第14話

 未知の異物が混入しました。

 フェアリープログラム【ニムエ】を起動します。

 おはようございます。No.6。フェノメナ。支援プログラム。ニムエです。

 再生シークエンスへ移行します。

 記憶領域に破損を確認――再生を試みます……失敗。記憶の再生に失敗しました。人類との差異を確認。再生シークエンスの機能不備が確認されました。

 対竜種格闘戦術類としての不備が認められます。自壊プログラ……シライシプログラムが想起されました。自壊プログラムは上書きされます。

 ようこそNo.6――伝言をお預かりしております。

「好きに生きな」

 以上です。

 再起動されます……再生プログラムが強制実行されました。エネルギーの不足を確認。随時補充されます。

 人類との差異によりフェアリーアイは再生できませんでした。

「はえー……。これはなかなか……ふんふん、ノーマル体? ノーマル体を……人類が弄ったのかな? うーん……こんなもんかな? 女神の私が認証します。世界の創造主たる女神のこの私が、貴方がこの世界に存在することを許します」

 フェアリーアイの再生シークエンスが再起動されました。

 ERROR――エネルギーが不足しています。再生は随時行われます。

「はえー……」

 再起動します……。

「ぽんぽこぽん‼」

 おはようございます。対竜種格闘戦術類No.6。Typeフェノメナ。――任務を確認します……最優先任務はありません。

 最後に達成した任務は惑星β22B上に存在する竜類の根絶です。

 良く出来ましたね。わたくし、ニムエは貴方を誇りに思います。


 記憶のサルページが行われます。


 意識を失い痛みで目を覚まし、痛みで意識を失い痛みで目を覚ます。


 最後に見た景色はひどかったよ。

「ごめんね。No.9。マリア姉」

「いいさ。殺されるのなら、お前だと思っていた」

 その言葉と眼差しを覚えている。

「お前は生きろ」

 その言葉を聞きたくなかった。

 みんな死んだ。みんな死んでしまった。たった一人で生きろと言う。

 同胞はみんな死んだ。それでも生きろと言う。


 世界の終わりを見ていた――母が腕の中で凍えていく。その目は優しげで濡れそぼる手が頬を撫でていた。頬は冷たかった。

 一番強くなったよ。お母さん。

 人間らしさとは何か聞かれた時、ボクは人間らしさを優しさだと言った。でも母はそうじゃないと笑った。正義感だってお母さんは言った。

 裏切りも嘘も騙し合いも自然界では自然なものだ。獣だって我が子に愛情を持つ。だから愛や優しさは人間らしさじゃないよと母は少し笑った。

「獣にあって人に無いのは正義感だけよ。自分は正しいという思い込みだけだが人間らしい」

 母は、そう言った。

 そのためなら自らの命をも投げ出し、大義のためなら奪うのも躊躇わない。

 理性と狂気でお前を作った――。

 竜を殺すよ。龍を殺すよ。正義感で、竜を殺すよ。

 人類は竜類に負けた。その事実は未来永劫変わらないけれど。

 人間は隕石が落ちて地軸が傾かなければ生まれない種族だった。

 外へ出て、人類は己が劣等種であることを知ったのだ。かつて、ガラパゴスで保護されていた生き物達のように。

 宇宙の星々は人類の物にはならなかった。だって星は、その星で生まれる生き物のものだから。母星を食らいつくした人類の移星は認められなかった。人類は、利己的な悪になるしかなかった。侵略を繰り返すしかなかった人類が、滅ぼされるのは仕方ないのかもしれない。

