第13話

 夜が明けて朝が過ぎ昼を越え、膝枕をしながらミラが目を覚ますのを待った。

 何はともあれミラジェーヌの安全は確保する。オレの過去はオレの行動とは関係が無い。過去に流されて他の誰かを巻き添えにするわけにはいかなかった。

 頬を撫でられる感触がしてミラの手がオレの頬を撫でていた。視線を下げると柔らかな目元のミラと目が合った。もう青い顔じゃない。

「……貴方の目の下のクマは消えないのね」

「生まれつきだ」

 日が傾き、世界が傾いていく――起き上がったミラの体重を感じ、頬に唇の弾力が幾度も浮き沈む。握られた手と近いミラの表情。柔らかく笑み、鼻や唇が何度も頬を撫でてきていた。

 外で寝るのは辛い。音がうるさい。風の音が何よりもうるさい。魔物に襲われるという妄想と警鐘が鳴るので寝るのはやはり帽子の中が良いと感じた。

 それでも日陰の下、耳を両手で塞ぎ、【キャットネイルファンタジア】の猫で囲い込み、傍にさへいれば外でも眠れたようだ。

「……ずっと起きていたの? 私のため? ばかっ。交代するから少し寝た方がいい」

「別に大丈夫だ」

 寝なくとも回復魔術で何とかなる。

 魔力で水を作ってもいいけれど、魔力で作った水を飲んでも魔術を解けば水は魔力に戻ってしまうので意味がない。

 一度帽子の中へ入り、汚れを分解したら外へ戻る。露が下りているので植物の葉の表面についた水滴を舐めてまわる。

 不自然だが何処からか飛んできたのか、落ちていた一枚の大きな葉っぱを拾い、水滴を集め、少し飲んで【解析】し、大丈夫な事を確認してからミラに差し出した。

 ミラは嬉しそうに微笑んで、コクコクと水を飲みこんでいた。

「おい」

「……するの」

 立ったままだとミラの膝がガクガクするので支えるのに不本意ながら魔術を使った。

 流れ込んでくる唾液と水分が喉を潤していく。

 ひとしきり喉を潤したらまた上に向けて歩きだす――どうも魔物という生物には縄張りというものがあるようだ。一定の領土を掌握している強力な一体の魔物がおり、その魔物を頂点に有象無象の魔物がいる。

 蜘蛛なのかサソリなのかアリなのか判別に困る魔物がいた――ただ【イグニッション】を体現できるようになったオレの体も色々おかしかった。【纏】で賄える重さが増えたからかもしれない。恐怖はある。恐怖はあるのだ。伸びてきた大きなカニ状の爪を掴み、掴んだ瞬間、これは壊せそうだと直感した。掴んだ指に力を込めると指は食い込み爪の殻が割れていく。

 視野、駆けるミラジェーヌの剣線が、サソリ状の尾の先端を斬り飛ばし、眼前に広がる魔物の口の無数の顎、オレを飲み込もうともしゃもしゃ動く。

 蜘蛛は肉などを消化液で溶かして吸う吸収性のはずだ。しかしコイツは吸うと言うよりはかみ砕く口をしている。明確には蜘蛛じゃないのかもしれない。やっぱりサソリなのか。

 いや、蜘蛛の全てを知っているわけじゃない。肉団子を食う蜘蛛だっているだろう。蜘蛛の何を知っている気になっているのか不明だ。オレの頭も相当硬い。肉食の芋虫だっている。

 ミラジェーヌに応戦しようとする蜘蛛サソリアリはオレが両爪を掴んでいるので方向転換できないようだった。今のオレはこの蜘蛛サソリアリより体重が重いらしい。先端の無くなった尾をペシペシとオレの頭に振り下ろし、なぜ刺せないのか気づいていない。ミラが足を斬り胴体真下に滑りこむと光が瞬く。赤い剣線が残滓として残り目を細めた。腹と頭がお別れをしたがどうやら足は頭についているようだ。腹と頭が別れたのにまだ生きてやがる。ドロリと大きな一滴、緑の体液の陰影が見え、命の危機を感じたのか足がじたばたと動く。コイツの足――毛が。

「ミラ‼ 足に飛び乗るなよ‼ この毛は針だ‼」

「わかっていますの‼」

 いやお前今駆けて足を踏んで飛ぼうとしていただろ。

 スライディングへと切り替えたのか頭の下へ入って行き――剣が脳天を突き抜けて出て来た。足が痙攣し徐々に動きが鈍くなっていく。

 【バターナイフ】は便利だ。熱で傷口を焼くから出血がほとんどない。

「いったー……」

 コイツ馬鹿だろ。そんな軽装で砂利の上をスライディングしたら擦りむけるに決まっているのに。削れた皮膚を【継いで補修する】で癒す。しかし表面は赤くなっているがほとんど出血はなかった。

