第37話 Tail

 ギルドへ戻るとまだ三人は戻っていなかった。

 船を漕ぐウルズ――オレに気が付いて目を覚ます。暇そうだな。ギルド員はオレだけだとヘザーは語っていた。時雨とシャガルも登録はしているが、実質的な戦力と見なされているのはオレだけなのだろう。

「おはえりなさい。ろうでした?」

「良くなかった」

 涎が垂れてやがる――袖口を絡めて拭ってやる。

「しゅっしゅみましょん。ららしないろころを。んっ……え⁉ 依頼に失敗したんですか⁉ 罰金ですか⁉ 借金ですか⁉ エマニエルですか⁉」

 エマニエルってなんだよ。


 依頼達成書をテーブルに置いて滑らせる――受け取ったウルズの表情が神妙な顔から笑顔へと変わった。

「なーんだ。全然うまくいっているじゃないですか。報酬は200チークですよ」

「そうかよ」

「なんですか? 嬉しくないのですか? 星2の人が受ける報酬としては破格ですよ」

 報酬が破格でも内容も破格ならイーブンだろ。

「そうかよ」

「もっと喜んでくださいよー。あっそうだ。銀のキバから決闘で得たものが正式に認められましたよ‼」


 ウルズが短剣をテーブルへと乗せるのを眺めていた。魔術封じの宝物だ。

「これ、宝物だろ。貰っていいのか?」

「もちろん‼ 隣国では国に献上するらしいですけれど、この国ではそんなことありませんしね。もっとも高く買い取って貰えますけど。国に献上したら恩賞とか貰えますよ」

「ふーん」

「いずれは貴族も夢じゃない‼」

「どうせ一番下っ端だろ」

「土地なしですからね‼ へへへっ」

 この短剣の仕組みについては興味があった。手に取り解析データーを開く――太い象牙を思わせるような刃の短剣だ。返しがある。


 解析データーよりこれが宝物であり女神の創造物であることを確認し理解した。オレにはこの短剣の材質や魔術の式を理解することができない。女神の文字列は内容に比べて含みが膨大すぎる。一文字に何十、何百もの意味が込められている。コレで破綻しないって何なの。オレが馬鹿なの。死ぬの。オレが。

 ただ幾つか試して見て能力に関しては理解できた。この短剣は何かに刃を突き立てることによって能力を発現する宝物だ。その能力で魔術の初動を無効化する。


 あくまでも初動を無効化するものであり、最初から発現している魔術は無効化されない。破損はする。体内の魔力の流れは無効化されない。あくまでも魔術の初動だけを目的として無効化する宝物のようだ。その効果は刺した本体及び、半径およそ7m前後に及ぶ。本来の目的は相手に刺すことで相手の魔術を封殺し倒すためのものなのだろう。


 魔術を使用する魔物に突き刺しその魔術を無効化する。それが本来の目的のような気がした。返しもあるので大型の魔物用に作られたものなのかもしれない。もしかしたら宝物にはそれぞれに本来の使用用途(コンセプト)が存在するのかもしれない。

「それとキャラバンの馬車もあるのですが……こっちがちょっと問題でして。へへへっちょっと見てください」

「いや、馬車なんかいらないのだが」

「そう言わずに……ね? ね? ねー? そんなこと言わずに。ねー? へへへっ」

 ヤな予感しかねーんだけど。


 なんかやだなコイツ。何かある喋り方ばかりする。腕を絡められて引っ張られ嫌さ二倍なんだけど。

「……それと、実は、現金などは一切なくてですね。短剣と馬車の二つだけが資産のようで。へへへっ。申し訳ないですけど。あっ横領とかはしてませんよ? さすがにね? してませんからね? してませんからね‼ してませんよ‼ この穢れ無き眼を見てください‼」


