第17話 大好物の焼きリンゴ

 私とヴァルは水辺の市場から少し離れた地点にキャンプを設置した。人の集まっている場所の近くだが、ヴァルは念の為と言って魔除けの結界を張っていた。


 一仕事を終えたヴァルがぐっと体を伸ばす。ただでさえ大きな体が、より大きく見える。


「今日はここで休息しよう。明日の朝から、さらに上層を目指して進む」

「目的は蜂竜の巣、そこにある蜂蜜ね」

「そうだ。蜂竜の蜜を手に入れる」

「でも、その前に試すべきことがあるんじゃない?」

「ああ、そうだな」


 元々ヴァルはツリーマンの果実を求めて彼らの群生地へ行ったのだ。なら、まずはそれらの果実を口にするべきだろう。


 ヴァルは手で何かを摘まむような形を作り呪文を唱える。


「チョイス」


 するとヴァルの手元にぶどうが現れた。彼はその房を一口で食べてしまう。なんとも、豪快というか、雑というか。私と出会う前の彼の食生活の様子を垣間見たような気がした。


 ヴァルは口をもぐもぐと動かし、口の中にあるものを喉に通すと、再び呪文を唱える。そうして彼は次々に果実を取り出し、それらを丸ごと食べてしまうのだった。


 一通りの果実を食べ終わったヴァルは残念そうに肩をすくめる。


「……まあ、こんなものか。呪いを解くには至らなかったな」

「ヴァル……」

「なんだ?」

「リンゴをひとつ頂戴。調理してあげるから」

「分かった」


 ヴァルが呪文を唱え、出現したリンゴを私は受け取る。


「それで、何を作るんだ?」

「さっきもちょっと話してたけど、焼きリンゴを作ってあげるわ」

「了解だ。手伝えることはあるか」

「ええ、かまどに火を起こしてほしいわ。その間に私はリンゴを切っちゃうから」


 そういうわけで調理開始だ。鞄から必要な物を取り出して準備完了。


 まずはリンゴを切っていく。最初に二等分にし、さらに二等分。これで今は四等分だ。今回、リンゴの皮は向かない。


 リンゴを四等分にしたら芯を切り取る。そうしたらさらに等分していき、最終的に十二等分のリンゴにする。


「随分細かく切るんだな」

「そうしたほうが熱が通りやすいから」

「ふぅん。こっちはかまどの準備を終わらせた。次はどうするんだ?」

「任せて。美味しい焼きリンゴを作るから」


 フライパンの上にバターを置き、かまどの火で加熱する。充分にバターが溶けたら、次はリンゴを並べていく。十二等分のリンゴなので綺麗な円形になる。


 リンゴにバターを絡めながら、焼いていく。リンゴの片面に火が通ったら、砂糖をかけ、焼き色がついてきた辺りで裏返す。そうしたら、もう片面にも砂糖をかけて焼いていく。焦げやすいので、火加減には注意が必要だ。


 リンゴの様子を見て、両面に充分な熱が通ったら完成だ。かまどの火を消し、皿の上に焼きリンゴを盛りつける。皿の上から香る甘い匂いが食欲をそそる。


「さあ、焼きリンゴの完成よ!」

「良い匂いだな」


 黒い鼻をピクピクと動かすヴァルは、ちょっと間抜けで可愛く見えた。では、いただくとしよう!


 私とヴァルはそれぞれの手にフォークを持って、焼きリンゴを刺した。よく熱の通ったリンゴはすんなりとフォークを受け入れる。


 口元に運んだリンゴに息を吹きかけ、食べてみる。


「うん! 我ながらよくできてるわ!」


 私の口の中いっぱいに甘みが広がる。砂糖を多めに使ったこともあって、ちょっと甘みが強すぎるんじゃないかと思えるくらいだ。でも、その強い甘みがダンジョンを探索して疲れた体にはよく効いた。総評すると満足できる味だ。


 ヴァルの方を見ると、彼も満足そうな顔をしていた。彼は私を見て「こいつは美味い」と言ってくれた。


「美味いぞ。お前が作ってくれた三つ目の美味いものだ」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。作ったかいがあったというものよ」


