第20話
午後少し前。結局あまり眠れなかった。白湯を飲み、棒に刺して焼いたキノコで小腹を満たす。掘った穴に用を済ませ埋め、荷物をまとめて帰り支度。改めて辺りを見渡す。
下げた鞄は肩紐が張り詰め肩に食い込むほど重い。道具に加えて黒花石が入り口まで詰まっている。この重みに良い金額になるのを期待して痛みに反して心は弾む。
ラーナさんがいなければ、こんなにうまくは行かなかった。
オレだけだったのなら、もっとひどい野宿をしていた。
処理も狩りも何もかも――オレって全然ダメじゃないか。
それを思い知らされる。それと同時にラーナさんに対して尊敬の念を抱く。
「なぁに? じっと見て? 太った? 私実は太った?」
「……太ってないよ。ラーナさんの事、尊敬せずにはいられなくて」
「えっ⁉ なに⁉ どうしたの⁉」
「普通に、今回ラーナさんがいなければ、もっと大変だったと思う」
「まぁ星四つの依頼だからねー。星一の貴方が上手にできないのは仕方ないわ。私単独星六つの猟兵だしね」
「ラーナさん」
「なぁに?」
「こんな、こんなオレだけど、一緒にいてくれる?」
「あのねぇ。普通相手に自分を売りたいのなら、良い事を言うべきだわ。剣を買うとして、ボロで折れやすいし斬れないけど買ってくれって言うわけ? 言わないでしょう?」
「それはそうかもしれない。でも……」
「うん」
「ラーナさんに比べて、オレって全然ダメだと感じて」
「えっ⁉」
「いい女だと思って」
「じゃあ、手放す?」
オレなんかにはもったいないという台詞を予感し先回りして潰してきた。
「……そこは貴方がダメでも私が支えるから大丈夫って言ってよ」
「言ってほしい答えを用意してたわね‼」
「普通に尊敬してるの。……結婚して欲しい」
ラーナさんは黙って止まってしまった。その後に口元に手を当てていた。
「もうっ……なに? 別れの台詞でも言われるのかと思った。違うの? ぎゅうする?」
「ラーナさんと夫婦になりたい。ずっと二人で支えあって生きていきたい」
「ぎゅう……する?」
「結婚してください」
「ぎゅうう……」
「返事」
「それは……いいけど? いいわよ? 結婚……するの。責任とるって? 約束だし。私、結構束縛するわよ? 何処に行くのも一緒じゃないと嫌だし、寝る時とお風呂も一緒ね? あと、毎日ぎゅーだからね? よしよしさせてね?」
「たぶん、うまくいかないと思うんだ」
「喧嘩売ってる? 下げるじゃない? いいわよ? 買うわよ? 逃がさないけどね? もうダメだけどね? 結婚だけどね? 毎日ぎゅーだけどね‼」
「あのねぇ……知り合ってまだ三十日ぐらいでしょ。何年も一緒にいたら色々あると思う」
「……三十日ぐらい? あー……まぁ貴方はそうなのかもしれないわねー」
何その言い方。私の中ではそれ以上って言うのはおかしいからね。確かにオレが寝込んでいた時間を合わせれば二カ月にはなるか。
「帰ろう?」
手を差し出すと、強く握られる。
「なによ……。なんなのよ。もう一回結婚してくださいって言いなさいよ」
「お家に帰ったらね?」
「……言っとくけど、もう遅いから。私、貴方を手放す気ないから。ダメよ? 絶対にダメよ」
「大丈夫だよ……それに、束縛ならオレの方がするかもしれない。近いって」
地雷を踏んだらしい。木に押し付けられてしまった。背中が硬い。
「貴方が変な話するからでしょ。近いとダメなの?」
指輪を取り出す。【束縛の指輪】だ。こんなの作るぐらいだから多分オレの方がラーナさんより重い。心の奥底ではラーナさんを誰にも取られたくはないのだ。
「指輪?」
「これ……引かないでよ? 傷つくから」
「うん」
「これ、作ったの。自分の髪で。この指輪をはめるとオレ以外を好きにならなくなる指輪」
「そんなの作れるの?」
ため息が漏れる。しょうもない指輪を作ってしまった。本当にしょうもない。
「うん。オレは一応魔術師だから」
「……そっそれで? なんで作ったの?」
「ラーナさんを独り占めしたいからさ。ラーナさんて……魅力的だし。もう……その、ジョゼさんにも構ってほしくないし、ご飯とかお世話とか、オレだけしてほしいし。でも、こんなの間違えてるってオレもわかってる」
「ご飯とかお世話とかしてほしいんだ」
「……家事は分担。でもさ、例えただの成り行きでも、他の男にご飯とか作って欲しくないって思って。そういう想像をするとすごい嫌な気持ちになるし、やっぱり……重いってわかってるけど。束縛だってわかってるけど、ラーナさんを独り占めしたくてしょうがなくて」
手を抑えられて指輪を取り上げられる。
「魔術を込めた指輪なんて……宝物でしか見たことないわよ」
ラーナさんは眉を潜めて指輪を自分の左手の小指にはめた。
「ふーん……」
何度か指から取りはめ直している。
「サイズ調整の魔術? 嘘でしょ……。これ一個で。お金の問題じゃないわね。自分でとれたら意味なくない?」
「さすがにとれないのはやりすぎだと思う。奴隷じゃないんだから」
「私の髪で同じもの作れる? あぁ、もちろん私だけを好きになる効果を持った指輪ね」
「できるけど」
回転した槍、何をしたのか刹那理解できなかった。槍で気をつけなければいけないのはその刃だと認識している。その刃の軌道上にさえいなければ致命傷は避けられる。だからそれ以外の情報を捨てていた。反応できなくて捨てざるを得なかったのだと感じる。寄せられる。ひと流れの髪。指の間を垂れて。オレの手に滑りおりてくる。
力で引きはがされた眼前の鎧。柔らかく口元が塞がり、心臓から熱が上がって来る。唇に当たり、滑りこんでくる手。
「こうしていると安心するのよね。なぜかしら」
オレにできるのは恨めしく見上げることだけだ。帰る途中なのに。でも気持ちはわかる。地面に突き立てられた槍。私のものだと言われているみたいで。それが好ましい。お前のものだよ。オレは。でもその言葉を言えなかった。それは口を塞がれていたからじゃない。
どうしても、メイリアが脳裏に浮かんで言えなかったのだ。
「何考えているの? 私はね。考えずにはいられないの。……どうしてもっと早く貴方に出会わなかったのかしらって」
もし、もしもっと早く出会っていたのなら、馬鹿なオレはきっと貴方を好きにはならなかった。今のオレがいるのは、メイリアが育ててくれたからだ。
密着し、押し込まれる。逆らうことができず、意思に反して呻きが漏れてしまって恥ずかしい。
体と連動して舌が震え、ザラリと表面を流れ、ラーナさんの表情が険しくなった。より密着して。
他の女の事を考えているのを申し訳なく感じ、それを口に出すのもはばかられ、自ら前に出て好意を示すしかない。オレが前にでて埋もれる様を見て、ラーナさんが嬉しそうに目を細めたのを感じた。
手の中の髪の解析データを開く。
形を作り、コクダンの特性を与え、サイズ調整の魔術を刻む。【遊び】より髪を作る遺伝子の形だけに好意を示すよう指示を与える。奥までキッチリと……悶えて震え手の平から落ちた指輪を彼女は捕え、器用に片手の指だけで自らの小指に装着されていた指輪と、さきほどの指輪を取り替えてはめる。その一連の動作を、何の抵抗もできずに視界におさめていた。抵抗する気がない。
「確かに……」
その指輪をはめることで、ラーナさんのオレに対する興味はなくなるのかもしれない。指輪を外すと、体を強く押し付けオレの手を強引に掴み、左手の小指に指輪を装着される。同時に解放された口元と、また塞がれてそのうねりに硬直してしまった。
