第27話

 視界の中で艶めかしくそれらは動いていた。通常の獣ならば警戒して接近はしない。

 敵だ――近づいて来る理由がそれしかない。観るに囚われると体が動かなくなる。これはダメだ。観るだけじゃダメだ。動かなければダメだ。時雨を体に貼り付かせる。

「時雨‼ 今すぐ足に貼り付け」

 その重みで時雨の安否を感知する。

 無数の黒い犬が草原から飛び出し――知覚した時には【キャットネイルファンタア】が発動していた。【イグニッション】、【纏】、【Arms:オーク】。

 ラリッた男二人が草原の中へ引き擦りこまれていく。聞きたくない悲鳴が聞こえる。ガキに迫った犬を【ネイル】で弾く。草原に入られたら厄介だ。【触覚】で観えたのは視認したくないタイプの死骸だった。ガキを抱えて納める。

「ぜってぇ離れんなよ。離れたら殺す」

「うん‼ 離れにゃあ‼」

「喋んな。舌噛むぞ。口は結んどけ」

「わぁおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん‼」

「にゃあああああああああああああああああああああああああ‼」

 かき消すように響いた号令咆哮――間抜けを通り越しリアルな威嚇が耳が痛い。全方向からの咆哮で音源地が狂い、特定できずに顔をしかめてしまう。全軍攻撃の合図だ。それは向こうも同じなのだろう。


 次いで視認にて犬に突進していた。ボスを殺す。【Arms:オーク】でボスイヌを捕えようと、犬が伏せて回転する。動体視力は追いついても体が追いつかない反射の速度に体が硬直する。

 【イグニッション】が無ければ次の対応ができなかった。視点ではなく視野で見ている。

 あの速度で攻撃されたら避けるのは困難だと――腹の下からオークの腕を突き上げさせ、浮いた体、尻尾を掴んで地面に何度も叩きつける。尻尾が引きちぎれ、首を掴んで地面に振り下ろしていた。


 ボスを倒したからなのか、取り巻きの犬どもも消えて猫が敵を探して目を光らせている。【触覚】で辺りを見回すが動いているのは虫ばかりだ。

「なに? なんだったの?」


 クソガキ。とりあえずクソガキは無事か。

「舌噛んだか?」

「少し」

「ちょっと見せろ」

「あー……。きれー……」

 髪に触れられて顔をしかめる。【触覚】発動中に髪に触れられると邪魔に感じる。

「少し切れているが大丈夫だな。他に傷はないか?」

「足痛い」

 そりゃ筋肉痛だボケ。だが一応スカートを捲り足に触れた。擦り傷が少し。子供の体はオレが想像していたよりも痛みやすいようだ。


 黒犬の側へ――草をかき分けると大きな犬が横たわっていた。犬と言うか狼だ。尻尾を引きちぎってしまった。黒くて鮮やかな毛並みだが、触れるとごわごわとしていた。手触りが良くないのは唾液やらゴミやらで毛が固まっているからだろう。

「……大丈夫? 動かない?」

「あぁ」


 結局コイツは何なんだ。魔物なのかと解析データーを開く。黒花石を確認。ない。コイツには魔石が無い。ひっくり返し【ネイル】で腹を裂く――何にもない。なんだコイツ。骨はあるが黒かった。内側に文字が刻まれている。読める。黒色の中に金色の文字が連なっていた。

 指でなぞると僅かに窪んでいる。


 神が獣。黒狼マードック。

 汝が神の祝福を。獣を討ちし者に祝福を。汝が道に幸い足らんことを。

 沈む貴方にわずかばかりの温もりを――女神より。


 女神。女神か。神の庭。これが神の庭か。突如として迷い込み、遭遇する神が如き獣と対自する。それがおそらく神の庭なのだろう。神が如きと語るのは不遜かもしれない。

 女神の奴――いや、女神様と呼ぶべきか。

 荒んだ心に、女神の心遣いが染みるようだ。

 もし女神に愛があると言うのなら、女神の愛を強く感じたような気がした。

 ただ獣をけしかけるなよとは考えてしまった。オレただ一人を優遇するわけにはいかないのだろう。しかし子供がいる……否、そんなものは自然の摂理においては何も関係はないか。だから親は子供を守るものだ。そんな単純な問題すら見失う。


 この毛皮は宝物のようだ。解析データーより、この毛皮を身に纏うと黒犬になれる魔術が込められている。読める。効果が読めた。毛皮に綴られた文字の下に別の魔術文字が綴られていた。

