第4話
午後からは訓練所へ赴いた――王都には学院があり、学院には優先的に魔術書が入って来る。王都の学院に入ることは魔術師として約束される事に他ならない。
とは言っても市勢には猟兵ギルドがあり、猟兵と呼ばれる人たちがいた。所謂冒険者と呼ばれる人達だ。要するに市勢でも強い人はいるという話。
王族や貴族に仕える私兵と市勢で暮らす冒険者や傭兵は別物だと考えて良さそうだ。
回復魔術の魔術書はピンからキリまであるらしい。
戦士ギルド、教会、魔術師ギルドが存在し、三つを合わせて猟兵ギルドとまとめている。
このギルドは三国共通。それぞれの権威でもある。
過去魔王を討伐した戦士、聖女、魔術師を元に設立されているのは明白で、猟兵と呼ばれるのは彼らの任務に討伐が多いからなのだそうだ。
訓練所で魔術師の魔術を見ていた。
火、水、雷、鉄、光、闇のエレメンタルが存在するという基礎理念が元になっているように見える。
そして魔術書は、それぞれのエレメントに形を与えたもの。
火ならば【ファイアーランス】、水ならば【ウォーターランス】と言うように、それぞれの属性に同じ形が存在する。
上位になると【イグニスジャベリン】や【アイスジャベリン】と言う風に、下位と上位が明確に存在していて、一つの魔術の消費魔力と威力、形を変えることはできないようだ。これは魔術書を読むことで記憶される構成を、変化させられないためだと察する。
魔術書に記されている設計図がそのようにできているためだ。込めた魔術が設計図に触れ魔術へと構築される。
成長魔術というものは存在していて、所謂召喚魔術と呼ばれている。解析データでは召喚ではなく成長のようだ。
込める魔力の量によって発動する魔術の形が変化する。
例えば最低魔力での構築なら【ファイアーウルフ】、中程度なら【サラマンダー】、頑張れば【イフリート】と言うように一つの魔術で複数の形を持つものはあるようだ。
魔術師はこれらの魔術を召喚魔術と呼んでどれが現れるかを成長過程の一環として基準を設けている。
【メイドの嗜み】も女神が作った魔術なのかな。
魔術書は神の庭と呼ばれる遺跡から出土するのだそうだ。
魔術を使えない人間は存在する。
回復魔術は魔術だけれど、教会は聖魔術と呼んで区別している。
魔術を使えない人間でも肉体的に弱いかといえばそんな事はなく、魔術の素養のない人間は戦士の素養を持っている。
戦士は【イグニッション】と呼ばれる唯一無二のスキルを持っている。
【イグニッション】を使うと体が強靭になり力が増す。しかしデメリットもあり、鍛えなければ意味がない。
魔術の素養を持つ人間に比べて戦士が育ちにくいのが伺える。
「貴方が魔術に興味があるとは思わなかったわ。無駄なことだけれど」
この世界の人間には二つの魔力神経回路があり、どちらに所持魔力が直結しているかにより魔術師の素養を持つか戦士の素養を持つかに別れるようだ。
つまるところ戦士も魔力で肉体を強化しており、根本に魔力があることに変わりはない。
もっとも所持魔力量と言うのは存在するので、量が少ないと戦闘形態に影響を与えるのは変わらない。女神はなぜ人に上下をつけるのか。
「君はずっとぼくに、私について来る気なの?」
魔力の有無だけが人間の素晴らしさではないのよと女神に言われたような気がした。気がするだけだぞ。
「うるさいわね。大人しくしてなさいよ」
訓練生の中に第四王女と第五王女、第十二王女もいた。
十二番目の王女は魔力の素養がほとんどないらしく、身長もぼくの半分しかなかった。
夕方になりつつあり、帰ろうとしたら正妃の使用人に呼ばれた。正妃が夕食を共にしたいそうだ。謹んでお受けする旨を伝え自室に移動し、着替える旨を伝えてリョカを一旦帰らせる。部屋の鍵をしっかりと閉め、ドレッサーを開けるとメイリアはぐったりとしており、服を探すふりをしながら頭を撫でて、【依存して】と【継いで再生する】で彼女を労う。
【クレアボヤンス】で辺りを見てみるに、一応ぼくにも監視の目はあるようで、でもさすがに天井裏にはいなかったので軽くメイリアの頭や頬に口付けした。
首に腕を回してくるメイリアの重さに少し安らぎを覚える。
魔術【闇のクッション】を彼女の記憶に追加しておいたけれど、複数の魔術の同時起動は脳に負荷がかかるようなので発動はぼくがしておいた。
メイリアのパッパから袖の下に通された手紙を渡しておく。