離れていく視線に対して密着に揺らぎはなく。掴まれた手に力を込めて引きはがし、腰に両手を回すと力を込めて体を預けた。
「逃げないから……」
「そう……。確かに、先のことに不安を覚えるのはわかる。気持ちが薄れたり、無くなったりすると言うものね」
揺さぶってしまったかもしれない。でもラーナさんが強引に迫って来るのを好ましく感じている。なぜならそれは、オレが欲しいと、オレを物にしたいと言う証拠でもあるから。
「……ごめんね? 不安にさせた?」
「そうねぇ……。でも、いいわよ? 揺さぶっても。ただ、先に謝っておくけど、貴方がそうやって揺さぶって来るほどに、私は貴方を束縛すると思うわ」
「そう……」
【触覚】を発動しているので、こうしていても安全なのは理解している。この【触覚】と言う技術は結構複雑なのかもしれない。発動中は【イグニッション】状態であるし、【触覚】持ちには触れた瞬間逆に感知されてしまう。ラーナさんに【触覚】で触れるとその反応から【触覚】を感知されているのに気づく。
埋まっていて動けない。仕方なく喉元に唇を寄せるしかない。
「オレも、ラーナさんを束縛するから大丈夫」
感覚がうねる。耐えられそうにない。体が痙攣するのを押しとどめられず、うめき声をあげるオレを眺め、ラーナさんも震え微笑んでいた。
「いい子いい子」
「もー……子供じゃないってば」
「わかってるわよ」
しばらくゆっくりしてそれから帰路に着いた。
帰り道、【触覚】に幾つもの魔物の反応を感じた。
オークの集団を感知して、ラーナさんの反応を伺った。確実にゴブリンオークとは違う陰影。オークの集団と形。倒した方がいいのは明白だと即座に判断した。
でも手を出そうとしてラーナさんに止められてしまった。
「こーら。依頼を受けていない魔物に手を出してはダメよ」
「オークは危険じゃない?」
「ギルドが依頼を出している場合があるから、見かけたからと言っても手を出してはいけないの。これは暗黙の了解に入る部類なんだけどね」
「安全よりお金なの?」
「受けた猟兵が向かっている場合は横取りされたってそりゃもう荒れるのよ。労力だってただじゃないし、時間だってただじゃないしね。陰湿な人達や強硬な人達もいるのよ。因縁をつけて本来の額以上の容共をしてくる輩もいるわ」
「……それは嫌だね」
「でしょ? 行きましょ」
「うん」
【触覚】で遥か遠くにいるオークを、とっさに魔術で攻撃できると察してしまった。普通は届かい距離の魔物を攻撃できる。おそらく可能だ。機会があれば試したいと感じた。
冷静になる。握られた手。見上げるとニンマリしている顔。その表情を眺め内側から湧き上がってくる温かい気持ちに鼻が鳴る。
「あのさ」
「んー?」
「毎日ぎゅーしたい……」
「さっきしたばっかりなのにもうしたいの?」
「……うん」
「やけに素直ね」
「いいでしょ別に。お前に触れていたいんだよ」
「うふふっ。ほらっじゃあ、背中にくっついて」
ラーナさんのお腹に手を回して密着する。歩行速度を合わせて。
「ラーナさん」
「んー?」
「……結婚しよ?」
「もー……」
「だって、結婚したいんだもん」
ラーナさんは離婚したばかりなので再婚には期間を開けなければいけない。再婚と言う言葉は口に出したくなかった。単純にジョゼさんを連想させたくなかったからだ。やきもち焼きで嫌になる。後先なんて考えてなかった。ただ結婚したかった。それだけ。お金の事とか、全部考えてない。
顔が熱くなり、それが悪くなくて、ただぼんやりと、くっついていたくて、傍にいたいとそれだけの感情に支配されていた。
「……結婚して?」
「もーこの子はほんとに。そんなに誘惑して。この子はほんと……帰る気がないのかしら。私を狂わせる気なんだわ」
「だって結婚したいんだもん……」
「……早くお家に帰ろうね。そしたら、ね? 二人っきり。ね?」
「うん」
それから他愛のない会話を繰り返しながら村に帰った。結婚結婚言い過ぎたかもしれない。それでもこの人しかいないと感じた。結婚したかった。背中にへばりつき、結婚結婚言った。ラーナさんは怒っていなかった。
ラーナさんと言う女性は、この世界に一人しかいない。
この女性に伴侶になって欲しかった。
それと同時に自分が人殺しであることを思い出してしまった。それを言っていなかった。これだけは絶対に言わなければダメだと考えた。他は黙っていてもこれだけは言わなければダメだ。
ラーナさんはそんなオレの気持ちなど知る由もなく、時折道を外れキノコや薬草を採取していた。手慣れたもので、大きな葉っぱを何枚か使い、簡易の籠に作りかえてため込んでいた。その様子が愛らしくてため息を零しながら眺めてしまった。視界の中にずっといて欲しかった。
「ほらっいっぱい取れたわよ」
「……何時もとってる」
「なによ。別にいいでしょ。嫌なわけ?」
「……別に嫌じゃないけど」
「嫌じゃないけど?」
構ってほしい。言えなくて、背中にへばりついてしまった。
「えー? もうどうしたのよー?」
「こうしてたいの」
「今日はずっと変な子ね」
「……ラーナさんが好きなの」
「そんなに私が好きか」
「……うん」
「もー……ふふっ」
遅くなってもう夜。村道を歩き始め門が、門は閉じていた。小さな扉をノックすると開いて門番が――ラーナさんとオレの顔を見て、タグを見ると引き入れてくれた。
村の中は穏やかで、僅かな会話や食器の音、灯る明かりは小さくて、安堵の息が漏れ流れていた。
ギルドには明かり。こんな時間でも運営している。
カウンターでは眼鏡が船を漕いでいた。足音に気が付いてこちらを視認し背伸びを。姿勢を正していた。
「おぉ……おー……お前達か。随分遅かったな」
「ちゃんと依頼は達成してきたわよ」
鞄をカウンターに乗せめくり、中身の黒花石を見せる。
「おー……すげぇな。結構な数がいたんだな。死骸の処理は?」
「全部燃やしてきたわ」
「それで七日か。なるほど。さすがラーナオリガだ。普通の奴なら二十日はかかるぞ。おいおい、何個あるんだ」
「帰り際にオークを見たわ。もうギルドでは知られているのかしら?」
「あぁ、その情報は来ている。さすがにオークとなるとこの村のギルドでは手に負えなくてな。街から直接猟兵が派遣されることになった」
「そうなのね」
狩らなくて正解だった。
「マリア。今回はいい経験になったな」
「そだね」
「お前はそっけないな。どうだったんだ? 上手に動けたのか?」
ため息が漏れる。
「ずっと頼りっぱなしだった」
「あはははっ。そうか。いい経験になったな。気を落とすなよ。お前はまだ星一なんだから。まぁ今回の報酬として星二に昇格だな」
「どうも」
「この量だと報酬を算出するのに明日までかかるな。悪いが報酬はまた明日取りに来てくれないか?」
「わかったわ。それじゃあ帰りましょ」
「うん」
「あーそうだ。ラーナ。猟兵復活記念に食事でもどうだ? これからこの村で活動していくんだろ? 今後の方針について話しをしないか?」
眼鏡って以外と度胸があるのだと感じた。オレだったらこんな風には誘えない。断れるのを考えてしまうからだ。でもこうして何度も誘う人の方が女性と知り合う可能性が高いのだろうなとなんとなく考えてしまった。断られても何度も諦めずに誘う人が強い。まぁ……ただ、動機は大抵不純で真面目じゃないのだろうけれど。
「貴方、私に旦那がいるのを知っている癖に食事なんて誘うのね?」
「別れたって聞いたけど?」
「誘ってくれて嬉しいわ。けどごめんなさい。今夜は先約があるの。マリアと爛れた夜を過ごす約束があるのよ」
