第28話 小さな奇跡と虫男の最後
状況を確認する。
今、私の周りに存在する敵は六体の魔蜂だ。私はももにダメージがあり、動き回ることはできない。故に、取るべき作戦はこうなるだろう。
ももの感覚がにぶくなっている。それでも、転がるように移動するくらいのことは可能で、銃を構えて撃つこともできる。最低限の動きで最も近くの魔蜂を攻撃していく。魔蜂の動きを見ながら、適切に相手へのカウンターを叩き込んでいく。私にできるか?
魔蜂たちは、もったいぶるようにゆっくりとした動きで私に迫って来る。虫の男の命令だろう。ゆっくりといたぶって、私が苦しむところが見たいのだ。相手は完全に私のことを見くびっている。だからこそ油断があり、私が生き残る可能性が存在するはずだ。
落ち着け。ヴァルとの訓練を思い出せ。落ち着いて動けるはずだ。
ライフル銃に弾を込め、構える。魔蜂をしっかりと狙い、引き金に指をかける。
魔蜂は私の動きを観察するようにしながら近づいてくる。私が引き金を引いて瞬間に、こいつは加速するつもりだろうか。銃弾を避けるつもりか――それとも――いや、私が今やるべきことは変わらない。
私は引き金を引いた。同時に――魔蜂が回避を試みる――だが、その動きは予想済みだ。直後、魔蜂の頭部が弾け飛ぶ。まずは一体。
すぐにも次の魔蜂が迫って来る。さっきよりも動きが速くなった。私のライフルには弾が五発装填可能、一発撃ったから残り四発、魔蜂の数は残り五体、どれだけ上手く銃弾を撃ち込んでも、一発は装填し直さなければならない。が、装填のことを考えるのは後だ。
やってやる――やってやる――やってやる!
魔蜂たちの動きを正確に見定める。優先して撃つべき相手を選択し、銃弾を叩き込んでいく。その時、私はハイになっていた。いつもよりはっきりと魔蜂たちの動きが分かる。例えるなら、粘性のある液体の中を動いているかのように、魔蜂たちの動きをゆっくりに感じる。
それは極限の状況にあるためか、突然に私の才能が目覚めたのか。そんなことはどうでも良い。今の私の状態なら、魔蜂たちを倒せる!
一体目の魔蜂は先程倒した。二体目、三体目、魔蜂たちが倒れていく。四体目、そして――五体目。やった――魔蜂を五体まで撃ち殺した。これならば!
刹那、何かが私の視界を通り過ぎていった。小さくて、魔蜂たちより速くて、確認することが難しい何か。だけど、それは確かに存在して、何かをしていった。
バラバラと何かが零れ落ちていく音がした。私は音のした場所を見る。腰のポーチを見る。バラバラと、弾が落ちている。弾が足元を転がっていく。魔蜂の死体の上から、多くの弾が転がり落ちていく。
一瞬のことだった。私は落ちていく弾たちに意識が向いてしまった。それが大きな判断ミスだと気づいたのは腹部に貫かれる感覚があった時だ。
魔蜂の大きな針が、針と言うには大きすぎる、大男の腕ほどもありそうな針が、私の腹を貫いていた。
あ……死んだ。ももからも出血していた体なのに、腹にも大きな穴が空いてしまった。これは死ぬ。すぐには死なないが……私の体は確実に死へと向かっていた。
魔蜂が私に刺さっていた針を引き抜いた。以前は、私の腹を貫いた魔蜂は、それで満足してどこかへ飛んで行ってしまった。だが、この魔蜂は……虫の男の命令を聞くこの魔蜂は私をゆっくりとなぶり殺すのだろう。
私の上に、魔蜂の巨躯が見える。そいつは……何をしている?
