第16話

 食事が終わったらギルドへ赴く――ギルドの扉を開くと相変わらず閑散としていたが、入る前からすでに生臭さはあった。外へ出た時から感じていた血生臭いニオイ。血のニオイ。ギルドへ近づくほど強くなる。嗅ぎなれたそのニオイを、汚いと言うよりは芳醇だと感じる辺りに、オレはもうダメなのかもしれない。

 床を流れる紫色。引きずられるように奥へと続いてゆく。

 視界の端には同じ探索者と思わしき人達――疲弊しているのか動かずに、汚れた鎧がまるで本体だと言わないばかりに鎮座していた。

 受付奥の扉、その隣にある扉の無い先、死骸が並ぶ。軒を連ねる首と、垂れた舌。大きな包丁を持った男や、小さなナイフを持った女性が死骸をきりきざんでいた。

 うまそうだ。

 受付には眼鏡。眠そうな様子で視線をオレに向けて来る。

「おっ新人。朝から良く来た。ご苦労なこった」

 もう嫌味を言う元気もなさそう。目の下のクマが眼鏡越しにも強く浮き出ていた。

「昨日の達成報酬だ。霊銀貨3枚。これっ良く見つけたな。ヘリクリウムだ。運がいいぞお前」

 お金を受け取る――そういえばオレは財布なんて持っていなかった。スカートのポケットの中へ手を突っ込み無造作に納める。

 ヘリクリム。薬草はお金になるようだ。薬草って言うかどっちかって言うとキノコだ。白いふさふさが垂れさがったかのようなキノコだ。見ようによってはウサギの尻尾に見える。解析データを抽出して成分表を保存しておく。

「どうも」

「さて、今日も依頼を受けるのか?」

「そうですね」

「喜べ新人。指名依頼だ」

 死骸に興奮して少し酔ったような恍惚になるのが嫌でたまらない。体中の血管がピクピクしていて、余計に嫌。

 息を吐くように心を鎮める。

 目の前に広げられた紙。何処かで見たような紙だ。

 書いてある依頼内容は食糧調達の手伝いだった――依頼人は……ギルドの外へ出るとラーナさんがいた。

「じゃんっ‼ 依頼人は私でしたー‼」

 苦笑いを浮かべると帽子ごと頭をワシャワシャとされる。

「もっと喜べぇえええっ」

「理不尽すぎる‼」


 「食料調達って具体的に何を取るの?」

 籠を渡されて背負う。大きな籠は木で編みこまれており、手作り感があった。無骨だけど良く出来ている。オレじゃこうは行かない。

「なぁに? 籠が気になる? 何か文句ある? 無骨で悪かったわね‼ 調達する食材は色々よ。色々。無骨で悪かったわね‼」

「いちいち理不尽なのやめて。誰も文句言ってないでしょ……。良く出来ているなって思っただけ。色々ってなんだよって話なの」

「まーまー、そう言わずにー散歩がてら採りに行くよー」

 手を引かれ――門を越える。もう片方の手に手斧を持っているのが見えていた。

「やぁラーナ」

 今日の門番はジョゼさんではないらしい。朝出て行ったがジョゼさんではないようだ。

「こんにちは。今日も大変ですねぇ」

「まぁな。ジョゼならレーネと一緒に先に行っているみたいだよ」

「そうなんですか」

「はははっ。ジョゼーネが嬉しそうだったよ。気を付けていきなよ」

「はーい」

 いちいち気まずい。誤魔化すのも苦しいと言うか苦い。空気が気まずくならないように空気を読んだ方がいいのか。それとも……レーネって多分、雑貨屋の。

 ジョゼーネって……息苦しさに似た何かを感じて喉が鳴る。ジョゼッタじゃねーのかよ。

 沈黙に耐えかねる。

「もしかしなくても一緒に依頼をこなすわけじゃないよね」

「そうよ‼」

 手を引かれてどんどんどんどん森の中を進んでいく。さすがに森の中を自分のペースで歩かないのは辛い。枝や草がスカートに引っかかって痛いし、顔にもあたる。でも何か気の利いた台詞も言えるわけじゃないし、黙ってついて行くしかなかった。

 急に止まったので思い切りラーナさんにぶつかった。

「はぁ……ごめんなさい。ちょっとムキになりすぎたかも」

「急に止まらないで」

「大きいお尻でごめんなさいね。誰が大きいお尻だ‼」

「理不尽すぎる‼ ぺっぺっ」

「大きいお尻で悪かったわね‼」

「大きいお尻が好きな人もいるでしょ‼」

「まぁ……まぁそうね」

 口に入った葉を取り除くと、申し訳なさそうな表情をしたラーナさんが帽子や髪に絡まった枯草などを取り除いてくれた。人の奥さんに対してこんな感情を抱いてはいけないと考えてもいるし、ラーナさんを意識していると感じそれを振り払う。

 きっとラーナさんの心にはわだかまりがある。ジョゼさんとレーネさんかな。レーネさんとの間にわだかまりがあり、憤りを感じている。きっとラーナさんは苦しいはずだと理解できるのに、それよりも自分の感情を優先しようとするオレがいる。それが恥ずかしく、一人は嫌だと喚くボクもいて、甘えようと縋ろうとする情けなさを感じてラーナさんを直視できなかった。構ってくれるのが嬉しいのだ。一人だから、寂しい。それを誰かで埋めようとして、優しいラーナさんに甘えようとしている。