「疲れてるから寝たいって」
「ちょっと‼」
「はははっ。そうか。そうだな。疲れているのが普通か。じゃあまた誘うよ。マリア、気をつけて帰れよ」
ギルドを出る。断るとは考えていた。これで受けていたらオレは頭に血が昇っておかしくなっていた。嫉妬に狂っていただろう。頬に手を当てて止まってしまう。本格的にのぼせている。頭が可笑しい。
「言っとくけど、私は爛れた夜を貴方と過ごすつもりよ?」
この人、嘘は言っていないんだよな。
「なに? どうしたの? 黙って。誘いなら乗らないわよ?」
「……わかってる。それでももしオーケーしてたらと思うと顔が熱くて」
「なに? うふふっ嫉妬しちゃったの?」
「そうだよ……」
「馬鹿なんだから」
また歩きはじめる。笑みを浮かべたラーナさんに手を引かれて歩いていた。
でもオレに、そんな資格はあるのだろうか。眼鏡は悪い奴じゃない。もし眼鏡がラーナさんを幸せにできると言うのなら、オレは身を引くべきなのかもしれない。オレは、良い人間ではない。
「ラーナさんに、言わないといけないことがあるんだ」
「なぁに? ぎゅーしたい?」
「ここまで来ておいて、こんな事を言うのは許されないことだって思う」
「なに? ダメよ? 喧嘩売るつもり?」
腕に力が込められて掴まれる。雑貨屋の前だった。雑貨屋の中は暗く、明かりが一つ灯っていた。小さなランプ。炎のゆらめき。ジョゼッタがパンをモソモソと食べているのが見えた。二階の明かり。揺れ動いて。
「これはラーナさんに隠すべきじゃないと思って」
「えぇ? 何か隠してたの?」
これは隠していい話しじゃない。
「人を、殺してしまったことがあるんだ」
「それは一般人をってこと?」
「違う。兵とか盗賊とか。殺したかったわけじゃない」
ジュシュアも。いや、ジュシュアは怒りに任せて殺してしまった。
「殺したかったわけじゃないっていうのは言い訳になってしまうかもしれない」
「どうしてそれを今言ったの?」
「ラーナさんが、好きだから。これだけは、隠しちゃいけないと思って」
「てっきり……てっきりこの村に来た時一緒にいた女が実は妻で迎えにくるかもしれないって話かと思ったわ」
「そんなわけないでしょ」
「……そっか。よかった。話ってそれだけ?」
「それだけだけど。ごめんなさい。こんな大事な話。黙ってて。本当にごめんなさい」
オレは地面に膝をついて頭を垂れることしかできない。
「ちょっと‼ もうっ」
腕を掴まれ起されて、膝についた土を払われてしまった。
「もう少し歩きましょ」
「……うん」
無言で家まで歩いた。ラーナさんの答えが気になって吐きそうだった。クズすぎるだろ。自分の事しか考えていない。もう取り返しのつかないところまで来ているのに、今更こんな話をするなんて。でもこの罪だけはどうしても言わなければいけないと考えてしまった。
家の前を通り過ぎて庭へ。ウッドデッキにラーナさんが腰かける。日が完全に落ちていて、夜になっていて星が満面に瞬いて、胃が痛かった。
「隣に座って?」
「……うん。ごめんなさい」
隣に座るとお腹に腕を回されて引き寄せられてしまった。許されるのと期待してしまって嫌だった。
「マリアは本当に優しいのね」
「そんな事はない。今もラーナさんに最低な事を告げたし」
「あのね。私は貴方より、ずっと最低なのよ? 私も今から自分の事言うけれど、貴方と別れるつもりはないし、逃がさないわ」
「……うん」
「私もね。猟兵の時、猟兵団に所属していた時、沢山の戦場に傭兵として参加していたの。戦場ってわかるよね? 私もね。沢山の人を殺しているのよ。きっとマリアとは比較にならないくらい」
それを聞いて驚いてしまった。
「マリアは、そう言うの気にするのね。私はね。全然気にしなかった。仕事だったからね。それに殺さないと、殺されるところだった。ひどいニオイでね。衛生なんてないようなもので。糞尿をもらしながら戦ったわ。まともな人間なんて何処にもいなかった。知ってる? ズボンの中を糞が転がっていく感触って妙に生暖かいのよ」
手を強く掴まれていた。
「ごめん……」
「嫌いになった?」
「ううん。好き。でもラーナさんとオレとじゃ違う」
「変な所で馬鹿なんだから。私は今も貴方を逃すつもりはないのよ? こうして腕を掴んで逃げられないようにしている。逃げていたら、捕まえて監禁していたかもしれない。私はそういう女よ。そういうひどい女よ。嫌いになった?」
そんな話を聞いても嫌いにはならなかった。ラーナさんに体を寄せて、手を掴んで頬に唇を寄せる。
「ううん。好き」
「あっ足なんてチーズのニオイがするのよ?」
「知ってる」
ラーナさんの足の指はチーズのニオイがする。
「そっそれでも好きなんだ」
「うん。好き」
「随分、随分あまあまになるじゃない」
「なるよ。好き」
「あー……もう、あの……きゃー」
「なんで悲鳴あげるの」
「顔が熱くて」
「……好きでいていい?」
「いいわよ。こんな私でいいのなら」
「……ラーナさんと結婚したい。でもさ」
「ねぇ。今の流れで急に不穏な話に入るのなんで? それやめなさい。したいけどじゃなくてするの。わかる? するの」
「でもさ」
「デモもストもないの」
「お金の事とか、あんまり考えてなくて」
「あー……そういう話しね。大丈夫よ。貯えならあるし」
「そういう話じゃないでしょ」
「なんかあれよね? もしかしてお金は男が稼ぐって考えてる? そう言うタイプ?」
「普通そうじゃないの?」
「そりゃね? お互いお金があれば余裕があっていいと思うわよ? でもお互いのお金って結局お互いのお金じゃない? 貴方が稼いだって私のお金になるわけじゃないし、貴方のお金は貴方のお金。私のお金は私のお金でしょ。大体お金で好きになったわけじゃないでしょう? もしかしてお金目当てだった?」
「そんなわけないでしょ。そうは言ってもお金は必要だと思って……」
「貴方は何処のお貴族様なのかしら」
「なんで?」
「あのね? 王都でもなきゃお金なんてほとんど使い道ないわよ。ご飯に困った? 困ってないわよね? 何か買うの? お洋服? 宝石でも買っちゃう? 普通に村で暮らすなら、そんなにお金は必要じゃないのよ。そりゃお洋服や調味料ぐらいは買うだろうけれど、こんな辺鄙な村、売っている服なんてみんな中古よ中古」
「ラーナさんには買ってあげたい」
「いや、あの、もう指輪貰ったから」
「だってそれオレの髪の毛だよ?」
「別にいいじゃない。ていうかこの指輪。普通に買えるものじゃないわよ。王族でも持ってないんじゃないかしら」
「そんなすごいものなわけないでしょ」
「まぁ……まぁいいわ。話がだいぶそれちゃったけど……私は気にしないから。お金は大切よ。でもお金と愛は別よ。お金が無くても愛は無くならないわ。少なくとも私は貴方をお金抜きで愛している」
「嫌かなと思って」
「貴方は私が嫌なの?」
「好きだけど……」
「ンンッ‼ どうしたの? 今までと全然違くない? そんなガンガンくる? 何かあった?」
「だって好きなんだもん。好きなんだもん。ラーナさんが好き。すごい好き。こういうの嫌?」
「全然いい。いっいいわよ? 別に……毎日言ってくれても」
「夫婦って色々あると思って、お金もそうだし、ずっと好きでいてくれるかとか、家事とか? 一緒に暮らしてて気に入らないところがあるとか」
「そりゃね? だからこそ、こうして話あったり、身を寄せ合ったり、ぎゅってしたりするんじゃない? お互い愛していますって確認のために。あっ言わなくてもわかるでしょって言うのはダメよ? ちゃんと言葉にしてほしいし態度で示してほしい。これは絶対ね」
