日付変更線

 よく考えるとすごい言葉だ。

 「日付」という本来人間の力の及ばないはずの概念を、「変更」してしまう、「線」だなんて。

 三つの単語がすべてが、日常的に当たり前に使う言葉なところがポイントだと思う。

 反対側の経度0度は「本初子午線」であるが、こちらはむしろ言葉の羅列の時点でなんかちょっとかっこいいし、そのせいではないがあまり使わない。経度が0であることは日常的に全然必要ない。

 日付はめちゃくちゃ使うぜ。

 日付のことを考えない生活というのは、日がな一日部屋で天井を見つめる生活くらいしかないと思う。でもその一日という概念は日付によってできている。

 地球上のあらゆる人間、文明国ならほぼすべてに必要な、誰にでも等しく訪れる日付をまるで事務的に変更してしまう線だなんて。


 Wikipediaの日付変更線のページに

「地球が丸いために発生する矛盾に対応する」

 とあって、Wikipediaの魅力はこういう平易な言葉による唐突な名文があるところだ。


 地球が丸いために発生する矛盾。


 今すぐ地球が丸いために発生した矛盾によって巻き起こる短編を書きたいが才能がない。

 地球が丸いことよりも当たり前のことはあるだろうか。そんな当たり前のことでもなお矛盾が発生してしまうなんて。しかもその矛盾は小学生でも理解できるくらい簡単な仕組みであり、つい四、五百年前のヨーロッパでは口にすると殺されるくらいあり得ないことだった。


 十六世紀、マゼラン一行が西回りの航路で世界を一周したが、帰還すると航海日誌に記録されていた日付が一日遅れていた。

 日付がズレていたということは、曜日がズレていたことになる。

 日曜日を主日とし礼拝するキリスト教徒にとってそれは大問題であった、というところが大変良い。地球規模の現象を前に、宗教的な習慣という全く別レイヤーの問題が直接絡み合ってくる。今すぐ地球が丸いために発生する矛盾によって敬虔な人々のお祈りの習慣がかき乱される短編を書きたいが才能がない。

(マゼラン艦隊、二百七十名の五隻で出発し、三年後に十八名一隻で帰還した、というのが恐ろしすぎる。そんな過酷な旅と犠牲を思えばお祈りの曜日まで間違えていたとは認めたくないだろう。)


 宇宙に出てもあるだろうか。

 例えば宇宙が三次元であるために発生する矛盾。


 宇宙空間でも人は日付を数えるだろうか。

 太陽系を離れた人類は、それでも宇宙船の中で何世代にも渡り旧態式の日付の刻み方を守り続けてきた。今やただ一つ残った正確な時を刻む時計をもとに人々は生活を続け、年齢を重ね、歴史を記録する。けれどもその時計が本当に正しいのか、少しずつズレ始めているのかは、もはや確かめようもなく―――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る