第5話 

 第六王子、王子は獣車の中で【賢者の帽子】を調べていた。


 獣車と言うのはこの世界の馬車のようなもので、馬以外も引くので獣車(じゅうしゃ)と言う。この世界の馬には鱗がある。鱗馬(りんば)と呼ばれている。


 帽子の解析データは膨大であり、そのほとんどが組成式である。王子がどれだけ首をひねったところで、組成の元データを知っていなければ理解のしようもなかった。布の原材料である糸は何で出来ているのか。その糸を作っている物質のデータは何なのか。そもそも王子はこれらをもっていなかったからだ。

 これが一体何で構成されているのかすら王子には理解不能。

 布なのか皮なのか、それとも金属なのかすら判別できてはいなかった。消失された効果は表示されず、欠けた何かだけが表示され、王子は考えた。


【賢者の帽子】は夜を折り込んだような一つの生地からなる尖がり魔女帽子だ。表には黒とそして蒼の線がある。内はやや色あせていた。

 初代国王だった魔術師が、故郷の母親から貰った帽子。

 原材料はススキ科の植物で、繊維をほぐし人の髪と魔術を混ぜてより合わせたもの。旅立つ魔術師が無事であることを願い、子を思う母なる慈愛で満たされた帽子。

 もっともその故郷は魔王に焼かれその愛と共に消失してしまった。

 母は強く正しい人だった。だから私もそうありたい。

 帽子にはそう筆記体で髪を使い文字が縫われている。

 黒かった帽子は旅と共に色褪せ、自らの血と汗、そして魔物や魔王の血が強く滲み青く変色、組成レベルで変化してしまっている。しかし子を守る母なる慈愛だけは薄れていない。

 元々この帽子にはあらゆる呪いを避け、僅かながら術者を物理的に守り身や心を癒す効果がある。どのような想いを込めて子を見送ったのかが伺える。


 さっそく修理を試みて、素材の組成式をコピーしそのまま魔力で復元、帽子の欠けた箇所に【継いで補修する】を使用して修復を試みる。

 数時間のち、完璧な形へと戻った帽子は本来の力を取り戻して効果も表示された。

 補修した欠損部位は完全に固着して、手元を離れても魔術のように消失することはなかった。これは使われた触媒が植物であり、また人の組織だったからだ。

 帽子の効果は【異空間部屋】。

 帽子の中が部屋になっており、顔を突っ込んでもぐりこみ這い上がるように部屋の中へ入ることが出来た。

 部屋の中は暗く円錐状の空間で、底から湧き上がる蛍のような光で淡く明るかった。

 部屋の中にはベッドと小さな部屋、トイレがある。

 お姫様が寝るような天蓋付きのベッドは、今寝ていた誰かが抜け出した後のように、めくれて乱れていた。触れるとわずかに温かく、ベッド自体が宝物であることを王子は理解した。

 王子にはこの部屋が、小さな子供部屋のように見えた。

 小さなプラネタリウムの部屋、そんな風に見えていた。

 トイレは魔力で起動し魔力で流す仕組みになっている。洋式で座って用を足し、魔力を通すと流れて内部へ取り込まれ魔力に分解されて霧散する。その際お尻についた有機物、無機物等も同時に分解されて綺麗になる仕組みになっていた。

 王子はこのトイレをひどく気に入った。

 帽子の外へ出て獣車の中に、王子は好奇心でメイリアの事を少し忘れていたけれど、すぐに思い出して胸を痛めた。

 その日の野営地へ到着すると獣車の外へ出て、自分を護衛する騎士が五十人を超えている事実に気づく。

「どうしたの?」

 リョカに話しかけられて王子はリョカへと視線を流し。

「さすが公爵令嬢様だと思って」

「馬鹿にして」

 リョカの拗ねるような視線に苦笑いする。

 しかしながら王子から見れば簡易なテントと言うには豪華なテントが張られておりそう言わずにはいられなかった。

「相部屋なの?」

 次いで浮かんだ疑問を口にし。

 王子がそう聞くとリョカは。

「嫌なら外で寝てもいいわよ」

 そう答えて、外で寝るのは嫌だなと王子は首をすくめて見せた。

 一応部屋の中は幕で仕切られており、リョカの使用人がリョカの世話を始めたので、王子はあてがわれた部屋の中でゆっくりとした。椅子と机、それに布の塊。ベッドの代わりだと王子は考える。主でもないぼくのために使用人達には申し訳ないよと王子はため息を漏らした。