 ミラジェーヌがいなくなって悲しい。

 それをラーナさんで埋めようとしている。

 浅はかで愚かしい。

 今はオレよりもラーナさんの方が辛いはずだ。

「で? 何を採集するの?」

 顔を背けならがため息を漏れ、話題を反らすためにそう告げる。

「……ふふっ。まぁいいわ。そうね……」

 ラーナさんがこちらから目を反らしたのでラーナさんを見て、その手を握りたいと脳裏を過り嫌にもなる。すぐ恋愛や繁殖などの行動を想起させる自分に嫌気もさす。

「ちょっと‼ 見てこれ‼ すごくない!?」

 ラーナさんが指さした方向にはキノコがあり、食料調達って本当に食糧調達なのだなとため息が漏れてしまった。


 「タニワタリ、ジアカラ、クロオウギ、ハイカグラ、ミミタケ」

「わかんにゃいわかんにゃいわかんにゃい」

「まぁなれよね。なれ」

「頬に泥がついてるぞ」

「貴方は鼻についてるわよ。ふふふっ」

 あれからキノコを採集して回り、結局種類の判別を見た目で選ぶのは諦めた。

 オレは進んでキノコを食べようとは考えていない。キノコの判別が難しいのは素人のオレでも良くわかる。ラーナさんは平気平気と言っているけれど。

「これは食べられるの?」

 木に生えていたキノコを指さす。

「それはイーメンよ。食べられない。毒がある。お腹ゴロゴロになっちゃうよ」

 なんだその名前は。イーメンってなんだ。

 隣に似たようなキノコがあったのでこれもイーメンと言う毒キノコだと察する。解析から成分表を表示、記憶する。この成分に該当するキノコは食べない。

「これ……スルフォレス。スルフォレスだわ‼ ちょっと来て来て」

 森の中を歩くのは体力を使う。そんな中でもラーナさんは元気だった。

 傍まで歩き、指さしているキノコを見るとイーメンに見える。

「これイーメンじゃないの?」

「あー似てるもんね。違うのよ。これはスルフォレス。食べられるのよ」

 解析データを表示、成分表を照らし合わせると確かに差異が見受けられる。どれが毒なのか判別できれば話は別だけれど、どれが人体に有害な成分なのかオレには判別できない。

「全然一緒じゃん。わかんないわかんないわかんない」

「あらあら、そんな事では免許皆伝はあげられませんねぇ」

「キノコなんか一生食べないからわからなくていい」

「ダメーッ。ダメダメダメダメダメー」

「ダメじゃない。キノコなんか食べない」

「今日の夕食はこのキノコだけどねー」

「うーっ」

「ふふふっ。変な顔」

「うるさいっ」

「見て見て‼ モリユリだわ‼ こんなにいっぱい‼」

 また変なキノコに夢中になっている。黒いデコボコしたキノコで、採ると中身が無かった。

「詰め物をして焼いて食べると美味しいのよ。へへへっ。大量大量」

 わざわざ毒があるかもしれないキノコを採って食べるのが理解できない。けれどラーナさんが楽しそうなので、採集は悪くないと感じた。

「そういえば薬草採集も受けているのよね?」

「一応ね」

「これがアルテミシアよ。薬草って言ったらコレね」

 屈み、ラーナさんは一枚の葉を手に取る。斧を地面に強く投げ刺し、両手を使い、丹念に裏側や葉脈の綺麗なものを選んでいた。一枚を採り見せて来る。

「ふーん」

 解析データは保存してある。データにアルテミシアと名前を追加する。キノコ等などの成分表にも名前を追加しておく。これで成分が同じものは見分けられるはずだ。

「モリノハ。チナシ。メガミノシタ、タイヨウノメガミ、メガミノジヒ。これぐらいは覚えてないとね」

 女神シリーズ多いな。メガミ多すぎ丸。

「メガミ?」

「あぁ、これはね。昔怪我や病気に苦しむ人々に心を痛めた女神様が自分の一部を植物にして人々を癒したと言われる伝承があるのよ」

「へー」

「このメガミシリーズは、この三つの他にもう一種類あってね。この四つが定番よ。大体の病気やケガの治療ができるの。まさに女神様の慈愛よね」

「ふーん」

「ちゃんと覚えないとダメよ」

「ちゃんと女神様なんだな」

「どういう意味? まぁ女神様は土着の神様だしマイナーなんだけどね。知ってた?」

「ふーん」

「わかってなかったな? いい? 知ったかはダメよ? ちゃんと覚えるの」

「わかったよ」

「素直でよろしい」

 帽子を取られ、頭をワシャワシャとされてよろめいて、ラーナさんに支えられてしまう。支えられて恥ずかしく、離れなければいけないと手でラーナさんから体を離す。

「やめてってば」

「もーっ照れちゃって」

 普通に考えて伴侶のいる相手からは距離をとる。

 別に嫌じゃない。別に嫌じゃないし好ましいと感じているけれど、嫌だと顔を反らす。

「そんなに嫌だった?」

「子供じゃない」

「そういう台詞を言うところが子供よ」

「子供じゃない‼」

「生意気な。はいはい子供じゃないのね? じゃあこうしても大丈夫よね‼」

「やめれ‼」

 汗のニオイ。張り付いて冷たい。小麦色の肌。鎖骨の形。熱い。困る。手で押さえているけれど本気じゃない。近づいて嬉しい。触れていて嬉しい。抱きしめ返すには至らず、躊躇いそれでも袖をしっかりと握ってしまう自分がいた。

「もーっ」

「はいはい。悪かったわよ」

 改めて頭を撫でられて、何とも言えない微妙な心持になってしまった。ラーナさんに悪気がないのは理解している。自分に都合の良い感情を優先させているのはオレの方だ。それで相手に迷惑をかけてはいけない。勘違いしてはいけない。


 「このキノコは?」

「それはヨルヒカリ。毒キノコよ」

「これは?」

「シロコ。毒キノコよ」

「じゃあこれは?」

「これは……エントローマと見せかけたニセナカセ‼ 毒キノコよ。もうっ。毒キノコばっかり見つけて来るんだから」

「えー……じゃあこれは?」

「惜しい‼ クリイロに似ているけれど……ドククリイロよ‼」

「いやわかんないよ。なにそれ」

「ちょっと色が違うじゃない。傘に粒粒があるでしょ? ん? チャナメか? うーん?」

「怪しいのは食べないようにしようよ」

「チャナメなら放置しとけば褐色化するはずよ。だからキープしときましょう」

「本当に大丈夫かな……」

「なに? 文句ある?」

「その言い方は理不尽すぎる」

 またキノコや薬草を採集してまわる。ラーナさんはタイヨウノメガミを積極的に採集していた。お茶になるのだそうだ。

「ちょっと来て」

 呼ばれたので傍に行くと、昨日毒草を見つけた辺りだと察する。

「どうして岩で塞がっているのかわからないけど。この辺りに強い毒性の草があるのよ。私は耐性があるから大丈夫だけれど、マリアは気を付けてね」

「耐性があるの?」

「子供の頃にちょっとやらかしてね。すごい痛かったわ。死ぬかと思った」

「そうなんだ」

 どうやら毒に対する耐性は得られるようだ。【イグニッション】が関係していると考えられる。【イグニッション】時の肉体の成長はおそらく著しい。

「うーん……この木にしようかしらね」

 唐突にそう告げたラーナさんが一本の木に手を当て叩いて音を確かめ始めた。

「どうするの?」

「触ってみて?」

 触れて見ると単純に――柔らかかった。普通の木のような見た目なのに指が食い込む。

「これは食べられる木なのよ。さてさて」

「木を食べるの?」

「そうよ」

 ラーナさんが斧を持ち出し木を伐り倒し次いで枝を取り除き、一本の木は簡単に幾つもの丸太へと形を変えてしまった。

「これと、これを持って帰りましょう。後のはあんまり状態が良くないからこの二つでいいわ」

 持って見ると軽かった。

「意外と軽い。そろそろ帰る?」

「まだまだ」

「まだ採るの?」

「まだ逢引はおわりませーん。報酬は銀貨三枚なんだからね。その分は付き合ってよね」

「またそんなこと言って。貧乏なのに銀貨三枚も出したの?」

 手を握って軽く肩を叩く。

「貧乏は余計よ。こう見えて貯えは結構あるんだからね」

「はいはい」

「生意気‼」

 籠を前面に持ち変な恰好をしたラーナさんに手を取られ、引っ張られて背中にぶつかると反対の手も取られる。

「はい行くよー」

「ちょっと‼」

「いっちにっ。いっちにっ」

「歩き辛いってば」

「文句言わないの」

 それから二人でくっついて歩いた。途中で手は離されていたけれど、お腹に手を回してくっついて歩いていた。離れようとも考えたけれどラーナさんが嬉しそうだったので勘違いしないように気をつけながら歩いた。

 こうしてくっついて歩いて見てわかったけれど、ラーナさんが纏う魔力がプラズマ化している。普通の戦士ってみんなこんな感じなのかな。森は虫が多い。その虫やヒルやダニのような吸血性の小さな魔物がラーナさんに近づいた途端に焦げて死ぬ。プラズマ化した魔力による瞬間極小火力で焦げてしまう。でもオレには何も影響がない。

 ラーナさんはもしかして……。

 森を突っ切り抜けて湖へ――ガマの穂のような植物の実を何個も取った。背が高い赤褐色の穂は湖の波打ち際に沢山生えており、他にも取っている人達はいた。

 丸太を持ち、キノコを持ち、ガマの穂までとなるとさすがに籠も一杯だ。だからと言って帽子の中に丸太などは持ち込みたくはない。ラーナさんはそんな大荷物を持っていても普通に動いていた。これが日常なのかもしれない。

 ガマの穂を取るのは苦労した。湖に足を付けなければいけないからだ。黄色や緑の葉が生い茂っており、裸足で踏むと足を切ると言われた。蛇や人食いナマズがいるとか言われてびっくりした。

 魔物に警戒はしていたけれど、村の周りの主要な魔物は今朝、猟兵達が処理してしまったのでそこまで気にしなくていいとラーナさんは言った。それでも遠方から魔物がやって来ないわけではないので完全に安全と言うわけではないらしい。

 ある程度の穂を取ったら、背負った籠から一度キノコを取り出して、穂を敷き詰め、その上にキノコを乗せる。

 ラーナさんがガマの葉を取り持ち、キノコを器用に包みこんで納めていた。

 水に濡れて肌に張り付いた服。否が応でもそのボディラインを強調してきて目のやり場に困る。ブロンドの濡れた髪も相まって、余計に目のやり場に困る。光の加減で色が変わる。

 ふと顔を上げた先、遠くの方に二人の男女と一人の子供が見えて――ジョゼとレーネ、ジョゼッタだと察する。ラーナさんも気づいたのか、立ち上がり、その様子を少しの間、見ていた。

 二人が身を寄せ合い――。

「そろそろ帰りましょうか」

「……うん」

 食材採集は体力を使う。お昼も少し過ぎていてお腹も減っていた。

 家に帰ってからも仕事は終わらない。宿には汚れた猟兵の客が来たし、今日取れた食材の処理もある。座ったら眠くなり動けなくなるやつだと察して先に作業を聞いた。

 まずはキノコの処理――籠にえり分けたキノコを生活用水路の流水に晒して虫や汚れを流す。キノコに潜んでいる虫は多かった。

 次に丸太の皮を剥ぎ、白い幹を壊して繊維状に――解した繊維を木の棒で叩いてさらに細かく、水を加えて濾(こ)すと繊維と粉に分離するので繊維を取り除く。

 ガマの穂を崩してフライパンで煎り、こちらも木の棒で叩いて黄色い粉状に、先ほどの木の粉と混ぜ合わせると粘土状になるのでさらに捏ねる。捏ね終えたら濡れタオルをかぶせて放置。量をこなすのでだいぶ重労働だった。終わった頃には夕方に。食材調達とその処理だけで丸一日が終わってしまった。

