第29話

 目覚めたニーナは喜んでいた。

 シャガルは昨日までの獣のような振舞いが嘘のように大人しくなった。

「なんで? 目が見える。目が見えるよ。あたし、目が見える。ここも痒くない」

 オレはそれを後目に横になった。時雨と目が合うと、時雨はふてくされた面をしていた。腕を回して抱き寄せようとするとするりと抜けて立ち上がる。


 やれやれと。

「悪いがオレは少し寝る」

「ねぇ? 見て? 目が治ってるの‼」

「あぁ。良かったな」

「特別な魔術や薬が無いともう見えないって言われたのに‼」

「そうか……」

 【シストラム】を発動し木の上に数匹待機させる。何かあれば起こしてくれるし、何なら不審者の迎撃もしてくれる。【触覚】もそのままだ。

 しばらくするといいニオイが漂って来て、目を覚ましてしまった。

 時雨がラロッツァを作ったようだ。


 意識を失ったのは数時間程度。

 起き上がって目を擦る。風呂に入りたい。

 帽子の中に入ってもいいけれど。だけれど帽子の能力はなるだけ人に見せたくもなかった。

 ニーナとシャガルを信用していないとかそういう問題ではなく、帽子の能力を人に知られたくないという単純な理由からだ。【依存】と【継修】で自分を治す。

 時雨が器に盛ったラロッツァを口へかきこみ、新しく器へよそるとオレに差し出してきた。


 頭を掻きながら受け取り、でも先に歯磨きだ。

 塩と昨日から燃やしている木の灰を草の露で混ぜ合わせ簡易歯磨きを作り歯を磨く。口に含んで魔力で回す。今なんとなくやってみたが、これはいい。吐き出して水筒の水で軽く雪ぐ。

 終わったら改めてラロッツァを食べる。オレが作るより美味しいじゃないか。

「オレが作るより全然旨い」

「そ……」


 時雨の機嫌がなぜ悪いのか理解できない。乙女心と秋の空って言うものな。

「シックス、時雨ちゃん。ありがとうね。あたし、これでお客がとれるかもしれない。今日から花売りとして頑張るよ」

 ニーナの台詞にぎょっとしてしまった。それを否定していいものか悩んでしまった。

「おいらも、姉ちゃんと頑張るよ」

「シックス。お互い頑張ろうね」

「ちょっと待て」

「なぁに?」

「……花売りはやめろ」

「なんで? そうでもしなきゃご飯食べられないよ」

「猟兵はダメなのか?」

「そんな危険な仕事、できないよ。命が幾つあっても足りない。馬鹿にしてるの?」

「そうじゃないが」

「あたしの事、馬鹿にしているの? 馬鹿にしてるのね? こんな見た目だから客がとれないと思っているんでしょ? 汚いって思ってる? 醜いって思ってる? 何も知らないくせに‼」

「そうは言っていない」

「言ってるでしょ‼ 施しとか言っちゃってさ。あたし覚えてるから。下に見てるでしょ? 見てるんでしょ⁉ シャガル。いくよ‼」

「ちょっと待てって。シャガル、時雨と一緒にいてくれ」


 どうして機嫌を損ねる。女心がほんとに理解できない。時雨にしろニーナにしろ、なぜへそを曲げる。花売りをさせたくない理由はある。性病を気にしているからだ。貧民の女が複数の男と交わるリスクは高い。避妊具も無いのだ。魔術や薬である程度治せるとは言え、食うだけでも手一杯なのにそれらを補えるのかと。

「なんね‼ ついてこないでよ‼」

「どうしたんだ‼」

「あんたがあたしの事醜いって思っているのが気にいらない‼ 好きでこんな姿になったわけじゃない‼」

「そんな事思ってねーよ」

「思ってるから軽々しくやめろだなんて言えるんだよね⁉ なんも知らないくせに‼ どんなに惨めでひもじかったか知らないくせに‼ 猟兵をやれだ? あたし達に死ねって言うのか⁉」

「猟兵になったからと言って死ぬわけじゃないだろう。外壁を回るような簡単な仕事だってある」

「だから何も知らないって言うんだよ‼ この街の猟兵がどうなったのか知らないくせに‼」

「昨日来たばかりなのに知るわけないだろ」

「馬鹿にして‼」

「してねぇって」

「どうせ学だってないよ‼」

「学の話しはしてない」

「教えてやらぁ。この街の猟兵達は依頼料が命の代金に見合ってねぇってみんな山賊になった‼ それでこないだ近くの村を占拠してそして全滅した‼」


 頭を押さえてしまった。あいつら元猟兵だったのかよ。

「あんただって昨日大して稼げなかっただろ‼ あたしたち二人で猟兵やって暮らしていけると思ってるの⁉ 体を売るしかないのよ‼ 売るしかないの‼ あたしたちにはそれしかないのよ‼ あんたみたいに要領良くやれる人間とは違うんだよ‼」

「……わかった」

「最低奴‼」

 心も体もボロボロだ。もう何にもねーよ。何にもない。メイリアも、ミラジェーヌも、ラーナもいない。間違えないでくれよ。先を考えてくれよ。オレは間違えてばかりだから。だから悲しい生き方はしないでくれよ。頼むよ。


 そうは考えるものの、今も生きられない人間は一杯いる。その人間に先を考えてくれなんて言葉が通じるわけはないのだ。性病のリスクなんて関係ない。今死にそうなのだ。少しでも長生きできるのなら何だってする。

