔の記憶がフラッシュバックする。
――実は俺も幽霊見えるんだぜ――、んなわけねーだろ!
何度言われた台詞だろうか。五回を超えたあたりからは数えていない。
――上履き? そんなの知らないよ。お友達の幽霊にでも探してもらえば?
そういった軽いからかいばかりではなく、殆どいじめとしか言いようのないこともされた。
「あ、ま、また来ます……!」
子供らしいやや舌っ足らずな声に、あや子ははっと我に返る。呼び止める暇もなく人影はかなりの速足で学校とは逆の方向に走り去って行った。
行ったことを確認すると、彼女は空気が抜けたようにへなへなとその場にへたり込んでしまった。
――幽霊が見える。そんな他人と著しく違うことを他者にカミングアウトすると迫害されてしまう。
そう学習したあや子は自分の「幽霊が見える能力」を徹底的に隠してきた。たとえその「見えないもの」で誰かが傷つこうと、ときに命が失われるようなことになろうとも。
そうまでして守り続けてきた秘密が、ちょっとした(あや子にとっては全くちょっとしたことではないが)事故で明かされてしまうとは。
「……あの、ごめん」
あからさまに落ち込むあや子を見て、追いかけられまいと身を隠していたてまりも申し訳なさそうに物陰から顔を出し、手をもじもじさせながら謝罪する。
「……もうええよ。今度からは庭でしてよ」
気の抜けたような声であや子はてまりを追い払う。
気まずそうに鞠を回収しておずおずと庭に続く廊下へと消えていったてまりを見届けると、あや子は大きくため息をついたあと、箒とちりとりを持ち出して割れたガラスを片づけはじめた。
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