 庭のウッドデッキで休んでいるとラーナさんが来て隣に座り温かい飲み物をくれた。

 茶色の飲み物はタイヨウノメガミの根を洗い、炒って煮出したものだそうだ。

 タイヨウノメガミはおそらくタンポポに近い。

 ちょっと土臭いコーヒーみたいな匂いがした。

「お疲れ様」

「……何時もこんな重労働なの?」

「まだまだこんなものじゃないわよ。これに洗濯掃除もあるしね」

「うへー……」

 そういえば昨日の報酬の霊銀貨三枚を貰っていたことを思い出し、帽子に手を入れて取りラーナさんに差し出す。銀貨を差し出されたラーナさんは目を丸くしていた。

「……どうしたの?」

 訝しむようにオレを見てくる。なんだよ。

「お世話になっているし、滞納しているお金」

「……別にいいのに」

「そういうわけにはいかないよ。借金なんてやだぞ」

「ふーん」

 ラーナさんから汗のニオイがした。隣に座ったラーナさんは物理的に近く、腕が腕に当たって動くたびに擦れる。それが嫌じゃない。

「私ってそんなに魅力ないかな……」

 ボソリと呟いたラーナさんの台詞。弱っている。心根を想像しやすいありがちな台詞だと感じた。コップを口に付け、苦い液体を口に含む。

「私ってそんなに魅力ないかな‼」

「聞こえてるよ‼」

「なんか言いなさいよー」

 肘で突かれて困った。視線を向けると苦い笑いと恥ずかしさと睨むようなラーナさんの表情を見る。ありがちな台詞を言ってしまったという顔だ。

「手」

 一緒にいられることが嬉しくて困る。この感情が困る。触れ合うことが好ましいと要求してくる本能が嫌。適切な距離を保たないとと壁を作る。これ以上踏み込んだ時の困った表情を想像して唾を呑む。

「手?」

 差し出して来た手を握る。指の間に指を通して握る。そっぽを向いて握る。ラーナさんの手は驚くほど冷たくて驚いた。振りほどかれたら嫌だと感じた。それはオレの心がダメージを受けることを意味しており、こうして手を握っているところをジョゼさんに見られ、言い訳するラーナさんを想像してショックも受ける。想像は所詮想像で被害妄想とも自己防衛とも感じる。

「君の手はあったかいね」

「さすがに手が冷たすぎる」

 両手で包むともう片方の手も差し出して来て握ると心臓が高鳴り困る。男とか女とか無くなればいいのに。そうすればこんな感情に振り回されることもないのに。押しつけがましい感情を向ける事も無いのに――ラーナさんの顔が近づいてきて、帽子を取られる。髪越しの唇の感触。コメカミに下がって来る。鼻先が頬に触れてきて体が痙攣するように動けない。

 視線を向けると近い距離にある瞳――潤んでいるようにも弱っているようにも、その虹彩と瞳孔は広がったり縮まったり、綺麗だと感じた。閉じられた目と口の端に寄せられた唇。

 自然と自分の口が尖っていくのを感じて抑制を――唇の端に柔らかい感触が過ると刹那に体が反応し少し漏らしてしまった。意思では抵抗できない体の反応で少し漏らしてしまった。最悪だ。少しだけが漏れて、唇が強張っている事に気づく。

 それを悟られないように結び、ラーナさんが少し離れて目を開けた。

「……嫌だった?」

 そう聞かれて欲求値が抑えきれなくなる。ダメだ。傷つくのがわかっている。ダメだ。これ以上はダメだ。考えは一瞬で真っ白に染まり、ただ文字列は意味をなさず欲求だけが沸き上がり突き動かされる。

 乗り出して、顔を近づけてもっともっとと――唇をそっとそっと近づけて、拒否されないことを確認しながら近づけて、目を閉じたラーナさんを確認してそっと寄せた。

 舌打ちのような音をさせる。ラーナさんの両手がオレの両手を握り込み、唇を離すとラーナさんは目を開けて、乗り出されて寄せられた。一度突破された壁は脆く、優しい口づけはそこに続かなかった。

 離れるのがもどかしく、離れたくはないけれど、宿の仕事があるので二人手を繋いで中へと戻る。妙にそわそわして仕方がなく、差し出された料理の味がどうでも良く、食事をするのすらもどかしかった。

 それと共に押し寄せる罪悪感と、弱気になった人に付け込む罪悪感に胃が縮む。

 トイレではため息を付き、洗面所に置いてある桶で手を洗う。顔を洗いたい衝動に駆られるけれど、この水で顔を洗うのは憚れる。

 席に戻ると目が合い、微笑みを向けられて高揚と動揺する――早く時が過ぎればいいのにと願い、後片付けの手伝いをする。

 ダメだ。これは不純だ。許されない。

 落ち着いて来た思考に項垂れる――夕食に食べたのはパンだった。木の粉とガマの粉を合わせて作られた種(パンの)を竈の壁に張り付けて焼きできたパン。

 今更ながら味を思い出したけれど、ほのかな甘みはあった。

 塗ったレバーが苦くて苦くて、脳も心も舌も苦かった。

「……お風呂、行こ?」

 そう言われて逃げ出したい衝動にかられる。

 これは良くない。ダメだ。決して許されるものじゃない。

 手を引っ張られ、マゴマゴしていると感じ、嫌なわけじゃないけれど……。裸を見られるのが恥ずかしくて仕方がなかった。脈動してしまって困る。隠せない事に困る。それを見て微笑むラーナさんを見ると思考が真っ白になって困る。お尻の穴も見られたしパンツを洗われた身で恥ずかしいクソもないけれど。

 体を洗い湯船に浸かると後ろから抱きしめられていた。お腹に回された手。背中に感じる柔らかさに埋もれたくもなる。耳から首元へ流れる息の流れに強張る。

「……嫌だった?」

 そう言われて困る。嫌じゃない。嫌ではないけれど……。首を振り、振り返り、顎に唇を寄せる。肌を伝う水が口に入り息が荒くてごくりと呑み込んでしまう。

 ラーナさんの手が震えていた。微妙に唇も震えている。

「……嫌じゃないけど」

 ジョゼさんとちゃんと別れて欲しい。ちゃんとして欲しい。その台詞が喉から出かかって、この先が壊れるのを恐れ躊躇ってしまった。

「嫌じゃないけど?」

 言わないとダメだ。それで壊れるならそれでいいじゃないか。失いたくない。嫌われたくない。掴まえたい。このチャンスをものにしたい。それは良くない。ダメだ。色々な感情が混ざりあって動けない。言わないとダメだ。言わないとダメだ。それは許されない。例え相手(ジョゼ)がそうであったとしても、自分がそうなる理由にはならない。

「ラーナ……」

「ん?」

「その……ジョゼさんと、その」

 唾を呑みこんでしまう。何度も唾を呑みこんでしまう。背中に感じる柔らかさに埋もれてしまいたい衝動にかられる。失った何かを誰かで埋めようとする感情に吐き気もする。言わないとダメだ。緊張してすぎて辛い。

「……うん」

「ちゃんと、してほしい……」

「……ジョゼと?」

「そっそういう意味じゃなくて」

「……うん」

「……別れて、ほしい」

 視線を背後へ上げながらそう伝える。

「別れてほしいんだ」

「……うん」

「どうして?」

 好きだから。欲しいから。そう脳裏を過り、同時にメイリアを思い出す。メイリアを思うととてもそんな言葉は口にできなかった。複雑な糸に絡まれて身動きが取れない。それはラーナに対しても失礼だった。メイリアの事はラーナさんには関係ない。それを悟らせるのはラーナさんに対してあまりにも失礼だ。

 ラーナさんが動くのを感じて、離れるのだと察する。拒否されるのだと察する。もうどうにもならない。まとめる荷物も無いけれど……前面に回って来たラーナの表情は緩んでいた。