「うん」
「それだけ?」
「……うん」
「納得した?」
「うん」
罪が無くなるわけじゃないのは理解している。それはラーナさんも言葉にしないだけで多分一緒だ。怖がられるのを恐れている。恐れていた。一度でも相手に恐ろしい相手だと意識されたらダメだと感じて、オレが怖くはないかとは聞けなかったし、ラーナさんはそれでもオレに一度自分が怖いか聞いている。オレとラーナさんの違いを理解した。
「私に何かしてほしいことある?」
「……毎日一緒にお風呂に入りたい」
「いいわよ?」
「毎日お風呂は一緒で体を洗わせてほしい」
「私の体を洗いたいの?」
「うん」
「変わってるわね。いいわよ? 他には?」
「拒否しないでほしい」
「わかったわ。どんな時でも受け入れてあげる。その代わり、どんな時でも受け入れてね」
「うん」
「私からもあるけど、まず、私に誤解されるような行動はしないでほしい」
「誤解って?」
「他の女性と二人では会わない。仲良くしない。目で合図しない。わかった?」
「そもそも他の女性がいないでしょ」
「わからないでしょ。旅の猟兵でもたまに若い子は来るし、移住者の中にだってたまに若い子はいるのよ」
「そうなんだ。わかった」
「うん。もちろん私も貴方に誤解されるような行動はとらないわ。……こういうのは信頼とか言う人がいるけれど、私はそう言うの信じないから、ちゃんと態度で示してね? そもそも愛しているのなら、相手の事を考えて行動するものでしょ」
「そうだね」
「そうよ……こういう女は嫌? 猟兵だった頃も、周りの子に重いだのきついだの言われたの。束縛きつすぎるとか」
「別に嫌じゃないよ」
オレの方からラーナさんに身を寄せる。いつもラーナさんが主体だから。だからオレから身を寄せる行為はきっとラーナさんにはプラスになると考えた。
「ほんと?」
「うん。オレもラーナさんが他の男と仲良くしていたら多分顔が真っ赤になるから。それを見るだけでも嫌だ」
これ、指輪の効果かもしれない。でもまぁいいかと感じた。
「嫉妬するんだ」
「するに決まってるでしょ。絶対やだからね」
「もし見かけたらどうする?」
「荷物まとめてここから離れる」
「まず理由を聞きなさいよ‼ 偶然会っただけの知り合いだったらどうするの⁉」
「やだ。聞きたくない。ラーナさんとは他人になる」
「……そうなったら私は地の果てまで貴方を追いかけて捕まえるけどね」
「ラーナさんは……ものじゃないけど。ラーナさんをオレのものにしたいって思う」
「ふへぇ」
「ラーナさんに愛されたい。好きって言われたい。触れても許されたい。好きって言わずにはいられない。結婚したい。思われたい。ラーナさんがほしい。なぜかため息ばかりでる。ラーナさんがほしい。……オレのものになって‼」
「ブフォッ。なかなか、その……攻撃力が高いわね。恥ずかしくないのかしら。顔が熱くて仕方ないのだけど、あーもう。どうしちゃったのよこの子は」
「ラーナさんがぎゅうってしたがる理由、わかるよ。オレもラーナさんに腕の中にいてほしい……」
「ふへっ」
触れずにはいられない。見つめずにはいられない。何度も唇を寄せる。好きと言いながら唇を寄せる。愛情を押し付ける。どれだけオレが思っているのかを相手に重く押し付ける。それが許されていることに、それが受け止められていることに嬉しくなり、もっと重くなり唇と体を擦りつける。知らない箇所があるなんて許さない。内側まで浸透したい。でも負担もかけられない。
ラーナさんもこちらを眺め、視線の先が瞳や口元をなぞるのを感じている。寄せれば寄せ返してくれる。お互いに唇を頬やおでこ、手や喉に寄せ合い、慈しみあっていると感じた。
「ごめんね。心配かけて。変な事言ったよね。これだけは言いたくて」
「いいのよ。じゃあ……そろそろ、いいわよね? そろそろ……ふたりっきり」
緩む視線がオレを気遣ってくれていると告げて来る。
「そうだね」
そろそろ夕ご飯の準備をしないと。ラーナさんも帰ったばかりで疲れているはず。先にお風呂かな。立ち上がり、背伸びを一つ。台所へ向かう。手を掴まれた。
「……うん? えぇ……えぇ? 何処行くの? お手洗い?」
「今日の晩御飯何にする? オレが作るよ?」
「え? 晩御飯? いいわよ……私作るし。ほんとに晩御飯?」
「先にお風呂がいい?」
「えっ⁉ 私、もしかして臭い? 汗臭い?」
「ううん? いい匂いだよ? 大好き」
ラーナさんはいい匂いだ。汗のニオイも好き。好きで困る。脇にキスしたってかまわない。頬に唇を寄せてしまう。
「じゃあ……本当に晩御飯にするつもりなんだ?」
「え? そうだけど……」
「……ふふっうふふっもうっマリアったら……ほんとにもう……ほんと……ふざけるなよ?」
「え?」
「ここまでその気にさせておいて? ここまでその気にさせておいてなにその態度。なにその態度‼ ほんとに許せないわ。ここまでその気にさせておいてその態度‼ ほんと許せない‼ 許せないわ‼ 納得したでしょう? 理解しあったでしょう? 見て? 満天の星空。ロマンチックでしょ? 二人っきりよ? 手を握って? 見つめ合うの」
「夜ご飯……」
「はぁ……もうこの子はほんと。私を狂わせたいのね。何を言っているの? マリア? 夜ごはん? そうね。夜ご飯ね。夜ごはんは……お前に決まってるだろ‼」
「意味がわかりません‼」
ラーナさんが掴みかかって来たので離れたのがまずかった。避けるのを見たラーナさんは舌なめずりしながらオレを捕まえる。
強引に手を引かれ、部屋の中に連れ込まれる。乱暴に部屋へ引き込むと、ラーナさんは部屋の鍵を閉めた。ガチャガチャと閉まっている事を乱暴に確認しはじめる。そして乱暴に鎧と服を脱ぎ始めた。それもかなり乱雑で籠手などを地面に放り投げていく。
薄着になったラーナさんはオレに覆いかぶさって来た。
強引に服を脱がされる。ベッドに押し倒され――髪を解いたラーナの……【触覚】がオレを襲った。
ラーナさんの口から垂れて来た涎が頬や口元に落ちてびっくりした。
その後のことはもう……それは一言で言えばひどいものだった。渦。蛇のように絡み合い。想像を絶する痙攣は電撃を浴びているかのような痺れで逃げろと逃げろと。逃げられない。涎。足の先。親指の間。何十時間なのか何日なのか、手を使っていないのに手触りを感じる。熱いと寒いが重なって判断できない。今熱いのか寒いのかどっちなのかも判断できなかった。肌の先から爛れていくかのような錯覚、髪を髪で撫でられる感触はえも言われぬようなこそばゆさで体がのけ反った。
ラーナさんばかりが求めて、オレが求めなかったらラーナさんが傷ついてしまうかもしれない。オレも【触覚】を出して混ざり合う。
ラーナさんの顔。ラーナさんの顔は強張り、笑みを浮かべているのは顔が強張っているから。
あんなに爛れていたのに――目が覚めるとラーナさんは涎を垂らし、だらしなくオレの上で眠っていた。
あーもう体中がカピカピだし、変なニオイだし、髪は絡まったまま固まっているし、ニオイはやばいし、ラーナさんは柔らかいし、朝から元気になってしまい、肩から背中、その先へ手を這わせる。
ラーナさんの体が僅かに跳ねるのを感じ、目を覚ましたのを感じる。目を覚ましたのにラーナさんは僅かな身じろぎの後、手を這わせて脇に指を滑らせてきた。
僅かなうめき声が漏れてしまう。こんな声を出したいわけじゃないのに。