 夕食は野外と言うのが嘘のように色があり王子はまたも驚いた。

 肉と野菜のテリーヌ。温かい芋のポタージュ。

 果物がふんだんに使用された焼きたてのパイ。

 リョカの地元で食べられている料理が自分の知っている料理と異なる事を知った。

 ただ王子が【クレヤボヤンス】で外を見るに、豪華なのは自分とリョカだけで、騎士などは質素だが温かそうな豆のスープを食べているのが見て取れた。

 申し訳ないなと思いつつ、テリーヌをナイフで切り分け、ナイフで口へ運ぶ。葉野菜で包まれた野菜とお肉。ソースが仕込まれており、ゼラチン状にかたまっていた。

 長持ちするような料理じゃないと。シェフの腕が見て取れる繊細さと技の料理に、公爵令嬢と言う立場が、自分が考えるよりも周りに大切にされるものなのだと王子は認識する。

 一口食べて王子の脳裏に過るのはメイリアの料理。

 メイリアはこういったちょっと凝った料理が作れないと、王子はメイリアを想像して目を綻ばせた。

 こういう料理を、ぼくが覚えて作ってあげたいと、王子はなんとなくそう笑み、喜んでくれるかな、驚いてくれるかなと目を細める。

「何にやけているのよ」

 リョカにそう睨まれ、王子は現実に引き戻されて息を吐いた。

 王族は料理なんてしない。貴族だって料理なんてしない。だから自分がニヤけている理由なんてリョカにはわからないだろうなと王子は考える。

「料理がおいしいから」

「気持ち悪い」

 そう言われて王子は噴き出して笑った。


 ポタージュを一口。温かくて舌に染みた。芋のポタージュはメイリアが良く作ってくれたもの。でもメイリアのポタージュとは味が全く異なることが王子には面白かった。

 葉野菜の代わりにクレープ生地を使用し、カボチャのスープにゼラチンを混ぜてそそいだパンプキンなんちゃってテリーヌや、緑野菜を使用したポタージュのパスタを思いつき、作ったらメイリアは喜んでくれるかな。笑顔になってくれるかな。メイリアが喜んでくれることを考えてばかりだと自分で自分を笑ってしまった。

 早く明日になってほしくて食事を取ったらすぐに就寝した。

 ベッドのようなものがあるわけもなく、少しばかり豪華な敷布団に寝るような形だった。

 夜に気配がして王子は目を覚まし、ネグリジュ姿のリョカがいて目が合い寝返りをうって背中を向けると叩かれた。

「何か言いなさいよ」

 小声で呟くリョカに王子は目を細めた。

「何? 一人で寝るのが寂しいの?」

「ちっ違うわよ」

「しょうがないな。今夜だけだからね」

「子供扱いするな」

 何のつもりで夜這いしに来たのか王子は考えたけれど、思い当たりも無いので考えるのをやめた。心にメイリアがいる。他の女性とどうにかなるなんて気持ちが王子の中にはなかった。まるで魅了の魔術を受けたようだと自分でも考える。

 横たえて来て、引っ付いて来たリョカへ振り向いて、ぎゅっと目を閉じるリョカの頭を撫でた。

「添い寝は今夜だけだからね」

 やましい気持ちは王子になかった。メイリアがこの光景を見たら、やきもちを焼くかもしれないと目を細め、公爵令嬢が恥を忍んで何かしらの陰謀のためにわざわざやってきたのに、無下にして恥をかかせるのも申し訳ないと王子は引き寄せて胸の内に抱えこんだ。