 ヴァルは立ち上がり、数歩下がる。そして私に全身を見せるように、くるりと回って見せた。


「俺の体に、どこか変化は出ていないか?」


 期待のこもった様子でヴァルは訪ねてきたが、残念ながら彼の体に変化は見られない。


「いえ、ヴァル。残念だけど」

「そうか。これほど美味くて甘い物なら、俺の呪いを解けるかもしれないと思ったが」

「甘みが足りないのかしらね?」


 これでも充分に甘いように思えるけど。


「なら、エルシー。お前は、どうすれば良いと思う?」


 ヴァルに訪ねられて、私は考えてみる。とはいえ、ちょっと考えたくらいでは画期的なアイデアは思い浮かばない。出てくるのは月並みなアイデアだけだ。


「そうね。蜂蜜をかけてみるとか……」

「なるほど。蜂蜜か!」


 私の言葉を聞いてヴァルはすぐに行動した。彼は呪文を唱え、いつかのハチの巣の欠片を取り出した。魔蜂の蜜を皿の上にかけ始める。私も食べるのだけれど……まあ、たまには甘みの塊のようなおやつを食べても良いだろう。


 蜂蜜のかかった焼きリンゴをヴァルと一緒に食べてみた。すると、ヴァルの全身の毛が逆立つ……が、それ以上の変化は確認できなかった。彼はただ「凄く美味い」と呟くだけだった。


「変化は……無いわ」

「そうか。それは残念だ」


 残念と言いながらも、今のヴァルは幸せそうに見えた。なんとなく、今の彼からは幸福そうな雰囲気を感じるのだ。


「残念だが、この方向かもしれない」

「どの方向?」


 訪ねるとヴァルは「焼きリンゴ」と答える。


「焼きリンゴに蜂竜の蜜をかけたもの。それが、この世で最も甘い物かもしれない」

「何故そう思うの?」

「直感だ」


 なるほど。直観か。だけど、私には彼の言う直感の正体が分かるような気がした。


「ヴァル。あなた今まで大好きな食べ物ってあった?」

「大好きな食べ物があったかって? エルシーは妙なことを聞くな」

「それで、あなたの大好物ってあったの? 無かったの?」


 ヴァルは目をパチクリとさせた後で、焼きリンゴを食べながら答えてくれた。


「無かったよ。大好物なんてもの」


 そうなると、やはり。


「ヴァル。あなたの直感の正体はね。好きって気持ちよ」

「好きって気持ち?」

「ええ、きっとそうよ」


 首をかしげるヴァルに私は説明する。


「あなたはこれまで大好物が無かった。だから、食べ物に対して、これだって思うことができなかった。でも、今のあなたは違う。今のあなたは、焼きリンゴっていう大好物を見つけることができたから、この世で最も甘いものの、形をしっかりとイメージできるようになったのよ!」

「そうかな?」

「きっと、そうよ」


 私は何度も「そうよ」という言葉を使った。これで的外れなことを言っていたとしたら、凄く恥ずかしい。


 ヴァルは考え事をするような顔で焼きリンゴをひとつ食べ。


「なるほど、そうかもしれないな」


 そう言って彼は納得したように頷いた。


「エルシー」

「何かしら?」

「ありがとう」

「――っ!」


 ヴァルから不意にありがとうの言葉を受けて私の長い耳が熱くなる。それだけの攻撃力を持つ「ありがとう」だった。


「な、なんなの急に!?」

「エルシー。お前のおかげで俺は大好物というものを見つけられた。それはなん百年も生きてきて初めての発見だ。大げさに褒めてるんじゃない。お前は、それだけのことを俺にしてくれたんだ」

「そ、そうかしら?」

「そうだよ」


 なんだか大げさに褒められているような気もするけれど、ともあれヴァルは、この世で最も甘い物に対して、はっきりとしたイメージを持てるようになり、彼と私の絆はさらに深まったように思えた。


 ヴァルは少しの間、思案するように口を閉じ、やがて私に訊いてくる。


「なあ、他の果実を使って、別の甘い料理を作れたりするか?」

「あなたが望むなら、私も何か考えてみるわよ。でも、甘いものの取り過ぎは良くない。食べるのはまた今度の機会ね」

「そうか。なら、楽しみにしてる」

「楽しみにしてて」


 こうして、私たちの休息の時間は過ぎていく。

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