第5話 八九七五年十一月二十九日 ②
しかし、訪れたことそれ自体は失敗ではなかった。
他人の個人環境に訪問する際に行われる一連のプロセスは、まず家主に対して訪問許可申請を行い、許可が降りれば個人環境へのジャンプが可能となる、というものだ。この時、許可が降りないパターンは大きく二つある。ひとつは何らかの理由で申請を無視した場合。もちろん、申請に対してなんのアクションも起こさなければ、結果は保留となり、個人環境を訪れることはできない。
しかし、ガラップのもとには、訪問許可申請を拒否した通知が届いた。
もうひとつのパターンである、家主が選択的に拒否をした場合だ。つまり、クルルはガラップが会いたいと思っていることを知っていて、しかし個人環境にいないか、あるいは何らかの理由で会いたくないということだ。
その情報はガラップを一安心させた。なにせクルルは国家の実質的なトップである、教会を出し抜こうというのだ。教会が過ぎた罰を与えるとは思えないが、その過程で自ら危険に踏み込むことはありえる。
恒星間文明の市民はとうの昔に、『死』から外れている。たとえバックアップなしに肉体にインストールされた人格を失っても、プロセッサに記録された人格は、いつか必ず訪れるプロセッサの破壊と共に復活する。星と星の間がどれだけ広くても、全てのプロセッサが無数に飛び交うメテオを避けながら千年紀を無事に過ごせるわけがない。
問題は、精神の危険だ。パラノイアやうつに抗する手段として、アイデンティティの変更がある。しかし、クルルは不変漸近主義者だ。ガラップが同じ行動をしても落ちないような穴に落ちる可能性は十分にあった。
しかし少なくとも、彼女が何かを選択できる状況にあることを由として、ガラップは次の仕事に向かった。
×
「なーんにも見えないっすねぇ」
海上に飛び出した潜望鏡を覗き込んだクリップキャットは、気の抜けた軽い調子で報告した。
「ニブルの景色は独特だろ?」この潜水艇の所有者であるエンドライトが笑って、「水の惑星だぜ」
「星を跨げば景色なんていくらでも変わるのに、惑星一つ取り挙げて独特もなにもないっすけどねぇ」
ガラップは肩をすくめて、「まあ……探索者は惑星にお出掛けしてばっかりだからな」
エンドライトは豪快に吹き出した。「いやはや経験値だけはお前たちに勝てないな。感性の質がまるで違う」
芸術家に感性を褒められたところで、なんの感慨も湧かない。それに、経験値以外であれば勝っているという意味合いが含まれているようで鼻につく。ガラップはそんな悪態をおくびにも出さずに、笑ってみせた。
ガラップと同じ立場にあるクリップキャットは、「そっすかね」と適当な応答をしている。彼女は常に適当な調子だが、その性格は随分と豪胆なようだ。探索者が依頼人に──それも、上級市民に──そのような態度を見せるのは稀だろう。もちろん、それ以外の特別な関係がある場合はその限りではない。
エンドライトは、クリップキャットが潜望鏡の覗き穴から顔を除けるのを見ると、「ガラップ、お前も見てみろよ。お前たちの素晴らしい経験談には劣るだろうが、俺は結構気に入ってんだ」
「……そうだな、見てみよう」
彼に促されるまま、ガラップは潜望鏡を覗いた。
海上の様子を一言で表すなら、『白』だ。そこが海上であることを知識でしか気づけないほどに、寸分先も覆う高密度の水蒸気。
地球からおよそ一億光年離れた銀河にある水の惑星がニブルだ。三、四千年紀ほど前にガラップが探索した地球も、水の惑星と呼ばれていたが、ニブルのそれとは少々意味合いが異なるだろう。
ニブルは星系の中心にある赤色矮星を、一周約五十時間で周回している。表層は分厚い水蒸気に覆われていて、内部には基本的に陸上はなく、全てが海だ。とはいえ、海が好きな人ほど、この惑星へのバカンスはおすすめしない。浮かれて外に飛び出せば、摂氏二百度を超える高温の水蒸気に覆われるはめになる。
「やっぱり、何も見えないな」ガラップは残念がるでもなく、ただ端的に事実を口にした。
エンドライトはにこやかに、「そうじゃなかったら異常事態だ」そして、ぱんっ! と手を叩くと、「さて、そろそろ仕事の話をしよう」
二人はそれに頷いて応えた。
「改めて、確認しよう。今回の仕事内容は、サルベージだ」
エンドライトは水を愛した芸術家だった。たとえ頭の上から爪先までプロセッサの作り出した仮想人格に過ぎないとしても、自らの起源はどこかの惑星の水にあると信じ、尊び、そういった主義を表現する。そんな彼は自身のアトリエの一つに、文字通りの水の惑星を選んだ。
