第28話
次の日から回路を形成しつつ時雨を鍛えた。
「ねぇ? 痛いのはやだよ。こんなの何の意味があるの? 叩かれるのも叩くのもやだよ」
平和主義者かよ。別に平和主義者でも構わないけれど。
「自衛ぐらいできるようになれ。文句言うなら置いて行く」
「ううぅううう‼」
「唸ってもダメだ」
自分の身長と同じぐらいの木の棒を拾い持たせて振るわせる。刃物じゃなくてもいい。棒術でいい。コイツが人を殺したくないと語るのなら……。
オレはラーナの槍の技術を抽出し自分の記憶へと移した――これがラーナの槍術。槍の振り方、握り方。微妙な癖や槍の重心に対する取扱い。考え深いよ。ラーナ……。
貴方がもう何処にもいないことがこんなにも辛い。
槍を振るうごとに重くのしかかって来る。
そしてラーナの技術を完璧に再現できない自分の体のもどかしいことこの上ない。
「うぅ‼ そんなぶたないでよ‼」
「ちゃんと防がないお前が悪い」
体力をつけるなら走り込みがいいけれど、体や自頭は出来ていた。山歩きが普通の世界だ。足が出来ている。訓練中時雨はビービー泣いて、訓練が終わっても時雨はビービー泣いた。
夜は足が痛いとビービー泣いて。
「訓練頑張ったよ。偉い?」
「偉くない」
「うぅ‼ 時雨頑張ってるもん‼」
「頑張るだけじゃ意味がない」
「ママ嫌い‼」
「ママじゃねーもん」
頭に唇を付け。
「うぅ‼ 意地悪‼ ゴミクズ‼ クソゴミ‼」
罵倒に笑みを浮かべる。
オレではラーナの技術を完璧には再現できないので、ジュシュアの技術を使い補った。左手にラーナの槍を持ち、右手に木の棒を持つ。
街道を緩急つけ、歩き走りながら時雨と己を鍛えた。
「待って‼ おいてかないで‼」
時雨はとにかく泣いた。理不尽に感じたのだろう。なまじ回復魔術が使えるために、寸止めでは済まさなかった。
「痛い‼ いたい‼」
「防がないお前が悪い」
「なんで棒で叩くの‼」
「叩かれたくないのなら防げ。考えろ。どうすれば叩かれないのか」
夜は癒し甘えさせる。備蓄の食糧を惜しげもなく与え、良く甘えさせ、良く寝させる。寝ている間に摂取した食料を使い体を再生させる。肉体をより強固に。揉み解し、強くてしなやかな筋肉を構築する。平行して回路の形成も促す。
繰り返し繰り返し――指先から足指の先まで。髪の一本一本、根本から毛先まで。
朝起きてしっかりとした朝食、散策(採集)、片づけて移動しながら訓練、昼食、昼寝、訓練、移動、夕食、夜寝を繰り返して三日。
時雨の回路は未だ形成途中だし、時雨が強くなったかと問われれば悩ましい。三日程度で急激に強くなるわけもない。時雨は採集に関してだけは積極的だった。物覚えも早く、また自分でも元から調達していたのかオレの知らない山菜やキノコも知っていた。
ただ命に対してだけはオレと考え方が異なっていた。植物を手折る事に躊躇がなく、虫を殺す事に対しても躊躇がない。それが必要であろうとなかろうと――。花を踏み潰してもそれを気にしない。虫を踏み潰しても気にしない。むしろ棒で虫を何の感情も意味もなく擦り潰すし、棒で植物を打って折る。喜ぶよりはマシかと考える。
コイツは自分が傷つくのは嫌だし、オレが傷つくのも嫌だが、それ以外が傷つくのを躊躇ない。
これはオレの考え方が間違えなのだろうな。
人を殺したオレが命は大切だ等と、口が裂けても語れる言葉ではなかった。
時雨に気を使い木の実を食べるげっ歯類を狩るのは避けたが、時雨はむしろ可愛い系のげっ歯類を捕えて食べるのが好みだった。内蔵を取ったら毛ごと燃やして頭から足の先まで、そして骨まで食べる。雑食のげっ歯類より木の実を食べるげっ歯類の方が単純に旨い。
色々な動物を食べたが、木の実を食べるげっ歯類が一番うまい。