 リョカは子作りするつもりだった。

 でも子供をあやすみたいに胸の中に包み込まれ、いい子いい子と頭を撫でられ、【依存して】を発動され、今まで甘えたことの無い彼女にとってその抱擁感に蕩けるのは抗いがたい衝動で、意識を失うようにスッとリョカは眠りへと落ちていった。

 何時もは引き締めている目元と口元がだらしなく緩んだ様子に王子は微笑んだ。

 彼女の任務も、彼女の決意も、彼女の憤りも、彼女の過去も、全てを忘れたように蕩けて眠りについていた。

 次の日、王子が目覚めるとリョカはすでに起きており、騎士たちも使用人たちも出発の準備をしていた。

 朝食はローストミートにクリームチーズ、果物のプティングに煮野菜のパイ包みスティック。

 筒状のパイ生地で棒状の野菜を包んだ奇妙な食べ物を王子は初めて食べた。

 乾いたパイ生地に野菜の水分と味がしみ込んでおり王子は美味しいと素直に舌を打つ。

 ローストミート。ローストビーフではない様子。チーズも独特の癖があり、知っているクリームチーズとは異なっていた。

 果物のプティングも、およそ王子が知っているプティングとは違う。色が赤く、なめらかではあるものの、ベリー系の味がした。


 午前中にテントを解体し、午後少し前に出発。

 王都から離れるにつれて道は荒れ、クッションがあるのでお尻をそんなに傷めずに済むけれど、王子にとって獣車の中は中々に苦痛だった。

 暇つぶしもかねて解析データより【玉響の枝】の再生を試みる。

 結果、完全再現は無理だと判断した。物体として固着させることが不可能だった。出来上がったそれは魔術扱いで時間と共に消失してしまう。【賢者の帽子】と何が違うのか考えて、修理は可能だけれど、コピー品を作ることは不可能なのだと判断した。再現するのに元の情報全てを使用すると発動時間も魔力も持続時間もデメリットが大きいため、削れるところは可能な限り削った。光の速度に限界あるように、魔力の構築速度にも限界があることを王子は理解した。魔力変化構築速度は思考速度に比例する。

 それらを踏まえ【玉響の枝】という魔術を作れたことで、王子は満足だった。

 未知なる合金で出来た枝を作り出す魔術。一本の歪な枝に魔力を込めると、無数の枝が生え裂け敵を穿つ。最初に枝を作る第一段階と、枝に魔力を通す第二段階で構成されており、それほど悪い魔術ではないと王子は考えた。

 とにかく道具の複製は現物が無ければ成り立たないと知る。複製防止のためだろうと理解もする。実際はやや異なる。現物があり、なおかつ生物由来の品でなければ復元はできない。生物由来でない品は補修補強部位が固着せず、魔力が途切れれば元の状態に戻ってしまう。それでも魔力を通している間だけは復元が可能である。

 途中、魔物が出たと言うので窓から外を見た。

 黒い狼の群れだった。初めてみる戦闘、獣車の扉がノックされ、リョカが入って来た。

「魔物だわ」

「そうだね」

「……意外と冷静なのね」

「騎士さん達強いね」

「そうね」

 盾と鎧に覆われた騎士の剣に、魔物は一体一体散るように霧散していった。

「魔物って死体が残らないんだね」

「そうよ。知らなかったの?」

「初めてみたし」

「そうよね。街の外は普通に危険なのよ。貴方は知らないでしょうけど」

「そうだね。知らなかった」

「市勢は何時もこの脅威と戦っているのよ」

 王子は胸を痛めたが、胸を痛めたところで自分に何ができると言うわけでもなかった。結局はお気持ちだけに過ぎず、言い訳をする気にもなれなかった。

 市勢の人達のことを尊敬する――自分が市勢でうまくやっていけるのかと言えば、おそらくそんな事はないとわかっている。

 ギルドに入れば仕事は貰えるかもしれない。でもギルドに所属していなかったらどうかと言う話。自分で企業できるとはとてもとても。よしんば記憶を頼りに製品を製造したとして、商会、会社を作りやっていけるのか。企業や商会に自分の商品を卸したとして、騙されず、利用されずにやっていけるのか。答えは否だと考える。

