第32話
ニーナを置いて二人と連れ立つ。
「待ってください。シックスさん。これ、今日の分のボタンです」
眼鏡が駆け足で近づいてくる。その姿がちょっと間抜けで緩んでしまった。そのタイトのスカートじゃ走りにくいだろ。差し出されたのはお肉(ボタン)。
「いいのか?」
「もちろん‼ その代わり、ちゃんと指名依頼は受けて下さいよ」
「考えとく。そのスカート、走りにくそうだな」
「ギルド職員の制服なんです……」
今日の報酬でもろもろ経費込み283チークだ。
「おーい‼ 肉ならたんまりご馳走するぜ‼ こっちの棒肉でもいいけどよぉ‼」
「ぎゃははっ」
「言っときますけど、彼女は境会から指名が入るほどのお気に入りです‼ 何かあれば境会との折り合いが悪くなるのを考慮して接してください‼」
彼女じゃねぇけど――眼鏡の奴。人員が増えて、卑屈も薄らいで良かったな。
眼鏡に部屋の話を聞いてなかったのを思い出し、しかし今更戻るのも気が引けて、あの猟兵団との折り合いは、平等ではなくこちらが折れなければ成り立たないだろう。
変なプライドを感じて嫌にもなる。別にへりくだっても構わないのに。歯をむき出して抗おうとしてしまう。嫌なものだ。
思い切ってテントを買った。タマネギモドキ、ジャガイモモドキ、ラーロの実とモリノハ(葉野菜っぽい植物)、芋も買う。
残りは17チークだ。
「ねーちゃん俺が荷物持つよ」
「ありがとう」
「へへへっ」
「シャガルのいい子ちゃんぶりっこ‼ お母さん私も‼」
「べーだっ。俺はいい子ちゃんなんだよ」
「気持ち悪い‼ シャガル馬鹿‼ ほんと馬鹿‼ 嫌い‼ ほんと嫌い‼」
「俺だって嫌いだよべろべろばー‼」
「この野郎‼」
「はいはい二人共。さっさと行くぞ」
「待ってよねーちゃん。べー」
「このクソボケ‼ おかーさん‼」
門の外へと進む時、門番にテントを立てても大丈夫かお伺いを立てたが問題ないと告げられた。ただ周りの人間には気を付けるように忠告も受けた。水場が門から離れているし、人が多い水路は避けるよう促され。
できれば門の近くが良いと助言され、何かあれば詰め所に駆け込むようにとも告げられた。
最近は殺人事件もある。子供が誘拐される事も結構な頻度であるのだそうだ。使わない時は解体するように注意を受けて、なぜかと問うと、放置している間に知らない人間に占拠されていたり使われていたりするのだそうだと答が返って来た。
それはごめん蒙(こうむ)る。
ニーナが今日帰って来るか判断できないが、わかりやすい所が良いだろう。
門から窺える範囲、街道右の草地にテントを設営した。
まずは布を敷、木材で組まれた三角形の小さな天井に三つの長い棒を組み込み立てる。
折り返した布をかぶせて包み、岩などの重りで布を地面に固定したら完成だ。見たまんま三角形のテントであまり広くはない。しかし音と光は十分に遮断でき、布は丈夫そうで何より撥水効果もあるので雨風も十二分に凌げそうだった。
この布の値段が張るようだ。布の面積は広く床までも覆うように設計されている。三つの支柱が連なり、布の上に重りの岩を置く事で簡単に固定もできる。支柱、布、岩をバランス良く配置できれば簡易ながらに強く固定もできそうだ。全体的な中古感は否めないけれど新品はもっと値が張るだろうし期待はしていない。
入口はスリット状で閉じてから岩で重しをすれば外部からの侵入も容易ではないだろう。もちろん刃物で布を切り裂かれない限りの話だが。
中で火は扱えないが、入り口がスリット状なので開いて固定すればオープンにもできる。
今夜は雨が降りそうだ。
時雨とシャガルはテントを気に入ったようだった。
入り口を開いて夕食の準備をする。
組んだ岩に火を焚いて、今日の夕食はなんちゃってシチューだ。
ラーロ粥に小さなタマネギモドキ、小さなジャガイモモドキを洗い崩し、丸ごと投入。モリノハ、ボタン(しし肉)を細切れにして加えて煮る。
