第36話

 次の日――朝は何時もの訓練。朝食。

「なんかお母さんから甘いニオイがする」

 時雨にそう指摘されてニーナを睨みつけた。コイツのせいで体から水蜜糖のニオイが染みついてとれない。ニーナは手を舐めるような仕草でからかってきた。

「ほんとだ。ねーちゃん達からいいニオイがする。俺達に黙って甘い物食べたんだな」

「水蜜糖のニオイだよ。後で飴作ってやるから震えて待ってろ」


 一晩寝たら二人共すっかり元気を取り戻したようだ。

「おはようのチュウは?」

「はいはい」

 時雨に一口、シャガルに一口、ニーナを眺め、ニーナが視線を逸らしたので頬へ口づけする。

「……お母さん」

「みんなにするべきだろ」

「……今はいいよ。今はね……今は、ね」

 時雨の髪を軽く撫でる。


 身支度を済ませ、軽い朝食をとったらギルドへ――。

 ギルドへ赴くとウルズは受付でぐったりとしていた。

「……はようごじゃいあす」

「大丈夫か?」

「事後処理が大変で……」

「悪い」

「……はははっ。これぐらいしか何もできませんからねぇ。へへへっ……依頼受けます?」


 これぐらいしか何もできませんからねという台詞は何処か違和感がある。頭が回っていないのかもしれない。

「三人にいつもの依頼を」

「わかりました。もう少ししたら決闘の取り分が払われますのでへへへっ」

「決闘に取り分なんてあんの?」

「……知らないで受けたんですか? 決闘は命以外を賭けて行うものです」

「マジかよ」

「マジですよ。そうすれば、おいそれと決闘なんて馬鹿な真似はしないでしょうからね」


 いや、それだと卑怯な手や、からめ手を使うアコギな輩が現れるだろう。結局弱者が貪られるだけになってしまう。実際時雨とシャガルが決闘に駆り立てられたぐらいだ。貴族などの力を持った者が有利になる仕組みだと察せられる。

 脇に痛みが走り視線を向けるとニーナがオレの脇腹をつねっていた。

「……あんたは?」

「オレは境会に呼ばれている」

「やらしい」

「お前の前ではな」

 ウルズが書類を取りに、時雨とシャガルが言い争う隙を狙いニーナのケツを撫でる。

「こっこのっ」

 いいケツだ。


 一応ニーナには説明しておく。

 依頼だから報酬が支払われる事。

 慰問の依頼にその手の、ニーナの考えるような依頼は無い事。

 手を握り唇を甲へ押しつけ、愛していると形作ると。

「うるさっ。きもい。マジできもい」

 そう告げられて、キレそうになった。

 この野郎……。キモイキモイ言いやがって。仕方ねーだろ。愛してんだからよ。


 ウルズに向き合うと、肩に柔らかい感触、ニーナが唇を、モゴモゴ動かされて、緩んでしまう唇を引き締める。

 正直境会で働くのは悪くない。魔物を殺すより手間が無いし安全だ。オレじゃなくて時雨とかシャガルに受けて欲しいけれど、指名がオレなのでこればかりはどうしようもない。報酬を提示されている手前、選択権はこちらには無いのだ。


 この辺りは聖水の力で木々の力が強く魔物があまり存在しない。それは【触覚】でも確認済みだ。境会の影響力が各国で強くなるのも頷ける。それを反故するのは将来を鑑みても時雨とシャガルのためにはならない。正直オレは境会に必要以上に介入したくない。したくはないが、良い顔をしておいて損はないし……選択肢として悪くはない。悪くはないと考えたい。