 逆に怪しいからやめろ。後化粧で誤魔化しているけれど目の下にクマはあるし瞳に光がないし怖い。

「どうせ酔い越しの金は残さないとかそんな感じだったんだろ」

「そうなんですよ‼ ……良くわかりましたね。あの人達、依頼もろくに受けない間にこのざまだったので」

「気にしてねーよ。っていうかこれはどういう事なんだよ。説明くれよ」


 馬車の前へ赴くと薄汚れた少女が一人佇んでいた。

 馬車の外面から少女と比率して目算すれば馬車の大きさは八畳ぐらいに窺える。馬は一頭。銀色でだいぶ筋肉質だ。足が六本ある。鱗もある。

「実はですね……」

「私にウマの世話をさせてください‼ 私にウマの世話をさせてください‼ お願いします‼ 私にウマの世話をさせてください‼」

 少女がそう叫び頭を下げた。

「おーい」

 ウルズの襟首を掴むと、ウルズは苦笑いを浮かべて視線を反らす。

「私のせいじゃないです‼ 私のせいじゃないですよ‼」


 少女は自分の名前をマルレーヌだと語った。所謂奴隷だ。頭がいてぇ。子供を奴隷にするなよ。しかしそんな常識はオレの中でしか通用しない。

 マルレーヌは馬車を引くウマの世話をしていたようだ。それでこのたび、馬車の所有者が代わり、どうしようかと悩む話で、オレがこの話を飲まなければマルレーヌは奴隷として処分されてしまうのだそうだ。

 おーい。このクソ眼鏡。選択肢がねーじゃねーかよ。ふざけんな。


 この国の孤児、男児は国が、女児は境会が引き取るんじゃねーのかと考えていたが、どうやら犯罪者はそうでもないらしい。マルレーヌは祖先が貴族で先祖が罪を犯したので犯罪奴隷になってしまったのだそうだ。マルレーヌに何の罪もねーじゃんて、しかしそう単純なものでもないらしい。貴族の罪は重く、何代にもわたり重くのしかかる。

 所謂国家反逆罪が適用されている。


 これはオレが奴隷から解放して終わりという話しではない。血筋にその証が刻まれている。オレがいくらこの場で奴隷から解放すると伝えても、彼女がその血筋である限り、奴隷のままなのだそうだ。血に刻まれている。

 罪人の血――少女の左手には青い痣が浮き出てバラを象っていた。少女が所有者を証明できない場合、その場で即座に斬首される。


 それでウルズが苦笑いしている。雇う一択しかないからだ。

「ここで‼ ウマの‼」

 少女が必死な形相でそう叫ぶ。

「わかった。わかったから大声をだすな」

 もうやだ。お前達みんな嫌いだ。次から次へと厄介ごとを持ってくる。

「良かったですね。これで石鹸には困りませんよ?」

「はぁ?」

「この馬の汗は石鹸の材料になるんですよ。いいニオイですよ」

「マジかよ……」

 ウマの汗が石鹸の材料ってなんだよ。ちなみに本当だった。いや聖水あるから石鹸なんかいらねーじゃん……良いニオイではある。ニオイがめっちゃいい。


 マルレーヌはこれまで銀のキバで馬の世話をしていたようだ。馬車なので当然引く馬がおり、馬は動物なので当然世話をしなければならない。食事を与えたり糞を掃除したり、衛生管理や体調管理もろもろある。

 ……動物の世話なんて好きじゃない。だってコイツ等病気になっても何も言わねーんだもん。急に具合悪くなって唐突に死にやがる。オレはそれが堪らなく嫌いだ。

「ご主人様」

「そう言うのやめろ」

「えっあの……ごっご主人様‼」

「ご主人様じゃねーよ‼」

「いえ……ごっご主人様。なんなりと……ここで‼ なんなりと‼ ご主人様‼ お願いします‼ ご主人様‼」


 この野郎――三人を待つ間、マルレーヌの話を聞いた。

 癖毛の銀髪、肌は赤味を帯びた白、青眼。生まれた時から父親が奴隷でマルレーヌも奴隷なのだそうだ。奴隷の父親がブリーディングを行った結果生まれたのがマルレーネらしい。銀のキバに差し出され買い取られた。


 ウルズの話しでは奴隷の子供は当然奴隷なのだそうだ。だから奴隷を増やすためにブリーディングを行い奴隷を増やすのだそうだ。人権なんてない。気分悪いし最悪だしクソだしゴミだ。

