第39話 超常走狗

「貴女が誰だか知らないけど、貴方が壊したモノの分、私が貴女を壊すわ」

 


 『オレンジ』の閃光は神崎定子を舐めるように、全身を発火させる。

 人のモノとは思いたくないほどのおぞましい絶叫。

 それは、かつて神崎空良が創り出した地獄の再演だ。

 千里さんの『色彩』......そうか。

 『無色透明』という『色彩』が、首元に在る。

 瞳に宿る『紫焔』、左腕に纏う『太陽オレンジ』、下肢を覆う『新緑』......統一性の無いパッチワーク。

 そして、俺の右腕は7年間共に過ごした痛みと『色彩』を喪っている。


 

「千里さん、その『異能』、誰のものですか......!?」

「私の意思で扱えるんだから、私のものなんじゃない?」

 俺が食って掛かるも、どこ吹く風だ。志村も声を荒げる。

「『トナカイ』、貴女は嘘を吐いていたのか!?『ジャガー』を見殺しにしたのか!?」

 千里さんは微笑む。この地獄に、仏のように。

「彼のことは残念だったわ。灰も残らなければ『奪えない』もの」

「貴女は......!いや、貴様ッ!」

 志村が凄むや否や、『ホーク』大岡が背後から強烈なタックルを食らわせる。

「悪いね『ライオン』。あんたが作った『協会』は居心地良かった。それは、千里さんも思っているよ」

 大岡の言葉は本音だ。組織の分裂、裏切り。信頼を伴う叛意。それは身内であればこそ見抜けないものだ。

「おっ!良い所に間に合ったみたいだな!」

 『モンキー』烏山の声が入り口から聞こえる。

「遅いですー。一人も死なせない。そう千里さんが決めたのに......」

「そうか......。『ジャガー』が居ねえな。面目ねえ」

 時子と悟君は蚊帳の外だ。この土壇場で、悪意が場を支配する。

 

 

「千里さん、復讐なら、もう済んだのではないですか?」

 定子は苦悶の叫びを上げ続けている。神崎姉弟を死に至らしめ、死後も魂を弄び、その死体すら使い潰していたのはあの女だ。

 その過程で、『ジャガー』田中も、剛さんも、数多くの無辜の市民も命を奪われた。

「違うわ。

 私は剛を忘れた世界を憎んでいるの。

 どうしようもなく、ね」

「そんな......」

 俺は、馬鹿だ。

 俺が初めて行った墓に、千里さんは7年間通っていたのだろうに......。

 そんなこと、分かっていたのに。

「君は言ったわね。

 忘れませんからって。

 ありがとう。

 私の中にも、君の中にも、剛は生きている。

 その言葉で私は救われたのよ?」

「なら、もう帰りましょう。

 罪も罰も、俺が一緒に背負いますから......」

「だから、世界は壊さない。

 力なき者が奪われる世界、その一端を覆すだけで、私は満足するわ」

 会話になっているようで、まるで伝わらない。千里さんの言葉は俺に向いていない。

 


 そう、世界に向けて、高らかに謳っている。



「ねえ、時子さん?

 貴女のお従姉ねえさまの亡骸、貴方のお従兄にいさまの『異能』、組み合わせればどうなると思う?」

 時子は、その身の震えを必死にこらえて、千里さんを見つめる。

「おぞましいことです。

 ......定子から聞きました。

 海未姉さまは他者の『異能』を強化する『異能』、空良兄さまの『異能』は太陽に等しい純粋なエネルギー。

 もう、やめてください。

 貴女が喪ったものは存じ上げませんが、7年前の死者を、貴女まで、弄ばないで......!」

「そうね。

 眠らせてあげるのよ。

 2人の残滓は、ここで消えるわ」

 悟君が震えながらも、叫ぶ。

「先生を助けに来たんでしょう!

 今しようとしていることは......違う!」

「いいえ、違わないわ。

 佳助くんも、『非常識探偵』なんてやらなくても済むんだから」

 悟君は絶句する。悟君は、『非常識探偵』としての俺についてきたのだから。

「もういいでしょー?