ついでに芋とラーロの実を処理してラロッツァの準備をしておく。明日の朝食だ。ついでに水蜜糖も作る。ラロッツァの延長上が水蜜糖だ。
タマネギモドキはタマネギとは呼んでいるが、味が無くねっとりホクホクしており、味の無いニンニクみたいだ。
ジャガイモモドキは甘くてシャクシャクしていた。
かぼちゃとサツマイモを混ぜたような味。悪くはない。
モリノハは苦く、ボタンの脂は旨味があり肉自体の触感が良い。
ラーロ粥はホワイトソースの代わりには十分そうだ。
一口頂くと色々な味が混ざり合い普通に旨かった。
「美味しい‼」
「おかわり」
二人共、時雨とシャガルに好き嫌いが無くて良かった。
食べ終えたら歯磨きをさせて体を拭いて寝る時間だ。
本格的なラロッツァを作るため、ラーロの実を水に浸して発芽を促す。
グレイスから貰った水筒より皿に水を垂らして種を浸す。
食べられる木と混ぜて作ると勘違いしていたのを芋を眺めて思い出していた。一応は食べられる木が材料でも水蜜糖は作れるらしい。このラーロの実を発芽させたものはタンパク質を分解して糖を生成する成分(酵素)を含んでいるようだ。
芋は朝煮ればいいか。
グレイスから貰った水筒は20cm前後の竹状の筒で、木片で栓がしてある簡易なものだった。しかしこれが良かった。なみなみと水が入っており、注いでも注いでもなくならない。マジで良い物を貰った。おかげで歯磨きも料理も今日は水に困ることがなかった。
解析データーで眺めた所、小規模な空間拡張の魔術が込められているようだ。
宝物……どうやら水だけを大量に保管できるらしい。あくまでも水だけのようで、一分が欠けている。宝物にも量産型はあるのかもしれない。
良くくれたものだと感謝する。
もしやこの錆びた鉈も伝説の鉈なのかもしれない……。
まぁそんなわけはないのだが。
テント裏、水を温めて子供達の頭に濯ぐ。石鹸が欲しい。石鹸だと髪がカピカピになるのが難点だけれど。
さきほどの焚いた木材の灰で髪や体を濁しお湯で濯いで子供達を綺麗にする。炭じゃなくてちゃんと灰だ。
布の切れ端に聖水を含ませて二人の体を拭いてゆく。
この……時雨の奴。ここぞとばかりに甘えてくる。
「ここも拭いて‼」
「自分で拭け。クソガキ」
「やだやだやだ‼」
このクソガキ、ほんと腹立つ。股間とケツは自分で拭け。このクソガキ。
シャガルがフルチンなのも腹立つ。コイツ等羞恥心とか無いんだよな。まぁいいけど。子供に羞恥心を求めるオレが間違えているよな。
湯冷めさせないうちに服に着替えさせ毛皮に包み、テントに放り込む。【メイトの嗜み】を使用し衣類や毛皮を清潔に保つ。
コイツ等の衣類も買わないといけない。
下着は特に。だが衣類は高い。ネックだ。高すぎる。パンツ一枚20チークって舐めすぎだろ。中古だと1~3チークだけれど。
ニーナが戻らないので先に二人を寝かしつける。入口は開けたままで炭の赤だけがほのかにテントを照らしていた。夜も門が閉められることはなかった。一晩中火が焚かれ門番も交代で在中するようだ。
時雨に【触覚】の兆候がある。僅かに髪の色が紫色に変化していた。
これは髪の色が紫色になっているのではなく、濃度の高い魔力が髪の中を通ることでそのように発光する現象だ。
時雨は母親に似ている――目元が特に。まつ毛が長い所とか。形が似ている。
考え深いよ。コイツの母親の事は、ほとんど(95%)知らないけれど。
二人が一緒に寝ると聞かないので両脇に抱えて横になる。
頭に口付けをして眠りを促す。時雨が手を握って抱きしめてくる。子供の体温は高い。離れると寒いと感じるぐらいだ。頭に手を這わせ撫で頬を柔らかくつまむ。腕を柔らかく掴みフニフニと揉んだり、手の平に指を通して撫でたり。
シャガルはもっと肉を食べた方が良い。全体的に細い。
「へへ。ねーちゃん。へへへ」
「おかーさん。お母さん。お母さんお母さんお母さんお母さん」
