第6話 目覚めのコーヒー
目覚めると、視界に移るのは褐色の天蓋。昨日はヴァルのテントで眠らせてもらった。ヴァルは彼の毛布の上に眠り、私は私の毛布を使っている。寝袋でも良いのだが、毛布のほうが咄嗟の時にすぐ動ける。世界樹ダンジョンの中はそれほど寒くは無いし。そういう理由で私は毛布を使っている。たぶんヴァルも同じ理由だと思う。
それにしても、ヴァルはこれから向かう先にバジリスクという怪物が出るといっていたが、それでも私はいつものように眠れてしまった。我ながら図太い方だと思う。まあ昨日会ったばかりのクマと共に行動をしている時点で図太いか。
一応、ヴァルはバジリスクが相手でも心配はいらないと言ってくれてはいる。昨日の夜に出会った鶏と蛇を組み合わせたような魔獣コカトリス相手でも圧勝してたし、彼が言うには、バジリスクという魔獣は、コカトリスの身体能力が上がって硬直の魔眼を持つだけの魔獣なのだと。充分すぎるほど驚異的に聞こえるのだが、それでも彼にとっては勝てる相手なのだろう。
そんな風に考えながらゆっくり起き上がると、テントの中にヴァルの姿は無かった。
とりあえずコーヒーでも淹れようかと思ってテントを出た。ヴァルがキャンプ場には魔除けの結界を張っていると言っていたから、たぶん大丈夫だと思う。
薪と枝と、マッチを使い、火を起こして、ポットに入れた水を沸かす。そうして、のんびりとコーヒーを用意していたところ。どこかに出ていたヴァルが戻ってきた。
「戻ったのね。心細かったわ」
「……全く心細かったようには見えないんだが、むしろ、のんびりしてたんじゃないか?」
「そうかもね。なんというか、あなたの結界のおかげかしら。ここに居ると不思議と安心できているわ」
「魔除けの結界だけじゃなく、落ち着けるようにするまじないをこの場所にはかけているからな。それより、何か妙なものを飲もうとしているな? なんだその黒い液体は」
「コーヒーよ。知らないの?」
「知らないな」
ヴァルの顔を見るに、本当に知らないようだ。
「コーヒーはね。ここからずっと遠くの大陸で飲まれていた物よ。異世界人が交易路を広げて、遠くの地からも色々な物が手に入るようになったわ。昨日リリーが売ってくれた、あのチョコレートだって、遠い大陸の産物を使って作られたものよ」
「へえ。物知りだな」
「ここ最近のことはね。あなたよりも知っているわ」
ここ最近、数百年くらいのことはね。
「それで、俺の分はあるのか?」
「飲みたいの?」
「興味があるだけだ」
「それを飲みたいって言うんでしょうに。良いわよ。ほら」
ヴァルにコーヒーが入ったコップを渡す。彼はそれをくんくんと嗅ぎ、それから口へと運んだ。そして苦そうな顔をする。
「これは、飲めなくはないが」
「飲めなくはないが?」
私の問いに対し、ヴァルは少しの間はしかめっ面をして黙っていた。やがて愚痴るように言う。
「これは……苦いぞ」
「それが良いのよ」
「むぅ。俺には分からん文化だ」
「慣れていけば、楽しめるわよ」
「……慣れていけば、か」
ヴァルはコップを持ったまま上を向いて何か考えているようだった。やがて、彼は私を見る。そうして、手に持っていたコップを口へ運び、またしかめっ面になった。
「慣れる努力はしてみよう」
「それは良い心がけよ」
私の勘違いで無ければだけれど、ヴァルはヴァルなりに、私の主張へ歩み寄ろうとしてくれているのだろう。つまり、世の中は不味い物ばかりではないという主張だ。彼の心に変化があったとすれば、そのきっかけは昨日の私が作ったいくつかの料理によるためだと思われる。ならば私も、もっと彼のためにできることをしたい。
「もうちょっと、コーヒーを飲みやすくしてみましょうか。一手間を加えてね」
「一手間を加える?」
訊き返すヴァルに私は頷いて答える。
「そうよ。まだ、かまどの火も残ってるし、昨日使った牛乳の残りもあるし、それを使ってカフェオレにしてみるわ。あ、ヴァル。そのコップの飲みかけは全部飲んで。そしたらカフェオレを飲ませてあげる」