魔蜂に腹を貫かれた今も、私が見る世界はゆっくりと動いていた。それが逆に残酷なことのように思えた。
手で辺りを探っても、弾丸を掴むことができない。もしかしたら、弾丸は全てどこかへ転がり落ちてしまったのかもしれない。せめて弾丸があれば、一矢報いることができるのに。それすらも私には許されていないようだった。
視界がかすむ。悔しい。体の感覚が失われていく。悔しい。このまま殺されることが悔しい。せめて弾丸を、弾丸があれば。視界もおぼつかないのに、死が迫っているのに、私は弾丸の姿を強くイメージすることができた。最後に考えるものが弾丸か……それは何故だか間抜けなことのようにも思えた。
私は強く弾丸が欲しいと願った。そう願ったからか、ふと私の手の平に、ある感触を覚えた。何かが私の手の平から生まれる感覚があった。私は力を振り絞り、その手を私の目の前までもってきた。
何かが、青白く光っていた。それはとても小さくて、弾丸のようで、紛れもなく私が生み出したものだった。私の……魔法だった。
その青白い光を見ていると、諦めかけていた私の体に力が湧いてきた。もう、まともに動けないような、ゆっくりと死を待つだけの体のはずなのに、不思議と、私の体は動いてくれた。
手の中の光を銃に込め、構えた。そして、引き金を引く。
私の上に居た魔蜂が弾けた。体の一部が弾けたのではなく、魔蜂の全身が弾けたのだ。
ほどなくして、私の耳に声が届いた。虫男の慌てふためく声だ。
「そ、そんな!? 何をした!? 今のは魔法か!? 俺の知らない、なんだそれは!」
男の慌てふためく声が私には愉快だった。さっきまで感じなかったはずの男の気配を少し離れた場所に感じることができる。私には、もう力は残っていないが。
「ありえない! みとめない! お前みたいなやつが僕の知らない魔法を使うなん――」
私の上を青い閃光が走っていくのが見えた。その光はヴァルが使う女神の弓の魔法を思わせた。実際、そうだったのかもしれない。その光が見えた後、虫男の声は止まり、気配は動かなくなった。
私は視界が真っ暗になっていた。最後に見えたものは青い閃光で、最後に聞いたのは虫の男が慌てふためく声だった。閃光は美しかったし、男の声は愉快だった。なら、悪くはない最後かもしれない。ひとつだけ心残りがあるとすれば、ヴァルのためにもう一度だけ、焼きリンゴを作ってあげたいと思った。
ゆっくりと時間が経過していくのが分かる。まるで、私の体と魂が、この世から消えてしまうこと惜しんでいるかのようだ。
遠くに何かが着地するのを感じた。誰かが私の元へ駆けて来る。そして、私の体に何か暖かな感覚があった。それは、いつかヴァルが私のためにかけてくれた治癒の魔法と同じもののように思える。でも、その光は弱弱しく、私の体を治癒するには足らなかった。
「……シー……エルシー!」
それは紛れもなく私が良く知るクマさん。ヴァルの声だった。ああ、彼は私の元に来てくれた。それがたまらなく嬉しい。でも、彼の声は泣きじゃくる子供のようで、その声を聞くと私も悲しくなった。
彼は再び治癒の魔法を試みた。だけど、彼の魔法は私の体を直してはくれなかった。彼は虫の男や多くの虫たちと戦うために、たくさんの魔法を使っていた。きっともう、彼にはほとんど魔力が残っていないのだ。彼の魔力が回復してくれるまで、私の体は持たないだろう。
彼は別の魔法を唱えた。治癒の魔法を使うほどの魔力が残っていなくても、その魔法を使う程度の魔力はの残っているのだろうか。ほどなくして、私の口に何かが当たった。冷たくてガラスのような何か。彼が私に何かを飲ませようとしているのが分かった。たぶん、薬のような何か。でも、私の体には、それを飲むだけの力も残っていない。
私の頬に水滴が当たった。それは零れ落ちた薬なのか、ヴァルの涙なのか、私には判別できなかった。
このまま死ぬんだと思った。最後にヴァルが来てくれて、私の名前を読んでくれたから、それでも良いと思った。ごめんね。ヴァルのために世界で最も甘いものを作ってあげたいと思ってたのに、できなかった。
もう、いいよ。そう思って、私は諦めていた。
でも、ヴァルは諦めていなかった。
不意に、私の唇に触れるものがあった。それはふかふかで、ごわごわしているようにも感じられて、普通に生きていたのでは決して感じられないであろう感触。
ヴァルが口移しで、私に薬を飲ませようとしているのだと思う。まるでひな鳥に餌を与える親鳥みたいに、私に薬を与えようとしている。
私、お腹に穴が開いてるんだよ。薬を飲んで、ちゃんと効いてくれるかな。そんな風に感じながら、舌に感じる味はとても苦いものだった。せめてもう少し甘かった良かったのに。甘さからは遠く離れた味だ。
そんな風に考えていた。その時、奇妙なことが起こった。私の口に当たる感触が奇妙に変化していくのだ。ヴァルの毛むくじゃらのはずの口から、毛が失われていくように思えた。ヴァルの口の形が、変わっていくようにも思えた。クマの口から、人の口みたいに。
その奇妙な感触を覚えながら、私の意識はゆっくりと暗闇の中に溶けていく。
それから……どれほど眠っていただろう。
私の意識が覚醒し、目を開けた時、私は驚き戸惑ってしまった。それほど私が見たものは衝撃的なものだった。
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