「……オレが買う」

「はぁ⁉」

「一日10チークだ。それでいいか?」

「馬鹿にして‼」

「馬鹿になんかしてねーよ」

「抱けるんか‼ あたしが抱けるんか⁉ 偽善野郎‼ 顔も見たくない‼ 死んでしまえ‼」

「別にお前は汚くなんかねーよ。醜くなんかねーよ。綺麗な方だ」

「はぁ⁉」

 腕を掴んで引き寄せる。別に構わない。もしかしたらこの子にとってこれは良くないのかもしれない。でもオレにはこれしか考えつかない。手放して崩れていくのを想像し、それならばこれしかないと――背中に手を回して抱き寄せる。オレより背が少し高い。

「離せ‼ 馬鹿‼ クソ野郎‼」


 ひでぇ言葉だ。帽子の中へ引き込む。

「なん? なにここ⁉」

「約束しろ。一日10チークだ。オレが買うから、もう花売りはやめろ」

「施しなんかいらない‼」

 飯は受け取ったくせに。

「ちゃんと抱くから」

 彼女の唇に口を無理やり寄せる。ひでぇ味だ。ラロッツァに混じる生臭いニオイ。

「醜いとか言うなよ。自分を大切にしてくれよ」


 顔の傷に頬を寄せる。

「ちゃんと抱くから。それでいいだろ」

「クソ野郎‼ クソ野郎‼ クソ野郎‼」

 彼女がずっと抱えてきた憤りなのだろう。彼女は初めてだった。

 フリかどうかは肛門括約筋の動きでわかる。

 全てが終わった後、ニーナはオレの胸の中で泣いていた。

「クソ野郎‼ クソ馬鹿野郎‼ 偽善者‼ 偽善者ぁ……」


 二人の元へ戻ってもニーナとは距離があり、時雨は何も言わず、シャガルは気まずそうにしていた。なんとなく四人で移動し、ニーナとシャガルを猟兵に登録、気まずさを覚えながら採集や狩猟、見回り任務を行った。

「臭いから近寄らないで」

 時雨にそう告げられてため息が漏れた。

「何かわからないが、悪かった」

「……ふん。私の事なんかどうせどうでもいい癖に」


 そう呟かれて図星だった。擦り切れて何も残ってねーよ。

 四人でイノシシ三体を持ち帰り、ギルドからの報酬は前日の薬草代を合わせても64チークだった。四人でこの報酬……。


 お金を貯めるために今日も門の外で野営する。イノシシの肉と野草は自前、ラーロの実の袋詰めは別途で買い、今日もなんちゃってラロッツァを作る。本家のラロッツァよりも美味しくないとは考えている。しかしこれ以上食費に裂けないのも確かだ。食木(ラッツ)と言うらしいが加工に時間がかかるので袋一杯で7チークも取られる。栽培もしていないので入荷もまちまちらしい。

 食べられる木は主にラッツやパルマと呼ばれるようだ。


 水分たっぷりのラロッツァを食べている最中に襲われたのだが、オレが何かする前に時雨が棒で殴りかかっていた。今日はしつこく、食事にありつけないと死ぬと懇願された。


 分け与えるのは構えない。構わないが無理だ。噂になっても全員を抱えられない。残念ながら無理なんだよ。自分達だけで手いっぱいだ。

 子持ちの女性まで来て頭を痛めた。

 さすがに無下にできないかと諦めかけたが時雨が譲らなかった。

「子供を前に出すな‼ 子供が死んでもそれは親であるお前の責任だ‼」

 きついよ――げっ歯類の干したものを一枚、こっそり食べるように渡し、食べられる野草をレクチャーして帰らせた。母親が無事なら乳が出て飲ませられるだろう。


 これが精いっぱいだ。

 目の前の三人を助けるなら他は切り捨てなければいけない。

「甘すぎ。ママは甘すぎる‼」

 時雨にそう怒鳴られて苦笑いしてしまった。

 時雨にしてみれば、森に入って食べられるものを探し、自分でなんとかしろって話しだからだ。それなのに略奪に来た奴らに慈悲なんて施せない。

 場所は毎日変えなければいけないだろう。


 子供二人を【依存】で寝かせると、ニーナが手を差し出してきたのでオレの金から10チークを渡した。

 子供から目は離せない。少し裏手に回り、【触覚】で情報を把握しながら交わった。

 ぎこちなく合わない体。ニーナの体や歪みを行為中に魔術で正す。痛みを伴うかもしれないので急がず、時間をかけて管理する。終わっても何処か満たされず、お互いに背中を向けてニーナが眠りに落ちるのを待った。


 次いで時雨の体を弄る。出来は8割……そこで悩んでいた。

 単純に回路を強化すると語ってもそんな簡単な問題ではないと気付いたからだ。

 毛細血管のように細かく細かく張り巡らせなければならない。しかしそれは単純に筋肉に回路を通せば良いと簡単な問題ではなかった。骨や神経にまで及ぶ。特に骨……脊髄は慎重になる。

 脊髄に回路を通しすぎるは良くないのだ。なぜって彼女は子供だからだ。成長期だからだ。成長するからだ。回路を描いている途中でそれに気が付いてしまった。今素晴らしい結果が残せたとしても未来で歪むのなら意味がない。根幹は脊髄だ。脳幹から尾骶骨までの繊細なライン。その中身。作りすぎず、適度なゆとりを持たせつつ、根幹として強力に一本だけのラインを作り上げる。

 ゆとりを作り、成長に合わせる。成長に伴い回路が増幅される。彼女は現在において未完成であり、未来において完成する。8割。ここが現状における限界。これ以上は彼女の生育に影響を与える。

 次いで頭皮に張り巡らせた回路が、新たに生み出される髪に回路を形成するように調整する。いずれ彼女の髪は全て【触覚】になるだろう。これから先も微調整は必要なのかもしれない。