「……どうして?」

 寄せられた体と重さに目が開いてしまう。

 ダメ――ダメダメダメダメダメ。

 ダメだとは考えつつも本気で拒絶はしていなかった。望んでいた。拒否しなかった。

 ゆっくりと――でも確実に超えられていく一線に意識が遠のきそうになる。沈み込むほどに、のめり込むほどに拒否感を感じるのに体は逆向きに動いていた。

 荒い息が漏れ、ラーナの体に手を回し強く抱きしめて埋もれていた。

「責任……とって」

「……責任?」

「ちゃんと別れて。もう無理。ちゃんと別れてッ。責任とってッ。結婚して。ちゃんと別れて」

 堰を切るように何もかもが溢れ出してしまった。

 ラーナさんの鼓動が聞こえる。跳ね上がっていく呼吸音が聞こえる。腕に込められた力が強くなっていく。痛いほど強く、骨まで擦れ合うほどに。これ以上深くは触れ合えないのに、これでも足りないと強く抱きしめられる。

 呼吸で膨らむ肺の感触までしっかりと伝わって来る。目を直視できず、首元に何度も唇を押し付けていた。耳に当たる流れがこそばゆい。

「……いいよ」

 囁かされた言葉に、受け入れられたという事実に全てが崩壊してただただラーナを求めていた。

 離れがたく、お風呂を上がってもずっと手を繋いでいた。着替える時も手を離したくなくて、着替えた後も手を離したくなかった。自分の部屋に戻るのが嫌で、階段の前で止まってしまった。

 目が合う――ラーナさんは口で呼吸していた。上下する胸が見える。指に込める力が増して。

「……部屋、来る?」

 そう言われて頷いた。期待しているわけじゃない。ただ離れたくなかった。

 ラーナの部屋は半地下にあり、階段を下りた二つある扉の先にあった。

 部屋は狭くて緑が多かった。水の音が聞こえ、水路が通っていた。吊るされた植物や植木鉢に入った植物に視線が流れる。それ以外はベッドとドレッサーだけだった。

 ベッドに入るとラーナさんのニオイがした。このニオイを好きになっていた。身を寄せ合いくっついて――なかなか眠れなくてうとうとして、擦れ合うと気持ち良くて微睡み、でも高揚していて眠れなくて、うとうとして。

 眠れなくて苦しいわけじゃなくて、眠れないのに、目を開けるとラーナさんがいて顔を寄せて、顔を寄せるとラーナさんが目を覚まして微睡みながら微笑んでいて頬を寄せて、意識を失い寄せられて目を覚まして。時折体を流れる指の流れを受け入れて、指を掴んで口に含んでいた。

 次の日、朝食を食べ終え、お客が宿を出るとラーナさんは宿を閉めて全ての扉を速足で閉めてまわっていた。ジョゼさんとは何か少し話をしていたけれど距離を感じていた。

 鍵を閉めるところはしっかりと、つっかえ棒のある所は何度も確認して厳重に閉めている。

「……どうしたの?」

「……もう我慢できない。昨日は頑張って我慢してたけど、もう我慢できない」

 左腕を強く掴まれて強引に引き寄せられる。反射的に抗うが引きずられ、足が宙に浮かぶ。持ち上げられて床から足が離れていた。

「いいよね? いいんだよね?」

 痛みに顔をしかめてもお構いなし。

「……いいもなにもないでしょ。昨日もしたんだから……」

 お風呂場で……。

「でも……ちゃんとしてほしい」

 そう言うとラーナはゆっくりとオレを降ろして足が床についた。やめてしまうのを残念がっているオレがいる。強引に来てもいいのに。

「……うん。ちゃんとする。ちゃんとするわ。だから……ね? 一緒に? ね?」

「……うん。できれば……でいいんだけど。結婚……前提で、いいよね?」

「うんうん。そうだよね。結婚するんだよね。いいんだよね? 私のものになるんだよね?」

 ちょっと怖いくらい強引な台詞だけれど、ラーナさんは多分傷ついていたんだ。沢山傷ついていて、裏切られて傷ついて自分だけの人が欲しかった。それがたまたまオレだったのかもしれない。今はそれでいいと感じた。何時かオレじゃなくなるかもしれない。

 ミラジェーヌはオレから離れていった。

 だからもう、自分から誰かが離れるのを許容できなかった。この世界の結婚にどれほどの強制力があるのかまだ理解はしていないけれど、次が望めるのなら結婚してほしい。

 ラーナさんの手をとって頬に当てた。

「……ラーナ、さん」

 指に指を通して握る。口に寄せる。

「……お部屋、行こ?」

 ラーナの手が痛いくらい強くオレの手を握っていた。

「ちゃんとしてないから……まだ」

「もういいの。もう、いいの。もう……壊れてしまったから。もう元には戻らないから、ね?」

「ね? じゃないでしょ……」

 そうは言っても強く拒否はできなかった。

 張り裂けるほど強く鼓動するのを感じながら引っ張られて歩いた。一歩一歩に視界が歪むような錯覚を覚えて緊張していると気付く。階段を下りるとよろめいてラーナさんが支えてくれて。扉を開けて中へ入る。ベッドに座るとラーナさんは扉の鍵を閉めていた。妙に分厚い木の扉だった。何度も扉が閉まっているのを確認していた。

 そして振り向き手でまくり上げられていくスカート。ラーナは下着を付けていなかった。


 なぜだろう。求めていたはずなのに、心は何処か痛かった。それはメイリアが大事だと考えているからじゃない。受け入れられて嬉しいはずなのに、もう傷つきたくないと心が拒絶してしまう。本気になりたくない。もう傷つきたくない。適度な距離を置きたい。それを覆い隠すように卑怯にも求められている体(てい)をオレは崩さなかった。

 何度も何度も求められ、何度も何度もラーナさんの体を噛んだ。

 下着もつけずに膝枕をして、眠るラーナさんの頭を撫でていた。

 甘えるように背中を預けてくるラーナさんを後ろから抱きしめていた。

 視線はずっと離れなかった。ラーナさんの肩に唇を寄せる。ラーナさんの肌と体温を強く感じる。弱く押し付けたり強く押しつけたり。段々と擦れ合っていく肌。ひとつひとつ確かめるように。

 視線を流し、手で触れて、指先で指の平で、手の平で、甲で、腕で、体の全ての触感を使って相手の輪郭を明確にしていく。嗅覚で味覚でお互いの味やニオイを知り混ぜ合わせて、脈動と呼吸と震える空気の音を聞く。髪に通した指の感触、髪に通される指の感触。

 神経回路に魔力を通し――しかしラーナさんの回路の修正箇所は少なかった。

 ラーナさんを知れば知るほどに、ラーナさんもオレを知っていく。

 それが少し嬉しかった。

 こうすれば喜ぶ。こうすれば嬉しい。お互いがお互いを理解していく。

 最初は本気になりたくないと心が拒否していたけれど、段々と溶けだすように解されて、無理やりこじ開けられると後戻りできなくなり気が付くと求めるようになっていた。

 もう戻れない。戻らない。逃がさない。離さない。もう、オレのものだ。心をあげるから心を頂戴。メイリアのようにはならない。ミラジェーヌのようには離さない。馬鹿らしい。

 手を舐めるのが好き。ラーナさんの手を舐めるのが好きだった。

 獣から人に変わっていく。ラーナさんは柔らかく微笑むようになった。その瞬間もラーナさんは微笑んでいた。力の抜けた指に体中を愛でられた。絡みつく。獣より人の方がいい。人になったらもっと絡みつく。

「……ラーナ、さん」

「……なぁに?」

 胸に抱きしめて抱えて、頭に何度も唇をつける。

「……ラーナさんが大切」

「なぁに? もう?」

「ラーナさんが、大切なの」

 愛しているとは言えなかった。それを言う資格がオレにはなかった。メイリアに申し訳がなかった。そして同時にラーナさんにも申し訳もなかった。メイリアの幸せを願っている。オレにはもう何もできないけれど、愛していると言う言葉だけはメイリアにあげたかった。

 他はすべてラーナさんに渡すとは考えた。

 ミラジェーヌはどうする。どうしようもない。

 ジョゼさんはどうする――重く重く罪悪感が頭を垂れて重く。

「そうなの?」

「……うん」

「……ね?」

「……うん」

「もっと……ね?」

「……いい、けど」

「けど?」

「あのね。こう言う事言うと、怒るかもしれないけど……本当に、ちゃんとして欲しい」

「……うん。約束する。そうだよね。ちゃんとしないとダメだよね。ふふふっ。そうだよねぇ。ちゃーんとしないとダメだよね」

 気が付くと三日も経っており、二人して驚いた。ちょっとの食事の間もラーナさんを眺めていて、ラーナさんの視線もオレを撫でていた。ただトイレに付いて来られた時は困った。

