第35話

 オレとニーナの関係をやんわりとヘザーへ伝える。身寄りのない者同士、身を寄せ合っているだけだと伝えた。

「そういえば、境会は二人を受け入れなかったと聞いたが」

「……境会は慈愛団体ではございません。あくまでも慈善団体です。彼女が境会へ保護を求めて来た時、彼女の母親はまだ存命でございました。また彼女の母親が彼女が境会へ所属することを反対しております。それは私共にはどうすることもできません。ご両親が亡くなった時、治療だけでもどうかと申し出たのですが突っぱねられてしまいました。拒否したのを根にもっていたのかもしれませんね。境会が保護すると言うのは境会に所属すると言う事です。所属すれば境会の規則に縛られます。それは容易なことではありません」

「……そうか」

「申し訳ない限りです……私(わたくし)はそろそろ境会に戻りますね。不快な話かもしれませんが、くれぐれもご用心なさってください。あっ実はシックスさんにお願いがあるのですが、明日、ギルドに寄ったあと境会へいらして頂けますか?」

「かまわない」

「ではお待ちしております」


 ヘザーはそう告げると頭を下げたのでこちらも頭を下げた。

 改めてお世話になった例を――。

「ヘザーさん」

「なんでしょう」

「世話になった。ありがとう」

「いいえ。お互い様です。ではまた明日」


 ヘザーが去った後、僅かな残り香が漂っていた。いい女だと感じていたが……。

「行っちゃいましたね」

「あぁ」

「仕方ないんですよ。この街で孤児って見ないですよね?」

「あぁ」

「孤児が男児であれば国が引き取り兵士として育て、女児であれば境会が引き取り育てるのが仕来りです。姉弟であっても二人が一緒に育つことは困難です。ニーナさんはそれが嫌だったのかもしれませんね」


 そうは……それはオレが察せられるものではないか。

 ニーナが人殺しをするような人間には――オレがニーナの全てを理解しているわけではない。可能性がないわけじゃない。ニーナは剣技を修めている。父親に習ったと語っていた。父親があのような剣技を娘に教えるのか……。

「銀のキバですが、今回の件でキャラバンは解散になるでしょうね。報復を行った団員は全員拘束されました。決闘は正当性が証明されています。前線への強制参加となるでしょうから、もう心配ならさらないでください」

「……悪かった」

「……いえ。そもそもギルドの不手際ですしね。前ギルド長が盗賊になるようなアレですからね。へへへ。それにあの人達女癖も悪くて大変でしたしね。私は誘われませんでしたけどね。へへへ。私は誘われませんでしたけどね。へへへっ。私は誘われませんでしたけどね‼」

「わかったから落ち着けよ」

「絶対許さない‼」

「……お前、誘われたら乗ったのかよ」

「それとこれとは別問題です‼ 私‼ 恋愛はちゃんとしたい方です‼ 初めてが流されてなんて絶対嫌ですからね‼」

 なんだコイツ……。乙女心は複雑なのだな。それは男であるオレには理解できない感情なのかもしれない。


 ウルズと別れ門の外へ――テントの前にいた時雨とシャガルの視線が刺さる。

 二人が駆け足で傍へ――突進されたので体重を受け止める。ちゃんと重くなっている。

「お母さん‼」

「ねーちゃん‼」

 オレはお母さんでもねーちゃんでもねーよ。

「オレは母さんでもねーちゃんでもねぇよクソガキ共」

「ねーちゃん相当疲れてるんだな……ごめんね。俺のせいで」

「……ごめんなさい。時雨のせいで」

 なんだそれ。

「それやめろ」

「……だって」


 なんだ。この。なんだ。オレが悪いのか。いやでもオレは母でも姉でもない。

「ちょっと強く言い過ぎた」

 飛びついて来た二人を抱えながら辺りを見回す。ニーナがいない。少なくとも目視では確認できない。

「あの不良娘はどうした?」

「だれが不良娘よ」


 テントの中から顔を出したニーナを視認し心の中で少し安堵していた。

 肌を合わせて安心したいだなんて嫌な考えが脳裏を過り、ため息が漏れる。

 もうラーナを忘れたのか。もう……。縋り付きたい自分が嫌だよ。それでもニーナに寄り添いたいだなんて笑ってしまう。その手を取り頬に当てがいたいだなんて、笑ってしまう。

