第29話 蜂竜の蜜
瞼を開けた私の目に映ったのは、私を覗き込むヴァルと蜂竜の姿だった。
「ほわっ!? 蜂竜!?」
「いたっ!?」
驚いた私は勢い良く頭を上げて、それがヴァルのあごに当たってしまう。ヴァルはあごを痛そうにさすり、私のほうは頭をさする。とはいえ、ヴァルの顔はクマらしくふかふかでごわごわの毛におおわれていたから、私のほうはあまり痛くはなかった。
私はヴァルと蜂竜とを交互に見る。ヴァルは嬉しそうな表情をしていて、蜂竜は不思議そうに首をかしげていた。あまりにも気になることが多すぎる。
「ここ何もないけど、どこ!? なんで蜂竜がここにいるの!? それにヴァル、あなたクマのままなの!?」
まくし立てるように喋る私に対し、ヴァルは「落ち着け」と優しく笑う。
「純に説明してやる。だから落ち着け」
「……う、うん」
落ち着いて口を閉じる私に、ヴァルは「ともかく」と言ってから。
「お前が無事でよかった。秘蔵の薬を使ったかいがあるというものだ」
「秘蔵の薬?」
「ああ、そのことにも答えてやらないとな」
ヴァルは空間魔法を唱え、空の瓶を取り出す。瓶には布が巻かれていて、その布には墨か何かで『エリクサー』と書かれていた。
「またお前が死にかけてたから、昔作った秘蔵の薬を使ったんだ。まったく、これの素材は滅多にそろわないんだぞ」
そう文句を言いながらも、ヴァルの表情は嬉しそうだ。
「そう、なのね。ところでヴァル。これを飲ませた時に、あなた私にキスをした?」
「さてな。俺も焦ってたから、どうだったか覚えてないな」
「そうなの?」
「……ああ、そうだよ」
ヴァルは恥ずかしそうに顔をそらす。その反応を見て、彼が私にキスをしたという事実は明らかだった。怒らないのだから正直に白状すれば良いのに。
「まあ、良いわ。それで、ここはどこ?」
「そのことについて答えよう」
私は改めて辺りを見回した。私の視界には世界樹の中の景色が広がっている。足元に硬くて大きな枝がある他、周囲には何も無い。いや、私とヴァルと、なぜか蜂竜は居るのだが。とにかく、物がない。
「昨日まで居た場所には魔蜂の死体やら虫男の死体が転がってるし、キャンプにあった物のほとんどは先頭の余波で無くなってしまった。ここはその地点から少し離れた場所だ」
「そうなのね」
私は景色を眺めているうちに、魔蜂の死体が転がっている場所を見つけた。辺りには多くの虫たちが飛び回っているのだろうか。何か小さな生物の群れがここからでもはっきりと認識できた。
「辺りにはアバドン……あの男が操っていた小さな虫たちが飛び回ってた。まあ、あまり気分の良い話ではない。これはやめておこう」
おそらくだが、ヴァルがその話を詳しくはしたがらない理由は分かる。あの場所に居る小さな虫の群れは、魔蜂や、あの男の死体を食っているのだろう。それはあまり気持ちの良い話ではない。
「分かった。話を進めて」
「了解だ」
ヴァルは頷く。
「そういうわけで、今の俺たちは何も無いが安全な場所に居る。蜂竜の護衛もあるしな」
「あ、そのことよ! 蜂竜のことも教えてよ! どうしてこの子が味方になってるの?」
「簡単なことだよ。エルシー」
そう言ってヴァルは黒くて長い爪をピンと立てる。
「虫の男が操ってた蜂竜を、今度は俺の魔法で操ってる。それだけだ」
「……なるほど」
私は蜂竜を見る。蜂竜も私を見て、首をかしげていた。虫男に操られて、今度はヴァルに操られて、この子に自由意思はないのか。いや、首をかしげてる辺り自由意思はあるのか。でも、ヴァルには逆らえないようにされているんだろう。でも、そのほうが安全か。
「相手を操る魔法ってどんなものなの?」
「苦痛を与えたり、精神を完全に制御する魔法なんかもあるが……俺が使うのは凶暴性を失わせて、素直にさせる魔法とでも言えばいいか。単純な精神をした生物しか操れないのがネックだな」
「じゃあ、人間なんかは操れないの?」