ラーナさんの足が足の上を滑り広がりゆっくりと沈みこむと納まり止まり体温に包まれる。
肩で息をせずにはいられない。腰がのけ反り元へ戻す。
撫でられる頬。
ラーナさんの体が僅かに震え、押し付けられる肌の感触はより強さを増していた。
なぜだか大切な人と通じ合うのは尊く、そして神聖な事のように感じた。
名前を呼ばずにはいられず、抱きしめずにはいられない。
お互いがお互いを思い、慈しみ、愛していることを確認する。認識し認め合う。埋もれていた。心があると言うのなら、魂と言う物があるのなら、なるべく相手の近くに置いておきたいと考えた。でも愛情というもの自体が視認することのできないものだとも考えた。だから自分が感じている愛情と言う物を相手が感じているのかは、本当の所突き止めることはできないのかもしれない。でも、それでも自分が愛情を感じている事を相手に行い、相手も、自分が愛情を感じる行為を相手に行うことで共感はできるのかもしれない。
相性と言うのはきっとこの共感性のことだ。
そして違えばそれは、感性が違うという表現になる。
「……ラーナさん」
「なぁに?」
「好き」
ラーナさんはオレをその胸に埋め続けた。
その後にお風呂――部屋の外へ出ると夕方だった。一瞬朝焼けかと勘違いした。おかしいな。夜帰って来たのに、目が覚めたら夕方だった。絡まった髪をお湯で解して取るのに苦労した。
「ちょっとっ。もう……絡ませないでよ」
「ダメよ。嫌なの? 嫌よ。このままがいいの」
「一旦離れて、綺麗に洗うから。その後なら絡ませてもいいから」
「嫌よ」
「湯冷めしそう」
「本気になっていいって言った‼」
「綺麗に洗うって」
「やだ」
「子供か‼」
「お前の奥さんだ‼」
「洗わせろ‼」
なんだこれは。
丁寧にラーナさんの体を洗う。顔、肩、背中、胸、お腹、モモ、お尻、ふくらはぎ、足先。
「どうして体を洗うの?」
「……奥さんの体ぐらい洗うでしょ。大事なんだから」
「じゃあ……ここも洗ってよ」
「そこは自分で洗ってよ」
「奥さん‼ 私‼ 奥さんです‼」
「意味がわかりません‼」
まぁいいかと唇を付けたら襲われた。
お風呂を終えてタオルで拭く。雫が滴り流れ、ラインをなぞっていく。それを視認していると気付き我に返り、口が少し開いていることに気づいて強く結ぶ。なんで、こう、この人は、こうも扇情的なのだろう。オレも何も着ていない。いいよね。いいよねと、後ろからくっついてしまった。
衝動的で能動的で背中に頬を当てていた。
「なぁに? どうしたの?」
ラーナさんの体温は高く蒸し暑いのに、そんなのどうでもいい。肌が吸い付いて、動くと張り付いた肌が剥がれ擦れ痛い。でもそんなのどうでもいい。不快かなんてどうでもいい。こうしてくっつけるのなら何でもいい。お腹に回した手を握りしめ離す気がない。
「……いや、好きすぎてわけわからなくて、こうしたい」
「なによそれ……」
「お前が好きなんだよ」
「前からは嫌?」
「……ううん。前からでもいい」
離れ振り返ったラーナさんの腕の中にいた。埋もれていた。背中からもいいけれど、前からの方が良かった。ラーナさんがオレを意識している。オレを感じてくれている。見つめてくれるのが何よりいい。
「……ラーナさん」
「なぁに?」
「はぁ……」
ため息が漏れる。どうしてため息が漏れるのか。深いため息が漏れてしまう。
「好き」
好きしか言えないのかオレは。でもどうしようもなくそれ以外の言葉が思い浮かばなかった。飽きられて捨てられるのも時間の問題かもしれない。
見上げるとラーナさんは微笑んでいた。頭を撫でられて困る。愛おしいと言わないばかりに撫でられて困る。受け入れられてしまって困る。あてがわれて困る。優しく包まれ侵入させられて。一方的に与えられているみたいで悶えそう。与えられるだけなんて嫌だ。オレもラーナさんのために何かしたいと考えずにはいられなかった。それでも口から出るのは自分勝手な言葉だけで。
「ラーナさんはオレのだから……」
他の誰にも渡したくない。絶対嫌だ。
悲しいわけじゃないのに目元が滲んで困る。
「そんなに好きなんだ」
「ごめん……昨日の今日で同じことばっかり言ってる。ため息ばかり出る。なんかいっぱいでため息ばかりでるんだ」
「いいのよ。私も、深く息を吐いてしまう。いっぱいで深く息を吐いてしまう。大丈夫よ。毎日言っていいのよ。何回言っても何度言っても、何時言ってもいいのよ」
「……うぅ。ラーナさんは? ラーナさんは好き?」
ラーナさんはニマニマするだけで何も言わなかった。
「ねぇ? 好き? 好きって言ってよ……ねぇ好き?」
自分でも面倒臭い事を言っているのは理解しているのだが、どうしてもラーナさんに好きだと言ってほしかった。
「言わなーい」
「なんで? 意地悪過ぎない? なんで?」
「だって言ったら離れるでしょ」
「早く言って」
「はいはい。大好きよ」
内側から熱を帯び、冷めそうもなくくすぶり続けている。離れがたいが、ラーナさんが湯冷めでもしたら大変なので少し屈み離れて、タオルを手に取る。
「ごめん、お風呂入ったばかりなのに汚しちゃって……」
「ちょっと垂れちゃったわね」
床が水浸しだ。
「もう一度お風呂入る?」
「ううん。このままでいいわ」
手に取ったタオルでラーナさんの体を拭い。
何度繰り返しても、傍にいたいと考えてしまう。
手を握れば頬に当てずにはいられない。傍にいずにはいられない。肩だけでも、腕だけでも体に触れていたい。
「うぅ……」
ため息ばかりが漏れてしまう。どうしてこんなにラーナさんが好きなのか理解不能だ。ラーナさんは素敵な女性だ。これほど好きになってもおかしくはないか。苦しい。
別のタオルを持ったラーナさんがオレの体を拭いはじめ、その視線がオレに向いているのが心地良くて、見上げると寄せてくれて、触れあうとなぜだかとても満たされてしまって。
負担ばかりかけてしまうと自分を律し、着替えて家事をしようと考える。
「洗濯するって」
「なんで? 何かやましい事でもあるの?」
「夫婦になるんだからこれぐらいするよ」
「ほんとに? 何かやましい事があるんじゃないの?」
「何もねーよ。尽くしたいだけだよ」
「ふーん……下着でエッチなことする気なんだ」
「本物がいるのに!? 目の前に本物がいるのに!?」
「わたしの下着でエッチなことしなさい‼」
「意味がわかんねーよ‼ 離れてよ」
「嫌なの⁉」
「洗濯できないでしょ。お腹も空いたし」
「わた……わたしを食べればいいじゃない……」
「恥ずかしがるなら言わなきゃいいのに」
「奥さんは食べごろだよ‼」
「もうめちゃくちゃだよ‼」
ギルドにも行かないといけないし、洗濯物を干したら夜ご飯。肉をミンチにして塩味を付け、細かく刻んだ辛い実を加えて混ぜ、裏返したキノコの笠に詰めて網焼きにする。火で直接焼かず、炭の熱でじっくり焼いて火を通す。
「一応簡単な料理はできるのね」
「本職より上手にはできないよ」
「喜んでいいわよ。あんたの奥さんはお料理上手だからね」
「知ってる」
向かい合って食事を済ませた。一口食べるごとにテーブルを乗り出して顔を突き出してくる。
「ん‼」
「なに?」
「ん‼」
「だからなに?」
「はやく‼」
目を閉じて唇を尖らせてくる。それに答えるオレもオレだが、もうバカップルだよ。
食事を食べたらラーナさんの私室を掃除する。扉を開けると。
「うっ……」
ニオイに呻いてしまった。雄と雌のニオイだ。布団も洗わないと染みだらけだ。これは洗濯か総取り換えだ。取り換えは一先ず無理かな。【メイドの嗜み】か帽子に突っ込んで汚れだけ除去するしかない。