「早く寝ろ」
うとうとしているとニーナの気配を感じて起き上がる。随分静かになっていた。夜は一部の魔物の活動が活発化するらしい。
欠伸をしつつ子供達を起こさないように……寝顔があまりにも無防備だった。寒くないように毛皮を直す。
テントから抜け出してニーナへ視線を。
ニーナは門の入り口に座り、ぼんやりしているようだった。
街道へと足を進めたオレを視界に捕らえるとニーナの顔は少し緩んだような気がした。
「大丈夫か?」
近づいて声をかけると手をヒラヒラと振ってくる。傍に寄るとアルコールのニオイがした。立ち上がり寄りかかって来る。若干酔っぱらっているようだ。塞がれた口とアルコールのニオイが充満し、味がうねりを持って暴れまわる。
「ふぅ……だいじょーぶ」
垂れた唾液に。
「……そうか」
口を塞ぎやり返す。彼女が手で突き放そうとしてもその手を押さえてやめなかった。やっと離れて流れる唾液。
「……この野郎」
もう一度塞がれて今度はこちらもやり返す。
テントに連れていくとニーナはオレから離れた。
「テント買ったの?」
「まぁな。あったほうが便利だろ」
「……ふーん。んっ」
手を差し出してきたので手を取ると怪訝な顔をされた。
「何? きもちわるっ」
失礼な奴だな。掴んだ手に唇を当てると、彼女が歯を強く噛んでいるのに気が付いた。
「ちょっと‼ こっち来て‼」
テントの裏手に連れていかれ倒木へ腰を下ろす。座るとニーナが体重を預けてもたれかかってきた。ほんと酒クセーなコイツ。
「……それで? 何人抱いたの?」
「何の話だ?」
「……慰問」
「慰問で抱くって意味不明だろ。慰問の仕事は掃除とか雑務だった」
「……それだけで140チークもくれたの?」
「それだけとは言うが結構な労働だった」
「破格でしょ。境会に気に入られてよかったね……抱いたんでしょ。正直にいいなよ。気持ち良くするのが仕事だったんでしょ。何人? 五人? 三人?」
「んなわけねーだろ。考えすぎだ」
腹に手を回して抱える。酔っぱらっている。
「……今日はしないわけ?」
あの……男、親しげな奴はどうした。酒飲んで来ただけか。何か思惑があるのか。残りの金は少ないが、10チークはある。払ったら4チークぐらいしか残らないけれど。7チークだった。何か語ろうとしてやめた。その言葉の返しが浮かんでしまってダメだった。
無言で10チークを支払った。
受け取ったニーナの手からチークが滑るように零れ落ち、浮かび上がってきた瞳、柔らかく触れ、握り込まれた手が拒絶を拒否していた。有無を言わさずに押し倒される。
酒のニオイ。アルコールのニオイ。啄むよりは柔らかく――見下げる瞳と糸。
「……証明してよ。してないって。ちゃんと証明して」
体を持ち上げて反り返った背、手で支え、唇よりやや下へ唇を持ちあげ擦りつけるように何度も何度も押し付ける。
愛でも無く恋でも無く、傷の舐め合いのようで、それが悪くなくてひどく痛かった。
お前がそれで良いのなら、オレでなくても構わない。
その言葉を噛みしめながら手に力を込めて彼女を引き寄せる。乱暴に彼女を引きよせる。きっと痛い。骨が寄り添うほど密着するのに込める力だけは柔らかく。
魔術を作る――。
楽しさとか青春とか無縁だ。駆け引きとか掛け合いとか全部台無しにしているみたいだ。
破くみたいに脱がされる。脱がす。
練り上げた魔力で魔術を作る。魔術【玉繭】。魔術で作り上げた髪が糸となり四方へ絡みつく。包み込む繭を作りあげる。広がった魔力の髪で時雨やシャガルも毛布ごと包み込む。
この【玉繭】は内側は柔らかく外側は硬い。明るくは無いが、光を全て遮断するほどでもない。
材料はオレの髪。中と外で材質を変える。
暗闇の中というほどでもない。表情が僅かに見える程度の明るさを保つ。材料はこないだ森を飛んでいた夜光蝶の光。