顎の下のラインに柔らかい感触、ぐったりとして眠そうな眼、見上げるような仕草、一枚の絵のようで保存したいと考えてしまった。
夕食も誘われているようで、当然断ることはできずメイリアはげっそりしていた。
一緒にお風呂に入りたいけれど無理だ。
お風呂で軽く体を洗い、着替えているとお風呂の間に手紙を読んだのか、メイリアは開いた紙を折りたたんでいた。メイリアの表情は無表情と少し芳しくはなく、ぼくはメイリアの父親に悪い感情のようなものを感じなかったけれど、メイリアにはそうではなさそうだった。ぼくの知らない何かがあるのかもしれない。
メイリアの頬に口付けして部屋を出て、王妃の元へ向かう。
自室のドアを開けて外へ出ると、すでに用意していたリョカがいてびっくりした。
「すごすぎて逆にすごい」
「けなしているわけ?」
「君、招待されてなくない?」
そう言うとリョカは誘えと言わぬばかりに睨みつけてきた。
「兄さんがメイリアと食事をとるらしいから行ってきなよ」
「それこそ誘われてないじゃない」
「お互い苦労するね」
「ほんと嫌だわ」
「トカゲをけしかけてほんと悪かったと思うよ」
「そう思うなら婚約しなさい」
「君、婚約してもぼくと契る気なんか全然なくて、兄と子供作る気でしょ」
「貴方だって好きな女と子供を作っていいわよ」
ドン引きしそうになった表情を眠そうな無表情で隠す。
結婚の意味が無い気がした。
返事をせずに王妃が待つ幾つかある応接間の一つへ移動する。
王妃はまだ来ておらず、第一王女と第十二王女がいた。
「食事にお招きいただき、光栄に存じます」
「いらっしゃい。かたくならず、くつろいで頂戴」
第十二王女の傍には猫がいて、第一王女の【シストラム改】だとわかった。嬉しそうにしていたので猫は万民共通の癒しであることがわかる。いや、そもそも猫という生物がいるのだろうか。市勢にでてないからわからんちん。
「さぁこちらへいらっしゃい」
「すみません。一人、同席してもよろしいでしょうか?」
「あら? どなた?」
「リョカにございます」
「あら、リョカちゃん。いらっしゃい。どうぞお入りになって」
案内された席に座り待っているとドアが開き、みなが立ち上がり、優雅に歩み来る王妃が上座に座るのを待った。
「おかけになって」
そう言われて、皆が席につく。陛下の前では序列が大事だけれど、王妃の前では序列など無意味だ。王妃が一番偉くて他は平等だからだ。国母だからね。国の母だからね。
「よく来てくれたわね。王子」
「恐悦至極に存じます王妃様」
「そうかしこまらないで、今は対外の場ではないのですから。親と子として接しましょう」
「幸福の極みに存じます」
「もう、かしこまらないでと言っているのに……結構意地悪なのね」
「姉上……」
「お姉ちゃん。でしょ? ふふっ」
「ところで……貴方はどうしているのかしら」
「王妃様。失礼いたします。リョカにございます」
「それは知っているわ」
「一人で食事をとると言う事ですので、私がお連れしました。申し訳ございません。王妃様」
「これ、ある」
王妃がそう言うと使用人がやってきた。
「リョカ、貴方がここにいても退屈なだけでしょう。近くで殿下が食事をしているわ。貴方、案内して差し上げなさい」
「私がいてはご迷惑でしょうか」
「そうね。今日は親子で過ごしたいの、ごめんなさいね」
うわっ。王妃は容赦なくリョカを追い出し、リョカは怒りと少し悲しみを帯びて部屋を出て行った。
「不愉快にさせていたら、ごめんなさいね」
「リョカも本当は兄と食事をとりたかったようですが、招待されていなかったようでして、こちらへお連れしたのですが、至らなく存じます」
「いいのよ。浅ましいわね」
「王妃様。そうおっしゃらないでください。ぼくもそしてリョカも、このお城で生きるので精一杯なのでございます」
「……そうね」
それから他愛の無い話をしながら食事をとった。王妃も第一王女も男性を楽しませる術を心得ていて、いちいち色っぽくて正直言えば楽しかった。
食事も美味しくて、欲を言えばメイリアの手料理が恋しかった。ジャガイモみたいなのを蒸かしただけで、味も素材の味としおあじだけ。今思えば美味しかったな。心の栄養だ。恋しい。あのしおあじが恋しい。
「王妃様。今日はとても楽しかったです」
「そう? 楽しんで頂いて嬉しいわ。……ところで、第一王女が連れているその猫、というペットの事だけれど。私も欲しいと思いましてね。用意できるかしら?」
「私は喋ってないわよ?」