「……ちょっとっ、入って来ないでよ」

「別にいいでしょ」

「良くないよ」

「私は気にしない」

「オレは気にする」

「ダメ‼ やだ‼」

 なんでだよ。どういう気持ちか知ってもらうためにラーナさんのトイレにも同行した。こうすればラーナさんもトイレに付いて来ようとは二度と考えないはずだ。

「臭いよ?」

「そうだね」

「……なっ‼ 言っとくけど‼ 貴方も臭かったんだからね‼」

「同じもの食べているのだから同じ臭いでしょ」

 音が鳴ってラーナさんは顔を真っ赤にしていた。

「……幻滅した?」

「なんで? 別にしてないけど」

「ほんと?」

「うん。真っ赤になった顔が可愛い」

 これが良くなかった。この台詞のせいでトイレまで一緒に入るようになってしまった。手を引っ張られて同行させられる。別に嫌じゃないけれど、自分の音や臭いは少し気になる。ラーナさんも気にしないって言うけれど。

 このトイレ。このトイレの構造は斬新だった。地下は少し斜めになっており、落ちた有機物は斜めに擦り落ちて底に溜まる。擦り落ちた先には菌核があり、有機物を分解し成長して地上にキノコとして露出する。このキノコがアブラキノコだ。

「もうちょっと……二人でいよ?」

「……ちょっとだけでいいの?」

「あ゛あ゛あ゛あ゛。今のは貴方が悪い。今のは貴方が悪いんだからね」

 また部屋に戻って鍵をかけられて、結局二週間も二人で過ごしてしまった。それでも飽き足らなかったけれど、問題が片付いたわけじゃないし、お金も稼がないといけないからと部屋を出た。食料の備蓄はあったので問題はなく、部屋の中は完全に隔離されていて外の様子をほとんど知ることはできなかった。

 何よりジョゼさんとの問題が片付いていなかった。

 ラーナさんは少し時間が欲しいと言った。勘違いしないでとも言われた。

 ずっとジョゼさんの事が引っ掛かっていた。心の何処かでジョゼさんの事を気にしていたのでラーナさんに本気になりたくなかったのかもしれない。あんまり強く言うのも、何度も言うのも気が引けて。ジョゼさんの名前を出すのも気が引けて。言いたくなくて。

「……ラーナ、さん」

「んー?」

「夫婦になったら……」

 ジョゼさんとちゃんと別れたら――。

「うん?」

 寄り添って、見上げて、オレより背が高くて、とどかない――結局顎のラインに唇を寄せるしかない。

「もっと、その、いっぱい、いろんなことしよ?」

「なにそれっ」

「何が?」

「なにその技」

「技……って何が?」

「卑怯でしょ。なにそのっなに? 技‼ 卑怯でしょ」

「何言っているの」

「今から、ね?」

「夫婦になったらって言ったでしょっ」

「無理」

「ちょっと‼」

 摺り寄せられて困った。


 それからラーナは宿の仕事をやめると言った。

「貴方は猟兵としてお金を稼ぐんでしょう?」

「まぁそうだね」

「じゃあ宿は廃業にするわ」

「なんで?」

「一緒に、猟兵するから」

 戦えるのか――危険な仕事をしてほしくない。

「あんまり、危険な仕事は、してほしくない」

 ラーナさんがニヤニヤしているのがわかった。結構恥ずかしい台詞だ。ニヤニヤしないでほしい。

 膝の上に頭を乗せられて、髪を撫でていた。

「こう見えて、星六なのよ。星一の癖に生意気」

 マジかよ。

 ラーナさんが星六の猟兵と言うのには驚いたけれど、何かあるのだろうとは頭の片隅を過ってはいた。

 森の中での魔力のプラズマ化と村の人達と仲が良くないように見えていたから。

 ラーナさんと村人の様子を見比べたオレが勝手にそう感じているだけなのかもしれない。

 ただ湖でガマの穂を収穫している時に会っても挨拶はなかったし、道を通り過ぎる村人たちがラーナさんには挨拶をしなかった。半地下のもう一つの部屋はキノコ部屋だ。村で共有されているはずのアブラキノコが、ここでは個人が管理している。

 この村の中で宿だけが個別で生活できるように完結していた。

「ジョゼとレーネと私はね、幼馴染なのよ……わたしがっ」

 口に手を当てて話すのをやめさせる。

「……なに? 聞かなくていいの?」

「君の口から他の男の話しは聞きたくない。過去はどうだっていいよ。今、オレだけならそれでいい」

「……嫉妬しているの?」

「当然でしょ」

「そんなに私が好き?」

「当たり前でしょ」

「取られたくないんだ」

「決まってるでしょ……」

 だからニヤニヤしないでよ。

「宿をやめて、村の人達に何か言われない? そこは大丈夫なの? 村にやってくる猟兵が困ったり、文句を言ったりしない?」

「大丈夫よ。村の中には使われていない民家がいくつかあるし、そこはギルドを通して使っていいことになっているの」

「そうなんだ」

 膝の上のラーナは、何か言いたげな表情をしていた。言いたいような言いたくないような、口にするのが難しいと言った表情をしていた。その手を取って頬に当て、唇を付ける。

「でたッ。卑怯技」

 別に卑怯でも構わない。こうしたい。

「それでも、あんまり危険な事はしてほしくない」

「あのねぇ。それを言ったら私だって同じなんだけど、どうせ心配してっ。心配するなら二人一緒の方がいいでしょ」

「それは……まぁ」

 何時か今感じているこの気持ちが薄らいだり、忘れたり、別の感情になったりするのだろうか。ジョゼさんとラーナさんも最初は違ったはずだ。朧気な未来を想像しながらもそこに実感はない。ジョゼさんとラーナさんの関係を考えると心が痛い。ラーナさんの過去に別の男がいると言うのも心に刺さって痛い。それはオレにも当てはまることであり、この痛みを与えると考えればオレも過去の事は言わない。

 掴んだ手の平に何度も音を立てて唇を寄せ舌を這わせる。

 視線が合うとラーナさんは色々な感情の混ざり合ったような複雑な表情をしていた。耳に手を這わせる。溝や穴の周りをなぞる。

 ラーナさんは怒ったような表情をしてオレの手を取ると唇を寄せ含んだり噛んだりした。優しくなくて痛かった。

 今の気持ちを解析データで抽出し魔力で再現し感情として共感させる魔術を作ってみた。魔術名は【サキミ】。

「魔術使っていい?」

「……貴方、そういえば魔術師なのね」

「うん」

「なぁに? いいわよ?」

 ラーナの頬に触れながら【サキミ】を発動すると、ラーナの瞳孔は大きく開いて、動きを止めたあと、ゆっくりと体を起こして抱きしめて来た。

「何の魔術なの? 魅了の魔術?」

「オレが今君に抱いている感情を感じさせる魔術」

「……ほんとうに?」

「うん」

「こんな、こんな感情を……抱いているの? 私に?」

 猫が甘えるように体を摺り寄せて来る。流れる髪は光が透けて透明だと感じるほどに柔らかかった。

 ラーナさんの解析データで驚いたことがある。

 その髪一本一本にすら回路がある事だ。魔力が流れる事でより艶やかさを増し指を通すとするするとぬける。

「うん」

「私ね。今、穏やかなの。今までこんな穏やかな気持ちになった事、無いかもしれない。こんなに、こんなに愛おしいって感じているの? ほんとうに?」

「……うん」

 夢を見ているみたいだ。微睡みを強く感じる。こんなに高揚しているのに目を閉じると今にも眠ってしまいそうになる。きっと看取られて眠るのは、こんな気持ちなのだろう。

 背中に回ってくる腕――耳の横を通る吐息。

 鼻をすするような音が聞こえてくる。

「……泣いているの?」

「……うん。悲しいわけじゃないの。悲しいわけじゃないのに。私ね。今……すごく、満たされてる」

 ここ最近、血液が沸騰するように高揚して上手に眠れていなかった。

「……私の旦那様。私……貴方に出会うために生まれて来たのね」

「……それはさすがに言い過ぎでしょ」

「もうっ‼ 最低‼ せっかくのいい気分なのに‼ 入ってなさい‼」

「ちょっと‼」

 二週間ぶりに深い眠りについた。目を覚ますと安らかな寝顔が見える。頬に手を寄せて、くっついて二日は寝たんじゃないかと考えるほど、良く眠ってしまった。

 ラーナさんがオレを選ばなくても構わない。

 貴方が幸せならそれでいい。

 そう考えるのはラーナさんを信頼しているからなのか、本心からなのか。矛盾している。

 活動を再開する。心身共に調子は良かった。目を覚ますとラーナさんの頭が体の上にあり、起きようとすると阻害された。朝から起きるだけで何度も駄々をこねられて何度も交わってやっと解放された。