 自分の知識など、取れるだけ取られて厄介払いのように捨てられるところが想像できてしまって、正しさだけで成り立つ社会なら敗者等存在しないと遠くを眺める。

 もしくは利用されるだけ利用されるかもしれない。

 自分より非凡な者は多く、そして全ての人間は善人ではない。

 かと言って現状をどうにかできるかと言えばそんな事はなく、やはり流されるしかない。

「自分が如何に恵まれているかわかっているの?」

 それを君に言われるとはね。

 どうしてそんなに責めてくるのか。

 ぼくは間抜けなのか。

 色々返す言葉を考えて、王子はリョカに対して言葉を返すことができず、ただ苦笑いするしかできなかった。それを言った所で事実は変わらないからだ。

 リョカとしては心が幸せ太りしている王子にしてやったと笑んだ。言ってやった。長年の溜飲が下がるような気持ちだった。

 リョカは幼い頃、婚約者として紹介された王子を見て落胆した。

 どうして自分の婚約者候補がこの人の兄はなく、この人なのだろうと悲しくなった。話しても、見た目も、そして性格も、兄の方が好みだったからだ。

 それでも父親に言われれば従うことしかできず、しかし王子がトカゲをけしかけたことで破断となった。本当に王族なのかあきれて物も言えなくなってしまった。

 それからも研鑽を積み重ねた。自分こそが兄王子に相応しい女性なのだと。けれど時期が来て兄王子の婚約者となったのは、結局は自分より地位が上のご令嬢だった。

 文学も教養も運動神経も、そして魔術も、全て勝っていると自負はある。けれど結局は実力うんぬんよりも血が物を言うことに打ちひしがれた。

 久しぶりに弟王子にあった。相変わらずのちんちくりんなのに、頭から体、足のラインが妙に妖艶で驚いた。そそる体に目を奪われる。服の上から想像する体のライン。

 荒々しく逞しい兄王子とは違い、弟王子は女性と見間違えるほどの骨格と体系を持ち、妖艶で艶めかしかった。それでも弟王の股間には自分とは違うものがあると想像するとリョカは自分が欲情していることに気が付いてあきれ果てた。

 隣には侯爵令嬢。王子のお世話係として派遣された女性がおり、こちらは太陽のように眩しくて美しかった。太陽と月がいる。そう思わずにはいられなかった。

 蔑んでいた王子が、卑屈になった自分とは違って悲しくなった。

 それだけではなかった。

 兄王子が侯爵令嬢を欲しがったのだ。正妃にすることすら厭わないと。兄王子自ら赴いて令嬢を食事に誘うさまを見て、プライドや自負はボコボコに打ちのめされた。

 実力で叶わず血に負けて、かと思えば一目惚れに実力も血も負けた。とんだ笑い話だ。

 そんなに私は魅力的ではないのか――かつての婚約の破棄は、自分に魅力がなかったからではとも考えるようになった。

 数日弟王子に連れ添った。兄王子のお側付きからの命令でもあった。

 昔とは違い、弟王子はいちいち妖艶だった。仕草一つ一つが下品に言えばエロかった。匂いが良かった。感情は冷静で、トカゲをけしかけられるような事もなかった。

 でも内面自体は、子供の頃と大して変わっていないように見えた。

 王子と侯爵令嬢を引き離す。えげつなくわかりやすく、それでいて効果てきめんで脳を揺さぶるやり方。大抵の人間はこの攻撃になす術がない。わかっていても相手を疑わずにはいられず、その反面で自分に良くしてくれる人との時間が増えて、好意も向けられれば悪い気はしない。

 相手との時間を作りたくとも自然に押し付けらえるスケジュールに逆らうことはできず、また時間が出来ても相手との自由時間も合わない。

 それが攻撃だとわかっていても辛く、攻撃だとわかっていなければ容易。

 いずれ片方が壊れ、片方を攻撃する。

 時間は短くとも猜疑心さえ抱かせられれば壊すことはたやすい。

 しかし王子と令嬢の様子に変わりはなかった。業を煮やした兄王子の方が焦って事を仕損じた。

 弟王子は決して気持ちや態度を表には出さなかったけれど、リョカには何とはなくだけれど、二人が思い合っているように感じとれていた。特に弟王子に纏わりつく、この人は私のものと絡みつく執着心のような独特の匂いや空気をリョカはなんとはなしに感じていた。