 だが耐え切れずに、手を取り頬へあてがってしまった。ニーナは顔を背けながら、視線だけはオレへと向けていた。

「……ふん」

 手の上から手を握り、誘導するように鎖骨のラインをなぞらせる。


 ニーナはその様子に奥歯を噛むようにオレを睨んでいた。

「……おかーさん? 怒るよ?」

 なんで怒るんだよ――手を離して時雨を抱きあげる。

「そーだよね。そーだよ。コレが正解だよね」

「チックソがっ」

 今度はニーナに睨まれた。なんなんだよお前ら。シャガルの不思議そうな面に共感してしまう。


 もう昼過ぎだ。どっと疲れた。口の中が気持ち悪いのでテントの中にあった水筒から水を流し口の中を雪ぐ。終えたらテントの中で横になる。時雨が傍を離れない。時雨を抱え上げて寝かせて添い寝させる。

「きもちわる」

 ニーナはそう呟いたが時雨は気持ち悪そうではなかった。顔にかかった髪を拭い眺めながら頭や頬を撫でる。時雨は少し笑みを浮かべていた。肩やお腹を撫でる。


 眠くなってきたので少々昼寝――意識が戻ると結局みんなで昼寝していた。気持ち悪いと語っておきながら、ニーナの手は服の裾を握っていた。

 だいぶ寝てしまったと感じたが、テントの外はまだ陽が落ちていなかった。

 なんだか、とても良いと感じてしまった。こうして川の字で寝ているのに妙な癒しを感じて微睡んでしまった。


 腕の中の時雨を愛でる。頭に這わせる手の平。流れるように手の甲で頬を撫でる。指で軽く摘まんで。柔らかいほっぺに刺激を与える。

「ふひっふひっ……」

 時雨はくすぐったそうに身悶えし、胸の中に顔を埋めてきた。頭に唇を押し付けて――耳を指で擦る。

「お母さん……おかあさん。ふひっふひひっ」


 体勢を変えて天井を――喧騒が嘘のよう。

 反対側のシャガルの髪に指を通す。薄金色の髪――オレが脳を弄ったあたりだけが燃えるような赤色へと変わっていた。そっと唇を添える。頬を撫で。


 メイリアを思い出していた。メイリアの表情を思い出していた。

 笑った顔。困った顔。怒った顔。恥ずかしそうな顔。一緒にいた事。好きだった事。愛していた事。心の奥底にいる事。ラーナに申し訳ない事。メイリアに申し訳ない事。ミラジェーヌに申し訳なかった事。

 ラーナの笑顔。少しはにかむとこ。手を広げて抱きしめてくれたこと。怒ると真顔になるところ。

 オレの選択は間違えだったのだろうか。

 もっと別の行動をすれば、結果は違ったのだろうか。

 メイリアと離れずに済んだのだろうか。

 上手に生きているだろうか。夜は眠れているだろうか。寂しくないだろうか。怒っていないだろうか。苦しいなら思い出さないで忘れてほしい。

 でも嬉しいから思い出してほしい。

 ラーナは……ごめんね。


 もっと上手に立ち回っていれば――。

 そのどれもが、自分の都合の良い言い訳でしかない。

 そしてニーナも……だが未来を把握できるほど、オレは優秀ではない。

 未来を知り自分の望み通りに生きるのは、それこそ卑怯な生き方のような気がしてしまった。みんなを自分の都合の良いように騙すことになるのだから。

 立ち止まれない。何があっても時間は不可逆で、どれだけ嘆こうとも立ち止まれない。

 だからこそ、理想に縋りつくのかもしれない。


 頬を撫でられて視線を向ける――ニーナが微睡むようにオレを眺めていた。頬を悪戯っぽく流れる指。

「……泣いてるの?」

「……いいや」

 そんな資格がない。全部、オレが自分で下した決断とその結果だ。


 身を乗り出してきたニーナの唇が、頬に触れて――。

「しょっぱいね」

 そう告げられた。視線を絡め合い――唇をそっと触れさせる。

「ふふっ」


 微睡みと静けさの中――ニーナの唇の感触だけが妙に温かかった。

 優しく触れては離れ、瞼を閉じて、開くと緩んだニーナの表情、絡まる視線と、もう一度と柔らかく唇を触れさせあう。

 小鳥が囀るように――重なるまつ毛がこそばゆく。

 獣の番が睦み合うように、ただ唇や頬を触れあわせていた。

 全然満足できなくて。もっと触れあっていたくて。触れあっていると眠くなって。不意に意識を失って。目が覚めるとニーナは眼前にいて。深い呼吸の波に誘われて。唇を寄せて。ニーナはこそばゆそうに笑みを浮かべて。何度も唇を触れさせて囀りあう。

