「ある」と「いる」
「ある」と「いる」の使い分け、「ない」と「いない」の使い分けを、日本語以外にする言語はあるのだろうか。
ないことはないと思うのだが、とりあえず個人的に知る限りでは英語、ドイツ語、中国語、タイ語、ハングルにはないようだった。
酔狂な使い分けだと思う。
「人があります」「ビルがいます」は文法的な違和感があるだけなのだが。
「ペッパーくんがいる」と言うのも、くん付けに「ある」を繋げると文法的な違和感があるからなだけだが。
でもおそらくそれだけではない。
「うちの研究室にはロボットがあるんだけど」
と言われたら、聞き手はコミュニケーションが取れたり生き物のような振る舞いをするロボットではなく機械としてのロボットを想像するのではないか。
逆に明らかに人型のロボットのことをさして
「部屋にうちのロボットがあるよ」
と言ったら、その人はロボットを完全に機械としてのみ扱っているのだろうと想像する。
自分が対象をどのような存在と認識しているか、ということを話しながら判断しているのだ。実際どう判断しているか、その使い分けがない言語の人にそれを説明できるか自信がない。
もっとわかりやすい例を挙げればつまり、
「何かいる」
そう言えばそれだけで、意味が限定される。「誰かいる」でもなく「何かある」でもない。人以外の生き物が存在しているとわかる。
さらに意味深に
――そこには、何かがいる。
と傍点でもつければ、「人ではない何か」を怪しく匂わすことができる。ホラー小説にいくらでも書かれているのではないですか。ホラー読めないので知らないんですけど。こういうのを翻訳するときはどうしているんだろう。
日本語が様々な境遇の人と最低限の意思疎通を図るために発展した言語ではないのをこういうところで感じる。商取引のための言葉ではない。未知の相手と通じ合うための言葉ではない。内輪の言葉だ。
フィンランド語には「存在する(olemassa)」という単語があるらしい。
厳密に言うと「ある/いる」を意味する動詞「olla」を変化させることで「存在する」ことを強調した単語らしい。(正確ではないかもしれません。有識者コメントください。)
しかし「いる」と「存在する」は、また別だ。
「愛が存在する」と言うことはできるが
「愛がいる」と言うことはできない。
つまり我々は「いる/いない」を本当に生物(とこちらがみなせるような物)のみに限定して使っている。その対象への敬意や尊重は関係ない。「ゴキブリがいる」と言っても「愛がいる」とは言わない。
しかも、生物のようにみなせれば実在は問わない。ゲーム内で「なんかいる」とも言うのだ。
なら「ウイルス」はいる? ある? 「細菌」はいる? ある?
そう考えてみれば今度は「存在」って言葉、まじで何。
明らかに市民の生活の中から自然発生的に生まれた言葉ではないよな。存じて、在る。
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