第19話

 ゴブリンオークを焼き切るには時間と燃料がかかった。

 豊かな森なので枯れ葉や落ち木には困らない。そうは言っても量は多く、生木は燃えにくいし、雨がまったく降らないというわけでもなかった。

 掘った地面の壁を取り出して乾燥させてもいた。

 泥炭(でいたん)と言うらしい。これらは乾燥させれば良く燃えるとラーナさんが言った。

 血のニオイに引かれてやってくる魔物を討伐する。死のニオイは魔物や肉食の獣にとって香ばしいものらしい。その感情を少し理解できるような気がしてしまった。美味しそうな焼肉やウナギのタレのニオイがすれば人だって顔を上げる。

「チュッチュッ」

 鼻の利く犬型の魔物が特に多かった。ドロウハウンドとラーナさんが言った。

 魔術【蔓蛇】を使い捕らえて毒殺する。動きが早い物に対してとても便利な魔術だ。ただラーナさんを巻き込みそうで困る。ラーナさんはオレを戦力として期待していない。だからやる事は最小限に抑えた。あくまでも補助だ。

 戦いが終わると何時もくっついている。

「もー……」

 後ろから抱えられて困る。頭に鼻を埋められて困る。唇を押し付けられて困る。

「このニオイ好き」

 甘えたくなって困る。埋もれたくなって困る。手を握りたくて困る。全てを忘れそうで困る。オレが保てなくて困る。


 近くに聖域が広がりつつあるので魔物の活性化は抑えられているようだ。

 そのために大型の魔物は近づいてこないとラーナさんは語った。森は深いほど聖域として強い効果を発揮する。だから村を拡大するために木を切り倒したり、道を作ったりするには綿密な計画を練らなければならないようだ。

 村と湧き水場が繋がり包み込んで、そこで初めて新たな村のための道が模索される。

 魔物や魔獣の死骸は意外なほど灰になるのが早かった。焼肉から炭化を越え灰になるまでの時間が短い。燃えた灰が熱を失うのを待ち、現れた魔石を拾い集めて回収した。

 正確には魔石ではなく黒花石(こっかせき)と言うらしい。

 死骸をギルドへ持ち帰るのはアリらしい。ギルドで捌いて食料として消費するのだそうだ。ただゴブリンオークの肉はあまり美味しくないから価値は低いとラーナさんは言った。量も量だし持ち帰るより処理して魔石だけを回収するのが効率的だと言われた。捌いてもらうのに手数料もとられるらしい。

 食肉するとしても脳みそだけは絶対に食べないようにと念は押された。

 特に生の脳みそを食べるのは良くないようだ。

「いい子いい子」

「子供じゃないって」

「別に子供じゃなくてもいい子いい子していいじゃない」

「よくねーよ」

「うっわ。なにそれ? 反抗期のつもり? 愛情が足りないのね。生意気」

「だから子供じゃないっての‼」

 そうは言いつつも、体を擦りつけるのをやめられない。触れていないと嫌だ。そして自分から触れずとも、ラーナさんが触れてくれるのに困ってしまう。

「ちょっと‼ 何処触ってるの‼」

「いいでしょっ。何処触っても。わたしのなんだから。なによ? 嫌なの?」

「嫌じゃないけど……痛いのは嫌だからね」

「やーん……もう可愛い」

「このっ」

 腕を強く掴まれ抱えられ、スカートの中へ手が入りこんでくる。

「うー……」

 瞳を見て、頬にお凸を寄せ、頬を寄せ、体を擦りつける。何処に触れてもいい。何処に跡をつけてもいい。それを許されている。残った跡に跡を重ね。触れた箇所、その感触を思い出しながら同じ所へ触れる。同じ感触、同じ味わい、そして違った感触を探る。お互いを確かめるように。お互いを探るように。相手の心がこちらへちゃんと向いているのか確かめるように。そして探るみたいに。

 まるで試しているみたいに。相手が、ちゃんと自分の伴侶かどうか。

 同じ事を繰り返して、確かめるみたいに。

 そして受け入れられた時の安堵感と満足感は一入だった。

「ん」

 今日もこの人はちゃんとオレを愛してくれている。受け止めてくれる。

 最後は何時も同じ所にいる。彼女の体包まれて、頭のニオイを嗅がれ、唇の感触に強い余韻が混じり合う。ドロウハウンドの気配を感じて目が大きく開くのを感じ、離れようとしても阻害される。一滴たりとも零さないと強く密着される。