 子供に罪は無い。無いけれど、そんな綺麗ごとで済むのならこんな事にはなっていない。子供に罪を残したくないのなら親が死ぬ気で清算しないと結局子供に皺が寄る。


 母親も奴隷だったのかと鑑みればそんな事は無いらしい。

「切羽つまった女性が、お金で奴隷の子を産むことはあります。女性の奴隷ならばもっと悲惨と言われていますけど」

 もうやだ。そんな世界は知りたくなかった。

 しかし奴隷の絶対数は少ないと眼鏡に告げられた。

「まぁでも、こんな事を言うのも何ですけど、ゴブリンに」

「もういい。その先は言わなくていい。聞きたくねぇ」

「ではオークが」

「その話……必要?」

「わかりました。ではゴブリンと」

「聞きたくねぇっつってんだろ」

 ゴブリンにが、ゴブリンとに変わっただけじゃねーか。


 左腕の青薔薇が奴隷の証で王家により色が異なるらしい。マルレーヌはヴィーナディースの王家から奴隷の落胤を押されているので青薔薇なのだそうだ。ルナハイネンなら黒、ロードレアは赤と聞いた。

 薔薇と語ってはいるが、花なのは確かだが名前はないのだそうだ。


 落胤で奴隷と判別するらしく遺伝もするらしい。だから一目で判別でき、奴隷は王家より恩赦でも与えられない限り一生涯奴隷なのだそうだ。逃亡すれば即斬首。主人を証明できなければ即斬首。庇った領民も即斬首のようだ。

 解析データーを開くと魔力回路に紐づけされた魔術なのが理解できる。

「触れるけれどかまわないか?」

 青痣に触れる。おそらく【分解】で消すことは可能だ。


 ウルズがこちらを窺っている。奴隷で無くなる事で居場所が無いとマルレーヌが不安に駆られるかもしれないが解除してしまう。オレに奴隷は必要ない。

 解析データーを開き、構成された魔術を解いて【分解】する。痣は消えてしまった。

「え⁉」

「オレに奴隷は必要ない」

「ごっご主人様?」

「いずれは自由にしていいが、それまではオレの側にいればいい。後ご主人様なんて呼ばなくていい」

「こっ困るます。困るます……どうすればっどうすればいいですか⁉ 解雇ですか⁉ ご主人様‼ お願いします‼ なんでもします‼ 舐めましょうか⁉ 舐めます‼」


 舐めますってなんだよ。足を舐めようとするな。

 脇に手を通して持ち上げ、舐めるのを阻止する。

「あっ……あああああ‼ あぁあ‼」

 マルレーヌの顔がくしゃりと歪んでいた。なんでだよ。

「あー……なんつったらいいか。これまで通りでいい」

「解雇じゃないですか? お願いします……お願いします‼ ご主人様‼」

「解雇じゃないから安心しろよ」


 下ろして頭を撫でてウルズにギルドの湯あみ場を借りて、お湯を沸かし体をぬぐい汚れを落としてやった。マルレーヌはなすがままだった。逆らったら捨てられると考えているのかもしれない。きめ細かく陶器のように白い肌。金銀色の産毛。なんだコイツは。