 次はと……【シストラム】に時雨を補助させるシステムを組み込む事にした。

 毛皮に【メイドの嗜み】を施す――しかし【メイドの嗜み】を使用しても、毛皮が滑らかになるわけではなかった。汚れが無くなっただけだ。


 毛皮のデーターを【シストラム】に組み込む。これでただ黒い妙な毛を持った獣から、黒い微細な毛を持った黒猫へと容姿が変化した。

 行動に微調整を施す。行動原理に命令文を追加する。いくつか試しているところで朝になってしまった。【シストラム】はまだまだ改良しなければならない。

 使用者を補助する。使用者を癒す。この二つの命令文を可能な限り追加しなければいけない。


 どのように補助するか。この時何をするのか。場合場合の行動原理にスイッチをつけなければいけない。これがかなりの重労働でイライラとしてしまった。


 数人が近づいている感覚を【触覚】で捕らえ、ため息。

 朝から襲撃なんて――木の棒を拾い持ち【シストラム】を使用して使用感を確かめながら相手をした。適当に手を打ちお帰り頂く。どいつもこいつも憎々しげにオレを見上げていた。

 殺すぞ――そいつ以上の憎しみを込めた形相で相手を睨む。

 見せしめに一人をボロクソになるまで痛めつけた。


 敵を作っている。これは良くないのかもしれない。彼らはオレ達を襲撃するという目的のためだけに徒党を作るろうとしている。

 迎撃後、戻ると時雨が起きて朝食を作っていた。ニーナとシャガルはまだ寝ている。

「……オレはお前になんて言えばいい?」


 そう時雨に尋ねると、時雨は灰と塩を練って作られただろう歯磨きの器を差し出してきて冷たい目で語った。

「早く歯磨きして。それからキスして」

「心配しなくてもお前を見捨てたりしねーよ」

「お母さんはね。朝起きた子供にキスするんだよ」

 母親は子供に口付けするものだ。確かにそうなのかもしれない。

「額でも頭でもいくらでもしてやるよ」

 そう告げると時雨は目を細めながら。

「うん、うん」

 と納得するように二回頷いて。

「じゃあ、早く歯磨きして」

 そう告げた。お前はオレの何なんだ。


 二人を起こし歯磨きをする。

 歯磨きを終えたら時雨を後ろから抱える。細い髪質、髪のニオイ、独特のニオイ、鼻先をくすぐる。後ろから抱え何度も何度も頭に唇をつけ音を出す。

「チュッチュッチュッ」

 擦りつけ耳裏のニオイを感じる。息を吸って吐く――時雨の耳に唇を鼻を擦りつけ少しだけ舐める。

「チュッ」


 時雨は振り返り、手をグーパーと服を何度も握り握り。嬉しそうに体へ埋もれてきた。

「お母さん。私のお母さん」

 オレはお母さんじゃないけどな。そうは考えつつも言葉を口にはしなかった。時雨も相当歪んでいる――服の中に手を入れられて素肌を撫でられた。


 どれだけ時雨を愛でても心の中にぽっかりと開いた穴は埋まらなかった。何も感じない。時雨をいくら愛でても何も感じない。ただ死んでいないだけだ。それでも体は欲求を伝えてくる。何もしないオレを、欲求という歯車だけが動かしていた。


 眠たいけれど【依存】、【継修】、【継再】で無理やり体を癒し朝食を食べ、時雨と朝の訓練。

「俺も。ねーちゃん。俺も強くなりたい」

 シャガルにそう乞われて時雨とシャガルの二人を訓練した。ニーナはどうかとチラリと視線を向けたが、ニーナは興味なさそうに自分の手入れをしていた。

 女ってこういうとこあるよな。そんなアホな感想を浮かべてしまった。


 お昼になる前にギルドへ赴く――依頼を受けるためだ。

 相変わらずギルドは殺伐としていたが、受付に見慣れない薬のようなものが売られていた。

「ギルド特性の軟膏ですよ」

 眼鏡は笑顔でそう語った。小さな瓶一個が50チークはぼりすぎだろ。それでも旅商人なんかには売れるのだそうだ。貴重なギルドの収入源。その一つなのだと眼鏡は嬉しそうに語った。

「また薬草採集、お願いしますね」

 この眼鏡……割ってやろうか。悪態をつきたくなったが、今はこの薬が頼みだそうだ。

 彼女は一職員で上の命令に従っているだけに過ぎない。彼女を責めても意味が無い。


 解析データー状では煮詰めた薬液に魔力と灰を混ぜて練りものとしただけだった。

「薬を作るのに何か必要なものってあんの?」

「聖境会が発行している免許、又は販売許可、又は認可が必要でーす。ふへへ。ギルドは境会より製造販売を委託されていますのでこうして製造販売できるわけです。ふひっ」

「うぇー」

「気持ちはわかりますよ。ふへっ。でも犯罪になるので違法薬物を製造して売らないでくださいね。ふへへへへ。」


 違法薬物って言い方が良くねーよ。

「自分で使う分にはいいんだろ?」

「それはもちろん」

 この分だと卸したイノシシの肉も高値で売りに出されているのだろうな。

「ちなみにギルドの依頼を通さない個人での肉の販売は違法ですからね」

「自分で食べる分にはいいのだろう?」

「それはもちろん。でもお金には代えらませんからね」

「それで盗賊化か。せめてお金に変えるのは違法ですからねと言ってくれよ。煽られているみたいで腹が立つ」

「ふっふへ……すみません。私にもどうにもできないんですよ。組織って理不尽でため息ばかりでて嫌ですよね。すみませんね。ほんと。へへへっ」

「そうだな。ちなみに……それはギルドと境会の取り決めか?」


 そう聞くと眼鏡は深くため息をついた。

「その通りです」

 境会は回復魔術を聖魔術として管理している。薬効の強い薬は警戒するだろう。ギルドは運営費がいる。今回の盗賊化の根回しに幾ら必要だ。土地の管理者、貴族にだって賄賂が必要だ。魔術師と違い成長の難しい戦士を養っていくにはお金とコネがいくらあっても足りはしない。一人が稼ぐ以上に稼がなければギルドは運営できない。ギルドのやり方はセドリに近い。7で仕入れて10で売る。