「……いるってば」

「大丈夫。大丈夫よ……静かに。動かないで。ね?」

「もー……」

 【クレヤボヤンス】でバリケードを透かし【蔓蛇】で捕獲、締め上げる。ドロウハウンドのひ弱な金切り声。

「あらっ? そんな事もできるのね」

 何時までもこの余韻の中にいたい。ただひたすらに何時までも余韻だけを味わっていたい。

「いい子いい子」

 頭に何度も息遣いを感じ、ノイズに心臓が爛れて仕方がない。グズグズと熱を帯びて爛れて蠢いて仕方がない。

「……うーっ。おかしくなりそう」

 喉に頬を這わせ、より密着せずにはいられない。

「おかしくなっていいってば」

「……ラーナはオレのものだって思ってしまう」

 もう密着できないのに、もっと密着したいと体を押し付けて。

「……うんうん」

「ラーナはオレの女だ。オレの雌だって。変な独占欲ばかり湧いてしまう」

 オレのものだって強く腕に力を込めて。もう密着できないのに、もっと密着したいと体を寄せる。

「うんうん。いい子だね。たっぷり染み込ませていいからね」

「また変な事言う……」

 そうして余韻を味わって、もう帰らなければと感じる。もうここに用はないのだから。だからそっと離れようとして、ラーナさんから体をぬったりと離して――瞬間立ち上ってきた生臭いニオイに体が硬直する。それはラーナさんも同じようだった。そのニオイが、生臭いのに。その生臭さが堪らなく好きで、元の位置にぬったりと戻ってしまった。

「あはっ……おかえりなさい」

「うー……離れられない」

「うんうん。いいのよ。もう少し、このまま、ね? いい子いい子」


 やっと離れても心臓が爛れて困る。触れていたいとラーナさんの指に指を通して握っていた。着替えずらいとか食べずらいとか動きずらいとか、そんなことが全て後回しになるほどに触れていたくて困る。

 最後の作業。魔石回収を終えた灰の穴を埋め、辺りに出来た泥場も埋める。後は植物が自然と生えて来るって。そうすれば聖域はまた広がっていくらしい。

 踏みしめ過ぎない事、良く耕すように言われた。

 それから魔石と呼ぶのは北の地方の呼び方なのだとラーナさんは言った。

「北方出身なんだ」

 目を細めるラーナさんはオレを探るようでもあった。

「そう。寒いところなんだ」

「北方は亜熱帯よ‼ 嘘ついたわね‼」

 残念ながらこの嘘は下手だった。

「あっ‼ 暴力‼ 暴力だ‼」

「嘘を言うからでしょ‼」

「ごめんなさーい」

「嘘はダメよ」

「う……うぁ」

 髪に回路を通す痛みで呻いてしまった。

「どうしたの? 怪我した⁉ 具合悪い⁉ 強く叩き過ぎた⁉」

「ううん。ちょっと……ちょっとね。心配しないで」

「驚かせないで。ごめんなさい。叩いて」

「全然痛くなかったよ。違うの」

 少し呻いただけなのに、心配そうに顔を覗き込んでくるラーナさんに頬が緩んでしまう――なぜ手を引く。

「作業はこれで終わりだね。今日帰るんだよね?」

「明日ね」

「なんで? まだ何かある?」

「艶やかなうめき声を上げた貴方が悪い」

 一つの依頼で七日も消費した。値段に見合う依頼だったのかどうか。

 依頼自体の価格は苦労に見合わないけれど、黒花石を売ればそれなりの値段になるとラーナさんは言った。そもそもラーナさんの自給力ならお金が無くても暮らせそうだ。実際この拠点で一生暮らせそうだ。不便があるとしたら紙が無いのでお尻を拭くのに困るぐらい。植物の葉っぱで拭くけれど、植物の葉っぱの中には人体に有害なものもあるのでちゃんと判別して使わなければいけない。