「む、そこまで言うからには美味いんだろうな? そのカフェオレとか言うものは」
「美味いわよ。だから、期待してね」
私の分のコーヒーを飲んでから、やる気を出す。
そういうわけで、カフェオレを作ることになった。とはいえ、行程は非常に簡単だ。
牛乳を温めて、コーヒーに加える。それだけだ。
鍋に魔牛の乳を注いで加熱。これで牛乳は使い切った。それほど時間のかからないうちに牛乳は温まる。
「ヴァル。コップのコーヒーは飲んだかしら?」
「飲んだぞ」
「なら、そのコップを出してちょうだい」
「分かった」
二つのコップにコーヒーを注ぎ、さらに鍋で温めた牛乳を注ぐ。
「完成よ」
「これだけか?」
「ええ、これだけでぐっと飲みやすくなるの。騙されたと思って飲んでみて」
「う、うむ」
ヴァルは恐る恐るといった様子でカフェオレの匂いを嗅ぎ、それを口につけた。そんな彼の様子を微笑ましく思いながら、私もカフェオレを飲む。
コーヒーの苦みを牛乳がまろやかに緩和している。飲みやすく、温かくてほっとする。
「おお。さっきまでのものよりは飲みやすいな」
「でしょう」
「そして、なんというか、ほっとする」
「でっしょう!」
そう言ってもらえると作った甲斐があったというものだ。まあ、作ったのはとても簡単なものなのだが。相変わらず、ヴァルは美味いとは言わなかった。だが、彼が私に心を開き始めているのではないかとは思える。
私たちは朝のコーヒーとカフェラテを楽しんだ。それらの力もあって眠気が消えていく。
そういえば、のんびりと椅子に座りながら、私はヴァルへ気になっていたことを訪ねる。
「ヴァル。今朝はどこへ言ってたの?」
「ちょっと気になることがあって探索にな」
「私さっきは寂しかったって言ったけど、それよりもこのキャンプに張ってある結界ってバジリスクが相手でも機能するの」
「心配性だな」
「いや、普通に心配な範囲だと思うけど」
むしろ、私は自分では図太いほうだと思っているが、そこを言い争ったって建設的ではない。そこについて話すのはここまでにしておこう。
「で、結界はバジリスクに有効なの?」
「バジリスクにも有効だ。ただ、それは普段の話で、向こうが興奮状態にあると魔除けの結界は能力が弱まる。それは他の魔獣全般にも言えるがな」
完璧な結界というわけではないのか。とはいえ、相手が興奮していなければ、魔除けの結界は効果を発揮してくれるようだ。彼の話を信じるなら、だが。
「それに、エルシー。結界だけでなく、俺には探知魔法もある。だからバジリスクと思わしき魔獣がどこに居るかは今も把握してるし、奴がこちらへ向かってくる心配はないから安心しろ」
彼の言ってることがどこまで本当かは分からない。だが、彼についていくと決めた以上、彼を必要以上に疑うのは良くない。
「……あなたの言葉を信じるわ」
「何か考えていたようだが」
「まあね」
「否定はしないんだな」
「嘘をついても仕方がないもの」
「まあいい。お前が何か考えていようとも、ついてくるなら守ってやる」
お互いに、まだ完全に信頼しきれているというわけではない。だけど、私も彼も、お互いに興味は持っている。それは、物珍しい物に対して感じるような興味だけれど。私たちの関係はそのようなものでお互いにつながっているみたいだ。
ヴァルは私を見ながら魔法の呪文を唱えた。それは何度か聞いたことがある空間魔法の呪文。
「チョイス」
黒くて大きなヴァルの手のひらにいくつかの卵が現れた。鶏の卵に似ているが、普通のものより大きなように見える。
「昨日見たコカトリスのな。巣が近くにあるんじゃないかと思ったんだ。そうして予想通り巣を発見して、いくつかあった卵を手に入れた」
それを使って何をしろというのか、私はすぐに想像できた。
「エルシー。この卵で何か朝食を作ってくれ」
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