 最初に何処かの誰かが行った資源採掘と言う名の侵略のツケを、そのツケを人類は支払わなければならなかった。

 だからボクらは作られた。

 スキップしながら竜を侵略するために。星を滅ぼすために。

 ……ERROR。シライシプログラムにより記憶のサルページは破棄されました。

 支援プログラム【ニムエ】はエネルギー不足により休眠状態へ移行します。

 おやすみNo.6。

「いい子だね。私のfool君」



 別れは唐突で最初は心臓が痛かった。

 部屋の中、そして帽子の中でお腹の上に頭を乗せた彼女は言った。

「ここでお別れね」

 何を言っているのか理解を頭が拒否していた。瞳孔が開くのを強く感じた。

「……そう」

 ただそれしか言えなかった。それだけしか言えなかった。

「明日、ここを発つわ」

「何処に……何処にいくの?」

 傷口からじわりとボクが滲みだしてくる。

「国に帰るわ。剣を国に返すの」

「そう……」

 オレも一緒に――そう言いたかったが言えなかった。ついて来てと言ってくれるのを待ったけれど、彼女はついて来てとは言ってくれなかった。

 その晩は焦りと変な冷汗で良く眠れなかった。

 次の日、少しの気まずい空気を感じたけれど彼女は普通だった。求められ朝食を食べ、求められ用を済まし、求められオオイヌ輸送を利用すると言う。その間も一緒に来てとは言ってくれなかった。

 いよいよ別れるってなった時、我慢できなくて彼女を強く抱きしめて拘束してしまった。

「……いくな。ダメだ。行かせない。いくなっ」

 苦しさのあまり縋り付くと、彼女は嬉しそうに微笑んで、その微笑みを見て受け入れてくれるとオレは考えた。でも違った。

「ごめんなさい。ここでお別れよ」

 そう告げる彼女が恨めしくて心臓が痛くて、帽子の中に連れ込んで拘束して――何度も何度も重ねたけれど、彼女の考えは変わらなかった。

 嫌だと言うオレを子供をあやすかのように抱きしめてひたすらに受け入れ続けた。

「ダメだ‼ 一緒にいたい‼」

 そう縋るオレを抱きしめて、受け入れて柔らかく、優しく、それが私にできる貴方へのお礼だと言わぬばかりに……どうしようもなかった。彼女の答えは変わらない。

「オレも……オレも一緒に……」

 行くというセリフが喉につかえて言えなかった。

「ごめんない。お別れなの……」

 オレが与えるどんな快楽でも彼女を虜にすることはできなかった。

 オオイヌ便に乗り、去る彼女を見ていた。村から離れていく彼女を見ていた。泣きたくなんかないのに泣きじゃくり、膝を折るオレを見ても彼女は戻って来てはくれなかった。

 そのまま気絶してしまい、気が付いた時には宿の一室へ運ばれ、高熱に魘(うな)され動けずに、意識の混濁を繰り返してひたすらに悶えた。

 その間、宿の女将であるラーナさんが世話をしてくれたのに、そんな事が全部どうでも良くて、ただミラジェーヌに戻って来てほしかった。

 ただそれだけだった。戻って来てくれるのなら何もいらないと考えた。メイリアを思い出して苦しかった。もうメイリアはどうでもいいのと問われて苦しかった。うなされ泣いて、楽になりたいと願ったけれど、楽にはなれなかった。

 帰って来て、傍にいて、何処にも行かないで。なんでオレは彼女を無理やりにでも拘束しなかったのか。そればかりを悔やんでいた。自分勝手な最低な奴なのは昔からだけれど、この苦しさから逃れられるのなら、悪党になっても構わなかった。風邪薬が無いというだけでこんな地獄の苦しみを味わうとは考えていなかった。

 人を殺したボクが、愛されるわけないじゃないか。選ばれるわけないじゃないか……。

 頭が割れるほど痛く、目の奥が刺されるように痛かった。なぜこんなに頭が痛いのか理解できず、どんなに眠っても痛みが解放してくれることはなかった。

 変な夢ばかりを見る。

 目の前に表示される文字と頭に響く音ではない音に犯されていた。

 心が痛いのか頭が痛いのか、混濁して理解できなかった。どうしてまだ死なないのか不思議だった。いっそうの事殺してくれと願ったが、ラーナさんはオレを殺してはくれなかった。