「うわぁ……香ばしいニオイね。あぁいいニオイ。貴方のニオイがする」
「……洗濯しないとね」
「なんで?」
「これじゃさすがに寝れないでしょ」
「私は構わないわよ?」
「もう……」
ラーナさんの服を掴んでしまう。何も手につかない。ふわふわしている。何も手につかない。ラーナさんの事ばかり。ラーナさんに触れていたくて仕方がない。
手をお腹の方へ持っていくと、ラーナさんはオレがどうしたいのか気づいていて、微笑みながら抱きしめてくれた。
「甘えんぼさん」
「こうしていたい」
「私もこうしていると幸せよ」
「ラーナさん」
「んー?」
「呼んでみただけ」
「マリア」
「なに?」
「呼んでみただけよ」
「もー……」
そうしてしばらく腕の中にいて、ただ見つめ合い、寄せ合い、少し話し、頬ずりをし、結局そのままベッドへ横たわり、朝までくっついてしまった。
予想以上に眠りは深く、目が覚めるとラーナさんは起きていて、オレの頭を撫でただ眺めていた。その光景に胸が詰まり息が漏れ、手を伸ばしてラーナさんを掴んでしまう。ラーナさんは少しくすぐったそうに、腕の中にいてくれた。
起きて用を済ませ、朝食を取り――他愛の無い会話と、椅子に座っていても机の下で足が触れあっていた。
ギルドに報酬を取りに行かなければいけないと思いつつ、何気ない会話に目と目を合わせ、窓を解放して部屋一つ一つに風を通す。庭に洗った洗濯物を広げ、ウッドデッキで流れる風に波打つさまを眺め唇を寄せ合い、膝の上に頭を落とし木陰の中で愛でられ過ごした。一日の始まりが遅く、終わりは早く。あれよあれよと二日たち、気が付くとラーナさんの腕の中にいる。
オレばかり甘えていると感じ、逆にラーナさんに寄りかかってもらって、胸に顔を埋めたラーナさんは深い息を何度も吐いていた。まるでそれが痛いと言わないばかりで困惑してしまって。
「はぁ……違うの。胸がいっぱいで。私って重すぎるって思ってたの。だからこんな私を受け止めてくれて、結婚してって言ってくれて、素直に嬉しくて。嬉しくてたまらなくて。明日が良くわからなくて。これがずっと、ううん。今じゃないのよ? はぁ……貴方と出会う前の生活が、これがずっと続くのと何時も考えてて、何時になれば楽になれるのって何時も考えてて、寝る時だけが安らぎで。でもね……今はね、違うの。明日も明後日も、来るのが怖くないの。嬉しいの。眠っているのがもったいなくて起きていたくて」
「うん」
「愛でさせてくれてありがとうって」
衣擦れが心地良くて。
何時も愛でてくれてありがとうとオレも考える。
「あとね、愛でてくれて……っち」
急に舌打ちするとラーナさんはもっさりとした動作でオレから離れようとし、また抱き着いて、不思議に感じて頭を撫でると、離れがたいと言わないばかりに歯を食いしばり、嫌な顔をしながらオレから離れ、服の皺を正すと笑顔を。その笑顔が作られたものであることはわかる。
「どうしたの? 何かあった?」
「ちょっと、ちょっと待っててね? 違うのよ? 全然違うの? あのね? ちょっと行ってくれるから。索敵しちゃダメよ? なんでもないから? ね? すぐ戻るからそこにいてね? 絶対索敵しないでね? 絶対だからね? したら怒るからね? すぐ戻るから」
そう言いラーナさんは玄関の方へと向かってしまった。誰か来たのだろうか。
索敵と言うのは【触覚】のことだと考える。離れると急に肌恋しくて困る。
【触覚】は【触覚】を感知する。だから【触覚】を使ってラーナさんを知覚すればラーナさんには見ている事を気づかれてしまう。
なんとなく気になり【クレアボヤンス】で建物を透過してラーナさんの足取りを追ったが、ラーナさんは【触覚】を使っており、オレの視線が追っているのに気づいてこちらを見、オレはそれを悟られぬようにしばらくラーナさんの方、玄関の方を見たあと、わざと僅かなため息をついて、籠に入った洗濯物を【中空で踊れ】を使用してグルグル回して洗いはじめた。
信用していないわけじゃない。あからさまな様子に気にしてくださいってラーナさんの態度からそう感じたから気にはしている。本当は気にしている。もしかしたらと嫉妬している。ラーナさんがオレのものじゃないなんて嫌だと考えている。それらに蓋をして封じ込めている。
視野では【クレアボヤンス】でラーナさんを捕えていた。
どうやらレーネさんが来たようだ。
玄関でレーネさんと何やら言い争っている。
ラーナさんは早く帰ってほしいようで、それにレーネさんが食ってかかっているようだった。ラーナさんがなんか鼻ほじるような仕草をしていて噴き出しそうになってしまい顔を両手で覆い耐える。
洗濯物はいい感じ、昨日夜明けにかけて降り注いだ雨の影響で大気に湿り気はあるけれど、日差しを和らげて涼しかった。
終えた洗濯物を、枝で作られたもの干し台へとかけていく。
お昼前、お昼少し過ぎた辺りか、大きな雲の影が流れ、今日も夜は雨が降りそうだと感じた。
ラーナさんの大きなパンツを広げて台に干すと、ラーナさんが若干反応している節が伺えた。レーネさんと話をしながら【触覚】でこちらを探っているのがわかる。少しからかってあげようかとパンツに顔を埋めると、ラーナさんがあからさまに動揺していて面白かった。ローライズの大きいパンツ。
しばらくして戻って来たラーナさんは顔を赤くしながらため息をついた。
「なんだったの? どうしたの? 顔が赤いよ?」
「それは貴方が‼ むうう。……なんかね。雑貨屋さんが来てね。なんかね、いらないものを売ったらね、やっぱり返品しますって言われてね。料金もお返ししますって言うからね。料金はいらないのでそちらで処分してくださいって言ったらね、なんかキレられちゃってね。何が何なんだって感じ」
歯切れ悪いな。比喩表現なのはわかる。
「それオレの真似?」
「そうよ‼ 似てたでしょ‼」
「いや、普段そんな喋り方してないよ」
「好きな人に似るって言うのは本当ね。うふふっ。ところで……洗濯物を干してくれてありがとう……」
「ううん。そろそろお昼にしよう?」
「……え? あの……え? えーっと、さっきのぎゅーは? ぎゅーの続きは?」
「もう、何言ってるの? お腹空いたでしょ」
「うー……」
徐にスカートに手を入れると取り出したパンツ。そして差し出してくる。
やっぱりローライズ。ラーナさんはローライズの下着が好みらしい。
「えっ⁉ なに⁉ 洗濯⁉」
「違うわよ‼ 好きなんでしょ? パンツ」
「もーどうしたの? オレが履けばいいの? でもサイズが」
「貴方が‼ 貴方が‼ パンツに‼ くっ大きいパンツで悪かったね‼ 大きいお尻で悪かったね‼ このっ‼」
「ちょっと‼ もー。ぶたないでよ。ほらっ足上げて」
受け取ったパンツを手にとり、足をあげてもらって手を通し、履いてもらう。パンツの皺を直して見上げると、頬を膨らませたラーナさんがいた。
「大きなお尻で悪かったねっ」
「もう……」
可愛い人。
「大きなお尻で悪かったね‼」
「大好きだから心配ないよ」
「このう……ぎゅーして‼」
「お昼はいいの?」
「続き‼ ぎゅーの続き‼」
「もー……」
ラーナさんの足に手を回してお姫様抱っこする。たまにはいいよね。こうしても。ラーナさんの体重が両手にかかって来るけれど、それが何処か心地よかった。
「え? あのっちょっと? どうしたの?」
「……ラーナさん以上に、嫉妬深いみたい」
たまにはオレからでもいいよね。