 本当に同じ人間なのか疑ってしまうよ。


 椅子に座り綺麗になったマルレーヌを脇に抱えて愛でていた。

 マルレーヌはオレの顔を眺めて服を握り体をこれでもかと寄せて。本格的にコイツは面倒くさそうだ。そんな事はしなくても大丈夫だと言い聞かせるには時間が必要だろう。

「あのぅ。もしかしてシックスって王族の関係者かなにかだったりします?」


 ウルズがそう伺って来たので否定する。

「んなわけねぇだろ。ちょっとこの手のものを解除できるだけだ。他の奴に喋るなよ。ガキが一人ぐらい奴隷から解放されても問題ないだろ」

「それは……まぁ、子供は……」

「喋るなよ。特にヘザーには」

「へへへっ……私は何も知りません。見てません。なんでシックスさんて星2なんですかね?」

 知るか。


 ウルズも面倒ごとは嫌だろうし良心があれば見逃してはくれるだろう。ウルズは悪い奴じゃない。

 そうこうしている内に三人が戻り、マルレーヌを紹介することになった。

 シャガルは笑顔を浮かべてすぐに仲良くなろうと話しかけていたが、ニーナは興味なさそう髪を弄り、時雨はオレを睨みつけていた。

「あんたさー。買ったの? 奴隷を。金も無いのに」

 ニーナにそう声で殴られてどう答えても言い訳にしかならなさそうだった。

「おかーさん? 新しい子?」

 こえーよ。なんだよ。ちげーよ。


 今日から馬車の中で眠れるが、やっぱり門の外で寝る事に変わりはない。道が悪いのに馬車なんて走れるのかと考えたが、車輪に特殊な魔術が施されているようで、ほとんど振動もなかった。


 門の外に馬車を止め馬を休めてテントを張る。

 馬車は縦に長く、三つの接合部の一両編成で曲がりやすくなってはいた。

 車輪は金属で重い。馬車の中は砂埃が多くてとてもじゃないが掃除をしなければ横にはなれなかった。移動用に使用していたようだ。埃っぽい荷物が少し。


 馬車を眺めて確認し、マルレーヌについて時雨とニーナは納得はしてくれた。

 それでも時雨はマルレーヌに対して若干ムッとし、ニーナは少し嫌そうではあったが、興味のなさが勝っているように感じた。


 馬の世話はみんなですれば良い。だがオレが馬の世話をしようとするとマルレーヌは泣きそうな顔になってしまった。自分の存在意義が奪われると感じているようだ。仕事がなくなれば追い出される。それはマルレーヌにとっての恐怖なのだろう。


 マルレーヌは平等に扱われるのにやはり抵抗があり、こればかりはどうしようもない。一緒にご飯を食べようとしないし寝る時も馬車の外で蹲って眠ろうとする。

 それで眠れるのならある意味才能だが、そんなわけにはいかない。


 制してテントの中で眠らせた。やはり若干戸惑ってはいたがその内慣れるだろうと深く考えるのはやめた。これまでの扱いから急に変われと告げられても、そう簡単にスタンスは変わらないだろう。変えられないだろう。


 いずれは自由にして良い。でも今は馬番としての仕事がマルレーヌには必要なのかもしれない。

 奴隷……それが良いとは考えられない。

 しかしこの概念というものはオレにしか通用しない。元王族でぬくぬくと生きて来てしまったオレが意見できるような事でもない。

 他人の奴隷なんか眺めたくないなと素直にそう考えてしまった。


 時雨がムッとしてオレから離れない。寝る前にたっぷりと頬を唇で撫で、体を寄せ、手を這わせ撫でるのを繰り返した。

「大丈夫だ。お前を見捨てたりしない」

 そう言葉を付け足す。

「おかーさん。時雨のこと好き? 愛してる?」


 好きか愛しているのかと問われて答えはない。問われて初めて考えた事もなかった事実に気が付いた。時雨はオレに親としての愛情を求めていたのかもしれない。通りで時雨は何時まで経っても満たされないわけだ。

「あぁ、愛している」

 そう告げながらコメカミに唇を寄せると、時雨は今までで見た事の無いような柔らかい表情をして顔を綻ばせた。顔を胸に埋めて何度も擦り徐々に動作が緩慢となり、やがて眠りに落ちていった。

 頭部に手を添えて魔術【依存】を発動し、深く眠るように誘導する。


 時雨が眠りについたら体を起こして反対側、シャガルのコメカミに唇を寄せる。シャガルの隣にいたニーナと視線が絡まった。

「おやすみシャガル」

 シャガルは目を開き、にんまりとした。

 お凸に手を添えて魔術【依存】で深く眠らせる。

「ねーちゃん……おやすみ」

「あぁ」


 最後に時雨の向こう側、マルレーヌの傍へ。寝たふりをしたマルレーヌの頭に手を添えて撫でる。触れるとマルレーヌの体がビクリと反応した。それでも相変わらず寝たふりを慣行する。添えた手に【依存】を発動して深く眠らせる。これからは子供に戻って良い。強張った体から力が徐々に抜けてゆき、ぐったりとマルレーヌは眠りに落ちていった。