 子供達が目を覚ましたら、この魔術は解けてしまう――それでいい。


 今日は街の中で外食することにした。

「いい店があったら教えてくれよ」

 テントを畳みながらニーナにそう告げると、外食なのが嬉しいのか案内してくれるようだった。オレの飯は嫌なのかよ。そうは考えたが、本職と素人なら本職の方がいいだろうと考え直す。

 門の兵士に声をかけ、テントを預かって貰えないか頼んだ。快く了承して貰えて。境会の影響が表れているのかもしれない。


 大衆食堂のような場所に案内され好きな物を注文するように告げた。

 オレはミーチャオ(4チーク)を頼んだ。

 今更だけど料理名から料理が察せられない。ニーナにこれで大丈夫だと告げられたので頼んでしまった。


 時雨もオレと同じものを頼んだ。頭に手を這わせ、頬を甲で撫でる。時雨の小さい二つの手がオレの手を握り返し、こうして握り返される行為が妙に心地よい温かさだった。

 シャガルがそっぽを向いたので、シャガルに手を伸ばして体に引き寄せる。

「へへっねーちゃん」

 机の下でニーナの足が触れ、触れるとニーナはオレの反応を眺める。もう一度触れ、オレからも足を摺り寄せる。


 ニーナはロンチャオロン(5チーク)。

 シャガルはカムターム(4チーク)。

 食品は基本的に高いようだ。半自給自足だから仕方がない。


 待つ間の手持無沙汰。他愛の無い会話。

 やがて運ばれてきた料理で中断するにはもったいないけど。

 ミーチャオ(蒸しパンと香草の卵あえ)――目玉焼きを中心として干し肉や葉野菜などを並べてタレに浸したものだった。付属にパンがある。パンも焼き立てなのか湯気が昇っていた。割いて眺めるとパンの中身は紫色だった。これは芋なのだそうだ。蒸すとパン状になる芋。


 ニーナの頼んだロンチャオロン(ラロッツァ風スパイシースープ)。

 ラロッツァに複数の薬味を細かく刻んで混ぜた温かいお粥状スープのようだ。


 カムターム(甘辛タレ、混ざる肉とパンのコンフォート)。

 イモパンを細かくパン粉状にし、上に蛇肉の串焼きやイノシシの肉、野菜をゴロゴロのっけてタレをかけたものみたいだ。


 ミーチャオに乗っている卵は蛇の卵。

 普通に旨かった。トマト風の酸味が強いソースに味の薄いイモパンを擦り食べるとたまらない。

 ニーナからロンチャオロンを一口貰ったが、スパイシーなお粥だった。ショウガのようなニオイが強くて口の中が温かくなる。

「食べてみる?」

 そう告げられ、スプーンに一杯。差し出されるとは考えていなくて、目を丸くして。口に含むと時雨が怒って。

 カムタームは味見しなくてもいいと考えていたがシャガルが寄越したので一口頂いて。


 みんなが皿の物を少しずつ混ぜ合うのが食堂での家族の在り方なんだとさ。

 色々な料理が複雑に絡み合うほどに美味しくなる。だから家族が増えて注文する料理が増えるほどに美味しくなるのだと店員さんが教えてくれた。

 それに対してニーナが都合の良い売り文句よと。少し笑うとニーナは怒った。


 ミーチャオで久しぶりに卵を食べた気がする。卵はやっぱり旨い。

 ロンチャオロンは具合が悪い時の食事に良さそうだ。ニーナはもしかして具合が悪いのかと眺めていたら、時雨に脇腹をつねられて痛かった。なぜつねる。

「……何よ」

「具合が悪いのか?」

「違うわよ。スープが飲みたい気分だったの」

「ねーちゃん。ねぇちゃんは殺しても死なないから心配しなくていいよ」

「クッッッッソ生意気‼」

「いてててっやめろ‼」


 オレの知らない料理ばかりだ。

 食堂の料理は基本的にスパイシーで味が濃かった。悪くはないけれど……子供が食べる料理ではないなと妙な感想を浮かべてしまう。

 夜の街はいい香りに溢れていた。でかい鍋が立ち並び人々の往来がある。雑多な会話に溢れ、妙な高揚感がある。

 基本的に料理は大量に作って売切れたら終了のように感じる。お金がある時は屋台でいいのかもしれない。


 パンイモは練ったらちゃんとパンになりそうなものだが、そうしないのは練るだけ時間の無駄なのだろうな。ラーロの実と違い練る必要がないぶん安価で流通しているのかもしれない。ラーロは沼地が無いと育たないし、栽培には向いていないのかもしれない。