「疑ってはいませんよ姉上。王妃様。扱えるかどうかは王妃様次第になりますが、よろしいですか?」
実際そんな事はない。
「お姉ちゃん。次姉上って言ったらどうなるかわからないわよ?」
お姉ちゃん。無茶ぶりやめてください。
「かまわないわ」
「他言無用にございます」
「わかっているわ」
だからリョカを追い出したのだろうと察した。
王妃を解析して記憶に【シストラム改】を追加する。
「呪文名は【シストラム】にございます」
告げた途端、王妃の前に黒猫が現れる。王妃は猫に手を伸ばして撫でていた。
「いいわね」
第十二王女がそれを見て、顔を真っ青にしていた。
「シストラム‼ シストラム‼ なんで⁉ なんで⁉」
必死に唱える第十二王女が可哀そうだけれど。
「貴方自身は使えないのね」
「わたくし……ぼくには才能がありませんので」
そう告げると第十二王女が泣き出してしまった。
「あらあら、おいでなさい」
王妃はそう告げて、十二王女は正妃に抱き着いて涙を流した。十二王女は王妃の娘のようだけれど父親は……。
「大丈夫よ。大丈夫。呪文を知っていれば使える類の魔術ではないのでしょう」
「どうしてかはぼくにもわかりかねます。聞かれても困りますゆえに、他言無用にございます」
「私が教えても使えないというわけね?」
「わかりかねます」
「おそらくそう言ったものなのでしょう。貴方のその黒髪、おそらく遺伝覚醒……という事なのでしょうね」
えっ。そうなの。
「寵姫も馬鹿な事を……こちらへいらっしゃい」
傍へ行くと王妃や第一王女に抱きしめられた。
「母の温もりを知らず育つのは辛いものだったでしょう。せめて今、私を母として温もりを感じてほしい」
「恐れ多き事にございます王妃様」
王妃も王女もいい香りがして柔らかかった。白くて綺麗でファニーで清楚だ。理想の女性像がそこにある。王妃はちょっと怖いけど。
第十二王女の頭を撫でる。
「どうか落ち込まないでください。いずれ才能は開花するはずです。ぼくとは違って」
解析データより記憶データに魔力空間を増設する。魔力の素養はこれで大丈夫なはずだ。一応、本当に困った時にのみ空間が直結して扱えるように調整はしておく。王族が変に力を持つと増長しそうで怖いんだぼくは。ごめんね。
「ありがとう。お兄様」
そう言われて少し笑ってしまった。
十二王女の頭に唇をつけると、王妃と第一王女がぼくの頭にキスしてくれた。心の中では抵抗があった。それを表情に出さず受け入れて笑む。嫌だと感じてしまった。メイリアの口づけとは違うと強く認識する。
お別れをして部屋を出て自室に戻る――自室の前には兄とメイリアがいた。
「今日は楽しかった」
そう告げて兄はメイリアの手を寄せて唇をつける。その後ろにいたリョカの表情は苦かった。可哀そうと同情するのは彼女に失礼なのかもしれない。
傍に行くと兄は気付いて、ぼくは頭を垂れる。
「陛下。失礼いたします」
「うむ。世のメイリアをよろしく頼む。メイリアは疲れているゆえ、早めに休ませるように」
世の。
「承知いたしました」
そう言って兄は魔力のこもった手で頭を撫でてきた。
兄が去ったあと、メイリアはぼくに一礼して自室の扉を開けてくれた。
部屋の入り口、ドア前には騎士が駐在するようで、部屋を見張る人の気配も感じた。メイリアはドレッサーに近づき入れ替わり、【ドッペル:メイリア】が食べたふりをした食料を衣類に隠してベッドメイキングのふり。ぼくが【暗幕】を張るとやっと緊張の糸が切れたのか、メイリアは息を吐いて、【ドッペル:メイリア】を発動、傍の椅子に座らせ、衣類に隠していた食料を食べ始めた。
ぼくはドレッサーを開いて服を脱ぎ、洗濯する衣類を部屋の隅に並べる。
寝間着に着替えて……【ドッペル:メイリア】が手伝ってくれた。食事をとったメイリアは掛布団を正すふりで【暗幕】の中へ入った【ドッペル:メイリア】と重なり、思いだしたように歯磨きをしに洗面所へ行くぼくに続いて洗面所で歯磨きなどの所用を済ませた。
【暗幕】内へ入ってまた【ドッペル:メイリア】と別れドッペルは椅子へ。やっと一心地。
こんな面倒なことをしないといけないなんてね。
メイリアは精神的な気苦労からか、動きが鈍かった。
モモの上に頭を乗せて頭を撫でる。
「今日は疲れたね」
そう告げるとメイリアは、ずいずいと上がって来て、体ごともたれかかって来た。
「いい子いい子」