 この眼鏡は3で仕入れて20で売っている。

「でも、悪い事ばかりじゃないですよ。今日は境会からの依頼があります。境会周りの水底さらい40チークです。これは良い依頼ですよー」

「どうせ小間使いだろ」

「星が少ないうちは、雑務をこなしましょう。ね? へへへ……境会周り敷地内は比較的安全ですのでおすすめですよ。力はいりますが安全な仕事です。へへっ」


 眼鏡割りてぇ。

 こっちが金欠なのを知っていて押し付けてくる。

「それと見回り、イノシシ狩りを受ける。今日は薬草採集はなしだ」

「えー薬草採取も受けてくださいよー」

「無理だ。ちなみに薬学の免許はどうすれば取れる?」

「聖境会に入会し聖女学院に入学、薬学科を卒業すればとれますよ。ちなみに女性しか入学はできません。とは言っても街や国によっては境会とは別途資格を配布しているところがあります。まぁ一枚岩ではないですね」

「どうせ金がかかるんだろ?」

「一般人は逆立ちしても取れませんね。すみませんね。ほんと、へへへっ」

 クソだな。


 この街の聖境会はそれなりに大きかった。

 街で一番上流の場所でもある。水筒に水を入れると共に、時雨とシャガル、ニーナに軽い食事と水分をたっぷりとらせる。

 ちらりと視野を利用して眺めているが信徒は皆女性だ。

 側を通った人に声をかけたけれど、男性も入信はできるものの、教徒にはなれないのだそうだ。聖女が起こした聖地を基盤として活動している団体、それが聖境会で、国ではなく土地なのだそうだ。


 茶色のレンガ造り、倉庫のような見た目の建物、境会。ここが聖境堂と言う場所らしい。所謂祈りをささげる場だ。

 祭られているのは男神だと耳には入れていた。

 黄色い服を纏った女性達が世話しなく動いており、病人や怪我人がひっきりなしに訪れている。黄色じゃない。本来は白いけれど、土や垢などで汚れて服が黄ばんでいた。


 食事が終わり人心地ついたので通りかかった女性に声をかける。

「すみません」

 立ち止まった女性の顔には大きな傷があった。

「なっなんでしょう?」

 それを気にしているのか、フードで顔を隠してしまう。

「水底さらいの依頼を受けて来たのですが」

「あぁ、猟兵の方ですね。聖堂へどうぞ」

 聖境堂――じゃないのか。聖堂で良いらしい。

 教徒から割と視線を受けた。部外者だから窺われるのは当然か。

「あんたはここじゃ異物かもね」

 ニーナが耳元でぼそりとそう告げて、どういう意味か計りかねる。

 時雨が袖を引き、視線を向けると睨んでいた。視線の意味を計りかねる。


 聖堂内――と語れば荘厳なイメージが浮かぶものだが実質診療所だった。全然祈る場所ではなかった。百聞は一見に如かずとはこの事だろう。


 治癒には魔術と薬学が使用されているようだ。怪我は魔術で治せても病気は治せない。病気を治す魔術はあるかもしれない。けれど魔術書の排出場(神の庭)と使い捨てを考えるとかなりレアなのだろうな。ギルドの軟膏が視界に入り苦くなる。

 オレが知っている回復術は王家で使用されていたものだ。

 王宮と市勢では、如何に境会を語れど差はあるのだろうな。


 魔術は互換性だ。上位互換が存在する以上、回復魔術にも存在すると考える。あくまで憶測だけれど。

 やっぱり修道女又はシスターと呼ばれているのだろうか。

 さきほど声をかけたシスターが別のシスターを連れて来た。

「ようこそ聖境会(おひざもと)へ。私は助祭のヘザーです。よろしくお願いしますね。猟兵の方ですよね? 水底さらいを受けて頂いたとか」


 「そうですね」

「まぁまぁ、良かったです。ではよろしくお願いします。場所は、グレイス。案内して差し上げてください」

「はい。ヘザー様」

 境会の裏手に案内されると石造りの水路が広がっていた。水路の先には建物があり、水路と繋がっている。おそらく聖石の納められた祭壇がある。聖なる水の要なのだろう。人はいなかったが建物は頑丈そうに感じた。そしてその建物の周りを何十にも水路が巡り巡っている。


 人はジャンプすれば飛び越えられるが、魔物等、聖石が弾くものにとっては越えがたい境界になっているのだろうと考える。

 なぜだが吸血鬼には流れる水を渡れないとか言う意味不明なルールがある事を思い出し少し笑ってしまった。

「最近水の流れが淀んでいます。底に砂が溜まっておりますので、こちらのスコップを使ってかき出して下さい。かき出した砂はこちらの手押し車に乗せてあちらへ集めてください。建物を補強する補強材の原料になりますので雑には扱わないでください」