「お腹いっぱいになったかよ」

「ねーちゃん串焼き頼んでいい?」

「あぁ。いっぱい食べな」

「あーじゃあ、あたしも」

「時雨はいいのか?」

「時雨も頼んでいい?」

「せっかくなんだからちゃんと食べな」

「うん‼」


 シャガルは良く食べている。ニーナは食事をゆっくり味わうタイプだ。

 時雨は食事を味わうと言うよりは遅いようだ。

 シャガルやニーナと違い、時雨は魔術師タイプとも戦士タイプとも異なるタイプの人間に感じる。それをオレが無理やり戦士よりに改造してしまった。良くなかったかもしれないと考えつつ、それでもオレがいなくとも生きていけるだけの何かを与えてあげたかったとエゴも出る。

 だがやはりエゴはエゴだ。時雨は戦闘に向いていない。肉体的と言うよりも精神面で。

 それを捻じ曲げるような事はしたくない……。


 攻撃タイプと防御タイプがあるのなら、時雨は防御タイプなのだろう。

 逆にシャガルは攻撃タイプだ。

 串焼きを注文し、ブロックの肉を串より外してナイフで小さく切り分け、フォークに突いて時雨に差し出す。時雨はフォークの肉を見て、それからオレを見上げ、口の中の物を咀嚼しながらフォークの先の肉を口に含んだ。

「ゆっくりでいい」

 手の甲で髪を撫でる。咀嚼回数が多い。それは悪い事ではない。顎が弱いのかもしれない。頭に口付けする。

「きもっ」

 ニーナにそう呟かれ。

「お前にもしてやろうか?」

「絶対ダメだから。娘の特権だから」

 時雨がそう答えて驚いた。

「キモイからいい」

「いいって。お母さん」

 お前らさ……キモイキモイ言うなよ。


 食事を終えたら門の外へ帰る。

 門番に預けていたテントを回収して再び広げる。この作業が地味に面倒だが、帰って来たところでテントが占拠されていたり、悪戯や汚されていたりするのは困る。

 お湯を沸かして体を拭き歯磨きを済ませ、後は寝るだけ。


 時雨の体を軽くマッサージ。足の関節を良く解し和らげる。体は出来る限り柔らかい方がいい。時雨の体はかたい。傍に来たシャガルも柔軟をしていたので手伝う。手伝うとシャガルは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 コメカミにおやすみの口付けをすると時雨は船を漕ぎ始め、やがて眠りに落ちていく。

 沢山寝て良い。沢山寝られる環境を与えるのがオレの仕事なのかもしれない。

 【依存】で深くスヤつかせる。沢山寝な。

 シャガルのコメカミに口付けするか悩んだが、シャガルがじっとこちらを窺っていたので口付けすることにした。

 シャガルにも【依存】を使用し深くスヤつかせる。


 二人が寝入る――ニーナはまだ寝ないのか髪を弄っていた。こちらへ視線を向けないので時雨の頬を撫でながら眺めていると、ニーナはちらりとこちらを窺い、手を差し出して来た。

 なんで気まずそうに、いや気恥ずかしそうなんだよ。

 毛皮で時雨とシャガルをしっかりと包み込む。二匹の猫が傍で丸くなった。


 時雨とシャガルを起こさないように気を付け、ニーナを抱え上げる――ニーナは驚いた表情をして、でも抵抗はしなかった。

 テントの裏手で【玉繭】を発動しニーナを横たえ脱いで覆う。

「なによ」

 ニーナに対しては積極的に求めた方がいいのかもしれない。覆いかぶさり抑え込んで密着して動けないようにする。

「ちょっと」

「お前キースと裏路地に行ったそうだな」

「何? 誰かから聞いたわけ? そうよ? それが何?」


 顔だけをあげてニーナを見下げていた。少し嫉妬のようなものを覚えていた。だけれどほんの少しだ。キースの変死……それが少し尾を引いていた。

「だから何よ。何? 嫉妬してるわけ?」

 このセリフの分だとキースの死についてはまだ知っていないのかもしれない。

「そうだよ」

「あたし別にあんたの女じゃないっちょっと」

 強く体を密着させ腕で腕を掴み拘束しゆっくりと埋もれる。体と体が合わさりパズルのピースのように合わさり――ニーナは少しの抵抗を見せたが力で無理やり抑えこんでしまった。