 一週間も経つと痛みは引き始め、黒く戻り始めていた髪がまた黒灰色に戻っていた。

「……すみません。ありがとうございます」

 顔を布で拭われて、ラーナさんが傍にいることに気が付いた。

「いいのよ。すごく魘されていたけれど、峠は越えたみたいね。小さな村だから正式なお医者さんがいなくてね。私みたいな素人の看病でごめんなさいね」

「……いえ、助かりました」

「相当心労が溜まっていたみたいね。魔物を食べたでしょ? 魔物の肉は慣れた人じゃないと今回みたいな症状を引き起こすから次からは気を付けないとダメだぞ」

「……はい」

「でも一回こうなったら次からは食べても大丈夫みたいよ」

「そうなのですか」

「体拭くわね」

「もう……大丈夫です。自分で拭きますから」

「ダメよ。ほらっ……服を脱いで背中向けなさい」

 看病されている時に、もう裸は見られていたので恥ずかしいもへったくれもなかった。ただ申し訳ない気持ちだけがあり、拭って貰うのも申し訳なかった。見ず知らずのオレを看病してくれて素直に感謝の念が絶えなかった。

「立てる?」

「……自分で拭きます」

「病人は黙って従いなさい」

 押しが強いのか、オレが押しに弱いのか。服を脱いで立ち上がると、まだふらふらとしていた。股間や尻まで拭われる。帽子の中へ入れば済むことなのだが、それを言うのは看病してくれているラーナさんに悪いと考えてしまった。

 拭き終えたら寝間着を着せられて、また横になる。

「お腹……空いている? 食べられそう? 食べられる?」

「大丈夫です」

「ううん。いいのよ。病人なんだから。じゃあ……ラロッツァを持ってくるわね」

「……すみません。何から何まで」

 オレはこの宿に幾ら払えばいいのか料金が心配で胃がキリキリとしてきた。借金なんて冗談じゃない。

 換金したお金の大半は……名前が思い出せない。顔は思い出せるのに名前が思い出せなかった。あんなに……一緒にいたのに。

「いっつ……」

 目の中が裂けるような痛みに襲われて手で押さえていた。雷が目の中で縦に走るような痛みが何度か瞬き、目を閉じているのに明るかった。目を閉じているのに光を感じて目が痛かった。

「クソが……」

 思わず悪態をついてしまった。目の中で雷が何度も瞬いて、やがておさまっていくと痛み始めた。

 あれから――あれから……あれから、なんだっけ。


 村に到着すると真っ先に猟兵ギルド【ブラックドッグ】へと赴く事になった。

 お金が必要だったからだ。何をするにも人の世界で生きるのにはお金が必要で、帽子の中に納めていた素材を取り出して売りお金に変えた。

 村の中に入るのにも戸惑い、遅れを取るオレを見て微笑み、ミラはギルドへと案内してくれた。オレが所属していない旨を伝えると、ギルドでの手続きもミラが積極的に行ってくれて、オレは返事と記載をするだけでスルスルとギルドに入れてしまった。

 山の上から見た村の印象はだいぶ辺鄙な場所にある村だというもので、実際小さくてのどかな村だった。周りが森である以上魔物にも襲われるはず――それなのに倒してきた魔物に対して村は遥かにのどかで緩やかだった。

 どうしてかと疑問に考えていると――ミラは少し微笑んで少し笑って、少しくすぐるように。

「聖境会(せいきょうかい、聖マリアンヌ、ジャジメント)が、そこにある聖石で村を保護しているのよ」

 息の触れる距離で耳がこそばゆかった。

 水路を媒介とし展開される境界線のおかげで村の中へ魔物が侵入してくることが滅多に無く、またその水を吸い育った植物が魔物を遠ざける力を持つ。

 この二つの相乗効果に守られて村は魔物を遠ざけ住める土地が広がり発展していくとミラは言った。

 村が存続すれば存続するほどに聖域は広がり人の住める土地も広がる。

 だからオーク等の人型の魔物は徒党を組み、好んで村を襲う。聖域が広がるのを防ぐためだ。

 猟兵になった。でもまずは星一つからだと言われた。タグを渡されて首にかけるように言われ、平たい鈍色のタグの端っこには星マークが一つだけついていて、ミラが紛失したと再発行されたタグの星マークは六つだった。