不思議なもので、旨いとわかると可愛いげっ歯類だろうが、見かけた途端可愛いから旨そうだに感想が切り替わる。もし猫が旨かったら猫も旨そうだに変わるのかもしれない等と皮肉を考えてしまった。
時雨は採集や狩猟を好み、げっ歯類の素焼きや薬草類の備蓄が増えた。
「早く街に行かないと薬草がダメになっちゃうよ」
「言っとくが街についても訓練は継続されるからな」
「なんで⁉ 私痛いのやだよ。ママの事だって叩きたくない」
なかなか策士だな。
「オレを叩ける実力が出来てから言えよ」
「噛んでいい?」
「ダメに決まってるだろ」
「噛むね」
マジで噛みやがったよコイツ。信じられねーよ。本当に人間かよ。
四六時中【触覚】を発動していたら、【触覚】状態が普通になってしまった。
それと共に違和感も増した。槍と剣を持ち振るっていると何かが違うと感じてしまう。
こうじゃない。これじゃない。オレはこうじゃない。
違和感がある。それは記憶に体が寄り添わないのではなく、もっと形状の違う何かを使っていたような妙な動作に悩まされる。
逆手に持つ大型のナイフ――そんなものを使っていた感覚に囚われる。
デジャヴのように刃が現れて、こうするの、こう使うの、こう動くのとまるで見本のように瞳の中に残像が現れる。お前誰って尋ねると、嬉しそうに笑うんだ。
剣と槍じゃない。獲物が違う。獲物が違うから、そんな動きはできない。そんな動きじゃダメだ。それじゃ敵に効率的に傷つけられない。違う。
「痛い‼ ねぇ‼ なんでポコポコ叩くの⁉ 私は楽器じゃない‼」
我に返って時雨を眺める。
「……防げないお前が悪い」
槍術の記憶を持つオレと、一から槍術を構築しなければならない時雨では、土台があまりにも違いすぎる。
だから時雨がオレに勝てないのは当たり前だ。
時雨の瞳にはオレが映っている。オレを鏡にして動きをトーレスすればいいのに。
「叩きすぎ‼ もおおおおおおおおおお‼ もう百回は叩かれてる‼ 見て‼ もうおおおおおおおおおおおおおお‼ 青痣だらけになっちゃう‼ 青くなったらママのせいだからね‼ ママが責任取るんだからね‼」
「赤くなったら笑い話だな」
「もおおおお‼ ママなんかぶっ飛ばしてやる‼」
「おいおい訂正しろよ‼ 口がきたねーな‼ ぶっ飛ばして差し上げますわよって言え‼」
「意味がわかんない‼」
「意味がわかりませんわだ。バーロー‼」
「もうやだっ。やだっ‼ よしよししてよ……うぇええええん」
「ほらっ。抱きしめてやるからこっちこいよ」
「ママなんか‼ ママなんか‼」
「おっ大嫌いだって言うのか。いいぜ。言えよ‼」
「泥道でコケて泥だらけになっちゃえ‼」
「じゃあ、お前は川に落ちてびしょ濡れになっちまえ‼」
「そしたらママもびしょ濡れだからね‼」
「そしたらお前も泥だらけだよ‼」
「うぅううううう‼ ママの‼ クソボケアンポンタンキチクタンサイボウ‼」
「そのクソボケアンパンキチクタンサイボウに負けるクソボケアンコヌリタクリバカ‼」
「意味わかんない‼ クソボケアンパンじゃない‼ クソボケアンポンタン‼」
夜だけは穏やかだ。
「ママ……」
腕に抱え背中を撫でる。ムグムグと唇を擦りつけてくる時雨を甘やかす。腕をほぐし足をほぐす。傷んだ体を魔術で丁寧に縫い繕う。
髪を整え襟足やもみあげを剃り、耳の産毛を整える。
「ママ……ごめんなさい。ママ大好き。大好きママ。時雨、いい子にするよ」
ママじゃねぇつーの。
「ママが一番好き。ママが一番大好き。ママだけ。ママだけだから」
頬を撫で頭に唇を付ける。何も告げなかった。何も語らなかった。何も答えられなかった。腕の中に納め、横になりながら、頬を撫でたり、腕を撫でたり、足を撫でたり、お腹を撫でたり、昼間に与えた稽古の傷が深くならないように関心を向けるだけ。
「ママッ。ふぅふぅ。ママ、ママ」
耳の縁を柔らかくなぞる。穴の中に指を入れ、耳たぶを摘まみ擦る。