甘えるように体を擦りつけてくるメイリアを愛撫やキスで労った。【依存して】を発動しながら手を這わせると気持ち良さそうにしていた。なんだろう。接したいと言う気持ちもあるけれど、それよりも強く彼女を癒してあげたいという気持ちになった。
「今日はいっぱい疲れたね。お疲れ様。今日はいっぱいぎゅうしようね」
なぜ服を脱ぐ――なぜ服を脱がせる。まぁいいか。
【闇のクッション】を発動する。闇のクッションは闇に水の粘性と弾力を与えたものだ。座っていると徐々に沈み、一定のところで停滞する。呼吸のできる水の中と言えばいいのかな。
密着した体。相互の摩擦。ラインでラインを擦る。手首から手を這わせ、平、指の間に指を擦り入れる。持ち上げた手を頬に添えて頬と手で擦り上げる。唇を這わせ、彼女の手の匂いに深く息をする。腕から二の腕に滑らせる唇。手を掴み柔らかくもみほぐす。
あむあむと唇だけで噛む。
張力のように貼り付いた肌。お互いがお互いの温もりに包まれて、広げた手の平でラインの表面を何度も擦り撫でた。何度も何度も肌を擦り合わせる。
ゆっくりゆっくり、動かずに唇を重ねて。背中を撫でて、今日の出来事を話した。王妃や第一王女と夕食を取った話をすると背中に爪を立てられて痛かった。メイリアは言葉のない口で話をいっぱいした。
ゆっくりゆっくり――もどかしいように、悶えるのを抑えるように、身じろぎすら許さずに押さえて、ゆっくりゆっくり。
ごめんね。何もできなくて。そう言いたかったけれど、それを言ったところで何になるのか。
「愛してる」
そう告げるとメイリアはぼくの手を強く握った。貴方は私のもの。そう言われているような気がした。
「君のものだよ」
そう言うと彼女は嬉しそうに笑って頬擦りの感触。肌の擦れる感触が気持ちよくて背中へ向けて手を通す肌触りを感じていた。鎖骨に這わせる頬。
ゆっくりと時間をかけて。
脳髄が痺れるような幸福感に満たされる。
「メイリア……とっても幸せだよ。今日はいっぱい疲れたね」
何度伝えても足りない。声色を変えて語尾を強めに、弱めに、かすれるように名前を呼ぶ。
彼女は鼻をすするような音をあげ、体を強く密着した。
押し寄せる衝動に体が勝手に理性を伴い瓦解する。チョコレートに愛を混ぜて注ぎ込むように。心臓の鼓動だけが早く。
彼女を背後から抱きしめて、お腹に回した手を重ねて、眠る彼女の頬を撫でながら、一晩中起きていた。
さすがに警戒している。しかしさすがに見張りも部屋の中にまでは入ってこなかった。
次の日――朝から兄が自室まで来た。
扉の前に立つ兄に部屋から出てお辞儀する。
「昨日はよく休めたか?」
「おはようございます殿下」
「メイリアはどうした? 朝食へ行く」
「申し訳ございません。兄上。メイリアは少々疲れております。どうかしばらくお休みのほどを与えて頂きたく存じます」
「世は昨日、メイリアを早めに休めるように言ったはずだ」
「体ではなく、心労からくる疲れにございます。慣れない環境に、言葉の喋れないストレスも重なり、体調を崩しております」
「だれか、すぐに聖魔術師を連れてまいれ」
「殿下、これは心から来る疲れにございます。少々メイリア侯爵令嬢を一人にさせていただけはしませんでしょうか?」
そう告げた瞬間襟首を握られ、握られると同時に拳の衝撃が体を揺さぶった。
「それを決めるのはお前ではあるまい」
「兄上……どうか、どうか。伏してお願い申し上げっまず」
「ふんっ。お前には任せておけん」
「何をしているのです」
王妃様がいた。
「王妃様。メイリア侯爵令嬢が体調を崩したので治療のために聖魔術師を呼んだところです」
「心労から来る体調の崩れと言っているではありませんか。貴方は何を大事にしているのです」
「これは何事ですか?」
うわっ。ママ親が来てしまった。
「母上」
一応王妃の方がママ親より身分は上だ。例え殿下の母親であってもこれは覆らない。覆ったら王族の根幹を揺るがす事態になるので覆らない。
「貴方は何をやっているのです。女などにうつつを抜かして」
「しかし母上。メイリアは……」
「はぁ……。メイリアはなんですか? 聞けばメイリア侯爵令嬢の母親は市勢の出だそうですね。昨日側室になることは却下されたはずです」
「しかし‼」
「しかしではありません。しっかりなさい。貴方は王になるのですよ。こんな事では先が思いやられます。行きますよ」
「ぐっ……」
兄は唇を噛みしめていた。穏便にお引き取り頂きたかったのに、大事になってしまった。側室が却下されたというのは、まぁ知っていた話だ。