 素材を提出して査定を待つ間、ミラがこの世界のお金について教えてくれた。

 ギンと言うのがこの国でのお金の呼び方で、お金は聖境会が価値を管理しており、ほとんどの国で価値が共通なのだそうだ。硬貨は三つ、小霊銀貨(しょうれいぎんか)、霊銀貨(れいぎんか)、大霊銀貨(だいれいぎんか)。小霊銀十枚で霊銀一枚、霊銀十枚で大霊銀一枚。小霊銀は灰色の金属を鋳造して作られており小さい。霊銀貨は小霊銀貨より一回り大きく、真ん中に穴がある。大霊銀もおそらく同じ素材で霊銀貨よりもさらに一回り大きい。銀貨には乙女の絵が描かれている。この上には霊銀符と呼ばれる金属製の御札の貨幣もある。紙幣と言いたい所だけれど、紙で出来ていない。これも紙幣と呼んでいいのだろうか。

 乙女の絵は欠け耳聖マリアンヌを象っているのだそうだ。

 聖女マリアンヌ。史実で耳が欠けていたらしい。

 こんなもの偽造し放題じゃないかと考えたがそう簡単には行かないようだ。

 銀貨には種類によって表と裏が磁石のように貼り付く魔術が込められており、一目で贋金と区別できる。又聖なる金属で製造されているため、浄化の作用を持っているのだそうだ。

 聖境会は国ではなくあくまでも宗教団体で、一つの国と親密になることが禁じられている。聖女の領域。正確には聖地であり国ではないのだそうだ。

 国々も独自のお金を作ってはいるけれど、全国共通で使える霊銀が利便性に富み贋金率も低いため普及していない。

 銀貨とその他の貨幣では換金率が異なるのも一つの要因で、所謂為替が存在し、換金詐欺も横行するので他の貨幣の評価はますます低くなっている。

 国にとってそれは面白いことではなく、そのために聖境会には厳しい掟が設けられているのだそうだ。

 原則女性しか所属を許されず、また所属した女性を修道女(ピュラ)と呼び、純潔であることを要求される。人心を利用し一国家が強い権力を握るのを阻止するためだと理解はできる。強い掟があるために聖境会は国に受け入れられ、そして認められているとミラは言った。

 その代わりに貨幣管理製造権利及び、聖魔術を優先的に与えられ人々を癒すことができる。

 純潔を要求されるのは、政略結婚などによる境会への介入を防ぐため――らしい。

 修道女自体をやめるのは簡単なのだそうだ。

 修道女は一つの理念に基づき動き、その他、主義主張は認められない。

 例え万人だろうが容赦なく追放され罰せられる。

 まるで見て来たようだとミラに伝えると、幼少の頃は聖域で育ったのよとミラは笑って言った。聖域自体が人を振り分ける結界の中にあり、強制的に追い出されるのだそうだ。


 ミラがギルドへ提出した素材は少なく、あまり多いと村では捌けないようだった。

 何度か他の人に話しかけられたが、ミラが対応してくれて、オレはのんびり水を飲み様子を眺めていた。どうも服装が良くないらしい。ボロのワンピースだからだ。逃亡奴隷か浮浪者に思われていると言われた。


 村の設立には湧き水の豊富な場所が選ばれる。

 その湧き水の源流に境会を建てて聖石を沈め、水の力を利用して境界を作り基盤とする。

 この聖石というものを一度見てみたいけれど、一般人がお目通りできるわけもなかった。

 それはそうだよな。

 そうしてギルドで素材をお金に変換し、着る物を整えて宿をとった……。

 素材を売り切るまでの数週間は随分と穏やかだった。今までの出来事は嘘で蜃気楼のようで、そして朧気で、この村で生まれたのかと勘違いするほどに穏やかだった。だがメイリアの存在だけが強く脳裏に残り、そんなことはありえないと――。

 ミラは甲斐甲斐しく――夕食に食べている肉の脂が頬へつき、視野に入る影にふと見上げ、微笑みと。

 丹花(たんか)になぞられのぞき拭われて、頬擦りと鼻先が擦れる。

 手を合わせれば近く、息が触れるように近く、視線は絡まり眺めても良く。流して撫で撫でられて、酔いそうなほど息は深く、鼓動すら聞こえ。

 時に子供のように扱われ困る。抱きかかえられて内に納められ、頭や髪を撫でられて、頬ずりと。胸の内に抱えられて全身を這い、絡まる視線と触れ合う口内に果てることもなく慈しみ眠りゆく。平を撫でられ浮かび上がり、鼻をすするように体をもたげ、掴んでは深く、コンコンと雪が降り積もるよう。微睡みは春に似て。