「ラーナさんはオレのものだって思っちゃう。ラーナさんがオレのものじゃないなんて嫌だって思っちゃう」
「……えっ、あの……はい」
部屋まで抱えて連れて行くとラーナさんは抵抗せずに胸の前で両手の指を弄っていた。ベッドへ下ろして扉の鍵を閉める。
「いいよね? オレのだって思っても。いいよね?」
「いい……ですはい。あのっ……おいでおいで」
両手を差し出して来るラーナさんに不思議な気持ちになる。不安とか不満とかそんなものが一気になくなって、ただ貴方を愛でたいと。
結局夕方まで部屋で過ごし、少し眠って起きたら洗濯物を取り入れて一緒にお風呂。雨足の音を聞き、今日も一段と激しく、落ちた雷の音に混じり、部屋でくっついていた。
「すごい雨だね」
「雨季なのよ」
「明日は晴れるかな」
「ふふふっ。晴れと雨とどっちが好き?」
「オレはどっちでもいいかな」
「どうして?」
「どっちでも、ラーナさんと一緒だしね」
「うきゅうう……。もう……マリア、マリア」
一緒にいられるのはもちろん嬉しい。でもそろそろお金を稼がないととも感じる。ラーナさんはそんなの気にしていない風だけれど、いいのだろうか。日々の生活を送るのに、食事と家事は避けて通れない。食事は毎日取らなければいけないし、掃除は焦らなくとも洗濯は必須だ。洗濯や掃除はオレの得意分野だからオレが担当しても問題はない。家事は分担がいいと考えている。
「あのね、明日から、また猟兵の依頼を受けようと思ってる」
「……うん? うん。えーっと理由は?」
「お金、稼がないとと思ってて。オレにできるのってそれぐらいだし……」
「またお金を気にしているの? そんなに気にしなくても大丈夫よ? ここ数日、お金なんて使っていないでしょう? どうしてそこまでお金にこだわるのかしら? 不思議だわ」
「食料を買うのにお金がいると思うし、今は貯えがあるからいいけれど、無くなったら取りに行かないといけないでしょ。オレはラーナさんとずっと一緒にいたいし……」
「そうねぇ……。お金は大事よね。でも……でも今は気にしなくていい。と言うよりも、私がね、今は、二人でいたいの。嫌かしら? 二人でいたい。今まで、宿の切り盛りや……色々大変だったから。だからしばらくは二人でいたいと思うの。ダメかしら? しばらくでいいのよ? 我儘かもしれないけれど、二人っきりで静かに暮らしたいの。もちろんずっと一緒よ? それにね。お金で貴方を好きになったわけじゃないから、無理してお金を稼がなくてもいい。貴方は家事もやってくれるし、色々な仕事だってやってくれるでしょう? 食糧調達だって二人で行えばいいわけだし、どうしてそこまでお金にこだわるのか、不思議と言えば不思議だわ」
「だって、お金を稼がないと、嫌われそうだし」
「貴方が私を大事に思ってくれているの、わかるわ。将来の計画を考えて、お金は重要って思うのよね? でも私はお金より、貴方が大事よ」
「じゃあ聞くけどさ。お金持ちの王子様みたいな人が来て、求婚されたらどうする? お城で暮らして優雅な暮らしができるって言われたら?」
「ぷっ……もう、何言っているのよ。断るに決まってるでしょ。貴方がいるんだから」
「でも……」
「どうしたの? お金があっても貴方じゃないのでしょ? 王子様が貴方だって言うのなら私は喜んでついて行くわ。でも違うのでしょう? 私は貴方を選ぶわ。お金があって優雅な暮らしに憧れる女性なんてほんの一握りよ。その人達にはそれしかないのよ。日々の生活は与えられたものをこなすだけでいいわ。ご飯を食べて、家事や仕事に精を出して、愛する人の隣で一日を終える。これ以上の贅沢はないでしょう?」
「……そうだけど」
「でも浮気は許さないからね」
「しないよ……。でもさ、自信が無くなってさ、王子様と比べられてさ、周りの人達に色々言われてさ、ラーナさんが楽しそうに談笑してたら……オレは」
「あーわかるわ。そういう場面ね。でも私は王子様に見初められるような女ではないわよ。あー……でも一度求婚されたことはあったかもしれないわね」
「そうなの?」
「そうねぇ……。でも断って良かったわ。貴方の言いたい事もわかるのよ? 口では何とでも言えるのもわかるわ。でも貴方が私を愛してくれるというのなら、私は貴方に命をあげるわ。自信が無くなるのもわかるのよ? 他人と比べてしまうのもね。でもね、私は貴方を愛しているのよ。これだけは自信をもってほしい。私は貴方を愛している」
「うん……」
「逆に貴方はどうなの? 綺麗なお姫様がお婿さんになってって言ったらなるわけ?」
「ならないけど」
メイリアが過ってしまった。でもメイリアは……。
「そうでしょう? ほんとに?」
「そんな事はありえないし、それに、ラーナさんが悲しむようなことは絶対にしない。もしラーナさんの幸せにオレが邪魔だと言うのなら、オレは姿を消すよ」
メイリアはもう……。
「はぁ……そう言う所は好きじゃないわ。姿を消さないで隣にいて頂戴。貴方が隣にいることが何よりの幸せなのよ? お金とか容姿とかそう言うのはどうでもいいわ。貴方に隣にいてほしいの。それが幸せなの。自覚して? いい?」
「でもさ……」
「デモもストもなし。ダメ。絶対ダメ。怒る。死んでほしいの? 私に死んでほしいの? 貴方が姿を消したら私、喉に槍を突き立てて死んでやるから。冗談じゃないわよ」
「ラーナさんが大切なの……」
そう言った瞬間口を塞がれてしまった。それからの答えや会話を全て潰されてしまった。
「ン……しばらくは、ね? 二人っきりで、ね? 報酬を取りに行っていないのを気にしているのよね? それは明日、私が取りにいくから」
「……わかった。あのね? 本当に、本当にって言うと嘘臭いけど、ラーナさんが好きなんだ。好きで仕方なくて。ちょっとしたことで嫉妬しちゃうし、こんなの嫌なんだけど、ラーナさんが好きで止まらなくて。本当に隣にいると幸せ?」
「えぇ、幸せよ。貴方が傍にいることが私にとって一番の薬なの。だからずっと傍にいること。ね? 嫉妬していいのよ。受け止めるから。私も嫉妬するから、ちゃんと受け止めて」
「……うん」
「こうして話をしていると、なんだかいい感じね。二人で積み重ねているみたいで。意思の疎通は大事よ」
「うん。そうだ。マッサージしてあげる」
「え?」
「任せて」
「そっそんな事してくれるの?」
「もちろん」
「でも……」
「今日も一日ありがとう。奥さんにマッサージぐらいするよ。そのまま寝ちゃっていいから」
「もうっマリアったら……寝るわけないでしょ?」
「寝ていいよ?」
「絶対寝ない」
なぜ意地を張るのか。
「あのね」
うつ伏せになったラーナさんの足の裏を揉む。指に力を込めて押し込むと、ラーナさんの足の裏は程よい弾力で指を押し返して来た。
「うーん? なぁに?」
「ラーナさん」
「んー?」
「好き」
「んっふふもうなによ」
「好き。ラーナさんが」
「もー……どうしたの?」
「ただ言いたくて。好きだって言いたくて」
両足の裏、モモ、腰から背中、肩、腕までをほぐすように揉み込む。
「大好きだよ」
「あのね? なんなの? 何がしたいの? 襲われたいの? いいわよ? かかってきなさいよ‼」
「なんでだ‼ ただ好きって言っているだけじゃん‼」
「それがふざけてるって話なのよ‼ 好きよ‼ 私だって‼ 大好きよ‼ このっ‼ こっち来なさい‼ もう遅いわ‼ 耐えるのも限界なのよ‼ 何が寝ていいからよ‼ ふざけないで‼ 寝れるかって話よ‼ このおおっ‼」
「ちょっと……もー」