ぼくはママ親と兄に頭を下げた。多分兄は睨んでいた。
手に入らないものほど欲しくなる。兄は今メイリアに執着しているだけだ。
これでとりあえず、今日一日のメイリアの心労は回避された。
「王妃様。お手数をおかけします」
「いいのよ」
そう言いながら、王妃は抱えた猫の頭を撫でていた。ついでに頬を撫でられ。
「いい子ね」
と言われた。完全に子供扱いされていた。
メイリアの朝食を準備して運び込む。見張りも護衛騎士も周りからはいなくなっていた。兄の母親にとってメイリアなんて眼中にもない存在だ。関わり会いたくもないだろう。
王城には色々な食材が集まっており、作られた食事を貰い、自分でも久しぶりに果物の摩り下ろしを作って部屋に持って行った。本当は王族が厨房に出入りするのは良くないのだけれど、ぼくは放蕩王子だからね。
部屋に入るとメイリアはお風呂に入っている様子でリラックスしていた。
朝食をテーブルへ置いて【クレアボヤンス】で周りに監視する人間がいないことを確認する。今朝の一件より護衛や見張りが解かれたのだろう。そこまでするほどの存在ではないと認識されたのだろう。
ノックしてお風呂場へ。ゆっくりできるようにメイリアの体を丁寧に洗った。
上がったら一緒に朝食。
「なんだかイモの蒸かしが懐かしいよ」
そう言うとメイリアは驚いた顔をして、それから笑った。
食べる料理を交互に交換する癖や、何が食べたいのかメイリアにはわかっていて、なんだか複雑な食事をしているのに、それが自然で不思議だった。
メイリアが次に食べたいだろうおかずをフォークに差して差し出すと、メイリアもそれを咥えながらぼくの咀嚼のリズムや好みから、次フォークを伸ばすだろうおかずにフォークを差して差し出してくる。
自分でも食べながらメイリアにも食べさせるし、メイリアも自分で食べながらぼくに食べさせるので食事中はほぼ無言だった。
早食いするとメイリアが怒るからなるべくゆっくり咀嚼して食べている。
メイリアが乗り出してきて、口の周りを舐めとってくる。唇が触れないようにメイリアの唇を同じく回し舐めとり、元の位置に戻ろうとするメイリアに手を伸ばして止め、腰を浮かせて近づいてチュッと唇を当てて元の位置に戻った。
その日一日は監視が付くこともなく、メイリアは体調が悪いという体裁があるので部屋からは出られない。
何をするでもなく、ダラダラしながらくっついていた。
メイリアのモモに頭を乗せたり、メイリアがぼくのモモに頭を乗せたり、とりあえず寄りかかったり、暗幕の中で寝ていたらメイリアも寝ていて、額に唇を寄せメイリアは微睡むように身じろぎした後より寄り添ってきた。お互いの体温に包まれながら午前中を過ごした。
起きてからはメイリアの頭をモモに乗せ、ナデナデしていた。
甲斐性がない。お金を稼ぐ手段を考えないと。ぼくって実はかなり甲斐性が無い。いや、親の権威があるのでお金に困る事はない事を前提に考えれば何の問題もない。
でもそれでいいのかと問われると迷ってしまう。
自分でお金を稼いで養うべきじゃないのか。むしろ養いたい。
「メイリア」
名前を呼ぶとメイリアは猫のように、そしてくすぐったそうに寝返りをうった。
午後になると王に呼ばれて玉座の間に赴いた。メイリアには部屋にいて貰う。
王から封地を賜ったのだけれど、そう言われた所で現地を見ていないのでなんとも言えない。拒否権はない。
「謹んで拝命いたします」
北の辺境、獣人国家の近くらしい。獣人がいる。興味はあった。
この世界には人種が多種多様な種族がいる。
人、獣人、鱗人(いろくず)、天人、巨人等々。
「お前達には宝物を一つ授ける。順に持っていくがよい」
「ありがたき幸せに存じます」
今回封地を授かったのは第六、つまりぼくまでだ。他の兄弟はまだ独り立ちするには年が若すぎる。封地は基本的に平和でやることがない。僻地で大人しく生涯を終えるのが仕事だ。
厄介払い。領地を賜る貴族等とは違う。あくまでも王族だからだ。王族として与えられた領地で静かに暮らす。貴族にはなれない。将来子供が生まれた時、その子供を母方の実家の跡取りとして添える事はできる。所謂マグナートと呼ばれる人達で、位の割に力が強かったりお金持ちだったりする。王の血筋の子供達はあくまでも王の血筋を持っているだけなので王位継承権はほぼ無いに等しい。でも王の血筋と言うだけで高貴とか言われる。ここからさらに二世とかになると継承権は無い。