コメカミに唇を押し付けムグムグと擦り。
その内、時雨は微睡みの中へと沈み始める。やがて意識を失い眠りに落ちてゆく。
うとうとして開閉を繰り返す瞼の様子。無防備な寝顔。
何も感じない。何も感じなかった。
歩みは進み――やがて道の先に建物が現れて、今までとは異なる大きさの建造物に、街に着いたのだと悟る。時雨は嬉しそうに走りだし、オレは、これからどうしようかと悩むばかりだった。
出入りする人間は大勢おり、門番はいたが、特に何か告げられる事も無く。
門を通る時に僅かだが違和感、境界を感じた。聖境会による境界だ。
街中には水路、生活用水として使用されていた。手を浸して掬い取り、透明な水の中ではキラキラと光りが舞っていた。聖水なのだろうな。
当たり前だが村よりも規模が広く、外壁には切り出された石が使用されており、街と呼ぶよりは砦のようだった。
木造の建物が立ち並び、床は土――清潔と不潔が入り混じり……。
街の規模に対して人の数が多く、浮浪者も多いようだった。
活気に溢れている様子が、のどかな村との対比となってオレの思考を揺さぶっている。
どちらが好みかと問われれば、のどかな村の方が好みだ。
村の問題を加味しても村の方が好みだ。
街中を通る鹿。乗り物用の大鹿。鱗鹿。角があり緑に近い鈍色の鱗がテラテラと光を反射していた。でかい。3mはありそうだ。そんな鹿が人の世話を受け、背に人を乗せている。早鹿。
羊もいた。横にでかい羊だ。
鹿は人が乗る動物で羊は荷物を運び動物のようだ。
他にも熊がいる。クマがいるわ。大きいクマがいた。
「やべぇな」
思わずそんな言葉が口から漏れてしまった。
普通に野生動物が家畜化している。
クマは家畜化していないらしいけれど。
この熊、目が三つある。額に目がある。涎だらだらで鎖に繋がれていた。涎ダラダラ過ぎるだろ。コイツの頭の中では肉が沢山通る良い道になるのだろうか。
こちらを窺う複数の視線。視線の一つ一つを【触覚】で捕らえているが、街の中には【触覚】持ちが二人いるのが窺えた。こちらが感知すると向こうもこちらを感知する。
正確な個人を特定できるわけじゃない。大体の方角がわかるだけだ。
「うぅ……お姉っさん。お花買わない?」
声をかけられて視線を向ける。路地裏から泥だらけの女の子が現れた。花を買わないかと言う割には花を持っていない。お姉さん、あぁオレか。視線を確認、確かにオレだと認識する。
汚れたスカートをたくし上げ――。
「10チークでいいよ? いつつっ。弟もつけるよ」
売春などするなと考えたが、この世界では普通の事なのかもしれない。
泥で汚れている。右目が見えていないようだ。引っかかれたような傷も見える。股間は血と泥と火傷状の傷で膿んでいた。
「お前は施しが嫌なほうか?」
そう尋ねると女の子は笑みを浮かべた。
「ふぅふぅ。嫌じゃないよ」
帽子の中からげっ歯類の素焼きを二つ取り出して渡す。時雨が露骨に否定的な表情をして、少し笑ってしまう。
「ありがとう。朝から何も食べてなかったんだ。うー……」
食料のニオイを嗅ぎつけたのか後ろから弟らしき子供が現れ、姉と思わしき女の子が持つ素焼きにかぶりついて奪い取った。相当腹が減っていたのだろうがその態度は良くなくね。弟の方は姉と違い傷はなかったが干物のように肉がなかった。
「お姉さんこの街に来たのは初めて?」
「そうだな」
「案内してあげよっか?」
「残念だが文無しなんだよ」
「ギルド行くんでしょ? 後払いでいいよ」
「よくギルド行くってわかったな」
「そっちの子が槍を持っているからね。猟兵なんでしょ? いつつっ」
グイグイと裾を引かれる。時雨が服の裾を引っ張っていた。
「場所だけ聞いていい?」
「あっちだよ。宿を探すようなら言ってね。文無しでも泊まれるとこあるよ。うぅ」