 ふと疑問が浮かぶ。

 ゴブリンはなぜ外壁に来られたんだ――。

 ゴブリンはなぜ聖域の中で苦しまない――睨まれ抓られ痛みで我に返る。

 時雨。腰に纏わりついて――顔を眺め背中に手を添える。


 お腹が空いたら街に戻り何か食べるようにお金をニーナに渡す。

 子供二人とウルズが余所見をした隙に、ニーナが首元に唇を押し付けて離れた。

「ちゃんとやってよね」

「気をつけてくれよ」

「……わかってる。大事にするわ……」

 あんたの愛する大事な体だから。

 口の動きだけでニーナは付け足すようにそう音の無い言葉を綴った。

 いや別に体だけを愛しているわけじゃねーよ。


 三人と別れて境会へ――境会へ到着すると相変わらず忙しそうで修道女達が慌ただしく働いていた。聖堂には何処かで会った事のあるような感じの人々が滞在しており――あの山賊に襲われた村から避難してきた人々が保護されているのだと気付いた。


 あの山賊の被害から何日経ったのか。村の存続が難しく街へ避難してきたのかもしれない。だが街へ避難したからと解決する問題でもないのだろうと察する。

 あれからしばらく時間が経過したはずなのに、人々の疲弊した様子を視界に収めて、肉体的にも精神的にもかなりの負担を背負ったのだろうと察する。男衆が軒並みやられたのは経済的にもかなりの痛手だっただろう。


 何人かがオレに気が付いて頭を垂れたので、膝をついて【依存】を発動し手を握った。

 荒れた肌、表情、髪――涙が溢れ出して止まらないようだった。尾を引いている。オレがそうだったように。こればかりはオレにはどうしようもない。

 ヘザーやグレイスも対応に追われているのか、とりあえずとやって来た修道女に休憩室へと案内され、魔力枯渇を起こした癒し手の面倒を見て欲しいとお願いされ世話をした。


 部屋へ赴き一人一人に聖水を飲ませ魔力循環を施し楽にさせる。どうやら循環に回す人員すら余裕がないようだ。

「……ありがとう。だいぶ楽になりました。私もお手伝いしますので」

「不測の事態もあるし、気持ちはわかるが今は魔力回復に努めたほうがいい」

「……すみません」

「仕事なので遠慮する必要はありません。貴方こそ、自分を大切にしなければいけません」

 彼女達につられてつい丁寧な口調になってしまった。なんだこの喋り方は……。

「……ありがとう、ございます」


 一人当たり五分もかからない。境会の全体的な人数は把握していないけれど、十二人の癒し手が魔力枯渇で呻いていた。一人一人の魔力量はそんなに多くないのかもしれない。

 のちに五人が運ばれて来たので対応し、その後に落ち着いたのかグレイスが扉を開いて顔を覗かせた。

 今度は炊き出しを手伝って欲しいとお願いされて、こき使われている。

 現在調理されている料理はスープのようだ。数種類の穀物と野草が使用されたスープのようで、味見させて頂くと薄味でもなく濃くもなく、ちゃんとした味……と語れなくもない。味ではない味、旨味の濃いオレ好みの味がした。


 ひたすら配給を繰り返し、落ち着くとオレにも一杯差し出されたが遠慮しておいた。

 応接室へ呼ばれ赴き扉をノック。どうぞと通された先、向けた視線の先ではヘザーがスープに口を付けて飲み干していた。

「ふぅ……食事をしながらで失礼しますね」


 忙しそうだ。治安が悪いし怪我人も多い。残酷な人間はとことん残酷で容赦がなく、他人の気持ちなんて考える余裕もない。被害者はただ被害を受け、加害者は勝手に罰せられる。そんな世界でも境会は良くやっていると感じる。