 みんなが寝静まるとニーナの手を引いて連れ出す。

「ちょっと」

 裏手、繭を形成して閉じ込める。

「今日は……しない」

 掴んだニーナの手、ニオイを舐めとる。

「ちょっと‼」

「こうしたくて堪らなかった」

「なによ……あたしのことめちゃくちゃ好きじゃん」

「そうだけど? 愛してるって言ってるだろ」

「ただしたいだけでしょ」

「そう思っているのか?」

「……今日はしない」

「嫌だ」

「このっ」

「お前が愛おしい」

「ふざけんなっ‼」

「愛してる」

「嫌‼」


 押さえた手を背中へ回す――彼女の手が衣服を掴み、剥がし取ろうと動くのがわかった。剥がそうと動く彼女の頬に何度も唇を寄せる。

「好きだ」

「やだっ‼ やだっ‼」

 ニーナが本気で抵抗するならば、オレは殺されるだろう。

「好きだ」

「やめろっ。どれだけ、そんなにあたしを惨めにしたいのか‼」

「それでお前が手に入るのなら」


 ニーナはオレを殺さなかった。悪いと感じているよ。それにオレがどんなに頑張ってもお前は手に入らないだろうことは、それはわかっていた。

「こうしていると安心する」

「馬鹿じゃないの」

「愛している」

「あたしより身長低いくせに」


 歪んだ顔。怒りを我慢する顔。指の太さ。親指の形。体を擦る仕草。オレの嫌そうな顔を見ると笑みを浮かべる所。

 這わせると嫌がる所。嫌がるけれど止めない所。人を信じられない所。傷ついている事。体より心の方が傷ついている事。まともに接せられると困る所。まだ出会って数日だけれど、こうして触れ合うたびに知っていく。

「愛してる」

「殺してやる」

 上になった彼女は何度もオレを叩いたけれど、握った拳に力はほとんどこもっていなかった。

「お前になんかに出会わなければ良かった。目星なんてつけなければ良かった。お前のせいで、あしたは惨めで堪らない」

「もう遅い」

「無理よ。だってあたしは……今日抱かれたら……私はっ」


 体を起こして口を塞ぎ喋らせない。言いたいのかもしれないけれど、オレは彼女に喋らせなかった。聞く必要がない。何度も何度も絡まる指と、オレの耳の形を確かめる仕草。髪に触れて目元に触れて、頬に触れて、唇に触れて、顎、喉、鎖骨、肩、お腹――確かめるようにオレを知ろうとするように彼女は視線と指先を滑らせた。


 お腹の上に触れる彼女の頬。

「それ……」

「なに? こんなのがそんなにいいわけ?」

「聞くな」

「いいんだ」

 ただ今は求めあえるから求めあうだけ。


 ただ寄り添っていた。限られた時間。

 彼女の髪に指を通し【触覚】の開花を促す。伸びた髪は魔力を帯び、瞳孔は強く開いていた。新たな感覚に悶える彼女の髪に【触覚】を絡め、その感覚に酔いしれた。蛹が蝶になるように。


