第18話 憧れから始まった物語

 夕食までの休息の時間。私は本を読んでいた。ヴァルが私にプレゼントしてくれた一冊、タイトルは『南の山の冒険記』だ。本は第二版と書かれていた。マリーの冒険を記した本は初版以外、彼女の活躍をより誇張して書かれているらしいので、その点は困りもの。悪いのは冒険記を書き直した人物だ。


 この冒険記を書き直したのはナオトという人物だと聞いている。その人物が、いったいどうしてマリーの本の内容を書き直したのか理由は知らない。でも、ナオトという人物のせいでマリーの正しい実像が分からなくなってしまっている。その点で私はこの人物に対して良い印象を抱けない。


 また、後の冒険記も、とあるエルフによって第二版以後は書き直されている。それほどまでにマリーの冒険は書き直されなくてはならないのだろうか。


 それでも、私はマリーの冒険が好きだし、南の山の冒険記も楽しんで読めている。


 本の内容は、著者マリー・ゴールドが冒険を初めて五十年が経過したころ、愛犬や人族の相棒と共にユーロン大陸の南にあるドワーフの国での冒険が書かれている。


 古代の遺跡を訪れ、ドラゴンと戦い、恋人と共に料理の店を開いたと書いてある。実際、マリーたちが開いたとされる料理店は世界各地に存在し、そこでは世界中の料理を食べることができる。もちろん異世界から伝えられた料理もある。マリーが旅をして知った多くの料理を世界中の店で食べることができるのだ。


 マリー・ゴールドは伝説の冒険者であると同時に、世界中に存在する料理店のオーナーでもある。そんな彼女の活躍は私も昔から、書物や吟遊詩人の歌で見聞きしてきた。


 私はきっと、冒険者マリーへの憧れから、冒険と料理を夢見るようになった。そして今、こうして私はダンジョンで冒険をしながら料理を作る日々を送っている。


 それにしても、マリーに相棒がいたとは意外だった。南の山の冒険記での出来事は、今から数百年前の出来事であり、その時期の彼女にはまだ相棒が必要だったのかもしれない。少なくとも、この出来事の後、百年後の彼女の活躍を称える吟遊詩人の歌に、相棒の存在は出てこない。後にも先にも、マリーに相棒が居たのはこの本に書かれていた時期なのだ。


 相棒とは誰だろう。もしかしたら、南の山の冒険記の初版になら相棒の名前が書かれているかもしれない。でも、私はその初版を持っていないし、マリーの本はなん百冊もあるとされ、そのうちのほとんどは初版を手に入れるのが難しい。


 相棒か。


 本を読み終えて私は考える。今の私にとって相棒と呼べる存在……それはヴァルだろう。だけど……私は彼のことを相棒として以上に意識している。そう、それは……。


「エルシー」


 不意に声をかけられて、私の体はびくりとはねた。振り返ると、そこにはヴァルの姿があった。


 私は椅子から立ち上がり彼の姿を眺めた。黒くてごわごわした毛で覆われている。トンガリ帽子を被る変わったクマ。彼にこのような感情を抱くのは変な話なのかもしれない。だって、私たちは異なるものなのだから。でも、彼がクマの姿からエルフの姿に戻れたら、その時……私はどうするだろう。本当のエルフの姿の彼になら……私は……。


「エルシー。何をぼうっとしている?」


 ヴァルに再び声をかけられてハッとする。


「ちょっと考え事をしていたの。それと、あなたがくれた本。読んだわ。面白かった」

「それは良かった。プレゼントした甲斐があったというものだ」


 嬉しそうな表情でヴァルは頬を掻いた。彼が喜んでくれると私も嬉しい。


「それで、ヴァル。どうしたの?」

「ああ、ちょっとな。必要な物を思い出したから市場へ買い物に行ってくる。お前に留守を頼んでも良いな?」

「良いわよ。ついでに、私からお使いを頼んでも良い?」

「おつかい? お前も必要な物を思い出したのか?」

「思い出した。というより、思いついた。というべきかしら」


 実際、それは今、思いついたのだ。


「パン粉と卵を買ってきて。今の私たちにはそれが必要よ」

「それはつまり、夕食に必要な物を買ってきてくれということか」


 私は頷く。


「買ってきてくれる?」

「了解した。買ってこよう」


 そうしてヴァルはキャンプ場から水辺の市場へと向かって行った。彼が買い物を終えて戻ってきたら、夕食の準備を始めよう。それまで、私はもうちょっと、ゆっくりと過ごしていよう。