浮いた繭の中で彼女の顔が少し歪んだ。もうぴったりだ。ぴったりとくっついてトントンと押し当てる。トントンと叩くとニーナの顔はいっそう歪んだ。お尻に力が入るのを理解する。だからもう一度トントンと叩くと彼女の指が背中に食い込むのを感じた。
「……何よ。この繭」
「オレの魔術だから気にするな」
「できるなら最初からやりなさいよ。酔って変な幻覚が見えているのかと思った。ちゃんとあたし、帰って来たわよね」
「あぁ」
安心するのはなぜだろう。こうしてぴったりしていると安心する。
のしかかられる。手の甲に何度も唇を添える。
酒気を帯びて解れたニーナの表情。そんなにムキにならなくても大丈夫なのに。離したくないのはオレの方だ。素直じゃない。
「あぁいうのはやめろ」
「あぁ言うのって何よ。なに? もしかして嫉妬してるわけ?」
「あぁすげー嫌だった」
「ばっかみたい」
ニーナは、メイリアともラーナとも、ミラジェーヌとも違う。
そんな当たり前の事を噛みしめて苦く、喉と心臓の間に渇きのような焦りのような飲み下せない往復と、脊髄をせり上がり脳を麻痺させる感覚とが混ざり合っていた。唾液ばかりが溢れて困る。
「……あたしなんて、どうせどうでもいいんでしょ。どうせ遊びなんでしょ。金で買う娼婦なんでしょ」
頬に手を這わせる。どうでもいいわけねーだろ。
怒りのようなものが腹の底から押し寄せてくる。俺のだって。この女は俺のだって。誰にも渡さないと。やっと戻ってきた。もう離れるなと。何を考えているのだか。
何を話せばいいのか言葉で表せなかった。
「なんとか言いなさいよ……どうせあたしの事なんかっんーっ‼」
口を塞いでいた。激しいほどに求めていた。
「ちょっと‼ んっ‼」
「こんな遅くに帰って来やがって」
「……別にいいでしょんーっ‼」
「オレがどれだけ心配したと思っているんだ。あんな奴と仲良くなんかしやって」
これはただのブラフだ。本当はそこまで嫉妬していない。
「わかったから‼ んーっんー‼ このっ‼」
何度も口を塞ぎ塞がれる。
乱暴に求めて乱暴に求められた。衣服は乱れ、跡が出来た。
離れて垂れて、手の平へ落ちて広がってそれを眺めて、ニーナはやっと頬を緩ませた。
落ち着いてぐったりと。
ニーナは酔っぱらい口調でボソボソと自分の過去を話し始めた。
子供の頃にお酒を造っていたとか。そのお酒を飲んで欲しかったとか。酒臭い息を飲んでいると答えるとニーナは少し笑った。
流し込まれるその酒は体温より少し低く肉と胃液のニオイがした。多分それはオレも同じで、その生暖かさが良かった。
繭は通気性が悪く汗がこもってダメだね。半透過性にしないとアッ言う間にドロドロになってしまう。
本能なのだろうな、傷めないよう気を付けながらも力を込めてしまう。より密着するように、より奥まで、より深くなるように。もっともっともっともっと奥が良いと囁かぬばかりに。混ざり合いたい。何もかも。かつてのメイリアのように。心の奥の奥まで混ざり合いたい。全て知りたい。知っていたい。
知っている優越感を感じたい。彼女にとって自分は特別なのだと。
ニーナはオレのその様子を眺めていた。
笑っていた。僅かな笑顔。
「なんで、そんなに嬉しそうなんだよ」
「嬉しいから。もっと……もっとって。もっとその顔を見たい。セーブしたでしょ。もっとめちゃくちゃになってよ」
「フリするくせに……」
「だって男はみんな、女のその仕草や表情が好きでしょ? あの男がそうだったように。母が何時もそうしてた。本当は気持ち良くなんかなかったくせに。本当はね。シャガルが好きじゃないの。あの男に似ているから。でも我慢しているの。だって弟だから。感情がね。時々わけわからなくなる。熱いのに冷たいと感じるみたいな。ぐちゃぐちゃになる。あんたって冷たくてあったかいよね」
耳元で囁かれるその言葉は何処か支離滅裂でもあった。
ニーナの昔話は続けられた。