「かまわない。それで呼んだ理由は?」

「まずはお世話や炊き出しの件、お手伝いいただきありがとうございます。大変助かりました」

「仕事で報酬が貰えるのであれば別に構わない。それより、やり方は教えたはずだが?」

「……そんな二、三日で急にできたら苦労はしません。……貴方とは違います。それに癒し手に癒し手のお世話はさせられません」

「そうか。疑問に思っただけだ。馬鹿な質問をした」

「……私も少し言い過ぎました。皮肉を言ってしまいましたね」

「かまわない。それで話とは?」

「……実はアカシャの乱が本格的に現実味を帯びてきました」


 なんて返事をすればいいのか答えに困ってしまう。そうですか。そうなのか。そもそもオレはアカシャの乱と告げられてもピンとこない。

「内乱になればこの辺りも戦火に巻き込まれるかもしれません」

「難儀な話だ」

「……この街のギルド員が盗賊になった件、どうやらこちらもアカシャの民が扇動をしたようで間違えないとのことです」

「そうか……」


 そうかとしか言えんぞ。

「そうです。この国は現在困難に直面しています。このままならば沢山の犠牲者が現れ、それら全てを境会で保護するのは難しいでしょう。幸いこの街のアカシャの民の大多数が山賊として討たれました。しかしこのままならば報復が起こるのも時間の問題です」

「報復相手はこの街になるのか」

「そうなるでしょうね」

「そんな話をオレにしてどうする。領主と相談したほうがいいのではないか?」

「貴方も他人事ではないはずです。貴方はアカシャの民ではありません。しかもギルド員です。ギルド員は有事の際、それに参加する義務があります。内乱になれば貴方には事態に参入する義務があります。せっかく領主が派遣してきたキャラバンを貴方はどうしましたか? 現在この街のギルド員は貴方だけなのですよ?」

「吹っ掛けて来たのはオレじゃないし、子供に決闘を挑むような奴らが好きなのか?」

「そう言う問題では……ふううう……そう言う問題ではありません。責めているのではありませんよ」

「それにギルド員がおらずとも軍がいるだろう。この街の領主も軍を持っているはずだ。戦うのは軍が主力じゃないのか」

「軍は……王家ロードレアの王軍は約六万人で構成されています。しかし約二万がアカシャの民とも言われているのです。内乱になれば二万が離反するでしょう」


 簡単に二万と語っているがこれは致命傷だ。残りの四万人すべてを投入できるわけではないからだ。防衛や駐留に裂かれて実質三万を切るだろう。

「内乱が現実を帯びて来たのは理解できた。しかしこんな辺境の街があれこれ議論しても仕方ないだろう」

「……ここからは内密の話しです」

「それは聞きたくない」

「貴方は聞かなければなりません」

「その理由は?」

「小さな街と言うのが問題なのです……。この街は制圧対象になるでしょう。では制圧されたらどうなりますか? あの山賊達は何をしましたか? 私はそれが恐ろしい。彼らは男達を殺し、女たちを慰み者にするでしょう。それはこの境会であっても例外ではありません。貴方は逃げればいいかもしれません……だからこそ、そうなって欲しくない……。貴方にはこの街を守る者の一人になって欲しいのです。勝手なお願いですがそのためなら私は貴方に対しても容赦はしません」

「なるほどね。可愛らしい脅しはまぁいいよ。その考えは一理ある。だがオレはそこまで強くないよ。買い被りすぎだ」

「……私達境会は国々のパワーバランスには常に目を光らせています。こんな末端である私にも情報は流れてきます。今、世界は困難に直面しているのです。この国だけではありません。隣国エシャンティエラもまた戦火に包まれようとしています。ハイネベルグから贈られた妃を処してしまったのはご存じですか? その報復が起ころうとしているのです」


 寝水に耳だ。処された妃は顔見知りかもしらん。

「お前の言いたい事がわからない」

「隣国エシャンティエラからの派兵はほぼ望めないと言う事です。そしてこの国を脅かすのはアカシャの民だけではありません。隣国であるメルマスもまたこの機を窺っています」

「メルマスね」

「……境会は間諜を潰す役目も担っています」


 聞きたくなかった唐突な台詞が耳に入り顔をしかめるしかなかった。その話題を知ったらオレはもう境会から逃れられない。

 自由になるにはヘザーを殺して口封じをしなければならない可能性がある。だがヘザーは悪人じゃない。殺すのは無理だ。そして聞いてしまった以上知らんふりはもうできない。この卑怯者め。