宝物庫に案内されて見て回った。
広い空間一面に宝物が足の踏み場に困るぐらい転がっている。
「では第二位王子。御選びなさい」
どれも今は壊れた骨董品だ。めぼしいものは覚えているつもりだけれど、忘れたものが少なからずありそう。
本当は隅から隅っこまで眺めたいところだけれど、好き勝手にできない現状もある。見張りもあるし時間もそうかけられないらしい。
第二王子の次の第三、第四、第五と四人は割とすぐに持って行く宝物を決めてしまった。多分だけれど、所縁が判断基準だと見る。
第二王子が選んだのは柄のみの剣。【光剣シャンクティア】。
第三王子が選んだのは石の冠。【石秘テリジリア】。
第四王子は茨の槍。【愛杖マルティーニ】。
第五王子が選んだのは旗。【常勝エンニカ】。
どれも縁起のいい由来や名前、形のものだ。もう効果は失われていてお飾りではあるけれど。
みんな最初から選んでいたらしく、かぶらないようにも連絡を取っていたのかもしれない。第四王子だけはその辺から適当に選んだ感がある。
選んだ人からいなくなるので、最後に残ったのはぼくだけだった。
とは言っても見張りはいる。王子と言えど宝物庫で自由にできない。特殊効果が無いと言っても金属としての価値はある。
宝物の中には金銀財宝も多い。でも金色の冠とか選んでも国より賜った宝物を売りに出すなんて体裁が悪すぎて無理。それでも何かあった時は貴族に売りにだすらしい。貴族にとって王族より宝物を買い取ることはステータスだし、王家の信用と言う名の箔も付く。
剣を取ってみても、ぼくにはこれが金なのか、黄鉄鉱なのか、メッキなのかすら判断できなかった。重ければいい物ぐらいしか……。解析データ表記しても組成が複雑すぎて成分まで判別できるかと言えば否だ。もっと頭の良い人ならできるだろうけど眩暈がする。
この世界の鉄とか鉱石とか金属とかろくに見ていないぼくには現物を判断できない。現物の組成式をもっていないからだ。スプーンだって金属としか実は判別できていない。あれが鉄なのか鉛なのか銀なのかすら判断できない。いや、剣とか鎧のデータはあるよ。城の中のね。でも原材料がそもそも不明って言うね。
テレビを使えるのとテレビを作れるのは違う。
こういう物って組成表記だけがやたら複雑で効果だけはわかりやすい。
化学式が出て来てもその化学式自体が解明できない。いきなり多言語を喋れって言われても常人には無理んご。
化学式ですらない未知の表記もある。何も手がかりが無いのに暗号解読はさすがに。ぼくにとってこれらはエニグマと一緒だ。
解析データを見ても壊れているので効果の一覧は何処か不完全だ。発動していない効果が効果として表記されていない可能性すらある。
下手に弄ってもダメなんよ。壊れるから。いくつかの宝物は解析してデータだけをストックしておいた。
お目当て二番目の【玉響の枝】は壁に立てかけてあった。
あーこれ、あー勇者の剣だ。子供が持って遊ぶ伝説の剣だ。持って見ると見た目は白樺の枝のように見える。でも手触りは金属に近い。これも欲しいけれど、解析データだけを保存して手放す。
監視がなかなか選ばないぼくを急かすように咳払いし、とっとと【賢者の帽子】を探して外へ出ることにした。なかなか見つからないとキョロキョロしていたら、【賢者の帽子】は床に落ちていた。魔術師が頭に乗せるような黒い尖がり帽子だ。手触りがいい。飲み込まれるような印象を持つ布状製の帽子だ。
かぶって宝物庫を出る。
部屋に戻るために外へ出ると驚いた。夕日が傾いていた。そんな長い時間宝物庫にいたなんて。
宝物庫について愕然とした。
皆がなぜ足早に宝物庫を後にするのか理解した。なんらかの理由によって時間の経過が異なる。解析でも操れなかった時間の波がある。急いで解析しようと試みる――でもなんだろ。時間の流れが速いわけじゃなかった。人間の意識に介入し体感時間を遅らせる効果と言ったらいいのか。この宝物庫自体が宝物だった。意味が不明。
誰も教えてくれなかった。いじめだ。まぁいいや。
部屋に戻るとメイリアが迎えてくれた。何時も通り周りを警戒し視線を巡らせるが、監視の様子はなかった。とは言っても巡回の騎士はいるし、時間経過によって使用人の見回りはある。使用人は部屋の中まで覗いてくる。覗き穴があるなんて嫌な部屋だ。
メイリアが両手の平を前に出して来て、ニギニギしている。