 読み終わった本を鞄に戻し、私は椅子に座り直す。そうして目を閉じ、のんびりとしているうちに、うとうとし始める。


 やがて、まどろみ、私は夢を見る。夢を見ているのだと理解できた。


 その夢の中で、私はまだ子どもだった。長いエルフの生の中で、子ども時代というものは相対的にとても短い。私は家の厨房で祖父と共に料理を作っていた。


 祖父は私のために、よく料理やおやつを作ってくれた。夢の中の父が困ったような顔で笑う。


「マリーはたくさん食べさせても、成長しないから心配だ」

「私もすぐに成長するよ。お爺ちゃんの背なんかすぐに追い抜くよ」

「そうだと良いんだが」


 私の祖父は異世界人だ。私には四分の一、人間の血が……それも異世界人の血が流れている。だから私は生まれつき魔法が使えない。そのことで私は祖父を憎んではいない。私は祖父が大好きだし、彼から教えてもらった、いろんな料理やおやつも大好きだ。


 夢の中の厨房で、私と祖父はフレンチトーストを作った。フレンチ、というのは異世界の土地にちなんだ名前らしい。祖父はこの世界へやってくる前、その名前の由来となった土地で暮らしていたそうだ。


 祖父は異世界から、私たちの世界にやって来て、この世界のあちこちを旅したと言う。楽しい旅だったそうだ。まるで、マリー・ゴールドの冒険のような。


 幼い私は祖父に尋ねる。


「マリーってどんな人?」

「おじいちゃんは直接会ったわけじゃないんだけどね。この世界のあちこちで活躍した凄い冒険者だったそうだよ。今はどうしているか知らないが、かつては沢山の冒険をして、彼女のことを今でも沢山の人が知ってる。凄いことだよ」

「凄いことなの?」


 私に尋ねられて祖父が嬉しそうに笑った。


「凄いことだよ。彼女は優れた冒険者で、沢山の料理店のオーナーなんだ。実はね。ここだけの話だけど、おじいちゃんはそんなお店の一つで働いていたことがあるんだ!」


 自慢気に話す祖父だったけど、そこで話に入って来る女性が居た。彼女はエルフで、私の祖母に当たる人物だった。


「そうは言うけど、あなた。料理長でもなんでも無かったじゃない」

「それでも、僕はマリー・ゴールドの店で働いてたんだ」

「彼女の店だけなら、世界中にあるでしょうに……でも、あなたが、その店で働いていたおかげで、私はあなたと出会うことができた。娘もできたし、孫もできた。マリーに感謝しないといけないわね」


 そんな、祖父母の会話を聞きながら、幼い私はマリーという人物に憧れていた。いつかマリーのように冒険をして、マリーのように料理のお店を持ちたいと思ったのだ。


 やがて、しだいに夢の輪郭が崩れるように、映像がぼやけていく。祖父母の会話も遠くなっていき、変わりに誰かの声が聞こえてきた。


「……シー……エルシー」


 それはヴァルの声だった。眠りから覚めた私をヴァルが心配そうに見ていた。


「あら、ヴァル。おはよう」


 そう言った私に対してヴァルはため息をつき。


「寝るならテントの中で寝ろ」


 心配そうに言うのだった。


「いや、起きましょう。ちょっと眠っちゃったけど、おかげで頭がすっきりしたわ」


 私は伸びをして、それからヴァルに確認する。


「あなた。必要な物は買ってきてくれた?」

「もちろんだ。ちゃんと注文された物は買ってきたぞ」

「ならばよし!」


 私は頷いて早速、夕食の準備を始めるのだった。

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