幕間 国家プロジェクト

 惑星メメントにある直径千三百キロメートルほどの冠地形コロナ、その中心からやや外れた場所にある単純な作りのドームが、レフレイ・コーレンのアトリエだ。

 

 コーレンは尊大な態度で玄関を叩く。「やあやあ! 主人が帰ったぞ!」


 声に反応してエアロックの外扉が開く。先頭を行くコーレンに続いてカラムも中に入った。圧力調整。酸素濃度調整。

 数分ほどで内扉が開いた。二人はアトリエの中に入ると、暖かな空気の一団に包み込まれる。カラムはそれに身悶えして、「ああっ、生き返るような気分だ! 寒すぎるよ、この惑星!」


 メメントの惑星進化過程は金星とよく似ている。大気の九十パーセント以上を二酸化炭素が占めることや、七千キロメートル近い溶岩チャネルの跡地があること、溶岩の湧昇流による冠地形の存在などが共通点だ。では、相違点は何か。その秘密は金星とはとても似つかない惑星表面の低温にある。つまりは、金星に太陽あり、メメントに銀河あり。メメントは渦状銀河を周回する、自由浮遊型惑星なのだ。どの恒星系にも属さない孤独で冷ややかな星。


「あー、まったく、君の心根にぴったりだ、レフレイ」

「褒め言葉として受け取っておこう。燃え盛る流星にアトリエを構えたコリンズは、数週間で宇宙の塵になった。これこそが人間の芸術だ! なんてほざいていたがな。奴が人間を語るには数が足らん。支持者の数が。孤独で冷ややかな場所を選んだ俺には、それはごまんといる……あそこに早速、一人目」


 得意げに鼻を鳴らすコーレンの視線を追うと、そこには怯えた様子の青年が立っていた。青年は、アーム型のロボットから、全面を黒く染め上げられたボックスを受け取っている。

コーレンはつかつかと彼に近づき、「おはよう、ファーネル・マルキン。ここ最近、俺宛の荷物が届いていないか?」


 ファーネルはびくりと肩を震わして、恐る恐るコーレンを視界に捉えた。怯えたままの彼は、猫に舌でも取られたように黙ったままでいたが、ふと自分が手にしているものに気づくと、目を白黒させた。


「ちがいます! ちがうんです! これは! けっして! その、これは、私の──!」

「分かっている。それはお前の荷物だ。俺は俺の荷物しか求めちゃいないだろうが。それに、万が一、他人の荷物に興味が出たとしても、お前の持っているその、自称神と星がファックする音声にはこれっぽっちも惹かれん」

「なんて下品な! 訂正して下さい、ミスター・レフレイ! 星体帰化の音声は貴重なんですよ!」


 星体帰化とは、国家がある星に辿り着き、領土プロセッサを増やすための資源を押収する際、万が一生命を巻き込んでしまった場合に、神がその星と数億年後の新たな命の芽吹きを約束することだ。それは、神と星の契約であり、交わりである。生命を与える、というそれの原始的な意味と合わさって、教会に非所属の人間からは嫌悪の感情を向けられやすい。あるいは、その諍いを愉しむ好奇の瞳。


 コーレンの背中越しに、カラムがうそぶく。「気になるかどうかなら、十分気になるよ。神の喘ぎ声なんて、そうそう聞けるもんじゃない」

「ミスター・カラム!」ファーネルは膨れっ面で声を荒げた。「いまに浄化機関がメメントを一掃しますよ! あなた方のその歪んだ精神の最深部をも打ち砕いてしまいましょう!」


 そうして、出来もしない復讐を並べ立てるファーネルは、産まれて初めての反抗期を思わせる。それに揺さぶられる感情は、微笑ましさと、嗜虐心と、面倒臭さ。ファーネルがアトリエに住み着いてしばらくになるが、それは百年に一度あまりしかそこを訪れないカラムにとって、彼のあしらい方を覚えるのに十分な期間だった。