「あぁ」
「ギルドは今大変だから頑張ってね」
ギルドは今大変なのか――時雨に引っ張られて通路を歩きはじめる。
まぁいいかと時雨に引っ張られ、しばらくすると時雨は振り返って睨みつけて来た。
「デレデレするな」
「お前の目が節穴なのが良く分かった」
「お前って言うな」
猟兵ギルドは大きな木製の建物だったが寂れていた。人がいない。マジでいない。今日はギルド休みなのかと考えたが、そうではないようだ。不気味なほど静かだった。
中も人がいない。受付が一人。オレを視界へ納めると驚いていた。
受付へ近づく。眼鏡をかけた女性の受付だった。受付は眼鏡なのが決まりなのかと考えてしまう。二代目眼鏡だ。
「ようこそギルドへ」
「やってる……んですよね?」
「えぇ、運営していますよ」
「妙に人がいませんね」
「あははっ。ちょっと色々ありまして……。ところで街には最近いらしたのですか? 今日は依頼を受けに?」
「文無しなので何か仕事を頂きたいです」
「ちなみに星は?」
タグを見せる。
「星2……ですか。星2で受けられる依頼はこんなものですね」
あからさまに落胆されたし、下に見られたな。
差し出された紙には薬草採集、街の外壁周りの見回り、水路掃除、後は荷運びなんかがあった。魔物討伐依頼は星2では受けられないらしい。イノシシの狩猟にげっ歯類の捕獲なんてものはあった。
「薬草類は備蓄があるのだが買い取って貰えるか?」
「ほんとですか⁉ ぜひぜひ。現在ギルドでは薬草類の備蓄が少なくて困っていたんですよー。ふへへ」
帽子の中から薬草類を取り出して受付に乗せた。
「こんなにいっぱい‼ これは少し換金まで時間がかかるかもしれませんね」
村での眼鏡もそうだったし、やっぱりここでも時間はかかるのだな。
「わかった。外壁の見回りとイノシシの狩猟を受けたい」
「わかりました。ついでに薬草採集も受けていいですよ?」
「まぁいいか」
「ありがとうございます。薬草採集に決まりは特にありませんので取れる物は取って来てください。こちらで換金致しますので」
「わかった。ついでにこの子も猟兵登録してくれ」
「あっわかりました。じゃあお嬢ちゃんちょっとこっちに来てね」
時雨の登録もつつがなく行われた。
街の入り口で門番に依頼書とタグを差し出す。まぁ外壁を一周して壁に異常がないか確認してくれとそんな内容だった。門番は猟兵と聞いて露骨に嫌な顔をしたが、オレたち二人だけだと知ると表情を緩めてくれた。
何かギルドで問題があったのかもしれない。
外壁を一周――森に囲まれており街道以外は人気もなかった。時雨は薬草やキノコ採りをしていたが、どうもこの辺りは薬草の種類が少なく、キノコも少量しか取れないようだった。誰かが取った跡が広がっており、時雨が苦々しい顔をしている。
「もっと上手に取れば、次回も取れるのに……」
そうぼやくなよ。
外壁一周を終えおおよそ距離3キロぐらいだろうか。また会った門番に挨拶したら遠出する。
外壁を移動中も【触覚】を使用していたのでイノシシの位置は把握していた。
街から数キロ――泥場を発見、イノシシを狩る。イノシシと言うか、イノシシはイノシシなのだが尻尾が長かった。これで別に魔物ではなく動物なのだそうだ。長い尻尾を鞭のように振り回して攻撃してくる。普通に音速を越えるのか振るわれるたびに大きな音が響いていた。これ星2が狩る動物じゃなくね。
そう考えたが体がもう動きを理解していた。動きから対処法が予測されている。
眺めた景色から予測するように神経を伝い体に広がっていく。
コイツはこう殺す――初めての感覚が妙に心を躍らせていた。
一応二代目眼鏡に説明は受けたが、先に発見するのが重要で、尻尾を振るわれる前に撃破するのがセオリーのようだ。だから星2の初心者がポンと狩れる動物じゃねーだろとは考えたが、どうもそうでもないらしい。