「……宿を閉めて荷物を整理するし、色々話をつけてくるから、しばらくは一人でギルドの仕事をこなして頂戴」

「わかった」

「わかった? え? わかっ……え? 嫌がらないの?」

「何が?」

「私と離れるんだよ?」

「色々することがあるんでしょ?」

「貴方は私を怒らせる天才だと思うわ」

「ちょっと‼ なんで部屋に連れて行こうとするの‼」

「わからせてやろうと思って‼」

「意味がわかりません‼」

 ご飯を食べたらラーナさんと別れてギルドへ向かう。

「……帰ったら覚えてろよ」

 オレはお前の敵かなんかなのか。

 ギルドの受付に行くと眼鏡に驚かれた。

「お前、てっきり逃げ出したか他に移動したか……また眠っていたかと思ったが、帰って来たのか?」

「……まぁね。何か受けられる依頼ある?」

「星一の癖に相変わらず生意気そうな面しやがって眠り姫が。いや……眠り村娘か。そうだな。井戸の水くみの手伝いをしてくれ。後は薬草摘みだ。最近魔物が活性化している。村の外ではくれぐれも注意してくれよ」

 なんだ眠り姫って。しかし村娘の恰好をしているので村娘っぽいのは否めない。いや、しかし改めて考えるとこの恰好は……。なぜだか色々良くない気がしてスルーすることにした。

「こないだ倒したんじゃ?」

「あぁ? あぁ……つっても奴らは常駐組ではないからな。まぁそんな強い魔物はいないだろうから問題は無いだろうが、お前はまだ子供だ。ガキが世界を舐めてるとすぐ死ぬぞ」

 うるせぇ眼鏡っと悪態をつきたくなったけど、悪い人じゃないのだろうな。

「おっさんてさ」

「お兄さんと呼べ」

「お兄さんってなんでこの村にいるの?」

「あぁ? あぁ、まぁ、色々あんだよ」

「左遷されたの?」

「チッ。うるせぇ。手続きはしといてやるから早くいけ」

「わかった」

「あっ。井戸の場所はわかるのか?

「大丈夫」

 手を振って別れ村の中を歩いて井戸のある場所へ。水路と井戸で水場を分けているのが不思議。井戸の水は飲み水などに使うのだそうだ。井戸の周りにはお年寄りが集まっており井戸水を汲んで家々の水瓶に入れるように言われた。

 村の人――態度悪いな。まぁいいけど。

 でもよそ者に厳しいのは誰でも一緒だとも考える。オレだってそうだ。新しい人間が来ると環境が変わるのを恐れるし、恋人を盗られるのを恐れたり、友達を盗られるのを恐れたりする。

 それはオレも一緒だ。外から誰かイケメンが来て、ラーナさんと仲良くでもすればオレだって面白くはない。

 二人のパーティにもう一人が入れば環境も変わる。特に男女混合なら気を付けないといけない。想像すればオレでも容易に気まずくなるのが想像できる。

 二人が結ばれて一人が余るなんて気まずくて仕方がない。

 訓練には丁度いいので【イグニッション】を使用する。【解析】を使用し自分のデータを開いてラーナのように髪まで回路を通しながら水を運んだ。井戸から水を汲み、桶に入れて家々の水瓶まで運ぶ。

 日の光りが眩しい――今更ながら太陽を太陽として認識しているけれど問題ないのだろうか――発音は違うとも太陽は太陽だ。

 ギルドへ戻って報告――小霊銀三枚を貰った。

 さすがに井戸水を汲むだけだと安い。

 眼鏡は暇そうに書類を眺めていた。他の村や街で発生した依頼内容を見ているらしい。周辺で何が起きているかを把握するのも村を守るために必要なのだそうだ。依頼は外注もあるけれど、ギルドが作ったものが多数を占めている。

 星三になると周辺探索という依頼が受けられるようになると眼鏡が言った。

 この周辺探索の依頼をクリアすることは、ギルドにおけて高い評価を貰えるものだと考える。ギルドからの覚えが良ければそれだけ優先的に良いクエストをもらえたり、星を上げられやすくなったりするのだろうな。

 ちなみに星二になるにはどうしたら良いのか聞いたら、その内、討伐依頼が発生するので星三以上の猟兵と一緒にその依頼を達成することだと言われた。これはボッチには少し厄介な依頼だ。星三以上の猟兵にお願いしなければいけないからだ。

 一度宿へ戻る――ギルドから出るとラーナさんが立っていた。ちょっとイライラしている雰囲気がにじみ出ていた。オレが原因かもしれないし、他の人間かもしれない。

「どうしたの?」

「丁度お昼だから一緒に帰ろうと思って」

「怒ってる?」

「怒ってない。ちょっと機嫌が悪いだけ」

 人はそれを怒っていると言う。

 ラーナさんが腕を掴んで来て乱暴に引き寄せられる。

 なぜ乱暴に引き寄せる。

 引き寄せるとラーナさんは満足そうに微笑んだ。まるで自分の所有物だと言わないばかりだ。まぁいいけど。

 そしてそのまま持ち上げられる。

「おい」

「なぁに?」

「自分で歩くってば」

「ダーメ」

 なんだオレは。なんなんだオレは。荷物かなんかなのか。


 宿に帰ったらお昼を作ってくれた。

 モリユリ。中が空洞になったキノコの中に肉が詰められて蒸したものを作ってくれた。それに野草のスープ。キノコが一口サイズなのでパクパク食べられる。

「ありがとう。お昼作ってくれて」

「……別にいいわよ?」

「ラーナさんは料理が上手だよね。これ、すごくおいしい」

「……そう? ありがとう」

 一つをフォークに刺してラーナに差し出す。

「……なによ?」

「あーんして」

「あーん? なにそれ?」

「あーん」

「口開けろってこと?」

「そうそう」

「あーん」

 口に差し入れる。ラーナさんはモゴモゴして自分が作った料理を食べていた。

「モゴモゴ。なにそれ? なにその卑怯技」

「出た。卑怯技」

「だって卑怯でしょ‼ そうやってまた‼ いいわよ‼ かかってきなさいよ‼」

「勝負じゃないから」

 ラーナさんの足の裏が足を撫でてくる。

「ラーナ……さん。食事中」

「貴方が仕掛けて来た勝負でしょ‼」

「仕掛けて無いから‼」

「このっ‼ 私の技を受けろ‼」

 そもそも技なんてかけてない。

 昼ご飯を食べてトイレなどの用を済ませる。

「午後からはどうするの?」

「だからトイレには入ってこないでよ」

「何か? 何かやましいことでもあるのね⁉」

「普通に恥ずかしいでしょ。音とかニオイとか」

「私は恥ずかしくない」

「このっ……まぁ、午後からは薬草採集するよ」

「一緒に行きたいところだけれど……荷物の片づけとかあるからねぇ」

 済ませて――紙を差し出されて困り、もう諦めて使用しトイレを出る。手を洗っていると入り口からジョゼさんが入って来るのが見えた。

「おいラーナ。何カリカリ怒ってるんだよ」

 ラーナさんはため息をついて腕を組んでいた。その顔はジョゼさんを受け入れているという顔ではなかった。

「話は伝えたはずよ。これから荷物をまとめて外へ出すからレーネの所へ行っていいわよ」

「そんなに怒るなよ。な? これまでうまくやってきたじゃないか。おっマリア。お前からも言ってやってくれ。コイツ、しばらくいないと思ったら急に離婚するって言い出してさ」

「マリア。午後から薬草採集行くのでしょう? 早く行って」

 オレにも関係のある話だけれど、オレが立ち入っていい話ではないし、ややこしくなるだけだろう。

「おっマリア。もし星二になる依頼を受ける時は言えよ。俺が手伝ってやるから」

「お構いなく。マリアが星二になる時は私が手伝うからもう構わないで」

「なぁにそんな怒ってるんだよ。カリカリしちまってさ。俺達夫婦だろ?」

「もう離婚だけどね」

「ラーナ」

 ラーナさんにあしらうように手を振られて宿を後にする。

 気になるけれど、ラーナさんを信用している。もしラーナさんがこれでジョゼさんと復縁することになったとしても、オレはラーナさんを怨みはしないし大人しく村を出る。

 地面に倒れたくなった。嫌だな。それ……。

 雑貨屋に寄った。もしかしたら魔術書のようなものが売っているかもしれないと考えたからだ。オレには探知する魔術が無い。これは致命的だ。自分で作るにしてもあまりにも難しい。触媒も必要だ。構想が無いわけじゃないけれど……昔のボクとしてなら適当に作れたかもしれない。今のオレでは難しい。