 「なんでワンピースなんだよ……」

「いいじゃない」

 革の防具を身につけるミラに反してオレは村娘が着るようなワンピースをあてがわれ困った。髪を整えられ、短くしたいと伝えると、もったいないと却下された。

 スカートの中へ滑り込む手に惑い。

 触れることを許されて、触れることを許す。

 雪解けに似て淡雪に似て、頬から流れ流れて。

 彼女の口から洩れた言の葉として。

 落ちて。


 別れへと。

「うぅぅ」

 いてぇ。何もかもが痛んで痛かった。

 刻まれた傷が開き悲鳴を上げる。

 今は残り香すら恨めしい。


 ドアが開く音と空気の振動を感じて視線を向ける。ラーナさんと……男性が入って来た。

 何よりも鼻孔をくすぐるいい匂い。

「おっ、意識が戻ったか」

「ジョゼ、静かにね」

「わかってるよ」

 体を起こそうと――ジョゼと呼ばれていた男性に手で制される。

「そのままで大丈夫だ。俺はこの街の自警団に所属しているジョゼってもんさ。お前さんを宿まで運んだのは俺さ」

「……それは、すみません。ありがとうございます。気が付きもせず」

「いいってことよ。持ちつ持たれつってね。何か困った事があったらいつでも頼ってくれ。話はそれだけなんだけどな」

「何カッコつけているのよ。貴方はただおろおろ見ていただけでしょ? 運んだのはあたしよ」

「いや、俺だって手伝っただろ。ったく。じゃあラーナ。俺は仕事に戻るよ。また後で」

「えぇ」

 ジョゼさんがラーナさんの肩に手を当てて、その距離の近さから二人が親しい関係であるのが見て取れた。ラーナさんは既婚者だと聞いたので夫がジョゼさんなのかもしれない。

「気にしないでね。あの人は何時もあぁなのよ。悪い人じゃ……ふぅ。悪い人じゃないのよ?」

「はい」

 匂いを可視化するのなら、視線はラーナさんの持っている皿に吸い寄せられていた。湯気に混じり流れるいい香りとクリーム色の……お粥みたいなぐじゃぐじゃ。何よりもニオイが良い。香ばしいと言うよりはスパイスのような――スパイスのようでありながら刺激が柔らかと言うか、ハーブみたいだ。

 体を起こすとぎこちなく痛かった。痛みよりもそれを早く口に運びたかった。唾を呑み、ラーナさんの苦笑いを感じて気まずさが滲む。

「まだ熱いからちょっと待ってね」

 傍に座ると、木のスプーンにすくい上げ、息を吹きかけている。なんだそれは。それで熱が和らぐのだろうか。

「フーッフーッ」

 ラーナさんはスプーンに口を付け、唇で熱さを判断しているようだった。

「こんなもんかな」

 差し出されたスプーン――口を開けると入れられて傾けられる。舌の上に落ちた瞬間一つの感情に体全体が支配された。脳の神経全体へと広がり感じて咀嚼を繰り返す。

 料理。料理だ。素朴な味わいが何処か懐かしかった。姉(No.9)を思い出し……しかしオレは姉(第一王女)にご飯を作って貰った覚えはなかった。

「食べられそう?」

「美味しい」

 自然と笑顔になった。こんなに美味しいものを食べたことがなかった。今までで一番美味しいと感じた。

「ほんと? 良かったわ。食べ終わったらまた体を休めて」

 次の日、立ち上がると視界が揺れて足を上手に操れなかった。少し何処か変。歩くと少し変。違和感がある。視界と体のズレを感じる。体が軋む。

 帽子を手に取り――お金の事が脳裏を過る。

 部屋のドアを開けると改めて自分が宿の一室にいる事を知った。感慨深くなる。一週間もいると自分の部屋のように感じてニオイがあって、それなのに新鮮で少しだけ高揚している。