 魔術【半獣化】。

 効果は文字通り半獣と化す。

 試しに時雨に使ってみると、何とも、なんとも愛らしいがペットのような姿になってしまった。ただ想像していた半獣とは異なる。足が四つある。ケンタウロスのように四つだ。下半身が黒狼状になり、耳が大きく狼耳となる。

「なにー? なにこれー? なになに? えーっ‼ 足が四つある‼ なんで? なんでなんで? えー⁉」

「心配するな。すぐ解ける」

「……ほんとかなー?」


 狼の毛皮はかぶり体を包むと体が狼化した。どういう原理か骨格まで獣と同化している。人間である自覚はある。四足で確かに狼となっているのに、そこに違和感がない。

 人として行動しているにも関わらず、動作が狼と化していた。不思議な感覚だ。ただやっぱり狼の手では物を掴めない。

「うわっ‼ 生き返った‼ おねえちゃあああん‼ おねええちゃんん‼ 生き返った‼ どこおおおお⁉ おねええちゃああああん‼」

「大丈夫だ。オレだ。お姉ちゃんて呼ぶな」

「犬がお姉ちゃんになった‼」

 毛皮を脱ぐと人に戻る。

「うわっ‼ 狼がお姉ちゃんになった‼」

 犬なのか狼なのかどっちなんだ。


 良い物を手に入れたと考えていいのか。使い道が微妙だと語ればいいのか。まったく女神は癖物をよこす。それが良いのか。今度女神にあったら襲ってしまうかもしれない。女神と交わりたい。こんな感情は失礼だと考えつつも、女神と交わりたいと考えてしまった。そしてラーナに申し訳なく目を伏せる。

 女神をめちゃくちゃにしてやりたかった。

 女神様なら、何でも受け止めてくれるだなんて、都合の良い妄想をする。

 そしてラーナとメイリアに申し訳なく……。


 ため息が漏れる。オレはそういう奴なのだと落胆もする。

 辛いよ。ラーナ。お前がいないのは辛い。

 そしてメイリアにも申し訳なく――自分がろくでもない奴であることに改めて気づく。

 苦しみ恥じて生きろと、自分に言い聞かせた。それは都合の良い言い訳なのかもしれない。


 ラーナのニオイが欲しくてブーツのニオイを嗅ぐ。

「それ変態っぽいからやめた方がいいよ」

「うるせぇな。ほっとけよ」

「ほらっほらほらっ。時雨のニオイを嗅げばいいよ‼」

 なんだこのクソガキ。そっちの方がやべーだろ。


 気持ちを切り替える。何があろうと生きている限り明日は来てしまうのだ。

 毛皮を帽子の中へ入れる。持ち運ぶには邪魔だ。狼の姿になっても良いけれど、人のいるところでは攻撃されかねないと判断する。毛がちょっとゴワゴワすぎるのも難だ。

 この文字列さえ崩さなければ魔術が消えることは無いだろうと判断する。もうちょっと丁寧になめして手触りを良くしたい。そのデーターさえあれば、【シストラム】の猫の手触りも良くなるだろう。

 街道へ戻る前に草原に引き込まれた男達の死骸を――草原が消えて林に戻る。

 死体が消えた。不意に樹木が生え、現れて景色として固定化されていく。

 元に戻った……のか。


 これが神の庭か。こういう仕掛けがランダムに生成されるのだろうな。

「なんかすごかったね? なんだったんだろう」

「……さぁな」

 街道へ戻り、街までの道のりを再び歩く事にした。用心として【触覚】は常に発動はしていたが、野生動物が離れた場所からこちらを窺っていた。魔物が襲ってくることはなかった。


 時雨が消えても困るので手を繋いで歩く。

 集落が窺え街かと――村のようだった。村人に歓迎されることもなかったし、前の村より貧しいのか泊まる所すらなかった。

 ニヤニヤと男達が俺を値踏みしていた。なんだその視線は。息も絶え絶えなじじぃもいる。

 甘ったるいニオイがする。あの街道で亡くなった男達の持っていた瓶と同じニオイがしていた。

 嫌な予感しかしない。残酷な世界だ。弱いものから死ぬか耐えるしかない。


 滞在せずに村を出ようと考えたが遅かった――話しかけて来た男達が取り押さえようと襲いかかってきた。恐怖以外の何物でもない。

 やるしかないのか――どうやらオレを女と勘違いしているようだ。

 お前は遊んで、子供は売っぱらうと――男達が笑っていた。

 口を閉じろ。

 腸が煮えくりかえるかのように頭に血が昇り、その割に妙に思考は冷めていた。


 心は痛まないのか。傷まないのだろうな。でも彼らはそう言う風に育ってしまっただけだ。彼らに罪は無いのかもしれない。

 それでももう取り返しはつかない。人は多勢に無力だ。魔術が無ければオレも抗えなかっただろう。これが現実だ。多勢に襲われれば成す術はない。そうならないために法があり、良心がある。法の拘束力も良心の呵責も無いからこうなっているのだろうな。


