第32話 マリー・ゴールド
「こんばんは。私はエルシーって言うの。あなたは?」
訪ねる私に、彼女は微笑みながら名乗る。
「わたくし。マリー・ゴールドと申します。冒険を生業にしていますの」
え!?
「あなた。あのマリー・ゴールドさんなのですか!?」
「どのマリーかは存じませんが、確かにわたくしの名はマリー・ゴールドですわ。それと、わたくしにはもっとフレンドリーに話してほしいのです」
フレンドリーに……良いのかな……でも彼女がそうしてくれと言うのなら、そうさせてもらおう。
それにしても。
マリー・ゴールドという名前で、冒険者で、金髪のエルフとなれば間違いないだろう! 私は興奮する気持ちを押さえきれずヴァルに言う。
「ヴァル! 彼女、伝説の冒険者よ!」
「ああ、そのようだな」
その顔には知っていると書いてあった。そういえばヴァルはずっと昔に一度だけマリーと会って話をしたことがあったんだっけ。
マリーはヴァルのほうを見て、あごの下に指を当てた。
「ヴァルという名前には聞き覚えがありましてよ。丁度、あなたが身に着けているような帽子を被ってはいましたが……クマではありませんでしたわね」
「なら、人違いだろう。あるいはクマ違いかな」
ヴァルはごまかすつもりだ。彼がそうしたいのなら、それも良いだろう。
今、私は憧れの冒険者の前に居る。彼女の本があればサインを書いてもらいたいのだが、その本は鞄ごと紛失してしまった。あの虫男との戦いの時だ。残念だが仕方ない。ならば!
「あの、マリー!」
「なにかしら。エルシー」
私は彼女に手を差し出し、頼む。
「握手してほしいの!」
「そんなことなら、いくらでも」
彼女は私の求めに応じてくれた。お互いに握手を交わし、そのことで私は今、とても嬉しい! と、同時に彼女が薬指に指輪をつけていることに気づいた。それってつまり、誰かと結婚しているということになる。
本や吟遊詩人の唄の中でしか知らなかった伝説的な人物と、私は握手をしている。昨日の私に言ってもきっと信じないだろう。それくらいマリー・ゴールドとの出会いは衝撃的な出来事なのだ。
「ありがとう! 光栄です!」
「握手くらいで喜んでもらえるなら、冒険を続けている甲斐がありますわね」
「そんな! マリーは私にとってのヒーローなのよ」
「なら応援に応えてこれからも頑張りますわ」
マリーは私の顔をじっと見て、訊いてくる。そうして、私たちは手を離した。
「エルシー。あなたはどういう理由でここに来たのかしら」
「ヴァルが見せたい景色があるって言ってて、彼と一緒にその景色が見たかったのよ」
「そうでしたのね。確かに、ここからの朝の景色は素晴らしいものですわ!」
楽しそうにマリーは両手を合わせる。そんな彼女に私は訊く。
「マリーも景色を眺めに来たの?」
「ええ、朝日に照らされたアルマニアの大地はとても美しいのですよ。あなたもきっと気に入るはずですわ」
そんなにか。それは楽しみだ。
マリーは自身の腕に巻かれた時計を確認する。
「まだ、明日の朝までは長いですわね。エルシー。この長い夜の暇つぶしに付き合ってはいただけませんこと?」
「私で良ければ、喜んで!」
憧れのヒーローと一緒に過ごせるなんて夢みたいだ。私は一度ヴァルに顔を向ける。
「良いわよね。ヴァル!」
「お前のしたいようにすると良い。俺は星でも見てるよ」
ヴァルはやれやれといった様子で、なんだか保護者のような雰囲気があった。たぶん彼は私が憧れの人と過ごす時間を邪魔しないように配慮してくれているんだと思う。あとでお礼を言っておこう。
マリーはその場に腰を降ろし、すぐそばを手でぽんぽんと叩く。
「さ、わたくしの横に座りなさい」
「では、失礼して」
私はマリーの横に座る。憧れの人物の隣ってなんだか緊張する。
「なにから話すのが良いかしら」
そう言ってマリーは考えている。なら、私から彼女に質問しよう。
