第3話 争奪戦?

「やりにくいんだけど……」


 入浴の後、直美の髪を乾かして梳く紀子に向かって、突然、直美が言った。紀子は驚いて手を止める。


「……あんまりこういうのは……いやだな」

 物凄く言いにくそうに直美は言った。


「私と、もう、仕事も一緒にしたくないのかな?」

 紀子は手を止めて、寂しそうな表情になって聞く。


「そういう事じゃなくて……」

 直美が少し顔を赤くして言う。

 紀子は不思議そうに、直美を見た。


「紀子さんはお兄ちゃんの奥さんじゃない。その人に、使用人の真似をさせるのは……抵抗あるんだけど……」


 直美のその言葉は紀子の心に染み入った。

 始めて、直美が紀子を兄の奥さんと認めた発言だったからだ。

 紀子は嬉しさに涙が出そうになる。だがそれを、ぐっと堪えた。


「何言っているの、仕事なんだから。それに、いつもはお兄さんに、ボディーガードさせているでしょ?」


「それとは違うもん。だって……私、小姑だよ?」


 その直美のセリフが可笑しかったらしい。紀子は噴出し、クスクスと目に涙を溜めて笑った。


「楽しそうだな」

 優の声だ。良平と優が部屋に入ってきた。


 優はスタッフに化けているので、出航パーティーの今夜は、白い詰襟の制服姿だ。なかなか似合っていてかっこいい。


「だって直美ちゃんってば、自分の事、小姑なんて言うから」

 紀子がそう言うと、直美が赤くなる。


「だってそうじゃない、しかもお義姉さんに髪なんかとかせていたら、意地悪小姑みたいじゃない」


「……え? 今頃? ホントに自覚なかったのか?」

 ソファーで寛いでいた良平が、キョトンとして言う。

 反射的に口から出てしまったのだ。少し疲れていたのかもしれない。


「い、意地悪言わないでよ、馬鹿」

 直美の目から涙がこぼれた。


 良平が直美の涙を見て、あ、と驚く。

 優が困った顔になっている良平を睨んだ。


 泣いている直美をみて紀子が慌ててフォローする。

「な、泣かないで直美ちゃん。意地悪な小姑なんて……直美ちゃんは、可愛い妹だと思っているわよ」


「本当に? 本当にそう思ってる? 怒ってない?」

 直美は紀子と優を交互に見た。紀子は微笑む。


「怒ってないわ」

「怒ってないよ、お前は大事な妹だ」

 優も優しく微笑んで言う。

「まあ、この部屋の中でまで演技の必要はないだろうから……ふたりともここではいつも通り過ごせばいいよ。そのほうが直美も気が楽だろ?」

 優がそう言うと直美がうんうんと何度も頷く。

 二人を見て紀子はまた微笑み、そして持っていたブラシを置いた。


 3人が穏やかな表情になる中、良平がひとりばつの悪そうな顔をした。



 優はどうやら、仕事の用事で来たわけではないようだった。

 勿論、王女の様子や今後の事、また、出航の際に怪しい人物が乗り込まなかったかなど、少し打ち合わせのような話をしたが、その後すぐに、紀子を連れて紀子の部屋に二人で入っていった。


 皆が各自の寝室に戻った後、直美は勉の姿を長い時間見ていことに気付く。

「そういえば、勉君はどうしているの?」

 

「偵察に動いているよ。まずは、船の中の様子を把握しているはずだ」

「ふうん……仕事熱心ね」


「そうだな、あいつにしてはよく働いているな。あいつも、あれから随分成長したみたいだ。まあ……元々、うちの連中は仕事が命のような奴らばっかりだけど」

 良平が言い「あれから」というのは、剛が早瀬家を襲撃した時からだと直美もすぐ分かった。


「シャワー浴びて来る」

 良平がそう言って立ち上がる。

「そう、わたしはシャワー浴び終わってるし、もう寝るね」

 直美は欠伸しながら寝室のドアを開け寝室の中に入った。



 良平がシャワーから出て、寝室に入ると、直美は既にベッドの上に居て、ふかふかそうな枕にもたれて座り雑誌を読んでいた。


 良平はその姿を目で見ながら、冷蔵庫を開けてペットボトルの水を取り出して水を飲むんでから、ベッドの方に歩み寄る。


「あ、良平はそこね」

 いきなり直美はそう言い、ベッドの上から何かを指差した。


 良平が直美の指差した方を見ると、そこにはソファーがあった。

 ソファーには、ちょこんと毛布と枕が乗せられている。


 良平は黙ってそれを見て、それから直美を見た。

「……冗談だろ?」


「殺されたい?」

 直美は雑誌から目を外すことなく言う。


「ふざけんなよ、俺だって、疲れてんだぜ? 同じベットが嫌なら、お前がソファーで寝ればいいだろ?」


 良平の言葉を聞き、直美がばっと顔を上げる。

「まさか! 女の私にソファーで寝ろって言うの? 最低!」


「うるさい! 男女は平等だろうが!」

 そう言い、良平はベッドに入ろうとした。


「きゃあ! やだ! やだ!」

「おい、大声出すな! 優さん達に変な誤解されるだろ?」

 少し焦って良平が言う。


「何が誤解よ! ベッドに勝手に入り込んで!」

 良平は直美の言葉に少しムカッとし、直美の腕を掴んだ。


「お前みたいに色気のない女、その気になんかなるか!」

「きゃああ! 何すんのよ! 変態! サド!」

「ああ、俺は、サドだよ!」

 そう言い、直美をベッドから無理やり下ろして自分がベッドに横になる。


「痛いじゃないの!」

 直美は再びベッドに飛び乗り、良平を蹴った。

「痛てっ!」

「降りろ! ばか! 殺すわよ!」


 ~~*~~



 つっ……

 寝返りをしようとして、良平は不快な感覚を腰に感じ、目を覚ます。


 もう朝だ。よく眠れなかった。

 ため息をつき、良平は上半身を起こした。

 それから、ベッドの方を見る。


 ベッドでは直美が気持ち良さそうに寝息をたてていた。


 昨夜のベッド争奪戦は直美の勝利だった。

 まあ、ベッド争奪戦に、良平が勝つ事なんか元々ありえないのだが。


 良平は立ち上がり、ベッドサイドに行く。

 そして直美の顔を見た。


 可愛い……抱きたい……


 直美をみて少しだけ邪まな事を考えてから良平は寝室を出た。




「おはようございます」

 良平がリビングに顔を見せると一斉に挨拶の声が聞こえた。

 見ると、勉と紀子が船のスタッフと共に、テラスに出したテーブルに朝食を並べている。


 祠堂が良平に新聞を持ってきた。

「どうぞ」

「ああ、有難う」

 それを受け取り、良平はドサッとソファーに座る。


 真面目な祠堂は完全に演技しきっていた。

 優秀な執事を演じる彼は恭しく良平に向かって言う。

「奥様をお起こしいたしましょうか?」

 良平はちらっと祠堂を見てから、新聞に目を落とした。

「……ああ、起こしてやってくれ」


 朝食を済ますと、直美と良平は早速王女の元に向かった。

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