第30話 蜂竜の宮殿

 球形の巨大な巣。私は蜂竜の宮殿と呼ぶがその入り口は球形の上部に存在した。入り口は大きく、蜂竜が入ってもつっかえない。まあ、この子の巣なのだから、それはそうだ。


 宮殿の内部は柱のようなものが幾何学的な形で連なっていて、私たちは内部を下降していく。下方から甘ったるいと言えるほどの甘い匂いが漂っているのが分かった。ヴァルが蜂竜につないだ手綱を操りながら下方を指さして言う。


「エルシー。蜂竜の背から顔を出して下の方を除いてみろ」

「下?」

「ああ、下だ」


 ヴァルに促されて下方を除いた。すると、そこには黄金色の泉が存在した。いや、泉ではないか。あれは全て蜂蜜なのだ。


「凄く綺麗ねー!」


 私は興奮しながら下方の黄金色と、近くのヴァルとを、交互に何度も見た。彼は手綱を操りながら、楽しそうに瞳を輝かせていた。


「着水するぞお! 落ちるなよお!」


 蜂蜜の上に落ちるということを着水と言うべきかには疑問が生じたが、それについては黙っておく。それより、私は蜂竜の背から振り落とされないよう、その体毛にしがみつく。


 直後、なんだか不思議な感覚があった。確かな衝撃なのだが、それは硬い場所に着地をするのとは違い、普通の着水とも違い、例えるならば柔らかさを感じるものだ。巨大な蜜の上に落ちるとはこういう感覚なのかと、私は初めて知った。


 そして、私は宙に跳ね上がる大量の蜂蜜を見た。巨大な波のようにも、噴水のようにも見える黄金色は、間違いなく、この世界樹の中でしか見られない光景だろう。


「エルシー。くれぐれも落ちるなよ。落ちても助けてはやれるが、下に広がるのは底なし沼のようなものだ」

「黄金色の底なし沼ね」

「そうだな」


 ヴァルは嬉しそうに笑う。今の彼にはなんだか活力があった。スタミナが有り余ってるとかそういう訳ではなく、彼の心に何かの燃料が投入されているような、そんな印象を受ける。何かが、今の彼を突き動かしている。嬉しくて、嬉しくて、体が自然に動いているみたいな感じだった。


 跳ね上がっていた蜂蜜はやがて小さな波のようになり、最終的に落ち着いた水面のようになる。だが、そこを覗き込んでも私の顔はよくわからなかった。澄んではいない。


 私はヴァルを見る。彼は空間魔法を使って大きな瓶を取り出していた。彼の手と比べてもそれなりの大きさに見えるので、結構なサイズの瓶だ。彼はうきうきした様子で、私の側へ寄って来る。


「さあ、蜂竜の蜜をくんでみよう。一緒にやるか?」

「そうね、一緒にやってみましょう」


 蜂竜がゆっくりと蜜の中へ沈んでいき、その背から、私の手が蜜へ届くようになる。


「俺の言うとおりにやってみろ」

「ええ」


 ヴァルは私に瓶を両手で持つように言う。そのまま彼の指示に従って瓶の口を下に向ける。彼は、私に瓶をしっかりと持っているように念押しをしてから魔法の呪文を唱える。


「ポンプ」


 その魔法によって、落ち着いていた蜂蜜がゆっくりと縦に伸びていく。それは瓶の中に吸い込まれていき、ほどなくして瓶の中を満たした。下を向く瓶の口から黄金色の液体が漏れることはない。ヴァルの魔法のためだろう。


「何度見ても凄いわね。あなたの魔法!」

「そうだな」


 私は瓶をひっくり返して、体を後ろに倒した。それをヴァルの体が優しく支えてくれる。ふかふかでごわごわな体毛が触れていて気持ち良い。


 背後にヴァルの感触を覚えながら、私は彼の顔を見上げた。彼も私を見下ろしていた。


「充分な蜜が採れたわね」

「ああ、一緒に焼きリンゴを作ろう」


 私は「そうね」と返して、ヴァルは嬉しそうに笑っていた。


 その後、私たちは蜂竜の宮殿から少し離れた位置へ移動した。流石にあの巣の中では甘ったるい匂いが強すぎる。甘みを感じる舌の感覚がマヒしそうなくらいに、甘ったるい匂いが漂っていた。そのため、私たちはそこを離れたのだ。


 蜂竜の体に沢山ついていた蜜はヴァルが魔法で綺麗にした。そうしなければ、蜂竜が歩き回るだけで、あちこちに粘性の高い液体が散らばることになるからだ。それは私たちとしても良い気がしない。


 私は前に作ったのと同じように焼きリンゴを作り、そこに蜂竜の蜜をたっぷりとかけた。その味はあまりにも甘くて、なかなか食べきるのが大変だった。何事も過剰なのは良くはないと学ぶことになった。


 ヴァルも蜂竜の蜜には困った顔をして「これは甘すぎるな」とぼやいていた。そんな甘すぎるくらいに甘い蜂竜の蜜もヴァルの体を変化させることはなかった。


 私は、ヴァルがどんな顔をするのか、その時まで分からなかった。蜂竜の蜜がたっぷりとかかった焼きリンゴを食べて、その時に彼がどんな顔をしているのか予想できなかった。そして、彼は焼きリンゴを食べきった時、自然体な顔をしていた。あまりにも自然体な顔で、なんだか拍子抜けしてしまう。


「まあ、こんなものだろうな」


 そうヴァルは言った。その時の彼は嬉しそうでもなく、あまり悲しそうでもなかった。その顔は現状に満足しているという感じに見える。


「ヴァル」

「良いんだよ。これで」


 そう言ってヴァルは立ち上がった。そうして彼は私に手を差し伸べる。


「エルシー。お前に見せたい景色があるんだ」

「見せたい景色って?」

「すぐに分かるさ」


 いたずらっぽい笑みを浮かべる彼の手をとり、私も立ち上がった。

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