 無法地帯において多人数はあらゆる場面において正義だ。

 覆すのなら力や道具がいる。正当に示すのならそれは同じく多人数なのだろう。

 でもオレは……。多人数は好きじゃない。

 指でなぞるだけでいい――ポロリと落ちて転がった。

 手で時雨の目元を覆う。

「足元に気を付けろ」

「何かあった?」

「丸い岩が転がっているんだ」

 悲鳴すら拒む。胴にお別れしなよ。

 現れた猫が欠伸をして、息も絶え絶えなじじぃだけが残った。

 心が冷めてゆく。後悔なら死ぬほどした。死ぬほど後悔した結果がこれかよ。救えない。

「悪い人達だよ。だから、気にしちゃダメだよ」

 ガキにそう呟かれ、笑ってしまった。

 お前は気にしないとダメだ。


 じじぃはこの村の人間なのだそうだ。彼らは山賊で、男は皆殺し、女子供は連れ去られたと語った。じじぃはそれだけ語ると息絶えた。【継再】はしたがどうも年をとりすぎて体が耐えられなかったようだ。【継再】は寿命までは伸ばさない。


 時雨を帽子の中へ引っ込め、村のはずれに赴くと地獄の穴があった。

 一人一人に【継再】と【継修】を施したが、誰一人生き返らなかった。

 ベルゼブブが管理する地獄の穴に、火を点けて処理をした。

 今頃皆サタンに頭を垂れ、怒りの業火に身を委ねているのだろう。


 森の中に赤い跡が続いていた――命を尊いと感じるのに、正義感が何もかもをぐちゃぐちゃにする。盗賊に身を落とすには理由があるだろう。だけれど、越えではいけない一線があるのではないか。