新しい父をニーナは嫌っていた。嫌っていたけれど母親の事は好きだったのだろう。実の母親で間違えないからだ。でも母子だけでは生きて行けず、新しい男がどうしても必要だった。ニーナにとって父は実の父ただ一人だったのだろう。その葛藤に、母親には新しい父との間に子供も産まれた。
いつの間にかコブになっていた自分(ニーナ)。
母親も随分と葛藤したのだろう。かつて愛した人と新しく愛さねばならなかった男との間。愛した男の娘(むすめ)と、愛さなければならない男の息子。愛されなければ生きていけないのに、男はニーナに目をつけた。
どちらも自分の子供だが……。
愛されなくなったのなら母親は男も娘も失うことになる。
コブになるのが娘から自分になってしまう。
ニーナは母親をそうあざけた。
花を売る時、弟もつけると語った理由。
実父を内に秘めるニーナにとって男は他人であり、その息子は父から母を奪った男の子供でもある。新しい父親を受け入れたい気持ちや実父を愁(うれ)う気持ち。母親に対する愛と憎しみの狭間。
新しい父親にとってニーナは娘ではなくただの女だった。
それでも母は、それでも母は最期は自分の味方になってくれると信じていた。
結局ニーナは出会った頃の状態になり、愛しているのか憎んでいるのか自分でも理解できなくなったとニーナは語った。
シャガルに罪はない。シャガル本人を嫌う理由はない。それでもシャガルを視界に納めると腹の底から怒りが湧いて仕方がなく、シャガル本人に罪がないゆえにその狭間で葛藤し、正常ではいられなくなると――自分だけ苦しむのを許せなかったとニーナは語った。最低でしょと彼女は吐露した。
母親が何を考えたのか。愛を奪う娘を疎んだのか、それとも男から守るために娘を焼いたのか。だけれど結果的にそれがニーナの心を深く傷つけてしまったのは、それだけは変わらない事実だ。
相反する二つの感情に支配され心がバラバラになる。
ニーナは繋ぎ留められたいのかもしれない。肯定されたいのかもしれない。
体を持ち上げてしな垂れかかる髪と視線、柔らかく虚ろで朧気。
その顔は崩れそうになるのを我慢しているような表情だった。恥ずかしさであり怒りでもあるようだった。
手を伸ばして力を込めて引き寄せる。無理やりに力を込めて引き寄せる。
「……ちょっと」
「いいから傍にいろよ」
それ以上肯定する言葉を見つけられなかった。考え出せなかった。なんて言葉をかければいいのか言葉がなかった。どうすればニーナの心を纏められるのか。それができそうになかった。抱きしめて体温を与える事しかできそうにない。
腕の中に抱きしめる。包み込んで離さない。
「……ばか」
ニーナは腕の中に埋もれていた。その体温が良い。この体温はニーナだけのものだ。ニーナでなければ感じる事のできない体温だ。
髪に手を這わせ何度も撫でる。頭を唇で撫で火傷痕に手を這わせる。滑らかな曲線とザラザラと指の表面に引っかかる傷跡。押し込んで、動かずにニーナを愛でる。
混ざり合った体温だけが粘度を帯びて、顔を背け小刻みに震える様。背ける顔を手で背けさせない。
「……まって。今は……」
「待たない」
「クックソ野郎……なに? あたしの事好きなわけ?」
「お前は綺麗だからな」
「このクソ野郎‼ 答えになってない‼ あたしの事好きなのかって聞いてんの‼」
「そうだよ‼」
「……ばっかみたいぃ。っちょっとっ。待っててっ。言ってるでしょ‼」
待たない。うるさい。もっとオレを感じればいい。
何度眺めても良い。何度傍にいても良い。塞ぎ回して舐める。何度も、何度も、何度も、何度でもいい。全部混ざり合えばいいのに。混ぜ合わせたいのだ。彼女の中に自分を。
食い込む爪の痛みが心地良くすらある。
ニーナは視線を逸らさなかった。視線が何時も絡まっていて、ニーナはオレの動作を予測して動いているようにも感じた。
顔を近づければ口を尖らせ、埋もれようとすれば顎をあげる。