「できたら、その魔法でさっさと虫の男を大人しくさせてたさ。それに、この魔法は一度に操れる生物が一体に限られるからな。使いにくい魔法だよ」
ヴァルは肩をすくめた。ここまで彼の話を聞いて、だいたいの知りたいことは分かった。でも、もうひとつ気になることがある。
「ヴァル。あなた私とキスした時、エルフに戻ってたでしょ!?」
「だから、キスしたかどうかは覚えてないって言っただろ」
「あなたがそう言うなら、そこは良いけど、でもあなたエルフに戻ってたんじゃないの!?」
「いいか。エルシー」
ヴァルは頬を掻きながら私を見て、それから私に言い聞かせるようにこう言った。
「俺がエルフの姿に戻ったと思ったのなら、それはお前が見た夢だ」
「夢……かしら?」
そう言われると夢だったような気もする……でも。
「あなた……何か隠してない」
「か、勘ぐり過ぎだぞ。エルシー」
ヴァルは焦ったように顔をそらす。彼の表情は恥ずかしそうにムズムズしているように見えて、彼が私に何かを隠しているのは明らかだった。それはたぶん彼の、恥ずかしいという感情からだ。
恥ずかしがらず、隠していることを言ってくれても良いように思うが、彼がまだ隠していたいというのなら、今はそうさせておこう。急がずとも、そのうち彼は隠していることを明かしてくれる気がする。信頼というか、彼ならそうしてくれるという予想ができた。
気になっていたことは分かった。なんだかほっとして急に、自分の喉が渇いてることに気付いた。それに、お腹もすいている。
「ヴァル。何か口に入れるものない?」
「食べ物ってことか?」
私は頷く。
「今すぐに食べられるのはこんなものしかないが」
そう言ってヴァルは果物を出してくれた。私はそれを貰う。リンゴをかじり、喉の乾きと飢えを満た……すには足りないので他にもミカンとブドウを貰った。
「……ごちそうさま。ところで、これからどうするつもり?」
「まだ休んでたほうが良いんじゃないか?」
「私なら大丈夫? ヴァルは蜂竜の巣に行きたいんじゃなかったの?」
「……そうだな。お前さえよければ、もう少し休憩してから出発しようかか。今は蜂竜に乗って移動できる。足を使う必要はない」
「それは楽で良いわね」
私たちは一時間ほど休憩した。腕時計を確認する。時刻は十八時といったところか。
ヴァルが言うには、蜂竜に乗っていけば目的地までそれほど時間はかからないそうだ。ならば、そろそろ出発しよう。
「行きましょう。ヴァル」
「そうだな。出発しよう」
私たちは蜂竜の背に乗る。その時、ヴァルが私を手伝ってくれたので、手間取ることはなかった。蜂竜の背は意外とふわふわした毛に包まれていた。ヴァルの毛よりも触り心地が良いかもしれない。
二人で背に乗り、ヴァルは呪文を唱えて光の手綱を呼び出す。それが蜂竜がかけられて、ヴァルは蜂竜に命令する。
「さあ、動け!」
蜂竜が動き出す。その背から振り落とされないよう、しっかりとヴァルに掴まった。黒い毛はふかふかでごわごわで、触り心地はそこまでかもしれないが、私の好きな手触りだ。
私たちは空を行く。目的地は蜂竜の巣。そこにある蜂竜の蜜を使って、世界で最も甘いものを作るのだ。
空を飛んで移動すると、自分の足で歩くよりもずっと速い。ほどなくして、目的の場所が見えてきた。
「魔蜂たちは蜂竜の巣に集まっていると思っていたから、奴らの気配の集まる場所に蜂竜の巣があることは確信していたが、しばらく見ないうちに大きな巣が出来ているな」
ヴァルは大きな巣と表現した。それは見事な球形で、優れた造形の建築物のようにも見えた。巣と呼ぶより、蜂竜の宮殿とでも表現するのが正しいように思えた。
この巣の中にある蜜は、どのような甘みなのだろうか。今から、その味が楽しみだった。
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