 オレは、復讐するよ。オレは……理不尽が許せない。

 指を縦横に振るだけで良かった――裂ける。裂ける。裂ける。

 殺さないよ。動けなくしただけ。


 【遊び】で脳に楔を打ち込む。命令は単純だ。動くな。この【遊び】という魔術は相手が動けない状態だと効果がより鮮明で早い。眉間に触れるとより時間を短縮できる。

 盗賊の頭領か何かが言葉を喋っていたが、オレにはコイツが口から投げる言葉の意味が理解できなかった。人語を喋ってやがる。と妙な感想を浮かべてしまった。


 泣き崩れる女性は体を抱えて震えていた。みな涙を流していた。子供は傷だらけだった。逃げられないように足を……。何より心が傷ついていた。愛する家族が欠けたからだ。

 殺された女性が数人いた。抗う女性がいたようだ。

 本気で嫌がれば噛みちぎるぐらいのことはする。

 噛みちぎって殺された。

 女達に武器を渡すと、女達はすんなりと武器を受け入れた――だが殺人を犯させていいのか考えてやめさせた。やっぱりオレが殺す。


 人を殺すのは良くない。人を殺したオレが正義感を語るのも間違えだ。オレは人殺しだ。もう道徳も語れない。でも誰かがやるのなら、オレがやるべきだ。

 生き残りがいると報復を考える。誰一人残さない。全員殺す。

 何が心が痛まないのだろうなだ。そんな綺麗ごとを語れる身分ではなかった。

 子供達の傷を癒し、動けなかった女達には【依存】を使用して触れた。

 女の一人に200チークを渡す。オレができるのはここまでだ。


 井戸から水を引き上げようと……引っ掛かりにイラつき、井戸を覗き込み顔をしかめた。あのクソ野郎共が殺してもまだ足りない。

 井戸は赤くて使えなかった。仕方なく民家に入り、貯めてあった水を煮沸して【解析】し、まず飲んでみて、安全を確認してから時雨に飲ませた。


 要を済ませその日のうちに村を後にした――村から街に早鹿(伝令用の乗り物、動物、専用の鹿)が走る。被害を報告するためだろう。

 それから街道を歩いていると、村から逃げた数家族と出会った。早鹿が通り掛けに声をかけて村に戻るよう促したらしい。

 ただ皆疲弊しており、怪我もひどいものだった。背中に斧が突き立てられた子供もいた。斧を取ると出血で死ぬから取っていないらしい。目が片方潰れた女もいた。人は脆い。

 通り掛けに【継修】と【継再】、【依存】で癒しながら止まらずに通った。

 痛いのは嫌だよな。そして体の痛みも嫌だけれど、心の痛みはもっと嫌だろう。

 心の傷までは……オレは癒してあげられない。


 夜は帽子の中へ入らず、火を焚いて時雨と寄り添った。

 帽子の中から毛皮を取り出して敷き、包む。

 近くを流れる小川のせせらぎが聞こえた。せせらぎと告げれば聞こえはいいが、羽虫だらけだからそんなにロマンチックでもない。


 帽子の中に入れたおかげで毛皮の汚れはある程度分解されていた。

 小川から組んだ水を煮沸してコップへ。

 立っていた時雨が、座るオレの頭にお腹を押し付けてきた。

「やめろ」

「うー……」

 時雨は呻くような声をあげたが離れはしなかった。


 より体を密着させ、股下から潜り込んでくると顎下に何度も顔を擦りつけて来た。

 ガキだ。甘えたいのだろう。そうだよな。子供なのだから。甘えたいよな。普通なら母親に鬱陶しく纏わり付いている時期だ。それを考えれば拒否も薄らいだ。

 背中を撫で、【依存】を発動して精神を癒す。

「服脱ぐ」

 いや、服は脱ぐなよ。手で脱ぐのを制しさせる。

「うー……うぅ‼ じゃあ脱いで‼」


 意味がわからないが上着だけ脱いだ。服を強引に脱ぎ捨てた時雨は体全部を使って密着し、体を撫でてきたり、擦りつけたりしてきた。

 甘えるってこんな感じなのか。

「もう寝ろ」

 首元に唇を押し付けたまま時雨はうとうとと船を漕ぎ始め、耐えられなくなったのか力が抜けるように眠りに落ちていった。


 オレも眠る。【キャットネイルファンタジア】を発動し、猫に囲まれながら眠りについた。【触覚】も念のために発動しておいたけれど、どうやらこの毛皮には隠蔽の効果もあるらしく、ゆっくりと眠ることができた。女神様様だ。いいものをくれた。

 今度会ったら絶対にキスするし襲うわ。


 次の日、起き上がろうとしたら時雨がだだをこねた。

「やだっ。やーだっ。やだってば‼ やー‼ ねーるーのー‼ さむいー‼ 離れちゃダメ‼」

「寒いなら服を着ろクソガキ」

「クソガキじゃないもん‼ 時雨だもん‼ うー‼ ダーメ‼ や‼」

 立ち上がると尻に貼り付いてきて困った。

 帽子の中から虎の子の干し肉と干しキノコ、鍋を出し、水筒の水を混ぜて簡単な朝食のスープを作り食べた。座っている間も足の間に陣取り時雨はくっついていた。

 お腹に手を回して引き寄せると。

「ひひっ。ふひひっ。えへへ」

 変な声をあげながら背中や頭を擦りつけて来た。


 こうしていても、オレが癒されることはなかった。時雨は時雨、ラーナはラーナだ。時雨を愛でても何も感じなかった。ただ時雨が嬉しそうだから愛でているだけだ。

 朝食が終わったら片付け――今日は時雨を愛でることにした。と言うのは嘘だ。今日は時雨を戦えるように改造する。

 毛皮に包まり緩んでいる時雨の解析データーを開きゴミクソな回路を正す。髪の中までしっかり回路を形成するには時間がかかるかもしれない。ゴミクソすぎる。形成は時間をかけないと痛みを伴い時雨が傷つく。

「ふーふー……お姉ちゃん」

「だからお姉ちゃんじゃねーっつーの」

「じゃあママ」

「オレは男だ」

「ママがいい。お姉ちゃんかママがいい」

「好きにしろ」

「ママ……ママ。時雨、いい子にするよ」


 その台詞がすでに痛々しいし、いい子にすると告げた割には今までいい子じゃなかっただろお前と心の中でツッコミを入れた。

「いい子いい子して」

 無視して回路形成に力を入れる。

「いい子いい子」

 時雨には独り立ちできるぐらいの力を付けてもらう。戦闘データーに関しては当てがある。ただそれをそのまま使っていいものか悩み、ジュシュアの剣技に関するデーターを渡してもいいが、ラーナのデーターは渡したくなかった。これは個人的な感情だ。

「いい子いい子‼」


 だからラーナの槍技のデーターをオレに移植し、それを時雨に教えることにする。

 リーチは大事だ。剣技もいずれ教えるにしろ最初は槍が良いだろう。

「いい子いい子しろ‼」

 いい子にするんじゃなかったのかよ。

「ううううううううううううう‼」

 歯をむき出して唸り始めたので頭を撫でてやる――と見せかけて撫でなかったら手を噛まれた。このクソガキ殺す。

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