 味わうように彼女に舌を這わせた。唾液で全身を覆ってもいい。

 目を閉じてお凸を寄せて。彼女の表情は穏やかで。

「これが貴方の見ている世界」

 何度も何度も重なりあってそれを何処か愛に似ていると感じていた。

 解析データーより記憶一覧を開き拳聖の戦闘記憶データーを書き加える。ニーナの瞳孔が開いている。体に違和感があるようだった。ジュシュアのデーターも書き加える。

「……なにしたの?」

「いずれわかる」

「あんたは何がしたいの?」


 タイムリミットが迫っている事を告げると、ニーナは動揺していた。

「人殺しだって知ってたんだ」

「あぁ」

 指の間を通る指に力がこもる。前よりも弱いのに、指先は確実にオレの指の隙間を傷めて強く。

「何が愛してるだ。うそつき」

「愛してるよ」

「……人を、殺したんだよ?」

「オレだって人殺しだ……」

 そう告げると彼女の瞳孔がまた開いた。

「同じだったんだね」

「あぁ」


 髪を切り指輪状に編み込む――束縛の指輪じゃない。

 魔術【サキミ】を込める。オレの気持ちを込める。材質は黒檀。

「好きに……なってもいいの? 愛してもいいの? 本気になってもいいの?」

「あぁ。愛していると言っているだろ? 愛してる」


 左手の小指にはめ込む。零れる大粒の涙。弱った顔。熱い頬。伝う流れ。頬を寄せて重ねる。流れて視界を歪ませ、落ちて視界を歪ませ、しょっぱくて痛かった。

「この指輪があれば、いつでもオレの居場所を指し示してくれる。寂しくなったら指輪を愛でて」

「どういう事? いや‼ 離れたくない‼」

「それは無理だ」

「なんで⁉」

 もうすぐ内乱になる事。最近の殺人事件の容疑者として浮上している事。捕まれば戦争奴隷として最前線に送られる旨を伝えた。

 この世界は証拠能力が著しく乏しい。映像媒体や捜査能力などの進歩があまり進んでいないからだ。

 どうやって犯罪を証明するかと問われれば、神に問うか本人を拷問して吐かせるしか方法がない。

 ニーナに拷問を受けさせるわけにはいかない。過去の罪も問いただされるだろう。疑わしきは罰せずが通用する世界ではない。

「お前が拷問されるのは辛いよ」

 そう告げるとニーナの顔はくしゃりと歪んだ。

「……なんであんたなんかと出会ったんだろう」


 ニーナの冷えそうな体を温めようと身じろぎすると、ニーナの手がオレの両腕を掴んだ。

「いや‼ 離れないでよ‼」

 体勢を立て直して彼女を抱きしめる。寒くないように抱きしめる。

「離れたら……あんたは他の女を好きになる。そんなの嫌」

 その確率よりもニーナが他の男を好きになる確率の方が遥かに高いだろう――顔の傷を癒し、火傷痕を癒し消す。気持ちはどうにもできない。体の傷を全てなかった事にする。オレよりいい男なんて五万と存在する。ニーナを放ってはおかないだろう。