「ありがとう」

 コメカミに唇を押し付けられて変な気分だ。

 それにしても果たしてコイツは食えるのか――。

「ネクロスコルピオは顎の根元に消化線があります。だからこの顎の奥にある二本の牙を丁寧に引き抜くと――ほらっこれ、売れるのよ?」

 黄色く粘っこい袋の付いた牙を持ち歩く気にはなれない。入れ物でもあれば中身を移せるだろうけれど入れ物がない。

 傍に行き足に触れるとやはり足の毛は鋭く棘状になっていた。絡まったら大変そうだ。

「ちなみにコレ、食えるの?」

「食べた事はないけど、食べられるようよ?」

「食べた事無いのか」

「この子は星六つの魔物です。単独での討伐は推奨されません」

 また星か。

「食べ方はネクロタラントと同じのはず。見た文献では脳みそが美味しいらしいです。ふふふっ殿方にはとても良く効くらしいですわ」

 さすがに脳みそを食べる気にはなれなかった。

 生き物を殺した。人間を殺した。愉しみながら殺した。食べるために殺した。ジュシュアを殺した。兵士を殺した。ムカついたから殺した。生きるために殺した。

「どうかしたの?」

 心配そうにのぞき込んでくるミラが不思議でしょうがない。

「……命を奪う行為が心につかえるんだ」

「……ジュシュアの事、気にしているのですね。あの方は確かに尊敬できる方でした。でも犯罪者に未来はありません」

「ジュシュアの事とは言ってねーだろ」

 仲間を殺されたお前の前でそれを言うわけがないだろ。でもそうか。そう捉えられても仕方が無い。

 顔を近づけてコメカミに唇をつける。

 そうするとミラの顔はニマーと笑った。

「もしかして……妬いているの?」

 そうではない。

 やはり何処か壊れてしまったのかもしれない。

 指の間にするりと混ざり込んでくる手を握り返し、オレから求める。彼女がそれを望んでいるからだ。それを知っているのだろう。彼女は嬉しそうにニンマリと笑んだ。

 マンネリとはほど遠く、快楽を反芻しご褒美みたいに強請り困る。餌付けされるイルカみたいに。芸を仕込まれる犬みたいに。


 火を焚いて食事をとっている間にも魔物に襲われる。肉を齧りながら飛び掛かって来た狼のような魔物の顎を蹴り上げていた。ハイエナって大変そう。

 【バターナイフ】の複製を試してみたが、不可能ではないものの、柄に使われている金属があまりにも複雑すぎて生成までに三十分かかり、さらに刃を生成するのに一時間ぐらいかかりそうだった。しかも魔力の放出をやめれば消えてしまう。燃費がいいのか悪いのかどっちなんだ。いや、時間は計れないから体感だ。もしかしたら半日ぐらいかかるかもしれない。いや、時間なんか計れないだろ。日時計でも利用するのか。一日は何時間なんだ。

 宝物は技術の結晶か神の産物であることが伺えて困る。

 縄張りの王がいなくなったからか、新しい縄張りの王を決めるかの如く集結してきた魔物をひたすらに肉を齧りながら蹴っていた。

 ミラの剣線だけが軌跡を残し、ミラ自身が怪我をしないように注意をして見ていたが、ミラの動きは鋭さを増してあの時のジュシュアの速さに近い形へ変わっていくのを感じて首を撫でていた。

 【宝剣バターナイフ】。

 幅の広い両刃の剣で先端は平たい。先端の平たい部分にも刃があり、刃こぼれも多数ある。けれど、この刃こぼれすら何かの模様のように感じた。表面こそ何の変哲もない剣に見えるけれど内部には緻密な溝が迷路のように乱立しており、魔力を熱に変換する機能を有している。高温を刃全体で均一に発し、なおかつそれが柄には伝わらない。

 このような熱を発すれば、空気を歪ませるほどの熱気が立ち上りそうなものだが、ありえないことに、この剣は、刃に触れなければ熱を感じない。斬る者しか熱せず、また切られた者は火を帯びない。傷口だけが焼けて回復不能な状態となる。まさしく宝剣に相応しい品物だ。

 咥えていた肉が盗られる――ミラジェーヌが悪戯っぽい笑みを浮かべながら肉を奪っていった。舞踊と戦いは似通っていると聞くが、オレはそうは考えない。しかし彼女の戦い方はまさに踊っているようだった。非効率が過ぎる。

「お肉とるなっ」

 そう言うと彼女は口から肉を吐き出してえずいた。

 戦闘中に危ないな。


 大きく口を開いて口の中へすっぽりと納める。少し息を吸ってピッタリと固定し、舌の表面でざらざらと周囲を摺り上げる。平らな面を撫で上げ、時たま先でつつく。早く擦り上げて味わってもいいし、緩慢でもいい。残った平らな面に中指の表面を当て、リズムを刻むように叩いて擦り回す。体がもちあげられるほどののけ反りを味わう。