「痛いんですけど」

「お前が悪い」

「だっさ」

「ださいよ」

「そんなにあたしが欲しいわけ?」

「あぁ」

「はぁ⁉ きもっ‼」


 ずっと後悔していた事がある。オレはラーナに愛していると告げなかった。告げていなかった。メイリアに悪いと考えたからだ。でもそれはラーナにとても失礼だった。痛みや誹りはオレだけが受けるものだ。もう伝えられないラーナを考えると自分があまりにも愚かで仕方がなかった。

「ニーナ」

「なによ?」

 唇に唇を寄せると、ニーナが唇を尖らせる動作をした。拒否はされていない。触れ合わせ音を立てる。

「……愛してる」


 そう告げるとニーナの目が大きく見開き瞳孔が開いた。

「きっ気持ちわるっ」

「好きだよ」

「ばっ‼ 馬鹿が‼」

 ぴったりと寄り添いながら、ただその二つの言葉を永遠と繰り返していた。やがてニーナの動きは緩慢になり、体から力が抜けて柔らかくなっていく。赤味の増した表情は緩み、リラックスするように目元が潤んだ。汗が張り付きニオイが増した。


 離れようとするとひっくり返されて。

「クソ野郎‼ クソ野郎‼ クソ野郎‼ 離れようとしてんじゃねーよ」

 と言われて離れるのを拒否された。背中を撫でてひっくり返し、また求める。

「……キースとは?」

 耳元で囁き責める。

「……関係ないだろ。お前には」

「関係あるだろ」

「意味わかんない」

「お前を独り占めしたいんだよ」

「クソ野郎」


 ぽつりぽつりとニーナは話した。何もなかったそうだ。キースはニーナの足に触れスカートをめくったが、モモから下腹に広がる傷跡を視認すると吐き逃げて行ったとニーナは嬉しそうに語った。拒否されたのが嬉しいようだった。

「……あいつの顔、ほんと傑作だったわ」

「求められていたらどうするつもりだったんだ」

「蹴り上げて逃げるつもりだったわよ」

「他人に肌を見せるなよ」

「お前に関係ないだろ」

「関係あるだろ」

「ないくっこのっグリグリするな……この馬鹿」

「お前が悪い」


 キースの変死には関わっていないのか――どちらにしてもニーナは目をつけられている。犯人が見つからなかった場合、ニーナが容疑者として拘束される可能性はある。ただ、ただなぜだか、ニーナからは人を殺したことがあるような、そんなニオイがしていた。


 ただの感であることは否めない。同じ穴のムジナ。そう感じる。感じるだけだ。ただの勘違いかもしれない。独特の焦りのようなものを感じていた。その視覚から得る感覚はオレが人を殺してしまった時に感じていた焦りに良く似ていた。

「お前の所有物じゃない」

「愛してるんだよ」

「クッ‼ このっ‼ クソッ‼ よくもそんな台詞を‼」


 ニーナの体に魔力を通す。回路に通した魔力を循環させる。よりスムーズに動くようにより流れる量が多くなるように。頭皮に浸透し、【触覚】の覚醒を促す。ニーナには【触覚】が必要だと感じたからだ。

「ふうっ……ふぅ、あつい」

「もっとあつくなればいい。この傷も、オレにとっては宝物だ」

「ふぅっふぅっなによ……」

 梅雨――湿っぽく蒸し暑い。

 あの暑さによく似ていて、もっとめちゃくちゃになればいいと感じた。

 混ざる熱と少しだけしょっぱくて彼女のニオイがした。

 解けてドロドロになればいい。汗と体温と意思と全てが混ざり合えば、きっと蝶になれるから。


 理性をかなぐり捨てて求めるニーナを理性をかなぐり捨てて求めた。お互い求めるからおかしくなる。何処かぎこちなく、リズムもタイミングも合わない。それなのにもっともっとと求めあう。夜のニオイ。草の音。体温。