「わかりました。ちなみに水の中へ入っても大丈夫ですか?」

「衣類を水につけるのはやめてください。素足でお願いします。まずは清めの意味をこめてすくい上げた水を全身にかぶるのをおすすめします」

「わかりました」

「大きな石や足を怪我するような異物は無いと考えておりますが、万が一もありますので怪我をした場合は速やかに申し出てください」

「わかりました。ありがとうございます」


 水の流れがある以上、上流は存在し、上流から流れる砂はどうしても下流へ溜まって行く。

 オレは元々ワンピースだからいいけれど、他の四人はほぼ下着姿になってしまった。知ってはいたがやはりニーナは出ている所は出ている。

「なに?」

 動揺したとは告げられなかった。なんだかんだ女性はやはり皆綺麗だ。陽の光を受けるニーナはその光に溶け込むように美しかった。

 ニーナにラーナが透けて重なり、直視できなかった。


 視線を逸らし、グレイスは監視役として残るようだと視認する。

 桶を差し出されたので水路から水をすくい、時雨を座らせて水をじょじょにかけて慣らす。

「うーっつめたっうひっ」

 やっぱ冷たいのだろうなとなんとなく考えてはいた。


 桶に水を汲み、時雨に満遍なく注ぐ。

 終えたら次はシャガル、次にニーナ。最後に自分。グレイスと視線が合い、手を差し出してくるので桶を渡すと注いでくれた。

 帽子を脱ぎ置いて、頭を伝う水は冷たく、だけれど久しぶりの水浴びともあり、なんとも気持ちが良かった。

 ぴったりと体に服が張り付いて少し気持ちが悪いけれど、体温でその内乾くだろう

「綺麗な髪ですね」

 グレイスにそう告げられ、そうかと別に返事はしなかった。


 スコップを手に水路へ降りて砂をかき出す作業を始める。役割分担として一定間隔距離ごとに手押し車を寄せて個別で砂をかき出し運ぶ事にした。

 足が水に浸かり痛みを感じる。足裏に感じる砂利の感覚、砂利の深さを感じる。

 これはなかなかの重労働になりそうだ。実際に重労働だった。


 まず砂と水が普通に重い。水の流れで砂が零れる。それを荷車へ乗せるために手と足を踏ん張らなければならない。二の腕の筋肉とモモ、それに手首足首に負担がかかり痛む。


 【イグニッション】を発動し、疲れない速度で砂をかき出し始める。手押し車に積み満杯になったら運ぶ。歩いている時は僅かに休めるけれど、冷たい水へと足を何度も出し入れするのが結構なストレスだった。まぁ楽な仕事なんてないかと考え直す。

 陸に上がり温まろうとする体が、再び水に浸かり冷えると拒絶反応のようなものが現れる。

 オレでこれだから、時雨は大丈夫かと――。

 時雨に【イグニッション】を教えていない。しかし時雨は感覚でなんとなく【イグニッション】を使用しているようだった。本人が自覚しているのかどうかは別として。

 それはシャガルとニーナも変わらない。

 魔術を使えない人は、基本的に無意識で【イグニッション】を使っているのかもしれない。

 その練度の差異はあると感じる。後で時雨に魔力の流れを教えた方がいいかもしれない。


 最初にシャガルが、次にニーナが疲れて休み、時雨とオレで仕事を終わらせた。

 まだ夕方にも時間がある。

「これでいいのか?」

「いいですね。大丈夫です。貴方がたのような丁寧な仕事をしてくださる猟兵をあまり見かけないのでびっくりしました」

「そうか」

「はい。猟兵の中には私達を口説きにかかる人もおりますので」

「男は女を求めるものだ。仕方ない」

「……意外な答えですね。忖度のない答えです。私達は終生を誓っておりますので生涯独身なのです」

「大変そうだ」

「はい……。ところで先ほど言いましたが綺麗な髪ですね。触ってもよろしいですか?」

「どうぞ」

 手が伸びてくると髪に触れ、そのまま頬へ寄せてニオイを嗅いでいるようだった。手入れもしばらくしていない。手触りも光沢もニオイもひどいだろうに。

「……少し売って頂けませんか?」

「……髪の毛を?」

「はい。10チークでいかがでしょう?」


 髪は【触覚】になっているので全てを失うわけにはいかない。

「少しでいいなら」

「あっはい。それはもう。そうですね。これくらいでいかがでしょう?」

 一房。

「わかりました。切りますね」

「待ってください‼ そんな雑に切らないでください‼ 今丁寧に切りますので‼」


 グレイスにお任せする。髪一房で10チーク。余裕があるなら売りたくはないが今は余裕がない。

「ありがとうございます。大切にいたしますね」

「あぁ」

「依頼は達成です。こちらが証明書と10チークになります。ではギルドに戻ってください」

 シャガルは眠そうだが時雨は眠そうではなかった。


 オレはシャガルを優先できない。時雨に背中を向ける。ここでオレがシャガルを優先すれば時雨が歪むかもしれない。

「ん? なに?」

「これから外壁回り行くから少し寝な」

「眠くないよ?」

「昼寝は大切だ」

「いいよぉ」

「早くしろって」


 時雨を背負い三人で外壁を回った。時雨の寝息が聞こえてくる。シャガルが辛そうによろめき、ため息を押し殺して手を繋ぎ支える。ニーナは気にしておらず親代わりは無理だと判断した。


 初めてゴブリンに遭遇した。灰色の獣。明らかに人間とは違う。オレ達を視認すると逃げ出した。おそらくゴブリン。

「あれってゴブリンだよな」

「そうよ。別に珍しくもないでしょ」

 ニーナは慣れた様子だった。

「逃げて行ったな」

「そうね」

「ねーちゃんたち二人とも、何冷静に傍観してんだよ。倒さなくていいの?」

「様子見だからな」

「そうね。見回りだからね」

「それでいいのかなー」

「ゴブリンは殺していいんだよな」

「逆に殺されそうね。知ってた? ゴブリンって人間を襲うのよ。性的な意味で。雄でも襲うのよ? 性的な意味で」

「じゃあ、殺してもよさそうだな」

「ふんっなにその答え」


 一周したら門番にゴブリンの目撃を報告する。門番はゴブリンと聞いて一瞬眉を潜めたが特に躍起になる様子でもなかった。

「わかった。上に報告して様子を見よう」

 必ず討伐する対象ではないらしい。殺さないで済むなら殺さないスタンスなのかもしれない。ギルドとしての方針も未知数だ。接敵した場合の対処法の指示も受けておけば良かった。