 同じ匂いがする。

 あくまでも仕事なので王子の世話をしていますと終始無表情か笑顔の侯爵令嬢メイリア。それでいてリョカは常に彼女からプレッシャーのようなものを与えられていると感じていた。弟王子といる時は特に、蛇に睨まれているかのような気すらした。

 王子とメイリアからまったく同じ匂いがする。それは雰囲気だけではなかった。


 ただ……ただ王子と一緒にいる時間は楽だった。

 社交辞令も忖度もいらなかった。

 対等で上でも下でもない。

 それでも素と言うよりも少し意地っ張りに接してしまっていた。

 もう決着はついてしまっている。その現実を変えることはできなかった。

 リョカは王子に同情していた。

 次の日、リョカは再び布で区切られた弟王子の寝所へ侵入した。最後のチャンスだった。自分が王子にできる最後のチャンス。

 弟王子は寝所へ入って来たリョカに目を丸くし、穏やかな表情でまた添い寝してくれた。そうじゃない。そうじゃないのだ。リョカにとっては弟王子の子孫を宿せる最後のチャンスだった。

 それでも最後の一線に踏み切ることができず、また最後の一線に踏み入ったとしても拒絶されることをわかってしまっていた。

 好きでもない相手には触れたいとすら思わない。

 自分が弟王子に触れられても拒絶していない事実を理解してしまった。その唇が自分の唇に触れたとしても別に嫌じゃないと言う事を理解してしまっていた。

 だけれど私ができることはもうないと、王子の腕の中で、この体温だけは忘れまいとリョカは考えた。

 あの女(メイリア)が自分の場所だと考えているこのゆりかごの中は何とも居心地が良くて困った。

 夢の中でリョカは王子と一緒にいた。そこにはありえたはずの、そしてもう決してありえないはず日常があった。

 公爵令嬢リョカがあの時点で王子を見捨てていなかったのなら――高圧的な態度で教育を施す自分とムスッとしつつも仕方なしと教育を受ける王子。

 やがて大人になって、やっぱり文句を言って王子のケツを蹴る自分と、お尻を蹴らないでよと文句を言いつつ自分を受け入れてくれている王子。

 その自分は悪態をつき暴力を振るいながらも、柔らかな愛に溢れて王子を見つめていた。

 もうありえない未来。正しく守れなかった未来。


 決行は朝行われた。

 何度も事前に口裏合わせは行っていた。

 予め用意していた賊が襲ってきた。

 リョカは前日のように王子の馬車へ移り、そして――【ウォーターブレード】を唱えて王子の左手を斬り飛ばした。

 さようなら王子。

 リョカには一つ誤算があった。

 王子は魔術が使えないと思い込んでいた。左腕を失った王子は重症だ。放っておいても出血で亡くなるが、確実に首と胴を切り離そうと考えた。

 王子と目が合った。

 怯えと驚愕だけがあった。怒りや憎しみはまだなかった。その顔のまま死んでほしかった。

 きっと言葉にすればなぜと言っていただろう。

 王子が死ぬ現実を、リョカは信じて疑わなかった――しかし異変が起こる。

【スペルスネークソーンバインド】。未知の魔術に拘束された。

【継いで再生する】。王子の左腕が骨、筋、神経と再構築されていく。

 手足を拘束されても魔術は撃てる。【イグニスジャベリン】と唱える彼女の目の前で、大きな水球【千寿】が現れ槍は消失した。

「王子の謀反よ‼ だれか‼ あれ‼」

 リョカは叫んだ。これが兄王子の仕組んだシナリオだった。弟王子は兄に対して謀反を起こそうとしており、証拠を突き付けた所、抵抗し討伐されたと。