メイリアが視界に入るだけで笑みが浮かぶのはなぜだろう。メイリアが視界に入るだけで幸せな気持ちになる。好きな人の側では自然と笑顔になる。気づかないと無意識なんだろうなと察した。
首を傾げながら手を差し出してニギニギすると、メイリアは首を横へ傾けて無邪気な笑みを浮かべた。少なくともぼくには無邪気な笑みに見えた。
次いで手を離しポケットから取り出してきたのは一通の手紙らしきもの。閉じられた封筒の縁を一直線に舐めて手から軽く放ってくる。
手紙は回転して飛び、回りを一周したので目の前で受け取った。
メイリアの舐めた縁は湿りノリが溶けて開けた。
メイリアのパッパからの夕食への招待状だった。
「準備しないとね」
ついでに近くのテーブルからペンを取り、招待状の裏に【好き】と書いて折り、解析データより今の自分の蕩けている気持ちを封じ込めて差し出した。目元が緩んでいる。少しの恥ずかしさもある。でもきっとメイリアは喜んでくれるなんて予測も想像もある。
ラブレターなんて初めて書いた。
メイリアは紙を広げて瞳孔の開く姿を見せてくれた。ぼくを見て恥ずかしそうに笑み、紙で顔を隠してチラリとこちらを見る。緩んだ口元を見ていて心地が良かった。
文面に唇をつけた後、ペンを要求してきて、ぼくから受け取り、帰って来た紙には【私も】と書いてあった。
それから封の方にも何かを書き、差し出して来た。
封の表面には綺麗な筆記体で【貴方は私のもの】と書いてあった。
照れくさいのと恥ずかしさで目を反らしてしまった。メイリアの先ほどの様子を見て、文面に唇を近づけると彼女の匂いがした。
紙を封に納めて一緒にすると、メイリアが手を伸ばして来て、あげないよと手紙を引っ込める。彼女は躍起になってぼくから封筒を奪おうとして、卑怯にも胸や股間を押し付けてきて、唇を沢山押し付けられて奪われてしまった。
一緒にお風呂に入り、メイリアの頭や体を丁寧に洗う。襟足や背中、お尻の産毛などを丹念にカミソリで剃った。王室のカミソリは質がいい。正直カミソリを持つのすらぼくは嫌だ。縦に切っても切れないカミソリだとは知っている。それでも慎重になる。
背中に何度も唇をつける。背後に伸ばしてきた手にも。
「イイ感じだね」
触れるメイリアの手が肌の表面をなぞる。泡立った体を弄られ、揉み解されて、お尻の穴まで指で綺麗に拭われる。昔はさすがに嫌だったけれど、もうすでに今更だし、ぼくだってメイリアのお尻を洗う。
お湯をかけられて産毛を剃られる。長い髪はまとめ上げられ、絞られてひとまとめに。襟足、背中、お尻の毛を剃られる。
チュッと耳元にキスされて終了の合図。
湯船に浸かって冷めた体を温めて着替えて準備万端。
正直言ってパッパ(メイリアの)との食事は楽しいものではなかった。
王城である手前、一室を借りるのだって許可申請がいる。見張りもいたし、カインツロウ侯爵は貴賓扱いだ。
メイリアは喋れないので、メイリアとどんな生活をしていたのかとか、そういう生活態度などを聞かれた。当たり障りのない回答を伝え騎士に言い寄られていた話をした。その話を聞いて侯爵は楽しそうに笑った。メイリアの話を心の底から楽しんでいるようではあった。
メイリアは恥ずかしい話しなどには顔を真っ赤にして手を前に出して振った。
なぜ楽しくなかったかの話。
この後のメイリアをどうするのかと言う話になった。
今のままメイリアをぼくの御付きとして封地にも向かわせるのか、どう思っているのか、今後の展望などを聞かれた。
考えたこともなかった。封地にもメイリアは普通に来ると考えていた。しかしメイリアにも今後はある。
「ぼくは妻でも構いません」
「君はメイリアを守れるのかい? その力があると。側室として、否、正室として迎えるとでも? それを陛下や兄が果たして許すかな?」
グウの根も出なかった。はっきりと正妻にしたいと告げたつもりだった。でもそれが許されるのかと問われると、有無を言わさず押し通す力がぼくにはなかった。なんて無責任で馬鹿な奴なんだ。
よしんば侯爵の力を借りられたとして、侯爵は王家に逆らえなくなるだろう。それこそひどければ道具のように扱われてしまう。
「愛だけでどうにかなるのなら、この世は美談で溢れているよ」
そう言われて血の気が引いた。実際、ぼくとメイリアには、少なくともぼくはメイリアに愛しか求めておらず、愛しか与えることができなかったからだ。
「確かにその通りです」