 千里さんとのお別れ会はここまでー」

 神奈川が千里さんの右腕に身を寄せる。...と、千里さんはそっと神奈川を抱きしめる。

「そうね、お別れはおしまい。

 じゃあね、千尋」

「え......?」

 神奈川千尋は、予想外の言葉に固まる。その頬を、するりと千尋さんの右手が撫でる。

「大地君、健児君、2人も。

 あと、今日来れなかったみんなも、ね」

「どういうことっすか!?

 神崎家の『異能』隠匿を暴露するって話は!?」

 烏山健児が吼える。大岡大地も首肯する。

「ここに居ていいのは、死んでも良い人だけってこと。」

 気付けば、神崎定子だったものは燃え尽き、焼け跡が棺の傍に横たわるのみであった。

 本来の清浄な空間へと戻りつつある。

「......そうか。

 『トナカイ』。

 君だけは新たな『世界』に入れない。

 入る必要のない人間なんだな」

「流石『ライオン』。

 分かったなら、地上に戻って。

 私に逆らう力も気概もないんだから」

「......ああ。また来るとも。

 『世界を変えて』、どう思ったかを聞きにね」

 志村は踵を返す。

 呆然と立ち尽くす神奈川は大岡と烏山に両脇から持ち上げられて、引きずられていく。

 千里さんの名を呼んで。

「悟君、かんざ......時子さんを連れて、地上へ」

「なにがなんだか......」

「時子さんから聞けば分かる。また会おう」

「先生は......?」

「俺には、まだやることがあるんだ」

 時子が俺の右手を両手で握って、上下に振る。

「7年前の話、まだ聞いておりません。約束をたがえないでくださいまし」

「勿論です」

 俺は、柔らかく温かな小さい手を、弱弱しく握り返す。古傷が、そうすることしか許さないのだ。

 時子は、出口へと向かう。振り返らず、堂々と。

 悟君はそれを追いかける。



「ねえ、死んでも良いの?」

「そんな嘘はやめてください。

 『視えます』から。

 でも、俺が千里さんに逆らえるはずもないでしょう?

 ここにいるくらいは許してもらえますか?」

「そう。じゃあ、おいでよ」

 千里さんは左手を差し出す。俺は、右手で掴む。薄い皮膚の下の肉は冷え切っている。

 10 mも無い距離を、共に踏みしめていく。そこには、黒い棺が。

 棺の蓋は、『白銀』の煌めき。神崎海未の『異能』の証。


 

「この棺の本来の目的は、忠実な『異能者』の量産なのでしょうね」

「あら、私と大して変わらないじゃない」

「......千里さん、本当は止めて欲しかったんですよね」

「今からでもいいわよ?」

「いざそうしたら『異能』を使って抵抗するくせに」

「分かってるじゃない」

「1つだけ、お願いを聞いてもらっても?」

「うーん、モノによる?」

「棺の中を見たいです」

「......いいわ」



 これが、最後のチャンスだ。

 海未を、休ませてやる。

 棺の蓋は、とても重かった。

 全体重をかけて、ようやく亡骸の顔に光が差す。

 寝顔のような、しかしかつてタクシーで移動したときに微睡んだ彼女とは似ても似つかない青ざめた顔。

 全神経を集中して『視る』。

 『白銀』の発生点、それは鎖骨のくぼみ。

 俺は、左拳を握りしめ、振り上げる。

 砕く。そう、美しい彼女のなれの果てを、汚すために。



「嘘吐き」



 体が、動かない。全身に『ツタ』が巻き付く。

「この『異能』、両足を固定する限り他者を一切動けなくするっていう使いづらい『異能』でね、だるまさんがころんだが成立しなくなるのよ」

 ......なんの、話だ。

「だから、私が貰ってあげたの。あの子、喜んでたわ」

 そうか、この人は、善性の人であり続けているのだ。

「こんなことに使いたくはなかったわ。あの子を汚すから」

 どの口が言うか......!

「じゃあね、佳助君。強くなったら、またおいで」

 


 白銀太陽オレンジが混ざり、溢れる。



 それは、眩く。

 それは、白く。

 それは、黒かった。

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