 騎士も賊もみんなグルだと知った王子は絶望した。何が起こったのか判断できなかった。失った左腕を再生はしたけれど、冷や汗と痛みの鈍痛が脳内で警鐘のように鳴っていた。

 喉がカラカラと渇き、その痛みだけが王子を現実に引き留めていた。

 青天のへきれきだ。

【スペルスネークソーンバインド】で拘束を試みるも、ほとんどの騎士に魔術で振りほどかれてしまった。

 無傷で捕らえるのは不可能だと理解するのにそうかからず、相手を傷つける覚悟を得るのにその4倍もの時間躊躇った。

「無理だ」

 自然と答えた言葉はそれだけだった。

 どう頑張っても、誰かを傷つけずにこの場を切り抜けることは不可能だと理解してしまった。彼らの放つ呪文の数々が、自分を殺すためのものだと理解するのに時間はかからなかった。

【キャットネイルファンタジア】。

【玉響の枝】。

 王子は二つの魔術を同時に発動していた。騎士達が魔術を使えないレベルになるまでの致命傷を与えなければならない。そしてそれらは彼らの生死を問わない。

 腕が飛び足が飛んだ。首だけは飛ばさないで、心臓を貫かないでと制御する。

 手元にある一本の枝。魔力を込めると枝は大輪となり、騎士の足や肺を穿った。彼らが唱えた呪文の数々を穿った。このコピーして作った金属が魔術殺しの金属とは王子は知らなかった。ただ現象は物理だから枝が物理的に壊していると、本人は物体が魔術を壊せると認識している程度だった。

 戦意を喪失するまで徹底的にやる。

 騎士五十七人、賊二十二人、使用人七名、公爵令嬢が一人。

 一瞬で決着がつき、誰も彼もが痛みに呻いて戦意を喪失した。自らの失った手と足に驚いて愕然とする。傷ついて初めて死を実感する。彼らは死を実感したのだ。

 ここからは時間との勝負だ。王子は魔術【遊び】を使用し一人一人に【王家の楔】を穿った。内容は完結に【魔術を使用できない】だった。その後【継いで再生する】、【継いで補修する】を使用して回復を促す。回復した者を【スペルスネークソーンバインド】でからめとり動けなくした。

 リョカは愕然とした。騎士が五十人もいて負けたことに愕然とした。未知の魔術を放たれたことに愕然とした。【王家の楔】を使用されていることに愕然とした。手足の欠損を補える魔術に愕然とした。

 過去に切り捨てた王子が、自分を裏切っていたことに愕然とした。

 王子は焦りながら急いで回復を施したが、それでも騎士三人、賊十七人、使用人一人が亡くなった。死者を蘇生する魔術を王子はもっていなかった。

 賊の着ていた簡易な鎧の数々を、魔術は簡単に引き裂いてしまった。

「……魔術、使えるじゃない」

 リョカは【スペルスネークソーンバインド】に捕らえられながらそう呟いた。

 どうして魔術が使えることを黙っていたのか。【王家の楔】を使えることを黙っていたのか、察しの良かったリョカは事情を勝手に憶測した。

 第六王子は兄との後継者争いにおいて、兄を優遇するために愚者を演じた。

 そう考えてリョカは嗚咽を漏らした。

 何も見えていなかった。王子の気持ち等、何も見えていなかったことを理解(誤解)して嗚咽を漏らした。

 当の本人にそんな考え等なかったけれど。

 他の貴族と派閥を作れば家族から敵と見られる。王位につきたい欲望があると捉えられる。優れた魔術の使い手であれば、他の貴族や王族は黙っていなかっただろう。弟の方が優れた魔術の使い手であると王位に押し出しただろう。そうなっていれば今よりもひどい争いになっていた事はリョカでも察せられる。国を二分したかもしれない。骨肉の兄弟の争いを他の兄弟は喜々として捲し立てただろう。あるいは第二王子の派閥に取り入れられたかもしれない。

 何よりも【王家の楔】を王子が使用しているのは致命的だった。

【王家の楔】を使えるのは王のみだ。王のみが使える魔術を使用している時点で、王は彼なのだ。なぜなら【王家の楔】は王から次代の王へ、継承することでしか使用することのできない魔術だからだ。

 激しい失意と喪失を味わった。

 リョカのプライドはベコベコにへこんだ。

 自分は優秀だとプライドがあった。でもそれは自画自賛だった。

 相対した王子に対して何も申し開きはできない。だけれど、王子には残酷な真実を告げなければならない。もう遅い。何もかもがもう遅いのだ。

 もし王子の内情を子供の頃に知ることができていたのなら――リョカはそう考えずにはいられなかった。もう遅い。

「どういう……ことなの? 説明して」

 こちらを睨み、そう告げる王子に、リョカは全てを白状する決意をした。

「謀反の罪で貴方は処刑されます。本当は私達が貴方をここで殺すつもりだったのだけれど、もうそれは叶いそうにありません。後続で二百人からなる騎士隊が来ます。王子、もう終わっているのですよ王子。もう、全てが遅い」

「……謀反て、どういう事なの?」

 混乱する王子に、本当に善良な人間なのだとリョカは打ちのめされた。

「殿下は貴方を切り捨てたのですよ。メイリアを手に入れるために。貴方は謀反の罪で処刑されます。証拠も捏造済みです。もう陛下にも伝わっているでしょう。これから王城に戻っても貴方は断罪されるだけです」

「メイリアを……手にいれるため?」

 たったそれだけのためにと王子はその言葉を飲み込んだ。たったそれだけのためにこれだけの人員を動かすのかと。

「謀反には協力者が必要です。メイリアの親であるカインツロウ侯爵は謀反に加担したと罪を着せられるでしょう。そうなればカインツロウ侯爵はメイリアを簡単に差し出すでしょうね。王子。すべてがもう終わっているのですよ王子。いいえ殿下」

 わかりやすく簡潔だった。その事実を王子はなかなか受け入れることができなかった。

「そんな、こと」

「後続の騎士二百人が来ます。私達を歯牙にもかけない貴方には二百人も余裕かもしれません。でも貴方も無傷とは行きません。メイリアを取り戻すために国を相手にしますか? 貴方ならできるかもしれません。ですが血みどろの争いになるでしょう。そこで死を迎えた騎士のように」

 王子は死体を見て胸を抑(押)さえた。人を殺してしまった。自分が人を殺してしまったと激しい痛みに襲われた。わけもわからず喉にせり上がってくる焦燥感。混乱する頭。

 それでも理解できる。命を、奪ってしまった、事実を。

 大罪を犯してしまった。

 リョカが嘘を言っていないことは理解できた。何よりそんな嘘をつく理由がリョカには無いのだ。

「君は……これで何を得るの?」

 ただ悲しかった。

「王妃の座ですよ。王子」

 リョカは殺されたいとそう告げた。王子に殺されるのなら本望だ。

 だけれど王子は、それを聞いて膝から崩れ落ちた。

 頭の弱い自分でも十分に理解できる情報が並んだと王子にもわかる。兄が自分を殺す決断をしたことを理解した。メイリアを得るために及んだ事。全てがもう手遅れであること。

 腕を切り落とされたと言う事実と、殺すほどの呪文を向けられた事実。王子である自分を殺すにはそれなりの大義名分がいる事。リョカにそれを命じられる事。

「積んでいるのですよ王子」

 世界かメイリアか選べと言われた気がした。

 王子は力なく立ち上がり、自分の切り落とされた腕を探しリョカの拘束を解いた。落とされた腕を拾い上げ、そしてリョカへと差し出す。

「さようなら王子」

 王子は何も言わず、その場を後にして歩き出した。

 自分は無罪だと王城へ乗り込むことはできるだろう。でもそれでも冤罪を覆せるほどの証拠はなく、断罪されない理由もない。自分が【遊び】を使って悪事を暴くこともできるだろう。それでどうなるかと言えば国が荒れてしまう。兄は断罪され、それを回避するために自身に加担する貴族を集って戦争を起こすだろう。それで死ぬのは誰かって、仕事や愛国心で国に仕える騎士や、何の罪もない領民達だ。その人達にだって大切な人がいる。自分がメイリアを大切に思うぐらいに、相手にも大切な人達がいるのだ。