イノシシは群れじゃなく縄張りを持つ雄のソロがほとんどで、雌は縄張り内を自由に移動し子供を成す。
要するにイノシシ一体を発見――槍を投擲し、仕留めたら終わりだ。
投擲した槍は眉間に突き刺さり、イノシシは倒れた。
これを抱えて帰るのか。通常においてイノシシを複数狩るのは無謀だ。持ち帰れない。
肩に背負って森の中を歩くのも通常なら重労働だ。帽子を使えばいいが今後の時雨を考えるとズルをするのはやめた。
背負って街まで戻ると門番に感心された。
早速ギルドに持ち運び解体を依頼する。二代目眼鏡は喜んでくれた。追加の薬草も提出し、外壁の巡回とイノシシの報酬は20チークだった。
「それじゃ、解体してきますねー」
「今日の分だけ少し分けて貰えないか?」
「あぁはいはい。もちろんいいですよ‼ すぐに解体しますから。ふへへへっ。私が。ふへへへっ」
解体するのお前かよ。そりゃ時間かかるよな。
ギルドでも部屋を貸し出しているらしいが、一週間で200チークを前払いと告げられて諦めた。文無しだっつーの。今日の依頼の十日分じゃねーかふざけんな。
キノコとボタン(イノシシの肉)、水を持ってギルドを後にした。
宿に泊まるつもりだったが、これがまた難儀だった。
素泊まりは7チークで問題はない。時雨を入れれば14チークだ。それはまぁいい。だが調理場を借りられないのは嫌だ。食事をとりたければ料理を買えと告げられた。
そして食事代込みだと一人12チークだと告げられた。二人で24チーク。予算オーバーだ。
鍋を取り出すと宿の亭主に露骨に嫌な顔をされ、調理場も金がかかっている、見ず知らずの他人にただで使わせるほど宿もお人よしではないのだろうなと考えを改めた。
最悪門の外でも良いと考えて宿はやめた。
ラーロの実(水蜜糖の原料)を粉状にした物が売られていたので7チークでパンパンの布袋を買った。
「んふふ……お姉さん。宿は取れた?」
宿から門の外へ出ようと通路を歩いていたら声をかけられた。
この街に到着した時、声をかけてきた姉弟だ。
「無理だ」
「お金稼げなかったの? いつつっ」
「20チークじゃな」
「んっん……素泊まりならできるんじゃ?」
「まぁな。だがコイツは食べ盛りだ。食事を取らせたい」
「じゃあ、じゃあ、ねっ寝るとこ案内してあげようか? ひひっ」
「いや、門の外で寝るから構わない」
「そうなんだ。じゃあ、じゃあ、いっしょ、一緒にいくよ。お姉さんん」
「オレはお姉さんじゃない」
「お母さん⁉」
「オレは男だ」
「……そうなんだ。男なんだ、うぅ……綺麗な男だね。綺麗……羨ましい」
姉とその弟に時雨が露骨に不機嫌になり言葉を発しなくなった。
どうやらただで寝られる場所と語っていたのは門の外のようだ。門の外には外壁に沿って浮浪者が集まり暖をとったり睡眠をとったりしていた。
外壁のすぐ傍には水が流れ、流れにそって人が集まっているように窺える。村での水の扱いを見るに、この水も聖なる水、聖水なのだろう。
お腹を壊さなくて済みそうだが、この水はできれば使いたくはない。小便とか混ざってそうだし。
少し森に入り火を焚いて料理をする。何人か男が後をつけてきたが無視を決め込む。
姉と弟は様子を眺めてはいたが要求はしてこないようだった。ただお腹は減っているのだろうな。弟の方はボタンを眺め涎を垂らしていた。
姉はともかく弟の方はボタンを食べたらお腹を壊す。
ラーロの実を水で煮込みラロッツァを作る。食べられる木を混ぜて発酵させていないので甘くは無いが仕方も無い。ボタン肉を細かく刻み、ラーロの実と一緒にとろとろになるまで煮込む。少量の木の実を加えて出来上がりだ。
次いでに残ったボタン肉を木に刺して火の側で燻しておく。
器は二つしかないから回し食いだ。
「ほら、食べろ」
