第43話 仲間を求めてー2(終)

 それからどうなったかというと、やってきた医者によって氷嚢を顔面に載せられて目を覚まし、リハビリ病棟へと移動することになった。

 車いすを押す悟君がぶつぶつと恨み言を言っている。

「先生は英雄なのに......この事態に最初に立ち向かった人への仕打ちがこれですか!?」

「いや、リハビリに移れるというのはありがたい。

 前ほどまでではなくとも、人並には動けるようにしたいからな」

 もちろん、応えるのは俺の声をした猫だ。悟君の肩に乗っている。

「それが......この病院のリハビリ、回復は1日で済むんです」

「なんと、それはありがたい。『異能』が絡んでいるんだな?」

「その通りですが、死ぬほど辛いですよ?」

「先生なら問題ありませんが!」

 猫が悟君の声で叫ぶ。

「クソ猫!」

 みゃおん、と鳴いて猫は床に飛び降りる。俺たちの2 m先を歩きながら、振り返る。

「俺はやって見せる。何が待ち構えていようとも、だ」

 この猫の『異能』、『思考のエミュレート』と『声紋と口調のコピー』、言うなれば『異口仮想いくかそう』、意地が悪い。

 人間が持っていればさぞ悩んだことだろう。

「着いたぞ。じゃあな、斉藤佳助。1にまた会おう」

 渡り廊下の先、内外両方に開くであろう扉へ、押されるままに入る。

 1年後?

 悟君は車いすを一押しして、扉の向こう側で立ち止まる。

「先生なら戻ってこれます!負けないで!」

 これは、不味い......。

 リハビリ病棟、それは『異能視』でなくても一面緑色に映るであろう、苔むした廃墟であった。

 すると、悟君の虚像が目の前に現れる。

「ここは自然治癒力が365倍になる『異能空間』です。

 食事も水分補給も、排泄すら必要ない場所です。

 ここで1日過ごすことで、先生は元以上の身体能力を得ることができます。」

「でめりっと、は?」

 既に喉が潤い、言葉も滑らかになってきている。

「1日以内にここを出ないと、苔と同化して人間ではなくなります」

「なんてこと......」

「これは、苔が持つ『異能』、生物を肥え太らせて取り込む、『収奪温室ボタニカルキラー』なのです」

「ということは、『異能』を利用した人間、失敗して取り込まれた人間、様々なんだな?」

「はい。そして、1日というのは目安だそうです。

 でも、先生の『異能』なら、自身が侵されるか否かのギリギリ攻められますよね?」

「良い性格になったじゃないか、悟君」

 えへへ、じゃないんだよ。

 黒い虚像が姿を消す。

 


 さて......。喉は十分に温まった。肺活量もそれなりだろう。流石にまだ立つことはできない。

 深呼吸をしながら、全身の筋肉に硬直と弛緩を要求する。徐々に神経が通うように、末端から動くようになってきた。

 車いすから立ち上が......ろうとして温かい苔の絨毯に転がり落ちる。視線を落としてよく『視れば』、微かに『色彩』が異なる塊がそこら中に転がっている。

 地面に倒れているような様子から、『同化』が始まってからは恐怖を感じて逃走を試みる程度の時間があるようだ。

 いや、なんの解決法にもならない。

 この出入口に『塊』が集中しているのを鑑みると、今の俺と同じく、チキンレースを試みる者が多く散っていったのだろう。

 手すりだった突起に掴まり、なんとか立ち上がる。

 そうだ、赤ん坊なら、掴まり立ち、伝い歩きとステップを踏むだろう。

 疲労が溜まらない環境なら、体をいじめ続けることができる。

 5歩壁を伝って歩き、次は掴まっての屈伸運動......5回。

 壁から手を離し、5歩足踏みをする。

 うむ、出会った頃の悟君くらいには動ける自信がある。

 


 その瞬間、『緑』が脈動する。リハビリ病棟の奥から、より鮮やかな『色彩』が波となって壁を、床を、天井を奔る。

 来たか。車いすは捨てるしかない。

 扉まで5 m。歩み、駆け、跳ぶ!そして、扉を開け......開かない!?

 押しても引いてもびくともしない!

 まさか、これが『収奪温室ボタニカルキラー』のからくりなのか!

 『異能視』に集中する。

 扉を閉ざすのは、かつて人間だった『色彩』を纏う苔の塊だ。観音開きの扉、左右に1人ずつ......。否、もはや人間ではあるまい。

 右の『塊』に左手でジャブを放つ。拳を支える筋力を欠いているが、衝撃で『塊』は微かによろめく......。

 これでは駄目だ。

 無尽蔵の生命力、それが俺に、『彼ら』に供給されるのなら、この『塊』たちをどうにかするなら......。

 左拳を再び固め、今度は喉であろう部位を突く。人体の急所は、正中線、体の真ん中に並んでいる。『塊』は体格も分からないため、鳩尾を狙うことは難しいと思っての攻撃だが......。

 結果として、効きはするが、失敗だった。俺は武術の道を齧る程度、徒手格闘は初級者でしかない。

 俺が生き延びるためには......『塊』の首を両手で握る。微かな脈動。それを、今から止める。握力は、そっと触れる弱弱しさから、徐々に力を増し、万力の如く。

 そして、『塊』から『緑』が消えていく。



 そこに横たわるのは、若い医療従事者の男性だった。

 

 

「先生、おかえりなさい!まさか20分で戻ってくるなんて!」

「悟君、悪いが、この病院の医療従事者で行方の分からない者の名簿、顔写真を見ることはできるかな?」

「簡単です!」

 悟君は携帯端末を取り出し、みゅんみゅんと黒いノイズを飛ばす。

「どうぞ!顔写真付き名簿です!」

「いや、俺には見えないんだ......。特徴を話すから、探してくれるか?」

「......はい!」

 身長180 cmほど、がっしりとした体格、堀の深くえらの張った顔、その程度しか分からないが......。

「いました!パク・タケシ......韓国系の苗字ですね。

 昨年度に資格を取得した作業療法士でしたが、3か月前から連絡が着きません。

 ......今探知しましたが、この人の携帯電話、3か月前のリハビリ病棟のロッカールームから動いてませんね。

 この人と会ったんですか?」

「いや......。こと切れていた。俺も危なかったから、遺体を置いて来たんだ」

 今になって、人を手にかけた感触で吐きそうになる。

 それを咄嗟に隠してしまった自分にも。

 いや、『異能』を使えばすぐに明らかになろう。

 悟君にも可能なことだ......。

「すまない、訂正を......」

「辛かったですね、先生。

 無理をさせてごめんなさい。

 この3か月、先生を待っていたんです。僕も、みんなも」

「いや、無理ではない。呑気に寝ていた分、働かせてもらうよ」

 言えなかった。

 だが、俺のわだかまりのために皆を不安にさせるわけにはいかない。

「さあ、行こうか!『みんな』のところに!」

 俺は努めて明るい声色を出す。

 


 この目が見えなくて良かった。

 視線を合わせることがなくとも、不自然ではないのだから。

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