その惑星こそがニブルである。エンドライトはニブルの海中に、ワープ機構を持った球体を作り、その内部を自らのアトリエとした。球体は海流に乗って惑星を回遊するため、基本的にワープ機構を使わなくては中に入ることはできない。このアトリエを作り出すために、エンドライトはわざわざ教会からワープ機構を盗み出した。エンドライト曰く、運悪くメテオに破壊された結節点から廃品を回収し、自ら修理して使っているらしいが、同じように修理できる教会からすれば盗んだも同然だろう。
内部は無酸素空間となっており、上下左右といった概念もない。そのため、活動には専用の肉体──酸素を必要としない機械仕掛けの肉体に、芸術を成すための精巧な腕と、関節部を三六〇度曲げられる球体関節に差し替えた六脚類のような足──が必要だ。
「サルベージするものは、制作途中だった『割けた水鳥(仮題)』、『文明海化(仮題)』、『クォーツ・マン(仮題)』の三つ。そして、できればアトリエの残骸だ」
ほんの数十年前まで正常に稼働していたアトリエは、ある日突然にワープ機構の受付けを停止した。最初、それは単純なシステムの不具合を思わせた。その時期は不幸にも、ワープ機構を構成するシステムが何者かの攻撃を受け、システムの脆弱性が見直されている最中だったからだ。実際にエンドライトが事態を把握したのは、アトリエ内にある専用の肉体を励起状態に移行しようした際に、その命令が拒否されることすらなく、スルーされた時だ。
肉体が活動不可能なレベルで破壊されている。
無論、それは球体内部が、海水とその水圧に晒されていることを示す客観的な証拠になった。この時にはすでに、エンドライトが一人で対処可能な範囲を逸脱していた。
本来、上級市民であるならば、そこで探索者二人程度に頼ることはしない。教会を通せば機器も人材もより高性能、より多人数で事にあたれる。そこに注ぎ込めるだけの金と地位さえあれば。
けれどエンドライトは腹の下に、教会を通せない後ろめたさを隠していた。
「ワープ機構の回収は必要ない、あれは初めから屑鉄だった。肉体の回収も不要だ」
クリップキャットは冗談めかして、「イエス・サー」
それにエンドライトは笑って応えて、ブリーフィングの続きを読み上げる。
「サルベージには、専用の肉体を使う。機械に搭乗するのではなく、機械そのものを自分の意思で動かす、ということだ。もちろん、人間らしい五体の身体じゃない。それを違和感なく動かす為のアイデンティティは、精神図面を肉体にインストールする直前に施す。
また、サルベージの最中には、今お前たちが使っている肉体も励起状態にしておいて、常時パスを繋いでもらう」
ガラップは遠慮がちに手を挙げると、「それが何らかの精神疾患に繋がる可能性は?」
「限りなくゼロに近い」
「ゼロではないんすね」
エンドライトは、「むしろ、ゼロに近づけるための手段だ。今回は肉体の使用感を変える必要があるからな。アイデンティティの変更による精神への負担が大きい。その分、精神疾患への対処法は別に用意して、なるべく負担を減らそうというわけだ。
まず、通常のバックアップと、サルベージ用の肉体のバックアップを用意する。この時、双方にアイデンティティの変更を行うことで、サルベージ用にカスタマイズされたアイデンティティになり、通常の肉体を動かすことは出来なくなるはずだ。そして、サルベージ時には常時、正常な精神とパスを繋ぎ続けることで、あらゆる外的要因に侵され続けるサルベージ用の肉体の精神を、正常な状態に戻し続ける」
「異常と正常でイタチごっこ、ってことっすね。というか、ガラップもすでに確認済みっすよね」
ガラップは頷いて、「確認済みだったんだけど、念のために。試すようなことをして済まない、エンドライト」
エンドライトは朗らかに、「問題ない。俺たちは対等な仕事仲間だからな。他に質問は?」
クリップキャットが挙手する。「そういえば、アトリエの回収は『できれば』って話っすけど、そいつを回収した時は追加報酬がでるんすか?」
「基本的には基礎報酬プラス出来高だ。もちろん、アトリエを回収できれば報酬は高くなるし、作品を回収できなければ報酬は低くなる。これからの関係のためにもシビアにいこう」
クリップキャットは、「そうっすね」と曖昧な返事をして、何やら考え事をし始めた。俯き加減で腕組みをしている。
そのうち、ガラップはこちらを見ているエンドライトの視線に気づき、「僕からは何も」
「それじゃあ、まずはアイデンティティの変更から」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます