第12話
帽子を出ると幾日もの帳を過ぎていた。魔力で火を起こして枯木をくべる。石を積んで風を防ぎ窯を作る。不思議と体が軽い。屈み石を掴み拾うのに筋肉の軋みを感じない。重さを感じない。これが戦士の体なのかもしれない。神経が活性化している。呼吸で取り入れた空気が全身を巡り心地良い。体の動きが滑らかで外部刺激が苦にならない。風の流れを感じる。体に触れる風の通り道を、僅かな距離だけ揺らぎと眺める。
そのまま蜘蛛の死骸に視線を――。
蜘蛛の死骸は小動物に漁られていた。つまり食べられている。
蜘蛛の肉を漁ったと予想する小動物が痙攣して倒れていた。
食えないかもしれない。口から泡が出ている。
時間の経過、蜘蛛の死骸は乾いて水分がやんわりと抜けていた。
「タラントの毒は熱に弱いから焼けば食べられますよ」
「そう……」
「この小動物も食べられるので燻製にしましょう」
ミラジェーヌが慣れた手付きで蜘蛛や小動物を解体していく。
クモの頭を叩き割り裏側から目をくり抜いて取り出しはじめる。
なぜわざわざそんな事をするのかと問うと、表からでは透明な甲があり硬く、取り出す際に傷つける恐れがあるからだとミラは言った。
転がっていた蜘蛛の足に【ネイル】で斬り込みを入れて真ん中から裂き、中身の筋繊維を取り出して眺める。身の色はピンク。乾いていたが生っぽい。
解析データを開いても何とも言えない。
ミラに宝剣で料理するなと言いたいが、ナイフの一つもない。蜘蛛の顎を引き抜いて使おうとも考えたが、そんな簡単に加工できるわけもなかった。
蜘蛛の肉は天日干しみたい乾いている。魚の干物みたいな色だ。ここは標高がある。空気が薄く日差しが強い。
「タラントの目は薬になるから高く売れます。あと毒包も……」
「そうなのか」
「キコの実もありますね。今日はちょっと贅沢ができますよ」
「肉より野菜が食いたいよ」
「野草は判別が難しいので任せてくださいね」
火で炙ったタラントの肉は鳥のササミとカニを足したような食感だった。食べ方が悪いのか若干のパサつきが引っかかる。体には良さそうだ。ただ食感に対して旨味は多かった。油が旨い。肉の油が旨い。このキコの実と言うのは辛み成分が豊富なようで一緒に焼くと肉が辛くなる。辛い煙で燻すと肉も辛くなる。
近づいて来て、舌先で肉を押し込められる。
「んっちょっとっ……?」
「辛いのは苦手?」
「久しぶりだから舌が痛い」
「舌を出してください」
「べー」
「赤いですね。舐めれば少しはマシになります。舐めて差し上げます」
舐めるなよ。
お前の辛い舌で舐められたら余計辛いだろ。頬まで辛い。
そうは考えつつも、別に嫌ではなかった。拒否せずに動かず、自ら求めるような動作をするとミラジェーヌは微笑み押し倒された。
飯を食っているのだが。オレが飯みたいだ。
夜行性の魔物は多いらしい。草食動物なんかは軒並み寝てしまうようだけれど。
尾根を移動するなら夜が良いとミラが言った。空を飛ぶ魔物は厄介だ。
腹ごしらえを終えたら帽子の中へ戻り歩く準備。そろそろ靴がボロボロになってきた。ミラジェーヌはボロボロの靴を動物の皮で巻いて補強している。準備と言ってもそれほど用意するものなんてない。帽子の中をあまり汚したくないが、手に荷物を持つわけにもいかないので倉庫代わりに素材や食料等を置いている。帽子の中のトイレは本当に重宝する。
服や履物は重要だ。道は平たんではなく石が転がり足の裏を傷つける事が多々あるし、草木は硬く肌を擦る。
帽子の外へ出て人里を探すために歩きはじめる――尾根を伝って上へ上へ。魔物との接敵はなるべく避ける。下を見渡せば森が広がり、鳥や蜥蜴が空を飛んでいるのを眺める。空を飛ぶ蜥蜴ってなんだという話しだが、正確には滑空している。大きい蜥蜴だ。
標高が高くなるほどに植物が少なくなり気温が下げる。【シストラム】を発動して肩に乗せていた。上空を警戒している。寒くなるはずなのに寒さを感じない。戦士の体は便利だ。
「なんだか……とても体の調子がいいみたい」
十代の少女のようにミラはあどけなかった。
「そうかよ」
「……変なとこでたん白なんだから」
「話すのが苦手なだけだ」
「星が綺麗ねー」
変な魚影が見えるけどな。
「星魚がこんなに沢山泳いでる」
せいぎょ。星の魚か。それとも生の魚か。魚が空を飛ぶ世界か。城からだと魚なんて見えなかったな。
「ねぇ……」
背中から抱えられてしまう。耳元で囁かれるとこそばゆかった。
「少し星を見て行こうよ」
まぁいいかとミラジェーヌと星を見上げた。背の低い植物が多いので風が強く、ゴツゴツとした岩が足の裏を突いて僅かに痛い。