「……グレイスか」

「……なぜ⁉ 知っていたのですか⁉」

「キースを殺したのはグレイスか。キースはメルマスの間諜だった」

「その通りです……。私達は秘密裡にこの国を守って来たのです」

「最近の殺人事件は……」


 それに対してヘザーは口を濁らせた。境会が間諜を暗殺している。これはかなり聞きたくない話だった。

「よくもまぁ……」

「……私達は、私達は弱き私達を守るためならば何事も厭いません。魔王復活を阻止するのが境会の役目ですから」


 唐突だがニーナの顔が脳裏を過った。ニーナの短剣の癖。あれが護身用の短剣術とは考えにくかった。父親に習ったと語った。これは本当に感だが、もしかしたらニーナの父親は間諜だったのかもしれない。そして間諜を殺す境会とニーナは折り合いが悪い。

「よくわかった。この話を聞いた以上、オレも関係者と言うわけか」

「逃げるな……とは言いません。脅しもしません。貴方一人なら逃げるのも容易なのは私も理解しています。ですが子供二人はどうですか? 逃げ続けますか? 何処へ行っても内乱からは逃れられませんよ?」


 思わず机を叩いてしまった。頭が真っ白になった。子供二人と言いやがったコイツ。

「子供を引き合いにだすんじゃねーよ。殺すぞ」

「私の命を取ったところで現実は変わりませんよ‼」

 立ち上がったヘザーは顔を近づけてオレを睨んでいた。

「このクソ野郎……。まぁいいだろう。どうせ戦争には参加しなければならないだろうからな」

「私達は守るためならなんだってします。なんだって‼ なんだってします‼」

「……机を叩いて悪かった」

「かまいません。子供を引き合いに出した私にも非があります。それほど切羽詰まっているという点をご理解頂きたい」

「……内乱は止められないと言う事か」

「アカシャの民はロードレア第二王女の処罰とロードレア王家を含んだ土地の割譲を望んでいます」

「他の王家は?」

「ヴィーナディース、ルナハイネンもこの事態を深刻に受け止めています。特にヴィーナディースは十一万の兵の内、約五万人がアカシャの民と言われています」

「致命的じゃないか」

「そうです……。致命的なのですよ。この内乱は……。当事者であるはずの第二王女はすでに国外に逃亡しました。致命的。致命的に悪い……悪いなんてものじゃないんです。致命的なのですよ。言葉では足りないぐらいに」


 頭が痛くなりそうだ。

「国を捨てたのか」

「えぇ……メルマスに亡命しました」

「アカシャの民のケツもちはおそらくメルマスなのだろう? だから間諜の話をオレにした」

「その通りです。今回の内乱にはメルマスが絡んでいます。メルマスは内乱後に第二王女を利用して国土を削り取る気なのです。そしてその削り取る末端がここムールデイなのですよ。面白くない話ではありませんか? 私は面白くありません……全然ね‼」

「もうなんて言ったらいいかわかんねぇよ」

「私の危機感をご理解いただけましたか? アカシャの民の要望は絶対に叶いません。なぜなら第二王女はすでに国外にいるからです。残るは土地の割譲です。王家はこれを絶対に許しません。内乱は確実に起こります。そしてその被害を受けるのは誰か」


