第12話 その少女、神崎海未その②

「待たせてごめんね、空良」


 

 月明かりに照らされる白い姿。神崎海未はそこに立っていた。

 俺は地べたに尻もちをついた体勢で、神崎空良は俺に左の手のひらを向けたまま振り返って、その姿を見ていた。


 

「そんな......そんなことしたら、終わりじゃないか!」

 静寂を破るのは空良の叫びだった。

 彼は知っていたのだ。

 慰霊碑の下で辛うじて海未の肉体が維持されていたこと、そして、意識があるべき場所へ戻ってしまえば、7年先延ばしにされた死が海未に、消滅が空良に訪れることを。

 

 空良は誰に向けるでもなく、言葉をこぼす。 

「なんで、そんなことを......僕は、自分の力でこの慰霊碑を壊して、自由に......姉さんといっしょに......」

「終わってるんだよ、私達は、7年前に」

 海未の言葉、生者である俺では立ち入れない場所に、2人だけの世界に響いた。

「そんな訳ない!僕も、姉さんも、ここにいる!まだこれからなんだよ!」

 すがるような声。 

「関係ない人を犠牲にして?

 これから?

 そんなものは無いよ。

 行こう、空良。



 一緒に消えよう」



 どうしようもないほどの拒絶でありながら、その手は差し伸べられる。

「なんでさ!

 奪われて、助けられなくて、見捨てられて、忘れられて!

 そんなの、あんまりだ!」

 かつて瓜二つの双子であった2人は、今は外見通りに年の離れた姉弟のようだった。

「そうだね。

 あんまりだよ。

 確かに、私達は助からなかった。

 でも、この人が、佳助さんは私達を覚えていてくれる」

「こんなやつに覚えられて、何になるんだよ」

「空良はこの人のこと、傷つけられなかったんでしょ?

 その理由は、7年前に傷を負ったからなんだよ。

 ずっとその傷を引きずってた」

 一息吸い込んで、海未は告げる。

「あの事件から7年間、この人は生きていて、空良は死んでる。

 この人だけが、私たちの終わりを知っているんだよ」

 ハッタリだ。

 この腕は既に空良の能力で一度死んでいる。

 死んだものは殺せなかっただけのことだ。

 


 空良の姿が薄れていく。

 やはり海未の肉体を組み込んだ慰霊塔は、海未の生命維持装置であると同時に空良を繋ぎとめる要石でもあったのだ。

「消える......僕は、消えるんだ......何も残すことなく」

 涙をこぼしながら、空良は呟く。

 残響が消える頃には、空良の姿もまた消えていた。



 ボロボロの体を引きずって、海未に声をかける。

「良かったのか?あんなに寂しい最期にさせて」

「空良は人を殺した。

 でも、誰も裁いてくれない。

 空良は本当は幽霊じゃなくて、誰かのせいでこの世界に取り残された欠片だった。

 だったら閻魔様もいないんだよね?

 だから、こうして私が裁かなきゃって…」

 声はかすれて、消えた。

「どうして!?あんまりだよ!

 被害者のまま消えていた方がマシだったよ!

 父さんはどうしてこんなことを!」

 もう自分の命も残り少ないと知っていながら、この少女は堕ちた弟の悲劇を想っている。

 外見年齢の半分近くを生霊として過ごしていたこの少女が泣いている。

 俺は......。

「無駄にしないよ。あの事件も、この7年間も、この場での犠牲も。

 俺が、引き継ぐ。

 謎を暴き、真実を確かめ、その先へと歩んでいく。

 無駄なものなんてなかった。

 そう胸を張れる日がいつかくるように、罪を忘れず罰を背負って生きていくよ」

「そんな......佳助さんが背負うことなんて......」

 言葉を遮って、白い体を抱きしめる。

 熱を失いつつあるその体は、内臓が入っていないかのように細かった。

「君は子供で、俺は大人だ。

 もう良いんだよ。

 君の7年間も、俺が背負うから。

 せめて眠る時は安心して欲しいんだ」

 胸に熱い涙の感触。

 右手で背中をぽん、ぽん、と叩いてやる。

 1分ほど経っただろうか。海未が顔を上げる。

「そういうセクハラ、女の子にはやっちゃダメだから」

 明るい声。先日事務所を訪ねたときと同じ調子。

「そうだな、気をつける」

 俺の声は潤んでいた。

 海未の右手が俺の頬に触れる。

「また、私を見つけて。どこかで困っているから」


 ああ約束する。

 亡骸を抱えて、俺は瓦礫の山を降りた。

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