「あっお姉ちゃん」

「はろー」

「はろー?」

「まぁ挨拶みたいなもんだよ」

「そうなんだね」

「いらっしゃい」

 ジョゼッタは人懐っこく服を掴んで来たけれど、レーネさんはこちらを見ず、爪に色を塗っていた。この人がレーネさんであっているはずだ。ジョゼッタが大人になった姿が浮かぶ。

 茶髪、碧眼。

 ジョゼッタは金髪だ。ジョゼさんはブロンド。金髪とブロンドってどっちも金髪って意味なのだけど、ジョゼさんの方が色が淡い。

「お洋服買いにきたの?」

「まぁ色々眺めにね。魔術書ってあるかな?」

「お姉ちゃん魔術師なの⁉」

「まぁね」

「あらそうなの? 魔術書はその棚よ」

 魔術書と聞いてレーネの目の色が変わったのがわかる。鍵付きの棚が見えて、レーネが棚の鍵を外し、二冊の魔術書を見せてくれた。

「ライトウィプスの魔術書とウォーターブレイドの魔術書よ」

「ライトウィプス?」

「光の精霊を召喚して暗闇を照らす魔術らしいわよ」

「そうなんだ」

「ライトウィプスが大霊銀貨3枚。ウォーターブレイドが大霊銀貨7枚よ」

 たっか。とてもじゃないが手が出ない。

「すみません。手が出ないですね」

「まぁそうでしょうね」

 少し笑うとレーネさんは本を棚に戻して鍵を閉め直し、元の位置に戻ってまた爪を弄りはじめた。美人じゃないわけじゃないけれど……。

「他に何か必要?」

「特には……」

「買わないなら出て行って頂戴。盗人と思われたくはないでしょう」

「わかりました」

 防犯カメラのようなものもないし、店の人が盗人に厳しくなるのはわかる。絶対に盗人がいないとは言えない世の中だ。

 仕方なく店を出るとジョゼッタも服を握ったままついて来た。

 服を引かれて屈むように促される。屈むと手を当てて耳元に話しかけて来た。

「ママって態度悪いけど、懲りずにまた来てね」

「今度はちゃんと服を買いにくるよ」

「えへへっ。期待してるね。お姉ちゃん」

 お姉ちゃんではないが、笑顔が可愛かったので頭を撫でてギルドへ向かう。ギルドで眼鏡に籠を貰い出入り口から村を出た。

 探索魔術は自力で作るしかないか。

 村の外で色々試行錯誤することにした。

 まず触媒だ。地形を把握するのにもっとも適しているのは何かと言う話。光か音か、それとも――空気の振動か。どれも完璧とは言い難い。光と音は触媒として不完全だ。一応地形把握魔術として構築してみたが、どちらもデッドスポットがある。乱立した森の中では落ち葉などの不確定要素の全容を把握しきれずにデッドスポットが出来る。振動も同様だ。

 このデッドスポットは割と致命的だ。把握した情報を光に変化し、モニタ内で色分け地形情報として構築する。詳細となると表示がかなり厄介だ。立体表示でまずは全体を表示して、詳細が欲しい場合は拡大できるように調整する。

 やっぱ触媒が不完全だ。表示されずに真っ暗になるところが出来る。それに音や光は木々などの障害物に弱く、音等は他の音の影響も受けるので近くならば良いが遠くなるほどに精度が下がる。

 急にラーナに会いたくなった。

 何の脈絡もなくラーナさんが脳裏に浮かんで会いたくなった。

 困ったものだ。ラーナに会いたくなってきた。こうして少し離れただけでラーナに会いたくなる。本当に困ったものだ。

 闇を触媒にしてみた。闇を触媒するのは良い。闇は影じゃない。影じゃないので光の影響は受けない。デッドスポットはほとんどなかった。その代わりに当たり一面が闇に覆われるので視覚情報としては異常だ。闇は良い。広げた闇の中では常に情報が更新されていた。ただやっぱり視覚情報的に暗いのがいただけない。

 魔力の流れ……を利用するのは良くない。魔力の流れは一定じゃない。それに魔力自体が物理現象に干渉しない。

 やっぱり闇か。闇を一瞬広げて情報を把握する。しかしこれは敵側に察せられると言う弊害を持つ。闇は色が無い。色がないから黒になる。これを透明化するのは……今のオレでは難しい。昔のボクならできるだろう。なんで昔のオレの方が今のオレより優秀なのか不明だ。

 触媒が欲しい――今は闇を使いオレを中心としてソナー状に展開し把握する魔術で我慢するしかない。課題もある。範囲を広げれば広げるほどモニタへの表示にラグもでる。

 半径200メートル前後がラグなしで表示できる限界だ。

 またこれ以上複雑にすれば発動までに時間がかかる。

 二つの事を一つの魔術で行おうとするのがネックなのか、それとも別の要員なのか。ここにさらに薬草やキノコの情報をぶち込んで生えている位置を表示するようにするとより複雑化して発動までにまた時間がかかるようになる。

 ここまで来ると半径50メートルがラグなし、即時発動できるギリギリの範囲だ。

 これはかなり頭が痛い。ここにさらに魔物の情報をぶち込んで反応を見るとなるともう無理だ。索敵魔術としては三流以下と言わざるを得ない。

 やはり【メイドの嗜み】のような女神経由の魔術が必要になるかもしれない。

 村の魔術書の値段を考えると頭が痛くなる。

 神の庭――遺跡にて自力で習得するのを考えなければいけないかもしれない。そう簡単に事がなるとは考えられはしないけれど。

 とりあえず半径50メートルで我慢し索敵魔術【ソナー】として名付けた。二文字だがかなり文字列を圧縮している。これ以上の最適化は厳しいと言うか頭が痛いしイライラする。

 それは夜眠れない時に良く似たもどかしさだった。要するにイライラする。

 発動するとモニタが現れ、同じデータを持った植物の位置が表示された。

 植物は動かない。

 【ソナー】を発動しながら他の魔術を発動するのはなかなかに難儀だ。できないわけじゃないけれど。常に魔力を込めていないといけない。動物を触媒にする魔術が如何に効率がいいかよくわかる。

 【キャットネイルファンタジア】を発動し、黒猫にアルテミシアの葉を集めさせる。黒猫が葉を集めている間、ヘリクリウムを探す。ウサギの尻尾のようなキノコだ。正式名称はエリナヘリクリウムと言うらしい。人名みたいだ。

 ついでにマップに表示される薬草やキノコを集める。

 メガミノシタは形としてはドクダミ、タイヨウノメガミは花を見てタンポポを思い浮かべる。メガミノジヒはアカジソ、そしてメガミノナミダは……白い花を咲かせた植物だった。

 ナミダは解毒の効果が強いらしい。どれも煎じて飲むことで効果を発揮し、お茶として常用するようだ。

 アルテミシアは虫食いが多いけれど、メガミシリーズは虫食いがほとんどない。

 摘んで籠に入れる。マップを眺めていて分かったのが現在地がわかりにくいと言う点だ。自分を中心に形成されるマップだけれど、現在地が表示されないし、傍に行っても結局どれがその植物なのか判別しづらい。情報を更新するにはまた【ソナー】を使わなければいけないし、何とも使いにくい魔術を作ってしまった。

 もう一つ【キャットネイルファンタジア】を利用した索敵魔術【キャットアイ】を作った。

 これはそのまま黒猫が見て聞いて認識したものを表示する魔術だ。

 これ以上の改良となると時間がかかりそうだ。探知魔術は必須だが、魔術が無くとも植物やキノコの判別ぐらいはできた方がいいだろう。

 キノコを探すのは楽しかったけれど、虫はやっぱりきつかった。

 耳元で飛ばれると不快だ。【纏】で傍に来ないようにしているけれど。


 色々弄り、改めて【ソナー】を発動。

 タニワタリ、クロオウギ、ハイカグラ、ミミタケ、オリミキ、クリイロ、アカヤマドリ、ロウジン、クミノシ、ヤマドリ、アシブト、アカタマゴ、ウラベニ、ハエヨセ、ノボリ、トキイロ、ヌメリムラサキ、コイムラサキ、ミキイロ――いいね。ラーナから教えて貰ったキノコがマップに表示されるのでキノコを探すのは簡単だった。キノコは目立つので見つけやすい。