 大きなため息が漏れてしまった。

 被害を受けるのは民なのだろうな。

 一部の人間のエゴで何時も大勢の人間が傷つく。それは王子だった元当事者のオレにも語れる話だ。

「アカシャの民の事、聞いてもいいか?」

「……ご存じありませんか?」


 この国の民なら誰でも知っている情報なのだろうな。オレはこの台詞で外から来た人間だとヘザーに悟られてしまった。それは別に構わない。

「あぁ」

「わかりました。アカシャの民とはここから南方に位置する砂漠の民です」

「南方の民?」

「はい。この国の前進は一つの国でした。しかし魔王の台頭により侵略を受け疲弊してしまいます。そこで前王国は南方の遊牧民アカシャの民に必ずあなた達に土地を譲り国を作ると約束して兵として駆り出しました。しかし魔王が討たれた後、王国は滅亡、複数の小国に別れて争うことになってしまいます。当然アカシャの民に対して約束された建国もならず、バラバラになったアカシャの民は小国達の管理下に置かれる事となってしまいます。現在は三つの王家が台頭し国を一つにまとめました。しかしアカシャの国はできていません。南方に戻っても良いと告げられ、はいそうですかとはなりませんよね? 今更不毛の土地に戻れだなんて」

「……あぁ、まぁ。約束が反故にされてキレたわけか」

「それをまとめ上げたのがジュシュア様です。ジュシュア様がロードレア王家に入ることで、ロードレアの土地をアカシャの故郷にする。そう言う計画だったのです。残念ながら第二王女の不貞によりジュシュア様は離反。第三王女様に討たれてしまいましたけれど」

 第三王女、その名前を確かめずにはいられなかった。

「……第三王女の名前を聞いてもいいか?」

「ミラジェーヌ様です。ミラジェーヌ・V(ヴァレンタイン)・ロードレアモン様です」

 顔を伏せてしまった。ミラジェーヌ。ジュシュア。この二つの名前が他人の空似で片づけられるのか。


 ……ジュシュアを殺したのはおそらくオレだ。

 第三王女――第三王女。ミラジェーヌはロードレアの第三王女なのか。まさか、まさかな。聞かされた情報によるストレスで顔が歪みそうになる。

 うそつき、うそつき、何が、何が。捨てられるわけだ。


 これはオレも片足を突っ込んでいる。

 しかしもうどうにもならない。じゃあ殺されて終われば良かったのかと問われてオレは納得できない。エゴなのか。オレのエゴで。ミラジェーヌ。どうして。オレがジュシュアを殺してしまったからか。


 あの時のオレが正気だったかと問われれば否だ。しかしそれは言い訳にはならない。

「わかった……。この街に残り、出来る限りのことはする」

「ご理解頂けて何よりです。貴方にはギルド員であると共に境会の指揮下に入って頂きます。指揮下と言っても命令するわけではありません。貴方が自由に戦えるように配慮するだけですので」

「わかった。ただ三つ条件がある」

「……できる限りは」

「一つ目、子供は巻き込むな。有事の際は時雨とシャガルを保護してくれ。オレはあいつらを人殺しにする気はない」

「それは可能です」

「二つ、ニーナに関してだ。境会は殺人の冤罪をニーナに押し付ける気なのだろう? 境会が間諜を殺しているなんて事案を知っている人間はほとんどいないはずだ」

「……そうですね。実際にはもうニーナさんは容疑者です。申し訳ないとは思っていますよ? しかし実際にニーナさんは殺人者です」

「やはり……」


 もうなんと言葉を口にしたらいいのか頭が重い。

「ニーナさんは養父を殺しています。そしてその後、実父を裏切り境会へと情報を漏らした間諜を殺しています。さらに……生きるために自身を売り出し買った人間を殺して金品を奪っています。これらは事実であり決して見逃す事のできない罪です。それを断罪できるのはもちろん私達ではなく法と王家ですが」


 母親が火を点けたのは……。

「そうか……理解した」

「境会としてニーナさんにはできる限りの譲歩はします。お望みとあらば他国へ逃がす事も十分に可能です」

「そうか。頼む」

「……わかりました」

「最後の一つだ」

「なんでしょう?」

「内乱でこの街を守った暁に、もしその成果が看過できないものであったのなら、お前を貰う」

「……私を、ですか?」

「そうだ。オレはおそらく人を殺すだろう。その責をお前にも背負ってもらう」

「……私は誓いを立てているので婚姻は」

「婚姻しろとは言っていない。境会を抜けて時雨とシャガル、二人の保護者として子供の世話をしろ。それが条件だ。お前がオレの働きに対して見過ごす事のできない、目を反らす事のできないものだと感じたらでいい」

