1.5  令嬢様と夜の散歩

「そろそろ出ましょう」

「そうだな。あまり遅くなっても良くないし」


 昼間は汗が出てクーラーにあたりたいくらい暑かったのに。夜になったらひんやり冷たい風が丁度良く吹いていた。


 これくらいの天気ならばーちゃん家なら星が見えたかもな……。


「そういえばですが。こんなにも毎日会って一緒にご飯も食べる仲だと言うのに、朝の登校と買い物以外で揃って外出するのは初めてですね」

「まぁ、用事もなかったし。二人で外を歩くと学校の奴に見られるかもしれないしな」


 そう言うと恵は少しうつむいて呟いた。


「普通になりたいです」


 俺からすればその言葉は一生口から出ないであろう一言だった。


 勉強ができて、スポーツも万能で、顔やスタイルも完璧。俺にはすべて欠けているものばかりで平凡な人間からすれば恵の立場は羨ましいものであるはずなのに。

 恵はそれらを全て否定するかのようなことを言っている。


 俺は真っ暗な夜空を見上げて小さくため息をついた。


 どれだけ一緒にいる時間が増えていっても。どれだけ相手を理解しようとしても。元々の生き方やあたりまえの認識が違うだけでこんなにも距離を感じてしまう。


「恵はさ。どうして勉強やスポーツ、何にしても全力で頑張るんだ?」

「それは……」

「……ごめん。言いたくないことなら良いんだ。でも恵が特別な存在だって思われたりするのは、恵が全てに一生懸命に取り組んで皆には作れないような結果を出すからじゃないのかなって」


 恵は立ち止まって振り向くと何も言わず道路沿いの縁石を指さす。


 縁石に座ると隣に恵も続くように座った。


 街灯が二人を頭上から照らしお互いの顔はハッキリと見える。恵の表情にはあまり元気がなく俺の言葉から喋りづらい時間が続く。


 なにか喋らないとと考えるが思い当たらない。元々会話が得意じゃないんだから、個人的な意見をいちいち言わなくても良かったんじゃないかと後悔した。


「私、実家が北海道にあって。でも親は離婚して今はおばあちゃんに面倒見てもらっているんです」


 恵は正面を向いたまま淡々と喋りだした。多分俺が気を使わせたんだ。


「だから私がもっとしっかりしないとって。おばあちゃんには楽させてあげたいし、もし私が何かきっかけを作れるような人間になれればまたお父さんとお母さんも元に戻って仲直りできるかなって」

「……」

「無理に決まってるのに。だから私が今一番欲しいのは家族です」

「大丈夫。きっと恵はいいお嫁さんになれると思うよ」


 きっといいお嫁さんになる。


 料理も作れて、面倒見も良くいつも一生懸命なんだから。


 恵と結婚する相手は幸せ者だろうな。俺が今こうやって恵といるのもマンションがお隣さんでクラスが同じだという奇跡が重なったから。


 この位置に居るのはたぶん俺じゃない。だから俺がもっと成長して恵に安心させてあげないと、この現状からは抜け出せない。


「俺さ、もっと努力しようと思う。だから恵も自分に相応しい居場所を見つけられるように頑張ろう」


 そう伝えると恵は、溜まりに溜まっていた泉が堅い地を破って、一時に迸って来たように、涙を流した。


涙腺るいせんが緩んだじゃないですか……」

「ごめん。そんな泣かせるつもりじゃなくて」

「私、泣いた顔なんて誰にも見せたことないんですから」


 そう言うと恵は立ち上がって前へ進むとこっちを振り返った。その姿は今まで見てきたどの女性よりも魅力的で輝いて見える。


「責任取ってくださいねっ!」


 そう言うと『こっちこっち』と手で合図して走り出す。


 こんなに無邪気で自由な小山恵を俺は見たことがなかった。初めてだった。

 まだ彼女のことを好きかどうかと言われれば分からない。


 だけど俺は君を追いかけて、今に『青春』という名前をつけようと思う。




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