 穴を埋めて夕方。ぽつぽつと雨が降り始め宿り。この巣とも明日でお別れだ。火を眺めながら交代で睡眠。白湯を飲みながら夜を明かす。

 夜中を過ぎてようやく回路が髪の中に形成された。この回路は頭皮から形成されているので一度髪が抜けて生え変わっても大丈夫なはずだ。試しに一本抜いて見る。抜いて見て……抜いてもすぐ生えるわけじゃないので確認できるわけがないじゃないかと脱力した。【継いで再生する】で生やしてもいいけれど。

 横で眠るラーナさん。髪に指を通す。頬を指で撫でたいけれど、それで起こしたら嫌だと感じる。

 ラーナさんの背中――一部分に劣化が見られる。削れているのが確認できた。解析データより素材を抜粋して【継いで補修する】を使用すると修復はできたが魔術が解けると元へ戻ってしまった。これは今のオレの魔術では直しようがない。

 ラーナさんが行っている探索法。髪に回路を通した探索法を試してみる。

 髪へ魔力を通すと……刹那、オレは世界を認識できなくなった。視認しているものを理解できなくなった。違う。世界が、良く、見える。見えていた。見えているという表現では間違えている。でもそれ以外に表現の方法が無く広すぎて処理できていなかった。何が起こっているのか数分と理解できず、じょじょに視認している世界が広がっているのを理解し慣れていく。

 記憶解析データに保存した物体が青く発光して確認でき、さらに障害物を貫通して視認できていた。思わず立ち上がり辺りを見回してしまう。

 髪が薄青い発光を纏っていた。

 目を閉じても世界の様相を感じ取れる。視覚ではない新たな感覚に囚われる。視野角では無いが三百六十度ある。視覚と新たな感覚が重なり開けていた。世界が開けていた。全身が視野になったようにすら感じる。下を見ていないのに足元が見えていた。顔を上に向けていないのに空が見えていた。木が揺れている。草が揺れている。虫の僅かなざわめきを感じていた。見ていると言うよりは触れていると言う感覚に近かった。

 これがラーナさんの見ている世界。見ていた世界。

 遥か遠くにいる魔物の動きまでもを鮮明に感じていた。

 辺り一帯を掌握している。

 なぜだか涙が溢れていた。自分では別に。信条的には別に。それなのに体、脳がその光景を見ている事に打ち震えていた。

 新たな世界が覗いている。新たな色を感じている。それが妙に頬を濡らして。瞼を閉じて、新たな世界の色を感じていた。

 これが戦士の索敵法。まるで触角、触覚だ。

 オレの魔術【ソナー】のなんてお粗末なことだろう。世界を知ったつもりで、何も知らなかったと理解する。箱入りも箱入りだ。なんて小さくて愚かしいのだろう。オレは女神様の足元にも及ばない。己の矮小さと世界の広さを知り笑うしかなかった。