「魔術も使えない二人でやっていけるとでも? 君が社交力に優れていたのなら何も言わなかっただろう。でも君はどうだ? 積極的に貴族に関わりを持ったか? やっていることはどうだ? 流されるままに自体をこなしているだけだ」
うなだれてしまった。その通りだ。人付き合いが苦手だ。メイリアさえ居ればいいと考えていた。でもメイリアを守るために、ぼくは味方を作らなければならなかった。それを放棄してしまった。何も考えていなかった。
机を伝う冷気に気づいて。
それはダメと机の下でメイリアの手を握る。
侯爵のスープの皿の湯気の温度が反転した。
「これは……」
メイリアを見ると、メイリアは実の父親を射殺さぬばかりの視線を向けていた。メイリアの手をなるだけ優しく掴み込められた力を和らげた。
「なるほど……」
「失礼しました。確かにぼくもメイリアも魔術は使えません。王族としての役割を放棄してしまった。貴方の言う通りです。ぼくには何もありません。メイリアを守り通す力がありません」
侯爵は皿のスープを一口飲み込んで口を拭った。
「私の愛する娘の事だ。私も少々熱くなってしまった」
「いえ、私が浅はかでした」
だからと言って何もできない。貴族を味方に付けることはできないのだ。なぜならそれ自体に謀反の疑いをかけられるから。
「少々イジワルをしてしまったようだね。愛娘に殺意を向けられるとは思わなかったよ。それほどとは……」
そう言われてもメイリアの視線は静かだった。
「わたしは、メイリアを愛しています」
そう告げると侯爵は鼻で笑った。愛が永遠なのなら誰も悩みはしないから。離婚なんて言葉は存在しないことになるから。
若い。なんてそんな台詞を言われたような気がした。
「本気で愛しているのだな? 正妻に迎えると」
念を押されるように聞かれる。
「こんな事言っても信じて貰えないかもしれません。メイリアの事を自分の半分のように思っています。メイリアがいなくなったら私は……生きて、いけませんッ」
それはプラスの台詞じゃなくてマイナスの台詞だった。同情でも誘っているかのような台詞を言ってしまったことに項垂れた。
「私も妻を愛していた。何よりも、地位よりも金より、愛だけあれば良かった。それだけで良かった。私を見ろ。愛だけでどうにかなるのなら、私は今この場にいない。私を見ろ。王子」
脱出口が見つからなかった。どうすればメイリアを幸せにできるか、その答えをぼくは持っていなかった。一緒にいれば幸せなのか。それはぼくだけなんじゃないのか。ストレスで滲む目、これが言い訳と言わぬばかりに視界を歪ませて嫌だった。情けない。情けなかった。打ちひしがれた。どうしようもないガキだと言われた気分だった。
「少し時間を持って、考えなさい」
そう告げられた。封地まで獣車で移動するのに一週間ほどかかる。メイリアを一度自領へ連れていくと言われた。メイリアは抗議するように立ち上がったが――。
「母親ぐらいには挨拶しなさい」
亡くなった母親を思うなら墓参りをしろと言われれば、メイリアもさすがに拒否できないようだった。
それでもぼくは、メイリアが欲しくてたまらなかった。
その夜、【暗幕】の中でメイリアを求めずにはいられなかった。メイリアを激しく求めた。子供でもできればどうにもならないだろうと、そんな浅ましく愚かな考えがあった。
同じように激しく求めて来るメイリアが、ぼくと同じ考えのようで嬉しかった。愛しているという言葉を何度言ったかわからない。自分のものだと誇示するようにお互いの体液にまみれた。交わるのもそうだけれど、手を握り合い、見つめ合うと問題は解決していないのに心は蕩けるようだった。内側から溢れて来る愛おしさという奴で、まぁどうにかなるだろうと楽観的に考えた。なるようにしかならないと自分を納得させた。納得させるしかなかった。
いっそう一つになれたらいいのに。
次の日、メイリアと別の馬車に乗るが嫌だった。結局ギリギリまで交わっていた。見送る馬車で、手を離すのが嫌だった。解けた手が二度と握れない気がして狂いそうだった。
それでも見送らなければいけない。
去ったメイリアを見送り、ぼくも自分の馬車に乗る。
自領が近いのでリョカが途中まで見送るともう一台の馬車で後ろに続いた。
たった少し離れるだけなのに打ちひしがれている。
たった少し、離れるだけだよね。
今すぐにでもメイリアの所へ行きたい気持ちを抑えてため息として吐き出した。
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