 手に取った水筒。聖水。瞳。虹彩。輪郭。暗闇の中でも。

 手で触れた頬。悪戯に微笑む人。水密糖。

「食べ物で遊ぶな」

「いいでしょ別に。それに、粗末になんてしてないわ」

 握られた指。流れの遅い時間。手の動きすら緩慢に。笑み。心臓だけが熱く、味わうように重なる。


 ずっと寄り添っていたいと――癒されてしまっている自分が悲しくなる。過去の人を過去にしてしまっている自分が嫌になる。すでに起こってしまった行動を忘れようとしている自分に辟易する。

「……愛してる」

「もう聞いた」

「愛してる」

「なんなの? あたしはお金で買われてるんだよ‼ あんたに‼」

「愛してる」

「寝所での男の言葉って信用ならないってジンクス知ってる?」

「こんな気持ちになってしまうんだ」

 魔術【サキミ】を発動した手でニーナの手を握る。

「……なに? あんたあたしといるとこんな気持ちになるわけ? きもちわる」

「……そうだよ」

「きもちわるっ」


 ニーナは顔を歪めて、泣きそうな顔をして、近づいて、寄せる頬。

「馬鹿だよ……ほんと馬鹿。でも……そんな馬鹿に引かれるあたしもほんと馬鹿。遅いよ。遅い。もっと早く出会いたかった。もっと早く出会っていたら……あたしは、綺麗なままで、貴方の傍にいられたのに」

「……十分綺麗だろ」

 そう告げると、ニーナは大粒の涙をこぼした。愛しあっているのに悲しくて泣いているなんて変な話だ。

「……ばか。ほんとに馬鹿。あたしの事なんて何にも知らない癖に」

「この気持ちさえあればいいだろ」

「……ほんと馬鹿だよ」


 慈しみ合う。ゆっくりと理性を伴いながら、丸めた舌で感じる指の形。涙の温度。傷跡から滲むその痛みを慰めあっている。

「好きよ。あたしも……好き。愛してるって変な感じ。好きよ。愛してる。ずっとわからなかったけど、愛しているって感覚。今は、なんとなくわかるの。あたし、多分あんたを愛してる。ずっとあんたが欲しかった。でも今は……」


 胸の中に妙な温かみがあって、ニーナの事を考えていた。どうすれば喜んでくれるだろうと考えていて。尽くしたいと考えていた。

 柔らかく、大切に扱いたい。貴方に笑顔でいてほしい。

 ニーナの笑顔を想像し、ニーナが笑むとつられるように笑んでしまう。その手も、体も、心も、なにかも大切にしてほしい。大切に扱いたい。

「愛してる」

「あたしも、あんたを愛してる」


 ありきたりな台詞でも、お互い以外の理解の仕方とは異なっている。

 相手を慈しむように混ざり合い、優しく何度も求めあう。相手が喜んでくれるのが嬉しくて、相手が自分を喜ばそうとしてくれることが何よりも嬉しい。

 この身を差し出しても、献身的に尽くしても構わない。


 一方通行では成り立たたないものだ。同じものを返されて初めて成立する。愛するだけでは意味がなく愛されて初めて成立するものだから。

 それを証明するのは難しく――疑心暗鬼となり疑い嫉妬し嫌悪し合い。不安に襲われて。プライドや恥ずかしさで言葉にするのが難しく。伝えなくとも伝わるものだとそんな理想で誤魔化して有耶無耶にしてしまう。

 オレもそうだ。だから。

「ニーナ……」

「……なによ」

「愛してる」

「何回も言わなくてもいいわよ……なんか軽くなるじゃない」

「愛してるんだ」

「わかったってば‼ あー……もうっやだもう」

「愛してる」

「くううううう……もう‼ あんたが悪い。あんたが悪いんだから‼ すきっすきいい‼ 愛してるの。あたしもっあたしもっあんたを愛してる。愛してるの。愛してる。ねぇ? わかる? あたしの気持ち」

「わかるよ。オレも愛してる」

「愛してる。愛してる。ねぇ……貴方を愛してる」

 寄せあった頬。許される距離。


 テントの中に戻っても指が触れ合う。僅かに、ほんの少し、離れそうになると寄せられて、指の間に指が通る。瞼の裏にある輪郭が目を開けてもそのままで。手を通して彼女を魔術で癒す。何は無くとも唇を寄せてしまう。

 時雨の寝息、シャガルの寝顔。手を掴む彼女が温かくて困った。

 これが毎日続くのは――想像するだけでも……。

 傍にいてさえ居てくれれば……それが理想である事も、それが許されないのも理解している。

 彼女の目が、その目がオレの傍にはいないだろう未来を予感させていた。

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