「何がもーよ‼ こっちがもーよ‼ もう我慢の限界‼ いいわよね⁉ いいわよね⁉」
「……いいよ?」
そうして時を過ごし、目が覚めて気が付くとラーナさんがいなかった。胸の中に広がっていく不安と喪失感でラーナさんを探そうと立ち上がり、ドアが開いてラーナさんが入って来た。扉の外の光りの加減からお昼前ぐらいと予想する。ふつふつと怒りがこみあげていた。
「何処行ってたの‼」
「えっ⁉ トイレよ……」
「なんでいなくなるの‼」
「どうしたの? 落ち着いて。トイレよ」
「もー‼ ダメだから‼ もう離れたらダメだから‼」
「あっぎゅーしちゃうんだ。あー……ぎゅーしちゃった」
「ラーナさんが悪い‼ もう今日は一日離れないから‼」
「あーもうこの子はほんと……いいわよ。今日はずっと……ね? ずっとぎゅーしてようね」
これがオレの素なのかもしれないと感じてしまった。自分でも何を言っているのか。自分の言葉がおかしいことに気づきながらも心臓辺りから溢れて僅かなためらいと好きと言う言葉で感情を塗りつぶされていた。
ラーナさんは優しく何時までもオレを抱きしめてくれた。
大丈夫。何処にも行かないと言ってくれた。いっぱい詰めていいと言ってくれた。貴方だけだと言ってくれた。これからの生涯を全てくれると言ってくれた。
それが嬉しくもあり、それでもまだ満たされないと、ラーナさんを求めずにはいられない。ラーナさんはそんなオレの頭を撫でてくれた。お互いが通じ合うという感覚が何度も反芻するたびに、メイリアに対する罪悪感とラーナさんに埋もれてしまいたい激情にかられていた。
求めて求めて求めてしまった。
落ち着くと言葉で囁いてしまう。囁いて囁いて、また求めて囁いて。何時間、何日か経って、クサくて、クサいのに、お風呂なんかにいかせないと求めて、求めて、とにかくくっついていたくて、自分の中身を全部相手にぶつけるようにひどくくっついてしまった。そんな日々を繰り返し、もうヤバいってぐらいになってやっとお風呂に入り、お風呂でもくっついて求めて、上がってもくっついて離れず、そんなオレをラーナさんは優しく包み込んでくれた。愛でてくれた。頷いて、微笑んで、何度でも受け入れてくれた。お水や食事を取る間も、くっつくのを我慢している間は苦痛で仕方なく、冷静を装っていてもすぐにくっついてしまい、それはラーナさんも同じで嬉しかった。本当にそうなのかは、ラーナさんが本当はどう思っているのかは、オレには察せられないけれど……。
喉が渇いて眠っているラーナさんを起こさないように台所へ行き、お水をがぶ飲みしていたら、大きいな物音がしてラーナさんが駆けて来た。オレを視界におさめると安堵するように息を吐き、怒った表情でオレを引き寄せた。それが嬉しくて仕方なかった。
「なんで‼ ここっ……なんで離れたの‼」
「ラーナさんもお水飲んで」
コップにお水を入れて差し出すとラーナさんはそれを一気に飲み干し、ラーナさんからオレのニオイがして嬉しくて仕方なかった。
嬉しくて嬉しくて、擦(こす)りつけずにはいられない。
「なんで離れたの。離れちゃダメよ」
そう告げるラーナさんはコップを置いて、オレを抱え、部屋へと連れていった。ベッドの上、体面に座り手を握り合い、隙間がないほど身を寄せて、見つめ合い、ひたすらに好意で囁きあった。
「ラーナさん……好き。好き好き好き。ラーナさん」
「うんうん。マリア、マリア。好き。大好きよ。マリア。愛してる。愛してるわ。マリア」
その指を口に含まずにはいられず、親指と人差し指の間に舌を強く押し付けて舐めていた。ベッドに寝転がりお互いの指に唇を這わせつつ見つめ合う。
寝る時は何時もラーナさんの腕の中。うつ伏せでラーナさんに包まれていた。
「いい子ね。よしよーし。よしよし……今日は子供じゃないって言わないのね」
「……ラーナさんになら何されてもいい」
ラーナさんの体に染みついたニオイと跡を眺め、えも言われぬような感覚に囚われる。
甘えるのを他人に見られるのは恥ずかしいが、今この場にはラーナさんとオレしか存在しておらず、こうして自分を吐露できる環境になぜだか泣きそうになってしまった。
「どうしたの?」
壁を背にして座るラーナさんに甘えるように縋り付く。男の癖に情けないとかこれで嫌われてしまうかもしれないとは考えたが、この姿を晒してもラーナさんはオレを大事にしてくれると感じていた。
「ずっとこうしていられたらいいのにと思って……」
「ずっとこうしていればいいじゃない」
少し離れて見上げると、ラーナさんに覆いかぶさられ倒され押さえられ、身動きとれなくさせられて、それが嫌じゃなくて、手で強く掴まれて体を密着させられて、動けなくされて。体がオレより大きなラーナさんに包まれて、もっとくっつきたい、もっと感じたいとラーナさんに体を擦りつけていた。
力を込められて密着しても、ラーナさんは柔らかくて痛くなくて、ラーナさんの右頬がオレの右頬に触れていてその頬に何度も唇を捧げてしまう。
「もう……。悪い子悪い子悪い子。私をこんなに誘惑して。こんなに虜にして。悪い子なんだから。こんなに束縛しちゃう」
「もっと束縛していい。ごめんね子供みたいで。幻滅した?」
「幻滅なんてしないわ」
顔を上げたラーナさんと重なる視線。お互いの瞳の中にお互いがいて緩んでしまって、ラーナさんはもう一度強くオレを包み込み身を寄せて力を込めた。
首元で奏でられ跡が残り、もっと残してと耳元で囁く。
お互いの弱さを見せ合い許し合える。
お互いの恥を見せて笑い合える。
お互いがお互いのために時間を使い許しあえる。
時間が過ぎるのを早いと感じるのに、日数も何時なのかも予定を立てなくなって。ご飯を作るラーナさんに背後から身を寄せて、服の隙間を縫い手を這わせ、艶めいた微笑みと唇で頭を撫でられて熟れる。
洗濯をするオレの傍で、ラーナさんと衣類がなびき。
沈みゆく太陽が水平線にべったりとへばりつくような、滲んだ微笑みに心臓を掴まれて、服に残った染みの跡に唾を飲む。
「お部屋……」
「我慢できない?」
「うん」
身を焦がし爛れ。
「そろそろ……」
「そろそろ?」
「猟兵ギルドに」
「ダメよ」
「でも」
「だーめ」
香り立つ果実のようなニオイとグシャリと潰れるような感覚に酔い潰れて。お互いが離れる事を嫌がり執着して過ごして。
仕舞にはギルドから依頼達成の報酬を受け取るよう催促の手紙が来て、それを眺めながらウッドデッキに寄り添い座り過ごして。
「もう……チュッ。だから言ったのに……チュ」
「チュッ。……いいじゃない。チュッ」
甘酸っぱく暮れる夕日の中で、ただ唇を寄せ合い囁きあっていた。
大輪のひまわり。
口に残ったシカモアの果肉が、ひどく甘くて垂れさがり、あまりの甘さが胸に刺さって痛かった。
もうどれだけ手を伸ばしても、オレはあのひまわりを遠くから眺める事しかできない。諦める。もう……諦める。
「どうして泣くのよ?」
「全部あげる。オレの全部あげる。ラーナさんに全部あげる」
そう告げるとラーナさんの瞼の端にも溜まり落ち、オレのお凸に落ちて、眉間を通り流れ流れ、混じって頬を流れていった。
「私も、私の全部あげる。マリアに全部あげるわ」
言えないものも、語れないものも、内に秘めたものも、ぐしゃりと潰して紅とさし見つめ合ってはただひたすらに、胸を漂う金木犀の香りと添えて、捧げ捧げていた。
妙に酸っぱくて。ただ……。
汗のニオイがした。
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