「マリア?」

 頬に触れられて瞼を開くとラーナさんが見上げていた。

「どうしたの? 泣いてるの? 何かあった? どうしたの?」

「ううん」

 涙を拭って振り払う――髪紐を解いてポニーテールを崩す。広がり落ちる髪。よくぞここまで伸びたものだ。

 傍に来たラーナを抱きしめて同じく髪紐を解く。広がったブロンドの髪。黄色とオレンジ、橙の入り混じった髪は炎に揺られていた。

 ラーナの髪に自分の髪を這わせる。意思を持っているかのように髪を動かし絡ませる。

「ぁっ……」

 ラーナさんがのけ反り、オレから離れようとしたが腕を掴んで押しとどめる。

「これ……」

 触覚で触覚に触れる。脳にダイレクトに叩き込まれる感触は身悶えするほどに痛く、そして濃厚で甘美だった。

 震えるラーナさんを支える。

「貴方も、そうなのね。貴方も、私と同じなのね」

 唾液で拭われる頬。

「少し、ほんの少ししょっぱい」

「……ごめん。びっくりさせちゃったね」

「……いいのよ。もうっ。やっぱり外はダメね。明日はちゃんとお家に帰りましょうね」

「うん」

「マリア。あのね」

「うん」

「私ね」

「うん」

「貴方を愛してる」

「うん」

 バリケードを背に足を延ばして座り、足の間にラーナさんを横たえた。下腹辺りを枕にし、耳を撫でながら【依存】を発動して癒し朝を待った。

 オレが【触覚】持ちであることに安堵したのか、やはり索敵をするために良く眠っていなかったのか、ラーナさんは朝までぐっすりと寝てしまい、起きてから謝っていた。

「ごめん……寝すぎちゃった。すごい気持ちよくて。はぁ……こんな事今まで一度もなかったのに。あーもう、なんで私ったら、こんな」

「大丈夫だよ」

「ごめんねぇ。見張り変わるから少し休んで? 足痛かったでしょ?」

 午前中は眠らせて貰い午後出立することに。

 伸ばした手。ラーナさんは撫でられることに何時も少し困惑気味。その表情がいいけれど……お互い相手を甘やかすのが好きらしい。

「これからは、お互いに甘え慣れて行こうね」

 強い空気の流れを感じてラーナさんが深く呼吸したのがわかる。肺活量が尋常じゃない。

「……うん。いい子いい子して」

「いい子いい子。何時も家事してくれてありがとう。戦ってくれてありがとう。ご飯作ってくれてありがとう」

 頭に何度も唇をつける。でもやっぱり甘え慣れていないのか、ラーナさんは何処かぎこちなかった。離れて近づき鎖骨辺りに唇を添える。指に添える。頬に添える。おでこに添える。ラーナさんははにかむような、少し怒るような表情をして、服を脱がそうとしてきた。

「なんで服を脱がそうとするの?」

「なんでってなんで?」

「にっこり言ってもダメだよ」

「おっぱい吸おうと思って」

「意味がわかりません」

「おっぱい吸おうと思って‼」

「意味がわかりません‼」

「甘えろって言ったでしょ‼」

「そう言う意味じゃないよ‼」

 照れ隠しだとしてもその台詞は最低だよ。

 横になり【触覚】を発動すると、ラーナさんが【触覚】を発動しているのがわかった。体中を撫でられているかのような感覚がある。ラーナさんの【触覚】がオレに纏わりついていた。それに気づき、ラーナさんを見ると、ラーナさんもオレの【触覚】に気づいたのか、オレを視線で捕らえていた。どうやら【触覚】同士はお互い知覚できるようだ。

 ニンマリと笑みを浮かべた様子に嫌な予感を覚え、その【触覚】が体中を這っているのを感じる。発動した【触覚】で彼女の陰影を感じ、後ろから包みこむように。離れているのに、お互い傍にいるみたいで、気持ち良くて困る。

 ラーナさんに包まれている。

「うー……」

 うめき声を感じて瞼を上げると、ラーナさんがちょっとずつこちらに近づいてきているのに気が付いた。

「こんなのっこんなの無理……我慢できない。傍に行っていいよね? ぎゅってしていいよね? ぎゅってしたい。ぎゅって。いいよね? 寝てていいから、ぎゅっしよ?」

「帰ってからゆっくりすればいいでしょ」

「ふざけるなよ」

「……なんでキレてるの?」

「貴方が悪い。ぎゅっさせて‼ 早く‼ ぎゅっさせるの‼」

「もー……」

 体を起こして座るラーナさんに身を寄せる。足を折り、横座りをして顎下に頭を寄せる。緩慢に両腕が近づいてきて、徐々に力が込められていく。ラーナさんの体に体が埋もれていく感覚。腕を回して背中を撫でると、なんだか子供になって甘えているような気分になってしまった。

「いい子だね。いっぱいおねんねしようね。ぎゅっぎゅしようね」

 オレは子供じゃない。オレは子供ではないが、甘えようと提案した手前、甘える事にした。

 ラーナさんが疲れないように魔術【依存】を発動する。首元へ顔をごしごしして、瞼を下げて暗闇に包まれる。ふわふわして不思議な感覚だった。

 【触覚】で辺りを確認できている。包まれている。気持ちいい。何よりラーナさんの体温が良い。

 しかししばらくしてスカートの違和感で目を覚まし。

「ラーナさん‼」

 怒って名前を呼ぶと、ラーナさんは悪びれた様子すらなくニマニマしていた。

「あらっ……そんな怒鳴った声も、なかななか」

「んっ‼」

 塞がれて困る。

「チュッ。いいわねぇ」

 ダメだこの人。

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