「マリー。あなたはこの場所を一人で見つけたの? それとも誰かから聞いて知ったの?」
「そのどちらでもありませんわ」
どちらでもない。ということは……。
「ここには、ある人と一緒に来たのです。そうですわね……少し、昔話をしましょうか」
それからマリーは語り始める。
「わたくしは、小さなころから、ひとつの場所にじっとしていられる性分ではありませんの。そして子どものころは何も知らなくて、何でも知りたいと思っていましたから、若いうちから東の森を飛び出してしまいました」
「なるほど」
「ええ、それで実は、東の森には、飛び出してから戻って来るまで、しばらくあとになるまで行ったことのない場所も多く存在しましたの。この場所も、そういう行ったことない場所のひとつですわ」
マリーは昔を懐かしむように話を続ける。
「わたくしは、かつての冒険の中である男性と出会いました。彼は異世界人で、わたくしがついていないと心配な人物ではあったけれど、商売の才能を持っていましたの。あの人と一緒にいるうちにわたくしは心惹かれていきました」
異世界人。ということは人間だろう。その人物はおそらく……。
「もうずいぶんと昔のことです。あの人が、君の故郷を見たいと言ったのです。結婚を決めて、わたくしの両親にも会っておきたいと言ったのです。そのころですわ。わたくしがこの場所のことを知ったのは」
「そうだったんですね」
相槌をうった私にマリーは頷く。
「好きな人と一緒に過ごす時間というものはかけがえのないものです。好きな人と一緒に発見したものは強く心に残りますわ。あなたにもきっとそういうものが、たくさんあるのでしょう?」
「いえ、私は……その……」
マリーの言ったことは、たぶん私とヴァルとの関係を示している。ここまでに一度も、そうだとは言っていないのに彼女は私とヴァルの関係に気付いているのだろうか? 彼女は私に顔を近づけ、そっと耳打ちをする。
「あなたの彼氏、変身魔法を使っているのでしょう? シャイですのね」
マリーに、彼氏という言葉をはっきりと使われて、私は耳が熱くなるのを感じた。
そっと顔を離したマリーを私はじっと見ていた。私の口から言葉は出てこなくて、私は顔が赤くなっているのだろうと思える。マリーは私の顔を見てふふっと笑う。
「あなたたち可愛いのね。初々しくて素敵ですわ」
「――か、からかわないでください」
「ごめんなさいね。でも、素敵と言ったのは本当ですのよ。あなたたちはきっとこの先、多くの発見をするでしょう。一人でいるより二人でいるほうが、多くの発見ができるものです」
「そんなものかな?」
「ええ、そうでしてよ。素敵なあなたたちに、素敵な発見がありますように」
その後も、私とマリーは色々な話をした。たとえば数々の冒険だとか、マリーと夫との出会いだとか。
とくに興味深かったのは、彼女が出している本についてのことだ。
「わたくしは夫の……ナオトのことを多くの人に知ってもらいたくて、初版には彼のことをよく書くのです。でも出版元の……そこを管理している友人が第二版から彼のことを削ってしまうのですよ。彼はシャイで、生前彼は自分のことをなるべく表に出さないようにしてほしいと言っていたからって、酷い話でしょう?」
実際は、今のマリーの手柄として伝えられていることのうち何割かは、彼女の夫がしたことなのだという。マリーが世界各地に開いたとされる多くの料理店も、実は夫が開いたものなのだとか。マリーはそれを引き継いだだけなのだ。他の人が言っていたら、私は信じなかったかもしれないが、他ならぬマリーが言っているのだ。流石に信じる。
そうして話をしているうちに朝が近づいてきた。
月が沈み、太陽が昇る。
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