 気が付いたら夕方だった。キノコ採りに夢中になってしまった。

 あと甲虫にも夢中になってしまった。

 甲虫は子供の頭ほどの大きさがあって動きも鈍かった。木に止まっていて興味深かった。


 基本的に大きい。キノコも大きい。この世界のキノコは基本的に大きい。歯ごたえが良い。炒め物や汁物が美味しい。キノコ特有の臭さは生臭さや青臭さとは違う。

 ハイカグラを縦に分厚くきり、塩とアブラで焼いてステーキ状にしたものを想像し、舌なめずりをしてしまう。涎が垂れて……汚い。

 あんまり遅くなると怒られそうなので帰る――村の入り口に戻ると怒られる事が確定していた。腕を組んで仁王立ちしたラーナさんがいたからだ。

「心配した」

 睨まれてかたまった。機嫌が悪そうだ。オレに見切りをつけたようにも感じる。そんな雰囲気を纏った冷たい視線だった。

「遅くなった」

 手を掴まれて強く引かれる。ラーナさんの力は強い。まるでゴリラを彷彿とさせる。抗う間もなく足は引きずられ引き寄せられる。

「何処か行った……何かあったのかと思った。はぁ……違う。ごめんない。……心配したの。不安で……貴方が、いなくなるかもしれないと思って」

 表情が崩れて安心した。一瞬、ジョゼさんと寄りを戻したのかと考えた。心臓が痛かった。それでもラーナさんが幸せならそれでいいと口では何とでも言えるのに、実際にそうなったらやっぱり苦しい。

「帰りましょう?」

 ラーナさんのお腹に掴まれていない方の手を差しいれて身を寄せる。胸の間に顔を押し付けて密着させる。

「……ごめんなさい。痛かった?」

「ううん。オレにはラーナさんが必要だ。だからそんな冷たい目でオレを見ないでくれ」

「ごっごめんなさい。あーもうどうしよっ。もー……私ったら……ほんと。違うの。違うのよ? 貴方がいない間、貴方が出て行く想像とか貴方が他の女といちゃついている想像をしたら予想以上に殺意が湧いて、違うの。違うの」

「……なんだそれだけか」

「ごめんなさい。あんまり帰りが遅いからつい……」

 安心したかった。許されたかった。受け入れられたかった。

 それは愛なのかと問われると困った。

「……だから自分で歩けるって」

 そんな事を考えているうちに籠をとられ、持ち上げられて連れていかれた。だから力が強いって。もうゴリラだよこの人。

 一度ギルドに寄り薬草を提出する。籠の中を見た眼鏡にあきれられた。なぜキノコが入っているのかを問い詰められた。これは夕食だと告げて分ける。薬草の種類や葉の数が多いので明日また来いと言われた。メガミシリーズは家に持ち帰る予定だったけれど、これもギルドに卸して欲しいと言われたので卸した。眼鏡ってちゃんと寝ているのか疑問になって聞くと、ほどほどに寝ていると言われた。

 キノコを持ち帰るために籠を借りていいか聞くと、明日の報酬受け取り時に返せばいいとも言われた。

 ギルドを出るとラーナが待っていて。

「随分とあの眼鏡と仲がいいのね」

 と口を引きつらせていた。

 いや、奴は男だ。そしてお前も眼鏡って呼んでいるのかと笑ってしまった。

 そうしてまた抱えられて家まで連れていかれる。

「だから自分で歩けるって」

「嫌なの。こうしてないと不安になるの」

「もー」

「……何考えてるの?」

 言おうかどうか迷ったけれど、素直に言う事にする。

「ラーナさんと一緒にいたくてたまらない。そればっかり考えている。ずっとくっついていたい」

 嫌われたり打たれたり悪態をつかれたりすると身構えていたけれど、ラーナの足が早まっただけだった。

 夕ご飯を作っている間は常に背中にへばりついていることを強要され、後ろから抱えられながら夕食を食べた。ラーナさんは意外と人肌恋しいのかもしれない。

「あのね。今日、ちゃんと別れて来たから……」

「……そうなの?」

「うん」

 そもそもこの世界における結婚のシステムを把握していない。

 聞いてみると、この世界における結婚は口約束のようなものなのだそうだ。特に権利や特権が付与されるわけじゃないらしい。貴族や王族の真似事。やり方も簡単で、この村ならば聖境会に置いてある婚姻の紙に双方の名前とルールを記入するだけなのだそうだ。

 この紙は契約に使用される紙で、双方が決めた約束に齟齬が生じると効力を失い破けるようになる。今日はそれをジョゼさんの前で破いてみせ燃やしたらしい。約束の齟齬がなければ紙は破けないわけで、破けてしまったので離婚の成立となるわけだ。

 この約束と言うのは双方が決めていいらしい。同じでも違っても良い。

 少し振り返り体重を預けながら右手でラーナの右頬を撫で、顎下に唇を這わせる。指先の平でなぞるライン。

「……すぐそう言うことする。なんなの? めちゃくちゃにされたいの?」

「……なぜそうなる。普通に恋人ならするでしょ」

「こっこいびと……ちっ違うもん。妻だもん」

「まだ結婚はしてないでしょ。恋人でも……いいよね? 正式に、恋人で、いいよね?」

「ふっふひっ。はい……なんでだろ。貴方と一緒にいると私……」

 手を取って頬擦りをする。やっと正式に恋人になれた。

「やっと正式に恋人……だ。ずっと一緒だ」

 そう告げると持ち上げられて、抱えられて部屋のある方へ歩き出されてしまう。

「まだご飯食べてるって」

「貴方が悪い‼ 貴方が全部悪い‼ もう無理‼ 我慢できない‼ 無理無理無理‼」

 部屋の中で、ラーナさんが求める以上にオレはラーナさんを求めた。一緒にいられることが救いだった。胸元に埋もれて頬ずりを――強く力を込めて肌を押し付ける。離したくない。離れたくない。これ以上くっつけないのがもどかしいと骨が食い込むのも構わない。

 とにかく肌を擦り合わせたい。重ね合わせる唇は止まらず、離れては寄せて、寄せては離れて、強く、弱く、這わせるように、撫でるように、舌なめずりで――腕を押さえられてひっくり返される。

「フーッ‼ フーッ‼」

 顔を真っ赤にして瞳孔の開いたラーナは獣のように息が荒かった。こめかみに浮かんだ血管、全身の筋肉が脈動している――受け入れるから大丈夫。

 【イグニッション】。

 獣のような荒々しさで何度も何度も求められ、打ち身や切り傷、噛み傷、擦り傷が出来て痛いのに、それすらも愛おしさに酔っていた。

 やがてぐったりとしたラーナの頬に唇を寄せる。唇の先に伝わる熱い頬の蒸気。

 ゆっくりと密着して、ゆっくりゆっくり――朧気な瞳、優しく優しく染め上げて、もたげたラーナの指が頬を撫で、柔らかく唇を合わせ混ざり合う。

 少しにおう。床を擦る指。表面につく僅かな砂。水の音。ベッドの縁。柔らかい場所と硬い所。ひんやりとした空気。寒いと擦り合わせる。純粋とは程遠く、濁り濁る。

 目を閉じれば深く深く沈む。

 膝に頭を乗せて眠るラーナの髪を撫でていた。

 身に染みて、ただ、ただ卑怯にもラーナさんが幸せであり続けることを願う。伸びて来た手の平が頬を撫で、その上から手を重ね平に唇を当てて柔らかく何度も擦りつける。

 ラーナさんは傷ついたのだ。傷ついてどうしようもなかった。オレだってラーナさんと同じ状況になったら辛い。たまたま選ばれたのがオレなのかもしれない。

 メイリアの事もある。遠すぎて視線すら届かない。

 腕で体を支えもたげ、胸の中へと納まりくる。そんなラーナさんが癒されることだけを考えていた。それと同時に離れたくなくて仕方がなかった。

 オレも甘えたくてたまらない。結局は自分の傷を舐めているだけなのかもしれない。

 頬に、顎に、こめかみに、伝わるように、癒されますように、手に、腕に、指先に、鎖骨に、どうか癒されますようにと。ラーナさんの事を考えながら寄り添った。

「……でた。卑怯技」

「……意味がわかりません」

 笑みに変わったその表情を胸に抱きしめ、ただ髪を撫でていた。

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