時雨と姉弟に差し出す。
「……いいの?」
「代わりに身の上話でも聞かせろ」
木のスプーンを渡し、ゆっくり食べるように促した。
「胃が受け付けないだろうからゆっくり食べろ」
「……ありがとう。ごめんなさい。実はお昼に貰ったお肉は吐いちゃったの」
立ち上がると同時に草藪から男達が数人やってきた。
「へへへっ旨そうだな」
そろそろ来ると感じていた。木の棒を持つ。
「おいおい、俺達にも分けてくれよ」
「断る」
「なんだと‼」
「そう怖い顔するなよ。へへへっ守ってやっからよ。ついでによぉ、女の喜びってやつをよぉ、いひひっ、オレが教えてやっからよ」
「それ以上近づいたら殺す」
「遠慮するなって‼」
木の棒で打ち、ご退場頂いた。腹が減っているのはわかる。分けてやりたい気持ちはある。だが無理だ。こういう時聖人なら分け与えるのだろうな。残念ながらオレは聖人ではない。
そして姉弟を眺め呆れた。
「そんなかき込むと咽るぞ」
「ごほっこほっ。ごめんなさい。盗られると思って」
食事をしながら二人の身の上話を聞いた。
二人は旅商人の子供なのだそうだ。ところが父親が旅の途中で亡くなり、この街で暮らすことになった。父を失った時に姉は顔に傷を負った。それで目が見えなくなったのだそうだ。
街で暮らすようになったのだが母親にツテがあるわけでもなく、やがて母親が所帯を持ったのだが、これがまた問題で、新しい父親が姉に手を出そうとし、それに母親がキレて姉の股間を松明で焼いてしまったらしい。
その火が原因で家が焼け両親が亡くなった。
それが一年前のようだ。
姉は前の父の子。弟は新しい父の子なのだそうだ。
しばらくは親の残した財産で暮らしていたらしいが最近になって路銀も尽きて医者にも通えないし、それからこうやって花売りとして暮らしていたのだそうだ。
ところが彼女の見た目が結構なせいで断られ続けたらしい。それで今日はオレが来たので弟を……とそのような流れだったのだそうだ。
解析データーを眺めるに姉の傷は良くない。良く普通に動いているものだ。痛いだろうに。股間はもう痛みを感じないと掻いていた。掻くなよ。赤い瘡蓋が地面に落ちて表情が引きつりそうだ。
「痒いから……」
そうだよな。
きちんと医者が処理をしていたらしいのでデーター状感染症のようなものはあるが最悪というわけじゃない。それでも右目は見えないし出血もある。
股間も痕はひどいが焼いたのが幸いしたのか皮膚下の感染症は少々だった。軟膏のようなものを塗っているらしいのでコレが細菌から守っているのかもしれない。
感染症とは語ったものの、皮膚表面にいる細菌類の数を認識できるだけで、オレにはこれがウィルスなのか細菌類なのか、それとも別の何かなのか文字と数字でしか判断できない。数字もオレの皮膚と対比して少ないと感じているだけだ。
傷が出来た時に纏わりつく細菌類を文字列として認識できるだけ。破傷風菌……なのか。これが破傷風菌なのかどうかすらオレには判別できはしない。破傷風菌ってなんだ。
見た目は最悪だけれど、これが彼女を男達から守ったとも感じる。オレの貞操観念では……の話だが。彼女達からすれば、それでお金を貰えて食っていけるのなら貞操なんてゴミ同然なのかもしれない。いや、性病は怖いだろ。普通に死ぬぞ。
焼いたボタンを時雨に食わせる。
時雨が美味しそうに食べる肉を弟が憎々しげに眺めていた。
「にっニーナって言うの。ニーナオルフェ。こっちは弟のシャガルオルフェ……ん」
「オレはシックス。こっちは時雨だ」
いや、オレの名前はマリアだが。気づいたらシックスと答えていた。
「シグレって変わった名前ね。妹さんでいいのよね? 娘……さん? ん? うぅん……」
「赤の他人だ」
「娘だよ‼」
シャガルにも肉を分けてやりたいところだが、お腹を壊すだけだ。三日は粥で我慢して貰う。水分を多めに取らせたら帽子から毛皮を取り出して敷き睡眠をとる。