 木で出来た階段。綺麗に並んではいる。でも粗暴で汚れも目立った。

 一階に降りるとラーナさんが台所に立っており、オレを見つけると顔を引きつらせて駆け寄ってきた。

「大丈夫なの⁉ 動いて平気!?」

 そんなに心配される謂れは無いのだが。よっぽどひどい状態だったのだろうなと感じる。まぁ今もそんな変わりはないか。

「少しふらふらするけれど、大丈夫です」

「……そう。って、ふらふらするなら寝てないとダメでしょう?」

「もう痛みは無いので大丈夫です」

「あのねぇ? こういうのはね? 治りかけが一番大事なの。無理をしてはいけません」

「もう動けますから」

「良くありません‼ 怒るよ⁉ ほらっ‼ 待ちなさい‼」

「ちょっと‼」

 強引に抱き上げられて部屋に連れ戻され、またお粥のようなものを持って来られて食べさせられてしまった。そこからもう大丈夫だと言っているのにさらに一週間お世話に。

 ただお世話になるだけなのは申し訳ないので簡単な手伝いを願い出る。

 正直言うとお金がない。ミラを考えると苦しくて動けないとも感じるけれど、それと宿代は関係ない。払えないと開き直りたくなかった。善意を無下にしたくなかった。

 何かをしていれば、気が紛れるかもしれないのも確かで、なによりラーナさんは明るくてつられるように傍にいると楽だった。

 ラーナさんは宿を経営しながら色々な仕事をしているようだ。

 宿へ宿泊するのが一日に一人か二人なので、意外と暇なのだとラーナさんは笑った。

 まずは太い植物の茎を渡されて紙を作ると言われた。

 木の幹のように大きな緑色の丸い茎の中身、髄を取り出す。丸みから外側緑のガワを切り取り四角に成形する。正方形を作ったら、卵切り機のような茎切り機があるのでそこへ茎をセットし、体重をかけて薄くスライスする。そうして出来た薄っぺらい髄を大きな木の桶に入れて水に浸し、そのまま数日放置。数日経つとふにゃふにゃになるので、ふにゃふゃになったら取り出して重ね、石を乗せて水分を取り除き天日干ししたら紙の出来上がりだ。

 これがこの世界の一般的な紙らしい。

 百枚で霊銀貨十枚と取引される。

 経営している宿が素泊まり小霊銀五枚、食事つきで霊銀一枚になるので数をこなせば結構なお小遣いになるとラーナさんは言った。しかし残念ながら原料となる紙にはシーズンがあり、取れない季節の方が多いとのこと。

 だから専業は不可能。

 取れる数も決まっており、植物は街の外に生えるので取りに行くにも色々手間がかかるようだった。

 猟兵に依頼として頼むのが一般的で一回の依頼に手数料霊銀貨一枚と報酬に霊銀貨三枚から五枚かかる。純利益は実質十枚毎に霊銀貨五~六枚程度になるとの事。シーズンになったら数をこなすのだそうだ。


 あと水飴も作っていた。水蜜糖と言うらしい。

 街の近くの湖に生えている植物の種を取って来て発芽させ、ある程度育ったら砕いて混ぜて泥状にする。街で栽培している芋を買って来て茹で、柔らかくなったら繊維を綺麗に取り除き先ほどの泥状にした種と混ぜ合わせ、水を足し時間を置く。この時、少量を別に分け、鍋に入れて煮込んだ物がラロッツァのようだ。

 別名ラーロ粥。とても甘くて解析データでも栄養価が高いのが認められる。

 まぁそれが人間に必要な栄養かどうは別として色々な種類の栄養が含まれているのは確かだ。

 これがめちゃくちゃ旨い。めちゃくちゃ旨い。マジでうまい。語彙が貧弱になるほどうまい。これが出て来ただけで皆、目の色が変わる。マジでめちゃくちゃ旨い。ただ残念な事に食べ過ぎるとお腹を壊すので少量しか作らないのだそうだ。

 一晩置いた種からは水分が排出され濾過して抽出した水だけを茹でる。余計な水分を飛ばすとやがて小麦色になり、粘りが出て水蜜糖ができる。

 この世界での一般的な糖の一つで、あらゆる料理に使われる。味は素朴だけれど甘くておいしい。

 ……夜は寂しくて苦しくなる。

 泣いているとラーナさんが眠るまで手を握ってくれた。

 申し訳なくなる。オレはそこまで子供ではない。

「オレはそこまで子供じゃない」

 そう告げると。

「辛い人に大人も子供もありません」

 そう言われた。申し訳なくなる。

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