「……わかりました。貴方の働きがそれほどのものならば、私は喜んで身を捧げます。それほどならば私一人喜んで嫁ぎましょう」

「……嫁げとは言っていない」

「同じことでしょう」


 全然ちげーだろ。

 戦乱になればオレが殺す人間の数は十や百では足りなくなる。それは子供にとって良くない。良くないだろう。そのオレが保護者なんてやれるわけがないのだ。

 綺麗な人間が必要だ。手の綺麗な人間が。

「これまで通りこれから毎日境会から依頼を出します。情報を共有するためです。慰問や炊き出しなど手伝って頂きますが報酬はお支払い致します」

「わかった」

「ニーナさんのリミットは明日の朝です」

「……そうか」

 出来る限りの事はする。オレに出来る限りの事は……。

「一応……一応言い訳を伝えておきますが、彼女が殺したのは殺されても仕方のないような屑ばかりでしたよ」

「そうかよ……」

「この戦乱が終わった暁にはニーナさんを死亡者扱いとして、新たに別人として向か入れる事をお約束いたします」

「先の長い話だ」

 ニーナが無事ならそれでいい。例えもう会えなくなったとしても。


 応接室の扉を閉めるとグレイスが立っていた。依頼達成書を受け取り、聖水を汲んで良いか聞く。良いと言われたので裏手に。水路の砂はかき出したはずなのにもう溜まり始めていた。

「聞きましたか?」


 グレイスにそう問われ、盗み聞きするなと脳裏を過る。

「何をだ?」

「軽蔑しますか?」

 げんなりするからやめろ。

「オレだって人ぐらい殺した事はある。そいつらはみんな悪い奴じゃなかった。そうやって罪悪感にまみれるぐらいなら最初からするな」

「選択肢がなかったので」

「あぁ……そいつは悪かったな」

「私はメルマスによって改造された獣魔です。そのうち獣になるでしょう。理性すら失うかもしれません。この手で殺した人達の顔を、一人一人私は今でも覚えています」

「そんなもん忘れちまえ」

「ふふっ。そうですね。ですがそんな私でも……たまに夢を見る事があります。所帯を持ち旦那様に寄り添う夢を見るのです」


 ボソリと呟かれた言葉に嫌になる。しっかり乙女しやがってこの野郎。

「……いえ、なんでもないです」

「お前、可愛いもんな」

「……え?」

「まぁヘザーならお前の記録ぐらい何とかしてくれるだろ」

「……それはどういう」

「もしお前が獣になったら……オレの所に来ればいい。世話ぐらいしてやる」


 解析データーを開く――魔獣化の式を消すことは可能だろう。だが普通になったグレイスはこの状況を乗り切る事ができるだろうか。無理なのは明白で……魔獣の元と思われる名前の欄を魔術【半獣化】で埋めておいた。これでこの術式では半獣化で固定され魔物に変貌する事はないだろう。グレイスが獣になることはない。半獣化は止められないだろうけれど。

「獣じゃなくても貰ってください……言質取りましたからね」

 いや、世話をしてやるってそう言う意味じゃねーよ。


 訂正する前にグレイスはフードを深くかぶると何処かへ行ってしまった。

「まったく……」

 子供の面倒が一人増えた所で問題はないだろう。それよりも今は内戦だ。ヘザーの情報が確かならば本当に内戦になるのだろう。嫌なものだ。嫌な物が多すぎて頭が痛い。

 ジュシュア……あの野郎。そんな重要人物だったなら顔に書いとけよ。あのクソ野郎。ぶっ殺してやりたいよ。いや、もうぶっ殺しちまったんだけど。

 どう考えても、オレは正義じゃないよな。

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