「お前が大切なんだよ」
「うざっ」
お前だって嫉妬する癖に。その言葉を飲み込んで語らなかった。ニーナは意固地だから、そう告げればムキになり否定し行動するだろう。だから告げない。
濁って混ざり合えばいい。体中にオレのニオイが染みつくように。濁ってしまえばいい。
夜が明けはじめ繭を解き水場へ移動して体を洗う。体を洗うニーナを眺め、やっぱり綺麗じゃねーかとなんとなくそう脳裏に浮かんでしまった。顔の傷も火傷の跡も、オレには丁度良かった。これがあるからニーナは今、オレの側にいる。
「なに?」
「お前には悪いと思ってるよ」
だから消さなかった。本当は最初から、ニーナを捕まえたかったのかもしれない。自分を慰めるために。最低なのはオレの方だ。
「は? なにが?」
「その顔の傷も、火傷痕もあって良かったと考えてしまう時がある」
「は? ムカツク奴。なんで? 人の傷抉って嬉しい?」
「それがあるから、オレのところまで降りて来てくれたんだろう?」
「……はぁ⁉」
「ごめんな」
「意味わかんない」
「この傷跡を消すことだってできるんだ……お前が望むのなら」
そうしたら、他の男はニーナを放っておかないだろう。
「……やめてよ‼ それをしたら本気で怒るから‼ それをしたら……うぅ――許さないから‼ あたしから逃げるのは許さない‼ あんたは醜いあたしを買うんだから‼」
振りほどかれるかもしれないと考えつつ手首を掴む。振りほどかれなかった。全てがオレの思う通りになどならない。気持ちはどうにもならない。ニーナがオレ以外を選んでも、花売りをはじめても、それは仕方のない問題だ。
そうは考えてもそれを激しく拒絶するオレもいる。
「死ねばいいのに……。あんたなんか死ねばいいのに‼」
身を寄せる。オレが支えるから構わない。やっぱりピッタリとする。歪む顔がいい。
「……娼館でもいけば?」
「嫌味ばかり言うなよ。お前がいいんだよ。わかれよ」
「……意味わかんない」
「お前がいいんだよ」
「ふんっ……このクソ野郎。お前なんかめちゃくちゃにしてやる」
引っ掻いたり噛みついたりされて、ニーナが癒されるといいなと受けながら頭を撫でたら。
「クソ野郎ッ」
叩かれて痛かった。
眠そうに項垂れるニーナを抱きあげて水場を去り繭の中へ。頬に手を這わせる。ニーナの頬は緩んでいた。コメカミに唇を押し付ける。
「……引っ掻いてごめん。でも本当にやめて。これは治さなくていいから」
「わかった。おやすみ」
「もう一回……ちゅうして」
頬に唇をつける。
「おい」
尖らせてくる唇。
唇へと這わせて、離れるとニーナの瞳は憂いと潤いを帯びていた。
「……してないから。あんただけだから」
「今それを言うなよ……」
「なに? もう一回したくなった?」
「あぁ」
「しなよ。ほらっ。しなよ」
股を広げるなよ。
「しちゃうんだ。あんたあたしの事好きだもんね」
「あぁ。好きだよ」
そう告げるとニーナの瞳孔は花が開くように広がり顔を背けた。
「じゃあ……すれば」
指で広げるなよ……。
「あぁ」
「もっとくっついて」
「あぁ」
「いっぱい混ざってよ……」
「あぁ」
「体中、あんたのニオイで嫌になる」
「悪かった」
「別に悪くないけど……」
もっとオレのニオイになればいい。
「死ねって言ったの、嘘だから」
「わかってる」
そう考えつつも、ストッパーはあって狂えなかった。メイリアやラーナ、ミラジェーヌのようには狂えない。ニーナか時雨かと問われたら、オレは時雨をとる。
もう誰かを愛して狂うことはできないのだと察する。
それが申し訳なく腕の中で眠りへと落ちてゆくニーナをただ愛でていた。
何処か遠くへ行きたい。何処か遠くへ。たった一人で。もう、それはできない。できそうもない。
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