「ま、その音声は後で聞かせて貰うとして、今日の目的はそれじゃないんだ、ファーネル。レフレイ宛の荷物が届いていないかい? 送り主の名は、ガラップ・エイル」

 すると、ファーネルはぴたりと叫くのを止めて、少し考えると、「ガラップ・エイル……ええ、確かありました。資材置き場の方に運びましたので、そちらをご確認ください。Z-17です。それと、音声は貸しません。神を信じない者に聞かせても無意味ですので」

 

 それだけ言うと、ファーネルは一礼してどこかへと駆け出てしまった。もう話すことはない、ということらしい。無神論者に語って聞かせる教えなどないのだろう。ふと、カラムは自身がそれを惜しいとも思っていないことに気がついた。神は虚構で、教会はその虚構を広める嘘つきでしかない、という考え方。それが信心深い者と比べて、より賢明に感じるのは、自身の根底にあるのが批判精神であるからに違いないが、そんなあり方を一体どこで、いつの間に身につけたというのか。

 神を信じるアイデンティティを手に入れていないということが、神を信じないアイデンティティをはじめから持っていたということを指し示すわけではない。

 市民は、国家が固有の名前を捨て、遥かな宇宙への旅を始めた独立の日に、遺伝子から脱却した。産まれの強制力はなく、環境要因すら自らの意思で構築できる、完璧なる自由意志を持つ。市民の持つアイデンティティは、真白なニュートラルから始まるのだ。

 そして、この前提があるからこそ、カラムは先ほどの気づきに意味がある。いったい、いつの間に無神論者になってしまったのか?


「まあ、どうでもいいことか」

「なんのことだ? カラム」

「『神はいないかもしれない』、なんて考える人はいないということさ」

「なるほど、どうでもいいな」

「だから、そう言ったろ?」


 軽口を叩き合いながら、資材置き場へと向かう。コーレンがこの星に構えたアトリエはそこまで広いものではない。一階、二階の隅から隅まで歩いて見て回っても、四〇分程度しかかからないだろう。


 資材置き場の内部は随分と整理整頓されていた。巨大なウォークインクローゼットを思わせる、細長い部屋だ。収納棚にはAからZ、1から26をそれぞれ組み合わせた番号が振られ、中身は主要な構成元素や、形などで分けられている。中でも最後尾、Z番台には、構成元素が自然界で生成不可能なものが収められている。


「Zの……17とか言ったか?」コーレンは壁に埋め込まれている各番号の振られた戸をなぞりながら、「ここか」


 開ける直前、コーレンはこの中にある資材のうち、どれがガラップ・エイルから送られたものなのか、特定する情報を聞き忘れたなと瑣末な後悔が過ったが、それはすぐに霧散することになる。引き出しの中には、たった一つしか入っていなかったからだ。五十センチ程度の、杖の形をした何か。

 コーレンは粛々と杖を手に取ると、十分に吟味してから、カラムに手渡した。


「これがなにか分かるか、カラム?」

「地球文明の残骸と呼ぶにふさわしいただの棒だ」カラムはそう言って、杖から目を離すと、にやにやと不気味な笑みを浮かべるコーレンと目が合った。コーレンとは長い付き合いになる。彼が物理世界を歩く際によく使っている肉体の表情を見分けるのは、彼が何よりも得意とすることだ。「君は分かったんだね、レフレイ。そして、それは私には絶対に分からない、と?」

「そのとおり。こいつは俺たち、国家プロジェクトの遂行者にしか分からない」コーレンは楽しそうに、くくっと喉を鳴らした。「こいつは、アタリだ。

 カラムは眉をひそめて、「ちょっと、君が何を言っているのかよく分からない。国家プロジェクト? 君はいつの間に教会に?」

「馬鹿を言え、国家主導のプロジェクト、という意味じゃない。」そしてコーレンはきびすを返すと、カラムを押しのけて外に出た。「それを持ってこい。俺の考えが正しければ、そいつの中に入れるはずだ」

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神の杖 広瀬 広美 @IGan-13141

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