 魔物の死骸は燃やすか埋めた方いいとミラジェーヌは言った。

 ただ人の死体は必ず燃やした方がいいようだ。

 この世界にはアンデットがいる。魔物の魔力は魔石に集束する。だから魔石さへ回収すれば魔物がアンデット化することはほとんど無い。

 しかし人間などの動物は、焼かないで埋めるとアンデット化してしまうのだそうだ。

「燃やした方が楽じゃないか?」

 死骸の山で睦み合い、終えたら埋める。

「こんなに燃やしたら人里から怪しまれるし、何より他の魔物を呼ぶし、山が焼けてしまうわ。燃やすのも一苦労だし、空気も薄いしね」

「穴掘るのも面倒だ」

「まぁある程度は放置しても大丈夫よ。魔物同士で食べ合うしね」

 そうは言ってもね。魔物の後処理を終える頃になると魔物がやってきて殺し、後処理をしていると寄って来て殺し、後処理をしていると――そんな事を繰り返すだけで三日も経っていた。大きな虎柄の毛皮に魔物の素材を包み込み、帽子の中へ入れてと言われて困ったが、なんとか納めることはできた。

 食べて殺し睦み合い、食べて殺し睦み合い、食べて殺して睦み合う。彼女の体を癒し直す。骨盤の歪み、再生異常、筋肉の不均等、【解析】を使い彼女を正す。

 人を狂わせる体液の解析データはある。しかしどう対処したものか対策がなかなか考えつかなかった。オレならば体液データが侵入した事を体が察知した時点で【分解】するように体の反応を書き換えればいい。でもそれはオレが【分解】という能力を持っているから使える行為であり、彼女が無効化するには体液の効果を壊す、無効化する、対外に排出するなどの何かしらの処理が必要だった。考えあぐねた結果、脳へ続く血管部分に調整を入れ、体液が脳へ侵入できないように調整をいれた。これがかなり繊細で難しく、下手をしたら彼女を殺しかねなかった。

 全ての根源が魔力であり又、人を構成する物質の最初単位が魔力であるがゆえ、解析し変異を行える。オレは人を化け物にすら変えることができるのかもしれない。ただそれを行うにはやはり言語能力が足りず、またオレはそこまで頭が良くなかった。

 ただほどほどに良くないのも良いのかもしれない。

 人のできることに限界はあったほうがいいとなんとなくそうも考えていた。

 彼女が回復していくごとに、オレの方が彼女に依存していくような気がする。にくにくしい彼女に包み込まれている日は多かった。

 やっと進んで山頂手前、もう人里は見えていた。方角的には山を越えた方が近いかもしれない。指の間にするりと指が入って来て握られる。自然と手を握って歩いていた。

 休憩のために座ろうとすると手招きされて後ろから抱えられる。

 引き寄せられて密着して、それが嫌じゃなかった。時折メイリアを思い出す――その痛みは前ほどではなかった。

「この分なら三日でつけそうだな」

 遠目に見える人里を眺めながらそう呟くと、彼女がお腹に回して来た手に少し力が入るのを感じた。強く引き寄せられる。

「多分マルファ村だわ。行くときに通った」

「そうか」

「……ねぇ?」

「ん?」

「もっとゆっくり行きましょう?」

「なぜ?」

「焦らなくてもいいじゃない。だから……ゆっくり行きましょう」

 おそらく急げば一日、通常でも三日で着くところを、二週間もかけて緩慢に進んだ。村が近づくほどにミラが求め、一歩も進まずに睦み合う日が何日もあった。下るほどに木々が聳え、生息する魔物も動物から昆虫が増えていく。昆虫型の魔物はとにかく種類が多い。

 やっと村の門についても、彼女に森の中へ連れ込まれ、村に入るのにも三日かかった。

 人里が怖いのかもしれない。胸元に頬を寄せる彼女の髪を撫でると少しの含み声が聞こえ、睦み合う。絡まり張り付き張り詰め繰り返す。合わせた唾液の感触をもう一度味わうために何度も合わせ繰り返し、優しかったそれは痛みを帯びるほど強く弱く又強く、込められた力が体を軋み痛みすらもどかしい。

 村の門の前に立った頃には陰りはなく、振り返り早く来るように促す彼女を、いい女だと感じた。

 当たり前であった状況を、失うことで初めて当たり前ではなかった事に気づく。

 数日後、オレは高熱を出して宿のベッドで寝込んでおり、そこにミラジェーヌの姿はなかった。

 ずっと一緒のわけないじゃないか――そんなのは考えればわかることだった。それでも彼女を失うことで塞ぎかけていた傷が開き、苦して苦しくて仕方がなかった。

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