 擦れ合う唇――とった手や腕に唇を当てると、なんだか食事をしているような妙な気分にもなる。

「いやっ‼ 離れない‼」

「ほとぼりが冷めたら帰ってくればいい」

「離れたくない。離れたくない」


 愛おしいと頬を合わせる。

「愛してる」

「卑怯者‼ クソ野郎‼ どうして‼ どうして⁉ 苦しくて堪らない……。たった数日寝ただけの癖に‼」

「それでもオレはお前を愛している。愛してる」

「うるさい‼ うるさいうるさいうるさい‼」


 空がしらばむまで二人で寄り添っていた――明るくなり始めた空と彼女の体を聖水で洗い服を着せる。有り金を全部と宝物の短剣を持たせる。涙の後は消えていなかった。

「この宝物は魔術の初動を潰してくれる。半径は7m前後。突き刺して使うんだ」

「……どうしてここまでしてくれるの?」

「だから愛してるからだ。いざとなったらその宝物を売ればいい」

「ほんとに愛してるの?」

「婚姻して欲しいぐらいだ」

「どうして今頃言うの? ……離れたくない。離れたくないよ」

「一時だけだ」

「……最後に」

「せっかく洗ったのに」

「……いいから。お腹いっぱいにして」

「本当はオレの方が、離れがたいんだけどな」

「……うそばっかり」


 どうして人を殺したのか。彼女は自己満足だと答えた。自分の体を眺め、醜いと罵った男を殺したと彼女は語った。そうかよとしかオレには答えを返せなかった。

 養父に襲われた時、誤って殺してしまった。父親を裏切った商人の男を殺した。憎しみが抑えきれなかった。奪おうとする男から奪った。

「あんたのせいで。あんたのせいであたしは……」

「それでもオレはお前を愛してる」

「うそばっかり……みんな醜いっていうもの」

「そうじゃなければ、オレは今のお前に出会えなかった」

「馬鹿‼ 馬鹿‼ 死んじゃえ‼ ごめんなさい。死んじゃえなんて嘘。あんたの前ではただの女になってしまうあたしが堪らなく嫌」

 身を寄せる。体温を忘れないように。

「愛してる。愛してる。……愛してる」

「……うん。その愛を、ニーナオルフェ・エーリシアは受け入れます。この身を捧げ、操を定め、生涯貴方を愛するとこの指輪に誓います」

 そんな事はしなくていいから幸せになってくれよ。


 彼女は消えた。ルナハイネンまで逃げれば問題無いだろう。内乱が始まればニーナどころじゃなくなるはずだ。オレはヘザーとの約束で内乱が終わるまでこの街を離れられない。ニーナには出来る限りの事はした。

 夜が明けて朝食を作っていると衛兵がやってきてニーナの居場所を尋ねられた。帰って来ていない旨を伝えると隠すとためにならないぞと連行され、少しばかり拷問を受けた。


 聞きつけたウルズがヘザーに連絡してくれて解放されたけれど、指の爪を剥がされるのは想像していたよりも痛かった。背中を鞭で打たれるのは痛かった。尖った石の上に座らされるのは痛かった。水に沈められるのは苦しかった。

 それでもあの時の……メイリアを失った時の痛みと比べれば、その程度のものだ。

 それでもあの時の、ラーナを失った時の痛みに比べればその程度だ。

 来るのがおせーよとヘザーを眺めると、ニーナを確実に逃がすために時間稼ぎが必要だったと告げられた。確実に逃がしたので安心してくださいと告げられた。

 傷を眺められヘザー自ら治療してくれた。

 そんな必要は無いのだが、気持ちと共に受け取っておいた。


 馬車に戻ると三人が心配そうに迎えてくれて――シャガルは姉の事を聞いてはこなかった。数日しても聞いてこなかった。数週間しても聞いてはこなかった。


 ニーナを愛しているかと問われれば愛してはいる。

 オレはニーナを愛している。しかし本当にそれが愛なのかと問われると愛というものなのかと問われると自信はなかった。オレが概念として愛と感じるものは本当に愛なのか。


 ニーナが人を殺したのは確かだ。罪を償わせるのが本当の愛なのかもしれない。だけれど同じく人殺しであるオレにそれ語る資格はなく、それにオレだって罪を償おうとはしていなかった。オレに人を愛する資格は無いのではないか。

「なぜ姉の事を聞かない」

 シャガルにそう尋ねると、シャガルの顔はみるみる青ざめ始めた。

「やっぱ……俺、ここにいちゃ、ダメなのかな?」

 それを気にしていたのか。ニーナがいなくなったら居場所がなくなる。シャガルはそれを恐れていた。子供が子供をしていない。なんなんだコイツ等は。オレがガキの頃なんて馬鹿王子だったぞ。頭いてぇよ。コイツ等に比べてオレときたら……。

「ガキが。大人しくガキしてろよ」


 シャガルの頭を撫でる。そんな顔するな。

「ガキはなぁ。大人に甘えてりゃいんだよ」

「ここにいていいの?」

「逆に何処へ行くんだよ。ふざけんな。ここがお前の家だろ」

「ねーちゃん……母ちゃんはさ。俺の事なんて全然好きじゃなかったよ。父ちゃんの事も、全然好きじゃなかったよ。母ちゃんにとって大事なのは姉ちゃんだけだった。姉ちゃんだけだったよ。だから俺、姉ちゃんが嫌いなんだ」

 頭を撫でるぐらいしかできねーよ。


 それから数週間後、この国始まって以来の、オレにとっての胸糞悪く因縁の強い内乱が始まってしまった。それを止める術はなく、命と尊厳の奪い合いに否応なく飲み込まれていった。

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えっちで可愛い魔法使いの男の娘は嫌いですか? 柴又又 @Neco8924Tyjhg

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