 周りの【遊び】を解く――書き換えて施す。

 王子に関する一切の記憶が死に入れ替わる。ここで、王子は、死んだ。

 苦しくて苦して嗚咽を漏らして王子は歩いた。

 メイリアがいれば何もいらないのに。メイリアさえいてくれれば、それだけでいいのに。

 メイリアの父親が言った言葉が王子の脳内に反芻される。カインツロウ侯爵はこうなることを理解していたと察する。言われた言葉が王子の頭に響いた。

 自分の成り立ちで、愛だけでどうにかなるわけはなかったのだ。

 その結果がこれかと王子は苦しくて涙がとめどなく溢れた。覆す言葉も思い浮かばなかった。

 世界かメイリアか選べと言われれば、間違えなくメイリアを選んだだろう。

 だけれど、その世界の中にメイリアが含まれていたら。

 世界(メイリア)か自分か選べと言われたら、項垂れるしかなかった。

 沢山の人を殺し従えてメイリアを娶るのもいいだろう。でもその血で穢れた手で愛するメイリアに触れられるのかと言えば否だった。そんな手で触れられない。そんな自分勝手な考えでメイリアに触れることなんてできなかった。

 また自分が台頭することでメイリアの家族が矢面に立たされるのは明白だ。姉二人を殺し、父親を殺す決断をするしかない自分をメイリアは許してくれるだろうか。

 メイリアは正妃にはなれない。側室になるだろう。あれだけ夢中であるのなら第一寵姫にだってなれるはずだ。子供が出来て幸せになる。

 そう考えて、王子は膝をついて顔を手で覆った。

 何が苦しいのかわからない。

 何が辛いのかわからない。

 涙が溢れて嗚咽が漏れて、自分でもなぜ泣いているのか理解できなかった。

「メイリア……メイリア」

 その名を呼ぶだけで苦しくてとめどなく涙が溢れた。

 喉が焼けるように痛かった。ちくちくと囀り痛かった。ひりひりとして痛かった。自分のこれからなんてどうでも良かった。この苦しみから逃れられるのなら死にたいとすら――。

 だけれど、メイリアを見捨てて一人楽になるなんてあまりにズルすぎるじゃないか。

 メイリアの傍にいられないから死にますなんて、なんてダメな奴なのだと笑った。

 守れなかった人、愛し続けられなかった人、せめて生きて、この苦しみを一生味わって生きて行こうと歩き出した。千鳥足が鬱陶しく、視界は歪んで何も見えなかった。

 とめどなく嗚咽だけが漏れた。

 彼女を二度と抱き締められないその事実が心臓に突き刺さった。

 あの甘く滑らかな肉体がもはや自分のものではなく味わうことができない。彼女に対する肉欲が発散されないことに本能が喚きたてていた。

 兄王に抱かれるメイリアを想像すると苦しくて何度も拳を地面にたたきつけていた。何より苦しいのは、抱かれ続ければいずれメイリアは兄に心を開いてしまうという想像。その様子を想像するだけで身悶えするほどに苦しかった。

 それを抱え生きることを想像するのがあまりに辛く、それでも死ぬまでは生きなければいけないと、またよったらよったらと王子は歩き始めた。

 もっと魔術の研究をしていたのなら――。

 もっと社交に力を入れていたのなら――。

 もっと王家に尽くしていたのなら――。

 もう戻れない過去を何度も反芻し、その全てに意味がないことを悟り打ちのめされる。

 しかしながら兄王と兄弟である以上、弟が敵視されるという事実に変わりはない。どのように尽くしたとしても、結局のところ、王子にはこの運命しかなかった。

 どれだけ力があろうと、例え転生者であろうと、正しく生きようとする限り人類最大の武器である多人数には敵わない。その事実を王子は身をもって味わった。

 そしてこれから自分が汚れていくのを王子はまだ知らない。

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