 時雨を起こしてイノシシ狩りに向かう――時雨にイノシシの狩り方を教えた。まだ【触覚】を上手に使えないだろうけれど、槍の投げ方を教えた。癖なんかは個性があるだろうから投げて当てろとだけ告げた。

 だけれど、子供の力では大して強く投げられないよな。

 何回か投げさせたが、頭蓋骨を貫通するほどの威力がなかった。

 コイツが子供だと失念していた。

 それにしても【触覚】と言う能力は索敵において便利だ。世界の色が紫、青、黄色に別れる。その三つの色を混ぜ合わせ輪郭を帯び色の深度や混ぜ合わせで対象が物体を透過して窺える。視覚以上の距離、視覚以上の発見ができる。

 脳が処理できる情報を遥かに凌駕する情報が速やかに処理される。


 その感覚を利用すれば……後を追って来る二つの勢力に気がつける。

 一つは人間で、一つはゴブリンだ。

 武器を持った数人の男とゴブリンが五体。

 イノシシを仕留めた――そのタイミングでゴブリンが現れた。イノシシを横取りする気のようだ。ゴブリンに対してタイミングを逃したのか人間達が引っ込む。


 図体の大きなゴブリンが目の前に現れ、四体が後に続いてイノシシを取り囲む。この図体のでかいゴブリンが一応リーダーのようだ。

 投擲された槍にゴブリンが触れようとしたので魔力で槍を引き寄せる――そのまま前へ進みゴブリンを袈裟切り、回転からの心臓を一突き、抜いたら後ろの四体を刺し殺す。

 弱い。弱すぎる。なんだゴブリンって。

「ゴブリンて売れるのか」

「……黒花石なら、売れるんじゃない?」

 ニーナも動揺はするんだな。

「ねーちゃん。思ってたけど強いよな」

「早く解体するよー」

 時雨がゴブリンを解体しはじめて驚いた。

 解体していると人間達がオレ達を取り囲む布陣を取る。時雨は気付いているようだった。気づいて目配せするので頷く。それとなくシャガルをオレの側に寄せてきたので、それとなくニーナも傍へ寄せておく。人質に囚われても困るので木の根元へ集まってもらう。

「なによ……」

「いいから離れんな」

「自分の女のつもり?」

 そんな台詞初めて聞いたわ。

 シャガルとニーナは気付いてないのか。


 時雨が手慣れた様子で解体してゆく。いや、穴を掘って燃やそうぜ。

 時雨には時雨のやり方がある。口出しするのも尾を引きそうだ。

 ちいさな黒花石が五つ。小銭にはなるだろうと考えた――タイミングで人間達が現れた。

 手に持った武器。ニーナもシャガルも動けなかったが時雨は動いた。

 まさか殺すわけにはいかないよな。

「大人しくしてれば悪いようにはしない」

「イノシシが欲しいのか?」

「全部だ。全部」

「イノシシは今晩の夕食、お前達はそうだな。子供は売って女は……そうだな。今晩のお楽しみだ‼」


 もしかしてコイツ等は言葉を理解する新種のゴブリンなのかもしれない。よくよく考えなくてもこの世界は結構無法地帯だ。女子供の誘拐が普通にある。売り買いが普通にある。

 わかり合えない。槍を構える――突っ込んで来た男の顎を柄でカチ上げる。腹を突き黙らせる。刃を使うと殺してしまうかもしれない。


 腹を押さえて倒れる男。鉈が地面に落ちたので拾い、槍を時雨に渡す。鉈をひっくり返して持つ。峰打ちなら死なないだろう。

 先の先を取る。相手の構え振り上げから軌道を読み読んだ上で先に仕掛ける。一人の腕を打ち折る。

 先の後の先。先に攻撃すると錯覚させ行動を誘発し、その対処を叩き潰す。指を峰で打ち指を折る。


 先――怯んだ男の脳天に峰を振り下ろす。

 残った男が尻もちをついた。下がる男の膝を横から峰で打つ。

 これで終わりだ。

 さすがに骨を折れば襲ってはこないだろう。間接的に死んだとしてもオレは知らない。

 呻く男達が残った。ニーナが目ざとく金目のものを漁っている。痛みでかまっていられない間に金を抜き取る目ざとさよ。

「いい鉈だな。これ、貰っていきますね」

「クソッ」

「全部で7チーク」

「小銭ばっかりだな」


 何か喚いていたが殺さないだけありがたく思えと告げると黙った。

「こんな奴ら殺しちゃえばいいのに……」

 時雨がボソリと呟いてため息が出た。

「ガキが殺すとか言うな」

「あまちゃんね」

 ニーナがそう呟く。勘違いするな。ガキがいるから殺さないだけだ。


 それに人を殺せば犯罪歴がつくかもしれない。人を殺すのと動物を殺すのは違うんだよ。

「もう行け」

 男達にはとりあえずお帰り頂く。

 ゴブリンの死骸を処理してから改めて帰路にたった。

 街に帰ったらギルドへ足を運ぶ。

「ふへへっ。報告書をどうぞ……大丈夫ですね。今日はイノシシが一体なんですね。昨日の薬草もまとめると……86チークですね。どうぞ確認してください。そういえばゴブリンが出たそうですね」