ミラジェーヌの方が身長が高い。抱えられて岩陰に連れ込まれる。身を寄せて空を眺めていた。
異世界であると理解しているが、異世界にも空があり星があるのだなと変な感想を浮かべてしまった。
後ろからオレを抱えていたミラジェーヌの手が、前面に回って来て服の中へ潜りこんできた。背中越しに感じる女性らしい柔らかさとニオイは妙に心地よくて寄りかかってしまう。
「やっぱり、素肌がいいね」
喉元を擦るミラの手。鎖骨を流れる。
「……そういえば、貴方の名前すら、知らないのだけれど?」
「好きに呼べばいい。名前なんて無い」
オレはオレの名前を知らない。前世の名前を憶えてはいないし、王子の時は第六王子としてしか意味がなく、そうとしか呼ばれていなかった。ずっと離れで暮らしていたし、メイリアは言葉を話さなかった。
「ほんとうに? 本当に名前がないの?」
「正確には知らないが正しい」
「孤児なの?」
「……ある意味孤児だな」
「どういう育ちをしているのだか……まぁいいわ」
「好きに呼べばいい」
「では、マリアとお呼びしますね」
「好きにしろ」
のしかかられる体重、柔らかさをなお強く感じる。人肌と言うのは精神を安定させる。好きな人以外に触れられたくないと言うのは、好きな人以外を意識したくないなんてある種の防衛反応なのかもしれない。
「悪かった……」
顔は見えないがミラジェーヌが少し笑ったように感じた。
「……なぜ?」
「なんとなく」
「ふふふっ」
起き上がったのでミラジェーヌが離れると考えた。オレが名前を知らないと言ったことで育ちが悪いと感じたのかもしれない。また身を穢されたと感じさせてしまったかもしれない。心に引っかかりを感じ、しかし起き上がったミラジェーヌの唇が近づいてきて、口を尖らせてしまっている自分に気が付いた。
握られた手首、支えきれない体重、見えるのは満点の星と星魚、そしてミラジェーヌだった。星明りに表情が読み取れない。しかし微笑んでいるように見えた。
やはりオレより綺麗だ。それは当然の話なのだが。
「ダメ。……拒否なんてさせない」
「する気もねーよ」
「……ありがとう。私、貴方のおかげで誇りと名誉を守れるわ」
大げさだ。オレはこの言葉の意味を深くは考えていなかった。
「手を押さえて反抗できないようにしておいて誇りや名誉って言うなよ」
「貴方にはいーの」
胸に顔を埋めてくる彼女の頭を撫でていた。
ゆっくりと沈み込み困る。浮き上がり笑むミラの表情。また徐々に沈みはじめ表情を維持できない。
オレは正解を引けたのか――でもよく考えたら自分の欲望にただ忠実だっただけなのかもしれない。本当にそれが彼女のためだったのか。そう信じたい。自分を信じたい。メイリアの事を思い出すと顔を掻きむしりたい衝動に駆られるが、ミラがいるので我慢する。
過去のオレは一体何をやっていた。メイリアにしてきた仕打ちを考えると苦しくて仕方ない。ごめんなさい。ごめんなさい。もうどうしようもないじゃないか。
いくら消したくても消せない。この過去は消せない。ただ自己満足でメイリアに頭を垂れるしかなかった。心の中でひたすらに後悔だけが過り過る。ミラを受け入れたことも――。
ただひたすらに身もだえて――。
「……何を考えているの?」
本能と脳の感情がちぐはぐで気持ちいいのか辛いのか、ない交ぜになり何が見えているのかも判断できない。いつかメイリアに殺されに行こう。そうだ。そうしよう。
いや、それはメイリアも迷惑だろう。死ぬなら勝手に死ねと言う話だ。
「……コハクみたいで綺麗だと」
「……コハクって? 綺麗って……星の事?」
「コハクはオレの故郷の宝石の名前だ。樹液が長い年月をかけて宝石になったものだ。綺麗なのはお前の事だよ。お前は綺麗だ。どうしようもないくらい」
ひたすらに表情を隠した。
「なに? 急に……顔を隠すなんて許せない。もっと良く見せてください」
「おい。ちょっと」
腕を押さえオレの表情を見ると、ミラはニンマリとした。
「もういいだろ」
「ダメ」
「お前の頬に触れたい」
そう告げるとやっと腕の力が緩んだ。
頬を撫でる。ミラの体に触れると妙に心地良くて溺れたくなる。過去を消す事はできない。抱えて生きるしかない。それを認めて抱きしめる。そしてそれらはミラには関係ない。
彼女を強く抱きしめて、強く緩慢に動いて、零れているのが汗なのか雨なのかわからないように肩を噛んで離さなかった。
お互いの顔が歪むほど、相手を歪ませようと意地になるのはやはり、何処かおかしいからなのかもしれない。何もかも奥の奥で離さない。
欲望と言うには求めすぎている。
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