第3話 生き方
ある日、美幸が家へ帰ると、母の知子がいるのに家の中が真っ暗だった。美幸が玄関の電気のスイッチを付けてリビングルームに入ると、微かに電気ファンヒーターの明かりが見えた。そして、ファンが回る音と部屋の温もりが伝わって来た。美幸はリビングの電気を付けて驚いた。知子が独り、ソファーに腰掛けて思いつめた顔をしているのだった。
「お母さん、どうしたの。電気も付けないで」
「おかえりなさい」
と、知子は気のない声で言った。
「今日も、お父さん遅いの」
「夕食はいいとは言っていたけど。私って、何なんでしょうね」
「お母さん、お父さんと何かあったの」
美幸の父親の順一は大企業のサラリーマンで、経理部長をしていた。結婚して27年になり、両親ともに55歳になっていた。夫婦仲は、特別悪いという事もなかった。美幸の前で大きな夫婦喧嘩をした事はなかった。そして、知子が取り立てて順一を責める事も愚痴を言う事もなかった。
そんな様子を見て来た美幸は、知子の今の変化を不思議に思った。
「お母さん、私、着替えてくるから」
と美幸は言って、2階の自分の部屋へ行った。
「夕食、出来ているわよ」
と言って、知子はキッチンのテーブルに夕食を揃えた。
「いただきます。いつもありがとう」
食事を一緒に食べながら話し出した。
「美幸は休みの時や早い時に、手伝ってくれるし、うれしいわ」
「お母さん、幸せじゃなかったの」
美幸は率直に尋ねた。
「私は、幸せについて改めて考えているの。美幸も仕事で、大勢の人の家庭を見て来ているでしょう。お母さんの子供の頃、夏でも長袖を着るのは数回だった。そして、35年前に北海道の郷里へ帰省した時クーラーがあったのには驚いたわ。それが、この頃になって地球温暖化による異常気象だった事を知ったの」
「お母さん、いろいろ世の中の事考えているのね。女性って、子育てが一段落したとき虚無感に陥るみたいね。簡単に言ってしまうと“空の巣症候群”と言うのでしょうけど」
「人は幸せを求めて生きているのよね。でも、その幸せが分からなくなっているの。大家族から核家族へ変わっていって、幸せを見失っている。お母さんは、3世代10人家族の中で育ったの。東京へ出てくるまで、家で一人きりという事はなかった。6人兄弟でも、両親と同居するのは1人でいいわけだから」
「うちは私一人だから、彼のうちは弟がいるわ。現代は核家族が普通だからどうなるか。仕事でよく考えるのだけど。幸せって、作り上げるのは最終的に家族だと思うの。絶対に、最低親子は3人が関係して始まるのね。
でも、ここから始まり、行き着く所が時代的に変わってきたと思う。それは、自由や束縛の考え方の方向性ね。人間はここに来て戸惑っているみたい。複数で生きる事に。どう対応していいか、ストレスが溜まってしまっているの。自由を得るためにはお一人様が良いという風に」
「人間の自由。これからの老人は、何に生きる目的を持てばいいのか、このあと半世紀もの長い自由時間。年金生活から、ベーシックインカムの世界になるかも。起業家の考えるベーシックインカムは、誰もがチャレンジできるクッションのようなものと言っているけど、コロッセオのような武器をやるから生き残ったものだけ自由にさせてやるというものと変わらないように思えるわ。富の分配なしには、永久に格差は埋まらないでしょう。富豪は、税金を払いたくないのよね。払うのは、心優しい一般庶民なのね」
「自由を持て余すのは勿体無いから、お母さんのために使って。私も、相談にのるからね」
と美幸は言って母を見た。
「ありがとう。いい方向に考えるわ」
と知子は言って、安らかな気持ちになった。
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