「あぁ、報告はしたぞ」

「はい。受け取っています。報告だけじゃなくて討伐してしまっても構いませんからね。へへっ」

「そうなのか」

「こう言っちゃなんですが、ゴブリンを倒すのにかかる手間と賃金が見合ってませんからねー。ふへへへへっ」

「ギルドの人間がそう言うこと言うなよ」

「まぁ隠しても仕方ないですしね。へへっ」

「……ちょっと聞きたいんだが」

「へへっなんですか?」

「黒花石って売れるか?」

「買い取りしてしますよ? 見せてください」


 五つの黒花石を見せると眼鏡は薄ら笑った。

「ゴブリンの黒花石ですね。一つ4チークです」

「一応金にはなるんだな。20チークならいい稼ぎだ」

「ゴブリンを殺して処理して取り出して燃やして埋めて20チークですからねー。普通に考えたら見合っていません」

「それもそうだな」

「へへっへへへっ」

 この眼鏡、笑い方で損をしている。

 ゴブリンの処理は面倒だ。穴を掘り燃やさなければならない。この処理に時間がかかる。今回は生焼けだったが途中で埋めてしまった。夕日が落ちていたからだ。


 今回の稼ぎは全部で116チーク。なかなかいい金額になってきた。

 宿に泊まりたいところだが無理だ。

 これを四等分で一人29チークだが、オレは時雨の分を、ニーナはシャガルの分まで管理するので実質二等分。58チークずつで割り切った。


 時雨も他の二人も自分で管理してほしいけれど、オレに寄越すのでオレが管理している。

「へへっへへへっ。イノシシの解体だけは得意なんですよ。ふへへっ」

 少し待ち今日の分のボタン(いのしし肉)を受け取りギルドを後にした。

 露天でラーロの実を5チークで買い足し、街の外へ向かう――途中で街の衛兵に呼び止められ拘束された。


 どうやらオレ達を襲った賊が、暴行を受けたと衛兵に申し出たらしい。

 詰め所に連行され尋問を受けた。正直気分の良いものではなかったが、ギルドから眼鏡となぜか境会から人が来て後押しされると冤罪として処理された。


 逆に襲われて困っていますと告げると、生返事された。コイツ等マジ殺す。

「ヘザー様、ありがとうございました」

 一応様をつけて助祭と伺っているヘザーに頭を下げた。穏便に済むならそれに越したことはない。オレにはもう何もない。ムカついたら何をしでかすか、オレ自身も判断できない。

「いいえ。貴方達の仕事は丁寧で好感を持てましたとグレイスからの報告もあがっております。皆が助け合わねば生きていけない時代に、略奪をするのはあまりにも悲しい。その罪をなすりつけられるのもです」

「眼鏡もありがとな」

「眼鏡⁉ 私を眼鏡って呼んでたんですか⁉ ふへっ。まぁいいですけど、今度は前もって襲われたことを言ってください……。一応、ギルド職員なので。へへへっ」

「わかった」

「ところで今日の宿は決まっていますのでしょうか?」


 ヘザーにそう告げられ、ニーナに視線を投げるとニーナは首を振った。この首を振るという行為は決まっていないと告げるものではなくて、大丈夫だと返事をしてほしいと暗黙の了解を求めるものだ。ニーナは境会に何か引っかかるところがあるのだろう。

 でなければすでに境会で保護されていてもおかしくはないと考える。


 ニーナは困窮しても境会に助けを求めなかった。

 それは境会に対して何か引っかかる所があるからではないだろうか。違うなら違うで構わない。

「大丈夫です。決まっております」

「そうですか? もし困ったことがありましたら境会へいらしてくださいね」

「ありがとうございます。眼鏡もありがとう」

「まぁいいですよー。また明日。へへへっ」


 別れて街の外へ移動した。

 水筒の水でいつもの夕食――今日はシャガルとニーナにも焼いたボタンを食べさせた。シャガルはいいのか聞いてきたので良いと頭を撫でた。

「そろそろ胃も慣れて来ただろうし食べても吐いたりしないだろ」

「ねーちゃん、ちゃんと考えて食べさせなかったんだな。意地悪かと思ってた」

「ニーナが吐いたって言ってたからな」

 何時もの夕食後、歯磨きをし、毛皮を出して包まる。


 今日は時雨に魔力を感じて欲しい。木に寄りかかり時雨を抱え、お腹辺りを撫でながら魔力を全身に巡らせた。

「うー……」

「苦しい?」

「んーん。気持ちいい。なんか流れてる」

「これを自分でできるようにするんだ」

「何の流れ?」

「これは魔力の流れだ」

「そうなの? へへっ時雨、魔術師になるんだ」


 半分寝ているのか時雨の言葉は何処か鈍重だった。シャガルがこちらを気にしているのでシャガルも呼び、脇に抱えて魔力を流す。

「うぁ……ねーちゃん。なんかすげぇ気持ちいい」

「シャガルも、この魔力の流れをちゃんと覚えておいて、自分で流せるように訓練するんだ」

「俺、魔術使えるの?」

「……それは無理だが、身体強化ができるからな」

 シャガルの解析データーを開いて少し弄った。シャガルは【触覚】こそ無いものの、回路はそこそこ優秀であまり弄る必要はなかった。シャガルは戦士よりだ。


 二人が寝静まるとニーナが立ち上がり、足元で睨む。

「……そろそろお金払って」

 そう言われて息を強く吐きそうになり我慢した。自分で覚悟して決めた問題だ。億劫なのを悟られれば彼女はムキになり他へ向かうだろう。

 二人を毛皮に包み、狼の形を取らせ裏手に回る。

 10チークを支払うとその手を握られ強く噛まれた。

 時雨もそうだがコイツもなぜ噛むのか。


 ……ぴったりとフィットして驚いた。ニーナも驚いているようだった。昨日まであんなに違和感があったのに、今はそれが当たり前のように密着している。

 ニーナにラーナが重なっていた。

 ダメだ。ラーナ。何処にも行かないで。行かせない。

 意思とは異なる肉体の生理的反応を制御できない。

 脳幹の痺れに歯を食いしばりニーナの体に魔力を通し回路を形成する。何処にも行かないで。内側からこみあげてくる束縛欲に抗えない。強く魔力を流す。ダメだ。離れさせない。それは違うと理解しているのにラーナが重なり、強く求めてしまう。

