第34話 散りゆく者たちー1

 気付けば、僕は事務所に居た。

 先生から貰った合鍵は、自分で回すのは初めてだったせいか、左右に何度も回さないと音を立てることがなかった。

 換気扇が回る音のやけに大きい応接室で立ち尽くし、先生が居ないことを改めて感じた。


 

「悟さん......とお呼びしても、よろしいかしら」

 そうだ、ここまで逃げてこられたのは、この女性、神崎時子さんのおかげなんだ。

「はい......。かんざき、さん」

「ありがとうございます。わたくしのことは時子ときこ、と。今は、神崎の名を名乗る気はありませんもの」

「はい......」

「厳しいことを申しますが、落ち着いて聞いてください。私たちは逃げました。」

「そうだ、先生......僕のせいで......」

「いいえ、佳助さん......先生は、託したのです。

 私たち、いえ、貴方に」

「僕なんかが......」

「なんか、ではありません。

 貴方の『異能』、自在に蜃気楼を操る......いえ、音も操っていましたね。

 そのチカラを振るってこそ、私たちはここにいるのです」

 僕の『異能』、『情報転写』は媒質と元になる信号がある限り、自在に情報を投影できる。

 音、光、電磁波、そしてデジタル信号。

 先生は、現代において無敵に近いと言った。

 事実、電子兵装である近代兵器相手には負けたことがない。

 でも......。

「この『異能』は特別だけど、時子さんが持っていたなら、もっと」

「それは違います。

 チカラあってこそ、ではありません。

 私は、チカラを振るってこそと申しました。

 貴方は、先生の信頼に応えたのです」

 その言葉に、目が覚める思いをした。

 この女性ヒトは、かつての先生と同じように、僕の『異能』と僕自身を分けて見てくれる。

「じゃあ、まだまだ、なんですね」

 時子さんの目を見つめて、問うとも、宣言するともつかない言葉が口から零れる。

「ええ。改めて言いましょう。私たちは逃げました。ですが、それは反撃のためです。先生を助け出し、この事件の黒幕と対峙するために」

「そうです!じゃあ、今から乗り込んで!」

「いいえ、それは駄目です!」

「どうして!?」

 勝算がありませんから、と時子さんは目を伏せる。

 それは、そうだ。

換気扇の音が、また気になってきた。

 


 電話が鳴る。

 滅多に鳴らない、事務所の固定電話。

 『異能』を使って不通にする。

 こんな時に、したこともない電話対応なんて、無理だ。

「佳助くーん!!!居留守が下手になったねー?いい度胸じゃなーい!」

 そこには、『異能者』集団、『協会』のリーダー格、橋本千里がドアを背で支えながら立っていた。

「申し訳ありませんが、斉藤佳助は留守にしていますの」

 固まる僕に一目やり、時子さんが対応する。

「あらあら、ご丁寧にありがとうございます。

 あなたが助手さん?聞いていた人相からは性別からして違うのだけれど」

「いえ、助手の悟はあちらです」

 ふーん......。と僕を観察する橋本千里。

 僕は無言で視線を返す。

 長い手足を細身の衣服で覆い、薄手のトレンチコートを羽織っている。

 くるぶし丈のブーツにはヒールがあり、女性としては長身の部類である彼女の存在感をより強くしている。

 ......視線がぶつかり、眼をそらす。

 僕はかつてネット空間で活動していた『協会』にクラッキング攻撃を加えた、仇敵なのだ。

「うんうん、昔の佳助君に似てるかもね。納得したわー」

 そう言うと、パーティションの向こうへとつかつかと入っていく橋本千里。冷蔵庫を漁ったかと思うと、紙パックの緑茶を3つ抱えて戻ってきた。

「居留守の助手くんに、何故か荷物も持っていないお嬢様、圏外の佳助君。何かあったんでしょ?」

 橋本千里は革張りのソファに腰を下ろし、机を挟んだ対面を手で指し示しながら、問う。

「失礼いたしますわ」

 時子さんが腰を下ろし、こちらを見る。

 気まずいけれど、時子さんの隣に座る。

「私は神崎時子。探偵、斉藤佳助さんにある依頼をした者です」

「私は橋本千里。佳助くんの先輩みたいなものかしら」

 間。そして、2人の視線。

「僕は山口悟。助手です」

 


 橋本千里が自身も『異能者』であることを明かしたのを皮切りに、これまでの経緯を説明した。

 いや、時子さんが。

「うん、辛かったね。でも大丈夫。私が力になってあげる!」

「相手はどれだけの数の『異能者』か分からないのですよ!?

 そして、暴力に慣れていない女生徒たちが、おそらく強いられて向かってくるのです。簡単に......」

「簡単には言ってないよ。

 分かってる。チカラを与える存在がいて、佳助君を生け捕りにさせた。

 暴力に慣れていない子供だけが相手じゃないことも、分かってる」

「そんな......貴女は......?」

「『異能チカラ』に目覚めたときから、こんな日が来ると思っていたの。

 常識で計れないチカラ、私だけのモノでないのなら、いずれ悪意と結びついて、私の身内を傷つける日が来るって。

 だから、私はチカラを蓄えているの。

 佳助君には秘密よ?彼、心配するから」

「蓄えたからと言って、敵の数も分かりませんのよ?」

「ふふ、私が蓄えたチカラ、それは、仲間なの」

「まさか......!」

「援軍を呼ぶわ。私たちは、佳助君に恩義があるんだから」

 時子さんが目頭を押さえる。

「助手くん?私が言うことを知ってて黙ってるとは、良い趣味してるわね?」

「う......。それは、はい」

「正直者ね。嫌いじゃないわ」

 この人、どこまで僕のことを知っているのか......とにかく、苦手だ......。

 本当に先生の先輩なんだろうか。

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