「夕食のお礼にあたしが火の番をするよ、ふふ、んぅ……」
「そんな事はしなくていいからこっちに来て一緒に寝ろ」
「……いいの?」
「夜は冷える。見張りは大丈夫だ」
側に来たニーナから酸っぱいニオイがし、時雨が鼻を押さえて歯をむき出し威嚇した。それを悟られないように体で包み込み、ニーナと背中合わせで眠る。
オレは寝ないが。
今夜も時雨の体を改造しようと考えていたがやめた。代わりにニーナの体を弄る。
まずは腕の中にいる時雨に【依存】を使いスヤつかせる。もう起きるなよ。
痛みが伴うかもしれないのでニーナにも【依存】を使用する。リラックスさせてスヤつかせてから解析データーを開きデブリを【分解】で除去、目を【継再】で再生させる。ドロリとした液状のものが目からこぼれ落ち、手で受け止めて投げ捨てる。妙に温かくて粘着き、手の間を零れそうで滴っている。
「うっ……あっ」
なかなかそそる聲じゃないか。そう考えてラーナに殺されそうだとも考えた。
形成された眼球を確認。目元の傷はそのままとする。
次いで股間の火傷に対処する。
同じくデブリを除去。
これは――形だけ【継修】で治して痕はそのままにした。この方が身を守る上では良いだろう。
解析データーを覗き問題が無い事を視認、弟のシャガルを眺める。
シャガルの方は……コイツ、脳に深刻なダメージがある。良く生きている。人体の不思議だ。脳に血だまりがある。どうりで獣みたいに行動する。
どうする――【依存】後、解析データーより血だまりを【分解】で除去、すぐに【継再】を施す。
血液で埋まる範囲を【分解】と【継再】で何度も埋めていく。
【分解】と【解析】では病気を治せないかもしれない。除去と再生しかできないからだ。未知のウィルスは分類できない。誤り体に必要な微生物を除去してしまうかもしれない。これは自分で調べるか医者に師事するか任せるしかない。
二つの器官が死んでいる。何の器官だ。これは……一度【分解】して【継再】を施したが機能していない。なんだ。何がダメなんだ。器官としては正常なのに機能が正常に行われていない。この状態がこの体での正常ということなのか。まぁ、機能していなくとも問題は無いのだろう。これで正常なのだから。
大雑把な処理を無理やり慣行している。あとで問題にならないとは限らない。別の危険を発症して殺していたかもしれない。我ながら恐ろしい。後先を考えていない。
これを善意だと考えているあたりが害悪だ。
何もしない方が良かったのではないかと疑問を浮かべる。いや、そんな事はないはずだ。
どっちが正解だったのかと……いや、これで正解のはずだ。コイツ等はこれで長生きできるはずだ。この世界で長生きできることが幸せとは限らないだろうと疑問を――意思を、望みを無視しているかもしれない。
やる前に聞くべきだっただろうか。
ラーナ……オレ、どうすればいい。
いや、どちらにしても善意の押し付けなのだから意味もない。
気が付くと夜明け間近だった。淡い青が世界を覆う。確かブルーモーメント。この時の空気が少し好きだ。息を吸って吐く。静かな朝だ。騒がしい一日の始まり、その前のほんの少しの静寂に感じる。やがてざわめきが大きくなっていく。
時雨も、ニーナもシャガルも、今この時だけは安らかだ。
少し疲れた。ラーナ……会いたいよ。ラーナ。
心が弱るとダメだ。帽子で顔を覆い、泣きそうな面を隠した。
ごめんね。メイリア。ごめんね――いくら謝っても地面に頭を擦りつけても彼女は許してはくれないだろう。ごめんね。
結果的にだが、ニーナを癒したのは良くなかった。それはオレにとっての話だが。
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