「これ、魔力の流れだったのね。はぁはぁっ……いいぃ」

 背中に回した手が肋骨の溝、ラインをなぞり指を強く押し付けて体を密着させる。

「ぐっ……そういうことするんだ」


 ラーナを求めている。ラーナを求めていた。ラーナ……。でも違う。体のラインもその精神も、ラーナじゃない。

 この子はニーナだ。

「……境会はっ嫌いか?」

 肌を這う手の平の感覚、肩から背中、脇。鼻と口。手の平が輪郭を覚えるように動き。動作と魔力でニーナを撫でる。傷がより目立つように、傷をより擦りつけるようにニーナが立ち回り受け止める。

「いぃい……ぎらい」


 ニーナはフリをした。フリは許さない。

「わかるからフリはやめろっ」

 そう告げるとニーナは肩を噛んだ。ニーナの息が荒い。意思では抗えない体の反応を見分ける。避けられない生理現象とその反応を窺う。より密着して、まして視線までからまっているかのように。ぎこちなく不器用。

 ちゃんと、彼女を受け入れる。その身の内へ受け入れる。

 ちゃんと、行為をする。


 まるでハチミツを舐めた後の余韻に浸る気分になるように。

 粘度の高いハチミツが上あごと舌の間に残ってペタペタと張り付くような余韻をちゃんと味わう。それをしっかりとニーナに味あわせる。離れず息を交換するようにただ見つめていた。


 余韻に埋もれて埋もれられ離れがたく。寂しいと。それでも……。

 離れようとするとニーナはそれを許さなかった。

「ぎいぃい‼」

 牙を剥きだして睨みつけ、手に力を込めて離れるのを拒んでくる。より深くへ押し込まれ体がのけ反ってしまう。

 傷口に塩を塗りこめるように痛かった。自分で選んだ。ラーナじゃない。それが無性に悲しくて、それをニーナに悟られたくなかった。

 ラーナがもう存在しない事実だけがあり、腕の中にニーナが存在する事実だけが苦しかった。それを悟られてはいけないと。


 自らのどうしようもなさを思い知る。

 それでもそろそろ離れようと、ニーナの顔が歪み。

 魔力と魔力のラインが重なり循環しているのを感じた。ニーナが流し込んできた魔力がオレの中を循環し、オレの流した魔力がニーナの内側を流れる。


 もう選んでしまった。それを悟られるのは拒絶を意味する。

 ニーナがそれを悟ったら、オレを嫌い何処かへ行ってしまうだろう。それはニーナの選択で、もしかしたら案外オレなどいないほうが幸せになるのかもしれない。


 自分で選んだ。だから受け入れる。

 また密着しニーナを求めた。求めるたびにニーナは顔を綻ばせて。押し込んでしまう。ぴったりと当てはまり、まるでパズルのピースのように歪に擦れ合っていた。

「だからフリは許さないッ」

 そう告げるとニーナはにんまりと笑みを浮かべた。

「なぜフリをする……」

「お母さんが、よくしてたから、男って、好きでしょう? こういう表情や仕草が」


 余韻が体を支配する。抱きしめて鎖骨に頬を寄せる。じっとりした液体が頬をペタつかせ、下から独特のニオイがせり上がっていた。膝裏が腰回りに引っかかりガッチリとホールドして離れられないようになっていた。

「境会を嫌う理由は?」

「知らないの? ほんとうに? まぁ貴方は男だものね」

 背後に回した手に力を込め、より奥へ埋もれるように密着する。

「イッ……このッ」

「背中、痛くないか?」

「……大丈夫よ。境会は弱者しか救済しないの。弱者じゃなきゃ救済しないのよ。あたしがこうなる前に、いくら助けて欲しいと言っても助けてくれなかった」

「言っている意味が……」

「はぁはぁ」


 ひっくり返され、それを拒まなかった。指の間に指を通され押し付けられる。ニーナを掛布団にしている気分だ。

「境会はね。傷ついた者しか保護しないの。強姦にあったもの。魔物に攫われたもの。暴力を受けて傷ついたもの。そういう人達しか所属できないし救済しないのよ」


 動く気配に抵抗する。

「ダメッ。あんたはあたしを選んだんだ‼ 買ったんだから‼」

 より密着するニーナに抗いこちらもより密着していた。

「ぐっそんなっそんなにくっついていたいわけ?」

 そうして離れる離れないを繰り返しニーナと少しばかりの雑談をした。

「もう、離れない。あんたは、毎日あたしを買うんだ」

 ラーナが脳裏を過り、もう存在しない事実に伏せる。

 そしてニーナの体温でラーナを思い出して癒される自分がいた。

 境会に所属できるのは傷ついた者だけ。その意味を知った。

 離れても触れ合っていないのが嫌で、オレはニーナの手をとり強く握っていた。ニーナは何も問わず握り返し、強く手に力を込めて握り返して来た。語りようのない気持ちに囚われる。


 ニーナをラーナの代わりにしている。

 もう忘れようとしている。自分の弱さが嫌になる。


 小川で軽く体を洗いあい、もう一度だけと……身を寄せられてそれを拒まなかった。

「拒むのは許さないから……これからずっとあんたは醜いあたしを買うんだ」

 貴方が始めたゲームだと、最後まで責任を取るように釘を刺されているような気がした。心配しなくても大丈夫だ。どうせオレにはもう……。

 跡に頬を摺り寄せ、唇を寄せる。

 離れても手を離すのをやめられず、戻り毛皮に包まってもニーナに触れていたかった。

 子供二人を間に挟み、ニーナを眺めていると、ニーナの手が頬に触れて熱く、オレもニーナの傷に触れて撫でていた。


 またニーナと交わりたいと沸き上がりその感情を思い止まらせる。

 やがてニーナの健やかな寝息のリズムが鳴り始め、オレは【シストラム】の改良を始めた。

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